おれはここで生きている

■味乃家 魚野川■新潟県魚沼市下島70-1 定休日 水曜日
死ぬまで生きる のらりくらりのなんでもありのガクさん

縄文ラーメン

2006-10-05 08:11:43 | Weblog
今は亡き床屋のマスターの追悼のために縄文ラーメンを作ったのだった。
マスターの生まれたところは魚野地と呼ばれる場所だった。
二人とも同じ時期に独り立ちしたことも在って、いつしか人生の友となった。
飲むといつしか子供の頃の遊びで川遊びの話になることが多く、叉彼は得意な耳学問も豊富だったのでいつも楽しかった。
彼の遊び場に流れている川は細い流れになって水不足の年など流れが消えてしまってる時もあった。
彼がヤスデ山女や鮎を狙った事など考えられないような流れになっている。
近くに縄文遺跡が多数ある。
大体魚野川本流近くにはなくて、その支流の小高いところにあることが多い。
遺跡の近くの川は食料の魚を採るのに縄文人の力が及ぶ大きさで、多きなつづを2-3個掛けておけば春の魚の溯上や、秋の鮭の溯上、そして鮎やウナギなどのくだりでなどで20人ぐらいの魚の食料が確保できたと思う。
手付かずの森からは、今では想像藻できないくらいの豊かな水が流れ魚が満ちていたと思う。
マスターとタイムマシンでもあれば今の釣具を持って行ったなら釣り放題だよなと酒を酌み交わした。
若い頃岩魚を求めて深山に釣りをやっていた時、一度だけ見たことがある岩魚つづは大イワナが詰まっていた。
そこから縄文人に憧れて、縄文人の食生活をイメージして作った。
考えてみればむちゃくちゃの話で大体ラーメンなどその頃在る訳ではないけど。
隠し味に魚の醤油、魚醤を鮭の内臓で造り、稗と粟とどんぐりと麦、米を焦がして
香りとわれわれの好きなイネ科の旨みを封じ込めて、それに妹の作る地豆の味噌で味付けし、キノコやいのししで旨みを足して作った。
大体その頃は塩がそんなになかったので殆ど縄文と関係ないラーメンになった。
でもキンちゃんの奥さんと妹は何と無く惹かれる味で叉食べたいといってくれた。
災害で5種類もあった魚醤が失われたが叉少し出来始めた。
鮭のメフンのとく上品を入れたり、若鮎の魚醤が2年たって出来たので川ガニの香りと旨みを足して叉トライする。
今度は自分の魂のために。
今日は仕入れ先の開拓に行った。
良い食材が一番美味い。
安いものは魅力的だが、店と自分の為にならない。
コメント (2)
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