SAILIN' SHOES

デジタル一眼、ライカ等でのスナップ写真や、カメラ、音楽、鉄道・車、子育ての日々雑感です。

都営辰巳1丁目団地 その2(そして東雲)

2018-06-20 | 建物

団地の一階が商店。
よくある風景だった。
今は老齢の方が客の中心。
もしくは中国人。
































給水塔は南と北に一基ずつ。










ああ、懐かしい風景。










星型住宅ではないが、四角い住宅。
外から見える階段が独特。










ダストシュートは大概は清掃用具置き場になっている。
昔は上から生ごみをそのまま落としていたんだから変わったもんだ。
ダストシュートの前に野犬が群がっていたなあ。











団地の間の道をこんなのが走ってた。










建て替えの看板。
代表者は勿論、小池さん。




















ここは建て替えのために更地になっている。
隣町の東雲が見える。
高層マンションの街だ。
都営アパートもURも高層。










うっそうと茂る。











団地の掲示板。
なんと、等々力渓谷へのツアーの募集。
こんなところでつながっている。




















団地の横に有る地盤沈下観測所。










辰巳駅の横から東雲運河を渡る辰巳桜橋があるので渡ってみる。
たくさんの人が渡っている。
東雲へは辰巳駅が便利だからだ。
りんかい線の東雲駅だと行先的に不便なのだ。










橋の上から。










高層マンションが林立する東雲。
りんかい線からよく見える場所だ。
UR、都営、民間が一緒に立つキャナルコートとも呼ばれる一帯。










高層のタワマンだが、都営アパートは洗濯物が外に出てたりもする。
危ないよねえ。












りんかい線の東雲駅。










こんな所になぜだか東急バスが居る。
なんで??










りんかい線の209系の派生電車の70-000形。
2022年に新型車がデビューすると発表された。
その時に廃車になるだろう。
もしくはインドネシア??














SONY α7Ⅱ、TAMRON AF 28-75mm F/2.8 (Model A09) (LA-EA4経由)
AF2.8-4.0/17-35mm(LA-EA4経由)











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都営辰巳1丁目団地 その1

2018-06-19 | 建物
知人のS石さんが、私の豊洲訪問のブログ写真に「隣町の辰巳の都営アパートも昭和な雰囲気ですね。」
とコメントをくれた。
その通りである。
1967年度から1969年度に建設されたものだから、50年も経っている。
昔、友人が住んで居たので訪問したことがある。
団地マニアでは知らない人はいない。
私は団地育ちなので、古い団地にはノスタルジーを感じる。
松戸の常盤平団地に50年以上前には住んで居たので、近年も数回訪問している。
奈良学園前で住んでいた鶴舞団地は建て替えが進んでいる。
大阪豊中市の千里ニュータウンでは自分が住んで居た府営アパートは
高層マンションに建て替わってしまった。
50年選手はどんどん建て替えが進んでいる。
都営辰巳1丁目団地も50年選手。
既に建て替えはスタートしていて、あと11年ほどかけて、全ての建て替えが終了する。
オリンピック前という時期でもあり、急ピッチに建て替えが進んでるかもしれないと思い、
早速出掛けてきた。
気になったらすぐに行く。
でないと急に無くなるから。

有楽町線の辰巳駅がスタート地点だ。





有楽町線の辰巳駅。




















古い団地は勝手に花畑や植物園ができてるのが好き。
住民が趣味で園芸してる。




















私が大好物な給水塔。




















辰巳団地はダストシュートがそのまま残る。
公団は撤去してる場合が多い。


















































ここは一階が保育園か幼稚園になってるが、
団地は老人ばかりしか見かけない。










西洋アサガオかな。




















魚屋さんの出張。










いいねえ。











商店街。
































(つづく)










SONY α7Ⅱ、TAMRON AF 28-75mm F/2.8 (Model A09) (LA-EA4経由)
AF2.8-4.0/17-35mm(LA-EA4経由)











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蘇える金狼(野望編、完結編)大藪晴彦

2018-06-18 | 雑感

最近の小説はやさしくて、いわゆる「ほっこりする」系だったり、青春系だったり、
どんでん返し系だったり、まあ、会話も今風に緩いし、今時だから何でもスマホでできちゃうし。
そういう時は、時代に逆行して大藪晴彦など読むと、ガツンと来るのである。
この2冊は500ページが2冊で1000ページになるが、面白いので一気に読みたくなる。
(わざとゆっくり読むけれど。もったいないので。)
大藪晴彦はまさしくハードボイルド小説で、銃もバイオレンスも麻薬も殺人も米軍も
もう総出で悪い(笑)。
舞台は意外に古く、1962年~1963年ぐらいで、オリンピック前の道路拡張などが盛んな頃。
今と違ってダイナミックに変化する様が判る。
大藪晴彦は拳銃とクルマ・バイクには細かい描写が施されて、まるで自分が操っているように感じるんだが、
とにかく、ものすごくたくさんの車と拳銃が登場する。
他に、道路、街、郊外の様子、などが事細かく描写されて面白い。
都電もたくさん出てくる。
京橋付近の様子も細かい。
やはり映画になった松田優作と風吹ジュンのイメージが強く、そのまま投影して読めば良い。
経理マンが会社を乗っ取っていくまでの野望を描いたフィクションだが、当時の株価が100円ぐらいだったり、
ドルの交換レートが400円ぐらいでの闇取引だったり、郊外はまだ未舗装で、アメ車がゆったり走れるので、
役員車はみんな大きなアメ車だったり、道路の名前も今と違うし、等々力や
赤堤、下北沢なども出てきて、いやあ、そういうストーリーと
関係ないところが今となってはかなり面白い。
大藪晴彦のもう一つ良い所は、登場人物に関して、何回でもどこそこの誰と表示してくれるので、
たくさんの名前を覚えなくても済むところ。
いつでも属性を書いてくれるので、読むのが楽なのである。

しかし書店では売ってない。
中古で買った。
おそらく、バイオレンスが強すぎ、暴力シーンもたくさん出てくるから、
今だと発売しにくいとも思う。
やさしい世の中だからね。

でも、久しぶりの大藪晴彦は今だからこそお勧めである。



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露出を変えて。(キヤノンNew FD28mm/f2.0の開放から絞って)

2018-06-17 | カメラ・レンズ
以前、ちょうど1年前、友人の関さん(奈良)から露出への疑問とテスト依頼があったのだが、
掲載を忘れていたので改めて掲載。
関さんの疑問は私がキヤノンのNew FD28mm/f2.0で撮った開放とf5.6~f8.0ぐらいで撮ったという写真だ。
関さんの見た感じではf8.0ほどではなく、もっと開いてるだろうというものだ。
私はデータを記録する習慣は無いし、リサイズソフトは15年も前のExifを引き継がないものだし、
そもそもキヤノンをα7Ⅱに接続するマウントアダプターはExifを表示するわけもないので
テストしてみないと判らない。
1970年代の古いレンズで、レンズに曇りもあるだろうから、描写は製造時より緩いはずだと
思っているので、まあf8.0ぐらいかなと思ったのであった。
その後、絞っても撮ってみたが、なかなかシャープに写ることがわかった。
絞ると現代のレンズと大差が無くなってしまうので、通常は努めて開放で撮るわけだが、
関さんのおっしゃる通り、テストすると開放とf3.0程度の写真だと思われる。
それでも色味が大きく変わっているのは、光の加減だったのだろう。
テストでは色味はそんなには変わっていない場合もある。
要するに写真というのは光を捕えるものだから、思った通りにはならないもので、
そこが楽しいのである。

関さんが見た写真、テストした写真を並べる。
三脚は使わないので、被写体の位置が変わるのはご容赦。
しかし改めて楽しいレンズだなあと思った。
1970年代のMFのレンズはAF時代のレンズと違って、まだ心意気を感じる。
絞って撮る機会を与えてくれた関さん、有難うございます。
そういえば、ピント合わせが面倒な時、緊急な時は絞って歩いていたもんだなあ。
距離も2mから5mなどに合わせてf11などにして緊急スナップ時に備えていたもんだ。
AFになってからは、そういうことをしなくなったな。
機械の進化は人間を退化させる。





これが去年、都立病院の敷地内で撮ったカラスウリの花で、
これははっきり覚えているが、f2.0の開放。
28mmのキヤノンのNew FD28mm/f2.0だ。
中古で買って、嬉しくて撮った。










で、ブログでは単に絞って撮ったと書いていたが
なぜだかFBではf8.0に絞ったと書いていた。
奈良の友人の関さんが実験してみて欲しいとコメントをくれた。
確かにそこまで絞ってないかも。













これがキヤノンのNew FD28mm/f2.0
大好きなレンズになったのだ。
ライカの発色に似ていて、それをちょっと明るくしたような感じ。











で、すぐに他の植物で試写していた。
開放F2.0とF8.0

これはF2.0。











F8.0










F2.0










F8.0










F2.0










F8.0





こうやって比較すると判りやすい。
カラスウリの花の写真はF2.0とF2.8かF4,0ぐらいに思える。







つぎからはレンズの絞りを開放のF2.0から一絞りずつ絞っている。









F2.0










F2.8










F4.0










F5.6










F8.0










F11










F16










F22




ますますわからなくなったけれど楽しかった。
このレンズの特性も判った。
30cmまで寄れる28mm広角だが、かなりボケが残るんだなあ。
あのカラスウリはF2.8からF4.0ぐらいなんだろう。
最後の写真ではボケが消えるのはF16ぐらいまで待たねばならない。
ちょっと不思議なレンズだ。
というか、ますます好きになった。





SONY α7Ⅱ、キヤノンNew FD28mm/f2.0
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都立病院最後の日(他の病院へ転院する)

2018-06-16 | 建物
昨日は都立病院の通院の日。
そして最後の日になった。

7年半も通ってる生活の一部となった大きな病院。
いつも洗足池駅から歩いて行く。
四季も感じるし、大雨や台風の日も通った。
桜並木も歩くので、通院の日が被れば桜も見れた。
最初の頃は歩くのも大変だったから、大岡山駅からシャトルバスも使った。最近はシャトルバスには乗らない。
その7年半で、先生も私も7歳半歳をとった。街も変わった。
先生は62歳になって、移籍することになったようだ。
私に紹介状を作成してくれて、最後の日になった。
過去のデータも見ながら懐かしんだ。
血液検査を見れば、7年半から別人のように血液が正常値、健康値になったのが一目瞭然だった。
先生は「funamyuさんは癌も経て、血液がこんなに正常に戻っているのは奇跡の人だ。すごい。」と言ってくれた。
もう先生と会わないと思うと寂しかった。
写真を撮りたいと言うと、ウェルカムであった。
この都立病院もきっと最後になる。
さて次はまた新たな病院へ行くのである。
どんな病院かな。





池上線で1812Fを見かけるのは、病院へ行く日は初めてじゃないかな。
それぐらい会わないレアな貫通ドア付の1000系。











何か良いことがあるのかもしれないな。










去年も6月に撮ったカラスウリの花。
今年は周りの繁茂ぶりが去年とは大きく違う。
今年は成長が早い。

友人のSekiさんが去年の写真を見て露出への疑問があったのに回答していなかった。
1年間忘れていた。
ちゃんと写真を撮って検証したので、今度こそ掲載しよう。










お世話になった先生。
顔はボカします。
30回以上会ったかな。











帰りは数年ぶりに都立病院からシャトルバスに乗ってみた。
最後だし。
最初の頃は歩くのが大変で、杖を持っていたので、シャトルバスを利用していた。
久し振りに大岡山まで乗ったら、ルートが変わっていたし、
車両も新しくなっていた。










もう乗らないで済むと良いな。
病院方面への用事は通院ではなく、自転車散歩だと良いよな。













SONY α7Ⅱ、TAMRON AF 28-75mm F/2.8 (Model A09) (LA-EA4経由)













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自由が丘駅のベンチ

2018-06-15 | 建物
最近だが東急自由が丘駅のベンチは総取り替えされた。
今だに木の古いベンチも好んで使う東急だが、
さすがに利用者もかなり多く、乗り換えでごった返す自由が丘駅は
古いベンチは壊れかけだったのだ。






このベンチが何か所かある。
もう素晴らしく座り心地が良い。
座面は柔らかく、椅子全体がぬるっと動く構造で、
いつまででも座って読書したくなってしまう。
現にそういう人を見る。
これは高級だと思う。










一方、ホームが狭くて人の往来が多い部分は座面の狭いタイプ。
京王ほどではないが、これも見識。



ところで関西ではホームに垂直に配置されたベンチをよく見かける。
酔って立ち上がってホームから落ちないようにだ。
関東ではあまり見かけない。
単純に関西はホームが広いものも多いのだ。
新しく作った渋谷駅でさえ、並ぶ場所がまったくないので、乗る順番に気を遣うほどだ。
関東の狭いの好き思想は何とかした方が良い。
そもそも人は多いんだから。










SONY α7Ⅱ、TAMRON AF 28-75mm F/2.8 (Model A09) (LA-EA4経由)













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東横線で誰でもが知っていた家が取り壊されている。

2018-06-14 | 建物
東横線に乗り自由が丘を出て、フル加速して、都立大学に着く手前の左側。
このスペインのような家が見える。
きっと東横線なら誰もが知っている家。
ついに取り壊し中になってしまった。
人が住まなくなってから、見に行こうと思い、
この冬に撮りに行ったのだ。
事前に設定できるイフェクトを使って撮ってみたものだ。
私は現像ソフトやフォトショップは持っていないので、
カメラ内の設定を撮る前にいじる事をする。
もう見ることのできない家。
設定違いの3枚を載せて、さよならしておこう。
(暗い場所なので、電車が通過するときに車内の明かりを活用して撮った。)



































SONY α7Ⅱ、TAMRON AF 28-75mm F/2.8 (Model A09) (LA-EA4経由)













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友人と東京右側周遊 その3(矢切りの渡し、新京成)

2018-06-13 | いつか来た場所
矢切の渡しは江戸時代の初期からある。
徳川幕府の直轄事業だったそうだ。
1740年ごろに幕府、松戸町、町民による半官半民の運営になった。
今でいうと第三セクターである。
昭和初期から全国の渡し船が廃止されていったが、佃の渡しが昭和39年に廃止、
汐入の渡し(千住汐入大橋付近)が昭和41年に廃止されて、東京近郊で残るのは矢切の渡しだけになった。
小説「野菊の墓」で有名になり、その後、細川たかし氏が歌った、
歌謡曲『矢切の渡し』が大ヒットしたことや、
フーテンの寅さんの映画『男はつらいよ』でさらに全国的に有名になった。
現在は明治時代から、杉浦家において、世襲制で代々運行を引き継いでいるそうだ。
ということは今は第三セクターではないということだ。
ちなみに東急多摩川線には「矢口渡」という駅があるが、
矢口の渡しは昭和24年に廃止になっている。
駅名だけ残っている。





河原に矢切の渡しが見えた。
乗ることにする。
そのまま松戸駅に行けば良いだろう。











小さいころ、渡し乗ったらしい。
松戸市の常盤平団地に住んで居た頃だ。











乗船。










片道200円。







































































松戸側に降りると、風景は昔のままという感じだ。
田園風景が支配する。
渡しの係員がバス停があると言っていたので、探す。
バス停はすぐに見つかった。
「矢切の渡し」というバス停で転回所もある。
転回所の傍らには観光案内所がある。
誰も居ない。
というのもバスの本数が非常に少ない。
そして土日祝日のみで平日は無い。
バス停の路線図を見ると、別の場所に「矢切の渡し入口」という停留所が、
もう一か所、終点らしく描かれている。
もしかしたら、そちらの停留所からはもっと便があるかもしれない。





















「矢切の渡し」バス停の出発は1時間弱も先だから、歩き始める。
田園風景にあるのは、県立矢切高校ぐらいだ。









































歩いても歩いてもバス停が無い。
ついに国道6号をくぐり、常磐線をくぐる直前だ。
しかしバスはやってきた。
「矢切の渡し入口」行きだ。
だから道は間違っていない。






























しばらく歩くとバス停を発見した。
1.5キロぐらい歩いただろうか。
見て驚いた。
そこが最初のバス停だったのだ。
要するに田園風景の中にはバス停は無かったのだ。
バス停でバスを待っていると、「矢切の渡し」行きのバスもやってきた。
「矢切の渡し入口」から来たバスとすれ違うのが見えた。




















やってきた京成バスに乗って松戸駅まで涼んだ。
とにかく真夏のような日だったので汗だくだったから、バスで生き返った。








帰宅してからネットで確認すると、
「矢切の渡し」バス停は数年前H24年に延伸されたバス停で週末のみの運行。
それまでの終点は「矢切の渡し入口」だった。
場所は私が知っていた「矢切高校」の場所だった。
ところが、既に県立松戸矢切高校は県立松戸秋山高校と統合して他所に移り
県立松戸向陽高校という名前になっている。
そして、今の校舎は「矢切特別支援学校」として改修中。
平成30年6月1日までは「旧矢切高校」という終点のバス停名称だったのだ!
先日6月2日から「矢口の渡し入口」に名称変更されているのだ。
1週間前の出来事だ。
しかし2つのバス停の名称が判りにくい。
かなり離れているし、バス停に解説を書いた方が良いかもしれない。
でも高校名が変わったりするとそれに対応する京成バスは、
学校名をそのままにする東急バスに比べて主義の違いは感じる。
現実を追うか、混乱を避けるか・・・









松戸駅にてJRホームから新京成を見る。
すっかりピンク。










この型式もピンクになったんだなあ。

まあ実は逆にオリジナルカラーに戻された1編成もあるのだが、
今回は見れなかった。








(小旅行、終わり。)








SONY α7Ⅱ、TAMRON AF 28-75mm F/2.8 (Model A09) (LA-EA4経由)
AF4.5-5.6/75-300mm(LA-EA4経由)












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森田童子

2018-06-12 | バンド・音楽


森田童子が亡くなったのか。
そもそも音沙汰を知らなかった。
高校1年生の頃だったか、ニューミュージックが大好きだったころ、
明るい女性ミュージシャンが多い中、暗いものも聞いていた。
森田童子は最も暗い部類だったが、見かけとは違って、
たどたどしい少女のような声で、ワナワナしながら歌ってる風情だった。
コンサートにも行った。
でも聞けなかった。
あれは取手だったか?
土浦だったのか?
東葛高校の友田君と一緒に行ったのは確かだ。
ジョイントだったか?
大橋純子?庄野真代?山崎ハコ?
とにかく会場で待った。
でも待てども待てども森田童子は現れなかった。
会場に女性のアナウンスが入った。
「森田童子さんは体調不良で出演できません。」
その瞬間は鮮明に覚えている。
そんな予感はしたのだ。


同じ日だったか、コンサートホールの横で野球で遊んでるバックミュージシャンが居た。
近くで友田君と見ていたら、「入れよ。」という。
髪の長いギタリストは竹中君と呼ばれていた。
その後、Charと言われるようになった人だ。

結局、レコードはいろいろ聴いたけれど、
コンサートは見れなかったのだ。


残念である。
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友人と東京右側周遊 その2(豊洲、秋葉原、柴又)

2018-06-12 | 建物
豊洲での昼食後。
古さと新しさが混在した町。
最近では人口が増えすぎて困ってるとも聞く。
都心に近いのが人気だと思うが、湾岸は若い人に特に人気らしい。
裏町に回るとホッとするけどね。
























きれいなビートル。










3メガバンク+りそな銀行。
さすが豊洲。
一か所にあるから便利だけど、散歩できないからつまらない。










有楽町線で有楽町へ行き、日比谷から日比谷線へ。
東武70000系で秋葉原へ。










メトロ秋葉原駅にはこんなパタパタが現役で残っている。
もう滅多に見ないよね。
他にも残ってるのかなあ。
これはお宝だ。











秋葉原と言えば、オヤイデ電気(オヤイデ電線)だよねえ。
今や世界のオヤイデ。










秋葉原にはこんな建物も残る。










ポポンデッタ。










末広町から銀座線で上野へ。
ここで京成に乗り換える。











漫画雑誌モーニングの「終電ちゃん」だそうだ。
京成上野駅にコーナーがある。











普通うすい行きに乗る。










勿論、廃止になった「博物館動物園」駅を撮るでしょう。

トンネルの出口付近で目を凝らしていたら「寛永寺坂駅」も判った。
1953年に廃止されて、建物は最近、撤去されたそうだ。
もったいないなあ。
壊される前の写真の数々は見たけどね。











柴又駅にて。










まあ、撮るわな。










帝釈天の参道にて。






























帝釈天。




















帝釈天から歩いて江戸川べりへ。
北総線をスカイライナーが走って行く。







(つづく)








SONY α7Ⅱ、TAMRON AF 28-75mm F/2.8 (Model A09) (LA-EA4経由)
AF4.5-5.6/75-300mm(LA-EA4経由)












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