SAILIN' SHOES

デジタル一眼、ライカ等でのスナップ写真や、カメラ、音楽、鉄道・車、子育ての日々雑感です。

西大寺で降りる

2006-10-28 | 鉄道・バス
西大寺駅で数多くの古い電車を撮影できて満足し下車する。
駅周辺は大規模な再開発が進められている。
ひなびた風情が無くなるのは非常に残念だが仕方がない。
住民でもない私が我侭を言っても迷惑な話だ。
西大寺の北西には平城京蹟があり開発ができないのだが、確かに駅の南側は
開発可能であろう。但し発掘には時間を要したのだとうと思われる。
奈良はデベロッパーが嫌がる土地だ。
掘れば何かが出る。
開発に10年も20年もかかってしまうからだ。
おまけに規制が多いので滅多なことでは大型のマンション等は建たない。


駅の南側すぐの住宅。
昔は全部がこんな感じだった。
未舗装だ!


開発が進む。
ちょっと遅ければもう鄙びた一面を見ることはできなかった。


次に駅名の西大寺に向かう。
あまり観光客は行かない寺だがひじょうに大きく由緒正しい寺だ。
大きな茶器を回して飲む茶会の風景は見たことがあるだろう。
これは途中の風景。


雄大で静かな境内。


気持ちが豊かになる空間





西大寺の周辺の街並みもすばらしい。
これは一般の民家?
お寺さん?


お菓子のガトー・ド・ボア
以前女房と入ったことがある有名店で西大寺の門の前にある。
関西のお菓子は彩がきらびやかだそうだ。



私が40年ほど前に始めて電車の写真を撮った想い出の踏み切り。
まだ電車の写真を撮ってるのも何かの縁で。
開かずの踏み切り。



ちょっと乗り出すと線路内に入れるほど低い仕切り。
関東では安全策がもっとうるさいような気がする。
近鉄はおおらかだ。


祖父母の住んでいた家に向かう。
銭湯もあったはずだが見当たらなかった。
随分街並みも新しくなった。



ここも想い出の残る踏み切り。
その当時の踏み切り警報音はカンカンと鐘の音だったが、流石に今は電子音で
電車の通過が近くなると音量が下がる。



この坂は一人がやっと通れるほどの狭い坂で未舗装だった。
雨の時は水が川のように流れて上り下りに苦労した。



坂の上には土で固めた県営の長屋が10件ほどあり、木や森に囲まれた不思議な空間だったのだ。最早残っては居ないとは想像していたのだ。
森や木々は伐採されて新しい住宅が並んでいた。
しかし、しかしである。
祖父母の住んでいた場所には何とそれらしき家屋が残っていたのだ。
ちょっと離れて2軒だけ。
周りは変わっていたし家も改築されているが、裏に回ると土で固めた壁が
露出しており、屋根も相当古い木造なのが確認できた。
土壁の上に他のものを覆っていたが、確かに祖父母の住んでいた家だ。



ちょっとノスタルジックな気分になった。
次に近所のいつも遊んでいた踏み切りに向かった。
ここは何十回も行った場所だ。
今もかなりの高速で電車が通過する子供には危険な踏み切りだ。


踏み切り際のセイタカアワダチソウ。
関西では一般にどこでも見られる外来種の雑草だ。
アキノキリンソウとも呼んでいた。



そのまま歩いてあやめ池駅に向かった。
1キロ程度だ。
8000系の勇士。
カッコいい車両だなあ。


これも8000系。
傷みが見られない状態。よくもここまで使ってきたものだ。
美しいラインにほれぼれする。
近鉄の歴史を代表する名車。


撮影はKONICA MINOLTA α-7D AF17-35/F2.8-4.0、AF80-200/F2.8
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西大寺駅にて

2006-10-28 | 鉄道・バス
西大寺駅は奈良線と京都線・橿原線と大きな車庫のあるジャンクションだ。
子供の頃はこの駅にずっと居ても飽きることがなかった。
古い半分木造の電車や、旧奈良電鉄の車両、湘南顔の800系やドアが異常に広い820系、荷物電車や新旧の特急、それにクリームに青いラインの8000系。それが1分またずに出入りしているのだから楽しかった。
現在でも車両こそ変わったが楽しさは同じ。
半日居ても飽きないだろう。
(大体関東ではタバコを吸う私は駅に30分も居れない。関西私鉄は喫煙化なので
飽きれば喫煙し、疲れれば必ずホームにある待合室に入ればよい。快適だ。)


この複雑な線路。いや迷路だ。この写真では写っていない左側の線路もあるのだ。
ひっきりなしに電車が行き交うのに、更に真ん中には大車庫への通路があり、
ここの出入りもひっきりなしだ。
近鉄は2両から10両まで激しく連結や解放を行い適正な編成を組む。
さらに編成の中身も組み替える。
まるで貨車のように、パズルのように行うのだ。
その車両たちが車庫に出入りする。
さらに番線を移動するのにも引込み線替わりに出入りさせている。
この順番を考えている人は一体どんな人なのだろうか?
神業だと思う。
今ならコンピュータも使うのだろうが昔はどうやって作っていたのだろう?
事故は起きた事がないのだろうか。


この8000系は1964年のデビュー。
私の子供の頃の代表的な電車。
系列で300両以上作られた名車であり功労者(功労車)だ。


右の特急も相当古い。
むかしはスナックカーという名前であった。
まさしくスナックコーナーが車内にあったのだ。



こういう顔の電車も居る。3000系だ。
まあ異端車である。


8400系と最新の車両。
最新の車両はLC車。ボタン操作でロングシートからクロスシートに変更できる画期的アイディアの車両。中松博士が考えるような突拍子の無いすごさ。
ラッシュ時はロング、昼間時がクロスシートでごゆっくり。



これもスナックカー。余命も短い。
当時、国内最高馬力の180kw/hの出力モーターで33パーミル勾配を連続して時速110キロ運転していた。
新幹線の馬力とほぼ同じであった。
その気になれば180キロぐらいは出せる性能であろう。名車。



これも8000系。
最初はクリーム色に青いラインだった。よく覚えている。
次にマルーン単色の時代が長く長く続いた。古都に相応しい色だった。
その次がこの色。
最初は塗りわけが奇異に写った(パンダじゃないか!)が人間慣れるものだ。
幌を丸出しにしているのは始終、連結と解放を行うから。
これも近鉄の伝統。



関西の私鉄は乗務員が常に他の電車や客にも気を配っている。
追い越し待ちの時も漫然と自分の電車に乗ったままではなく
外に出てきて追い越す列車側に行きホームの安全確認を行っている。
交代の時の待っている姿も関東とは雰囲気が違っている。
電車をずっと見つつつホームの安全確認もしながら待つのだ。
特にJRは見習うべきだ。
ダラダラしてるだけに見える。

撮影はKONICA MINOLTA α-7D AF17-35/F2.8-4.0、AF80-200/F2.8
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近鉄京都線

2006-10-28 | 鉄道・バス
まずは新幹線で京都に行き、近鉄京都線で西大寺に向かう。
私は近鉄学園前で育ったのだが祖父母は西大寺に住んでいた。
そのために近鉄京都線は馴染みの深い路線だ。
しかしもう40年も前の話だ。当時は昭和一桁台の古い車両がガタピシ走っていた準ローカル線であった。
今はベッドタウン化が進み、新田辺周辺は同志社大学を中心とする学究都市に様変わりしている。


新幹線の改札を出ると目の前に近鉄電車が見えている。
あまりにも乗換えが便利だ。
この写真はまさにJRの改札から撮った写真である。



まずは8600系の急行に乗車。
しかし運転席に貼ってある「電池運転可能車両」というのは
どういう意味なんだろうか?



新田辺で下車。
学究都市の玄関駅だ。
ここまでは最高速度は100キロで近鉄にしてはチンタラ走る路線だ。
競合が無いからか。もう少しスピードアップすべきだ。



ここで余命も長くないと思われる旧型を撮った。
この8400系もデビューは1968年だからもうすぐ40年選手だ。(私よりは若い)
それにしては綺麗なままだ。
近鉄はそもそも走行距離が多く酷使されているはずだが、
大切にされているのだろう。
40トンクラスの頑丈な車体だ。



こちらは最近の車両。
一両毎に京都と奈良の絵が描かれている。
その為にそもそも京都線用となっている。(京都地下鉄乗り入れ用)
こちらは鹿が描かれている奈良側。



これは奈良まで相互乗り入れしている京都地下鉄。
まさに地下鉄っぽい顔だ。


撮影はKONICA MINOLTA α-7D AF17-35/F2.8-4.0、AF80-200/F2.8
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関西詣で

2006-10-28 | 鉄道・バス
先日関西に行き鉄道三昧となった。

私は4歳から15歳までを奈良と大阪で育った。
子供の多感な頃を関西で育ったので未だに魂の中に関西気質が残っている。
特に近鉄沿線での生活が思い出深く未だに近鉄のファンである。
女房の母親も大阪南部河内が故郷で墓がその方面にあるために、
年に2回は親戚一同で大阪に出かけるのが慣わしになっている。

今回は長男と二人で関西詣でをしようと計画していた。
長男は大阪が大好きなのである。小さいながら大阪の面白さが
肌身でわかるらしい。関西弁も真似をするのが上手い。
まあ長男が居ればUSJに行くとか大仏を見るとかの予定であった。
しかし風邪で行けなくなってしまい、結局一人で行くことにした。
内容を変更、故郷を訪ねること、友人と飲むこと、また、関西私鉄の失われつつある古い車両を画像に収めるのを主な目的にした。

関西は古くても良いものは残す習性があり、名車はまだまだ残っているのである。関東はスクラップ アンド ビルドが好きなのか、そうせざるを得ないのか、一気に古い車両を廃車にしてしまい、コスト最優先の車両に置き換えてしまう。
まあもともと文化的に大いに違うので仕方が無いことだが、そもそも私鉄王国関西には優れた車両が多く、いまだに通用するものも多いのも理由かもしれない。
しかし流石に車齢も30年を過ぎれば換え時となる。
そんな車両たちを探して、近鉄、阪神、神鉄、山陽、京阪、を主に訪ねた。
(南海、阪急、JR西日本は春に訪れた。)

結論として、やはり関西はすごかったし感動、関心させられた。
また首都圏との大きな違いを改めて感じた。

ここは鉄道ファンのブログではないのだがしばらくお付き合いください。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする