西大寺駅で数多くの古い電車を撮影できて満足し下車する。
駅周辺は大規模な再開発が進められている。
ひなびた風情が無くなるのは非常に残念だが仕方がない。
住民でもない私が我侭を言っても迷惑な話だ。
西大寺の北西には平城京蹟があり開発ができないのだが、確かに駅の南側は
開発可能であろう。但し発掘には時間を要したのだとうと思われる。
奈良はデベロッパーが嫌がる土地だ。
掘れば何かが出る。
開発に10年も20年もかかってしまうからだ。
おまけに規制が多いので滅多なことでは大型のマンション等は建たない。
駅の南側すぐの住宅。
昔は全部がこんな感じだった。
未舗装だ!
開発が進む。
ちょっと遅ければもう鄙びた一面を見ることはできなかった。
次に駅名の西大寺に向かう。
あまり観光客は行かない寺だがひじょうに大きく由緒正しい寺だ。
大きな茶器を回して飲む茶会の風景は見たことがあるだろう。
これは途中の風景。
雄大で静かな境内。
気持ちが豊かになる空間
西大寺の周辺の街並みもすばらしい。
これは一般の民家?
お寺さん?
お菓子のガトー・ド・ボア
以前女房と入ったことがある有名店で西大寺の門の前にある。
関西のお菓子は彩がきらびやかだそうだ。
私が40年ほど前に始めて電車の写真を撮った想い出の踏み切り。
まだ電車の写真を撮ってるのも何かの縁で。
開かずの踏み切り。
ちょっと乗り出すと線路内に入れるほど低い仕切り。
関東では安全策がもっとうるさいような気がする。
近鉄はおおらかだ。
祖父母の住んでいた家に向かう。
銭湯もあったはずだが見当たらなかった。
随分街並みも新しくなった。
ここも想い出の残る踏み切り。
その当時の踏み切り警報音はカンカンと鐘の音だったが、流石に今は電子音で
電車の通過が近くなると音量が下がる。
この坂は一人がやっと通れるほどの狭い坂で未舗装だった。
雨の時は水が川のように流れて上り下りに苦労した。
坂の上には土で固めた県営の長屋が10件ほどあり、木や森に囲まれた不思議な空間だったのだ。最早残っては居ないとは想像していたのだ。
森や木々は伐採されて新しい住宅が並んでいた。
しかし、しかしである。
祖父母の住んでいた場所には何とそれらしき家屋が残っていたのだ。
ちょっと離れて2軒だけ。
周りは変わっていたし家も改築されているが、裏に回ると土で固めた壁が
露出しており、屋根も相当古い木造なのが確認できた。
土壁の上に他のものを覆っていたが、確かに祖父母の住んでいた家だ。
ちょっとノスタルジックな気分になった。
次に近所のいつも遊んでいた踏み切りに向かった。
ここは何十回も行った場所だ。
今もかなりの高速で電車が通過する子供には危険な踏み切りだ。
踏み切り際のセイタカアワダチソウ。
関西では一般にどこでも見られる外来種の雑草だ。
アキノキリンソウとも呼んでいた。
そのまま歩いてあやめ池駅に向かった。
1キロ程度だ。
8000系の勇士。
カッコいい車両だなあ。
これも8000系。
傷みが見られない状態。よくもここまで使ってきたものだ。
美しいラインにほれぼれする。
近鉄の歴史を代表する名車。
撮影はKONICA MINOLTA α-7D AF17-35/F2.8-4.0、AF80-200/F2.8
駅周辺は大規模な再開発が進められている。
ひなびた風情が無くなるのは非常に残念だが仕方がない。
住民でもない私が我侭を言っても迷惑な話だ。
西大寺の北西には平城京蹟があり開発ができないのだが、確かに駅の南側は
開発可能であろう。但し発掘には時間を要したのだとうと思われる。
奈良はデベロッパーが嫌がる土地だ。
掘れば何かが出る。
開発に10年も20年もかかってしまうからだ。
おまけに規制が多いので滅多なことでは大型のマンション等は建たない。
駅の南側すぐの住宅。
昔は全部がこんな感じだった。
未舗装だ!
開発が進む。
ちょっと遅ければもう鄙びた一面を見ることはできなかった。
次に駅名の西大寺に向かう。
あまり観光客は行かない寺だがひじょうに大きく由緒正しい寺だ。
大きな茶器を回して飲む茶会の風景は見たことがあるだろう。
これは途中の風景。
雄大で静かな境内。
気持ちが豊かになる空間
西大寺の周辺の街並みもすばらしい。
これは一般の民家?
お寺さん?
お菓子のガトー・ド・ボア
以前女房と入ったことがある有名店で西大寺の門の前にある。
関西のお菓子は彩がきらびやかだそうだ。
私が40年ほど前に始めて電車の写真を撮った想い出の踏み切り。
まだ電車の写真を撮ってるのも何かの縁で。
開かずの踏み切り。
ちょっと乗り出すと線路内に入れるほど低い仕切り。
関東では安全策がもっとうるさいような気がする。
近鉄はおおらかだ。
祖父母の住んでいた家に向かう。
銭湯もあったはずだが見当たらなかった。
随分街並みも新しくなった。
ここも想い出の残る踏み切り。
その当時の踏み切り警報音はカンカンと鐘の音だったが、流石に今は電子音で
電車の通過が近くなると音量が下がる。
この坂は一人がやっと通れるほどの狭い坂で未舗装だった。
雨の時は水が川のように流れて上り下りに苦労した。
坂の上には土で固めた県営の長屋が10件ほどあり、木や森に囲まれた不思議な空間だったのだ。最早残っては居ないとは想像していたのだ。
森や木々は伐採されて新しい住宅が並んでいた。
しかし、しかしである。
祖父母の住んでいた場所には何とそれらしき家屋が残っていたのだ。
ちょっと離れて2軒だけ。
周りは変わっていたし家も改築されているが、裏に回ると土で固めた壁が
露出しており、屋根も相当古い木造なのが確認できた。
土壁の上に他のものを覆っていたが、確かに祖父母の住んでいた家だ。
ちょっとノスタルジックな気分になった。
次に近所のいつも遊んでいた踏み切りに向かった。
ここは何十回も行った場所だ。
今もかなりの高速で電車が通過する子供には危険な踏み切りだ。
踏み切り際のセイタカアワダチソウ。
関西では一般にどこでも見られる外来種の雑草だ。
アキノキリンソウとも呼んでいた。
そのまま歩いてあやめ池駅に向かった。
1キロ程度だ。
8000系の勇士。
カッコいい車両だなあ。
これも8000系。
傷みが見られない状態。よくもここまで使ってきたものだ。
美しいラインにほれぼれする。
近鉄の歴史を代表する名車。
撮影はKONICA MINOLTA α-7D AF17-35/F2.8-4.0、AF80-200/F2.8