矢切の渡しは江戸時代の初期からある。
徳川幕府の直轄事業だったそうだ。
1740年ごろに幕府、松戸町、町民による半官半民の運営になった。
今でいうと第三セクターである。
昭和初期から全国の渡し船が廃止されていったが、佃の渡しが昭和39年に廃止、
汐入の渡し(千住汐入大橋付近)が昭和41年に廃止されて、東京近郊で残るのは矢切の渡しだけになった。
小説「野菊の墓」で有名になり、その後、細川たかし氏が歌った、
歌謡曲『矢切の渡し』が大ヒットしたことや、
フーテンの寅さんの映画『男はつらいよ』でさらに全国的に有名になった。
現在は明治時代から、杉浦家において、世襲制で代々運行を引き継いでいるそうだ。
ということは今は第三セクターではないということだ。
ちなみに東急多摩川線には「矢口渡」という駅があるが、
矢口の渡しは昭和24年に廃止になっている。
駅名だけ残っている。

河原に矢切の渡しが見えた。
乗ることにする。
そのまま松戸駅に行けば良いだろう。

小さいころ、渡し乗ったらしい。
松戸市の常盤平団地に住んで居た頃だ。

乗船。

片道200円。







松戸側に降りると、風景は昔のままという感じだ。
田園風景が支配する。
渡しの係員がバス停があると言っていたので、探す。
バス停はすぐに見つかった。
「矢切の渡し」というバス停で転回所もある。
転回所の傍らには観光案内所がある。
誰も居ない。
というのもバスの本数が非常に少ない。
そして土日祝日のみで平日は無い。
バス停の路線図を見ると、別の場所に「矢切の渡し入口」という停留所が、
もう一か所、終点らしく描かれている。
もしかしたら、そちらの停留所からはもっと便があるかもしれない。


「矢切の渡し」バス停の出発は1時間弱も先だから、歩き始める。
田園風景にあるのは、県立矢切高校ぐらいだ。




歩いても歩いてもバス停が無い。
ついに国道6号をくぐり、常磐線をくぐる直前だ。
しかしバスはやってきた。
「矢切の渡し入口」行きだ。
だから道は間違っていない。



しばらく歩くとバス停を発見した。
1.5キロぐらい歩いただろうか。
見て驚いた。
そこが最初のバス停だったのだ。
要するに田園風景の中にはバス停は無かったのだ。
バス停でバスを待っていると、「矢切の渡し」行きのバスもやってきた。
「矢切の渡し入口」から来たバスとすれ違うのが見えた。


やってきた京成バスに乗って松戸駅まで涼んだ。
とにかく真夏のような日だったので汗だくだったから、バスで生き返った。

帰宅してからネットで確認すると、
「矢切の渡し」バス停は数年前H24年に延伸されたバス停で週末のみの運行。
それまでの終点は「矢切の渡し入口」だった。
場所は私が知っていた「矢切高校」の場所だった。
ところが、既に県立松戸矢切高校は県立松戸秋山高校と統合して他所に移り
県立松戸向陽高校という名前になっている。
そして、今の校舎は「矢切特別支援学校」として改修中。
平成30年6月1日までは「旧矢切高校」という終点のバス停名称だったのだ!
先日6月2日から「矢口の渡し入口」に名称変更されているのだ。
1週間前の出来事だ。
しかし2つのバス停の名称が判りにくい。
かなり離れているし、バス停に解説を書いた方が良いかもしれない。
でも高校名が変わったりするとそれに対応する京成バスは、
学校名をそのままにする東急バスに比べて主義の違いは感じる。
現実を追うか、混乱を避けるか・・・

松戸駅にてJRホームから新京成を見る。
すっかりピンク。

この型式もピンクになったんだなあ。
まあ実は逆にオリジナルカラーに戻された1編成もあるのだが、
今回は見れなかった。
(小旅行、終わり。)
SONY α7Ⅱ、TAMRON AF 28-75mm F/2.8 (Model A09) (LA-EA4経由)
AF4.5-5.6/75-300mm(LA-EA4経由)

徳川幕府の直轄事業だったそうだ。
1740年ごろに幕府、松戸町、町民による半官半民の運営になった。
今でいうと第三セクターである。
昭和初期から全国の渡し船が廃止されていったが、佃の渡しが昭和39年に廃止、
汐入の渡し(千住汐入大橋付近)が昭和41年に廃止されて、東京近郊で残るのは矢切の渡しだけになった。
小説「野菊の墓」で有名になり、その後、細川たかし氏が歌った、
歌謡曲『矢切の渡し』が大ヒットしたことや、
フーテンの寅さんの映画『男はつらいよ』でさらに全国的に有名になった。
現在は明治時代から、杉浦家において、世襲制で代々運行を引き継いでいるそうだ。
ということは今は第三セクターではないということだ。
ちなみに東急多摩川線には「矢口渡」という駅があるが、
矢口の渡しは昭和24年に廃止になっている。
駅名だけ残っている。

河原に矢切の渡しが見えた。
乗ることにする。
そのまま松戸駅に行けば良いだろう。

小さいころ、渡し乗ったらしい。
松戸市の常盤平団地に住んで居た頃だ。

乗船。

片道200円。







松戸側に降りると、風景は昔のままという感じだ。
田園風景が支配する。
渡しの係員がバス停があると言っていたので、探す。
バス停はすぐに見つかった。
「矢切の渡し」というバス停で転回所もある。
転回所の傍らには観光案内所がある。
誰も居ない。
というのもバスの本数が非常に少ない。
そして土日祝日のみで平日は無い。
バス停の路線図を見ると、別の場所に「矢切の渡し入口」という停留所が、
もう一か所、終点らしく描かれている。
もしかしたら、そちらの停留所からはもっと便があるかもしれない。


「矢切の渡し」バス停の出発は1時間弱も先だから、歩き始める。
田園風景にあるのは、県立矢切高校ぐらいだ。




歩いても歩いてもバス停が無い。
ついに国道6号をくぐり、常磐線をくぐる直前だ。
しかしバスはやってきた。
「矢切の渡し入口」行きだ。
だから道は間違っていない。



しばらく歩くとバス停を発見した。
1.5キロぐらい歩いただろうか。
見て驚いた。
そこが最初のバス停だったのだ。
要するに田園風景の中にはバス停は無かったのだ。
バス停でバスを待っていると、「矢切の渡し」行きのバスもやってきた。
「矢切の渡し入口」から来たバスとすれ違うのが見えた。


やってきた京成バスに乗って松戸駅まで涼んだ。
とにかく真夏のような日だったので汗だくだったから、バスで生き返った。

帰宅してからネットで確認すると、
「矢切の渡し」バス停は数年前H24年に延伸されたバス停で週末のみの運行。
それまでの終点は「矢切の渡し入口」だった。
場所は私が知っていた「矢切高校」の場所だった。
ところが、既に県立松戸矢切高校は県立松戸秋山高校と統合して他所に移り
県立松戸向陽高校という名前になっている。
そして、今の校舎は「矢切特別支援学校」として改修中。
平成30年6月1日までは「旧矢切高校」という終点のバス停名称だったのだ!
先日6月2日から「矢口の渡し入口」に名称変更されているのだ。
1週間前の出来事だ。
しかし2つのバス停の名称が判りにくい。
かなり離れているし、バス停に解説を書いた方が良いかもしれない。
でも高校名が変わったりするとそれに対応する京成バスは、
学校名をそのままにする東急バスに比べて主義の違いは感じる。
現実を追うか、混乱を避けるか・・・

松戸駅にてJRホームから新京成を見る。
すっかりピンク。

この型式もピンクになったんだなあ。
まあ実は逆にオリジナルカラーに戻された1編成もあるのだが、
今回は見れなかった。
(小旅行、終わり。)
SONY α7Ⅱ、TAMRON AF 28-75mm F/2.8 (Model A09) (LA-EA4経由)
AF4.5-5.6/75-300mm(LA-EA4経由)
