おれはここで生きている

■味乃家 魚野川■新潟県魚沼市下島70-1 定休日 水曜日
死ぬまで生きる のらりくらりのなんでもありのガクさん

初冠雪 

2006-12-01 10:44:36 | Weblog
昨日は目一杯飲んでタクシーで帰った。
車はスタッフにあらかじめ自宅に届けてもらってあった。
娘と車に乗ろうとドアを開けたけど何処にも鍵が見当たらなかった。
店を出る時に鍵を持って帰るのを忘れた事に気付き、タクシーを呼ぼうかと思ったけどタクシー代が千円ぐらいになるので歩いて取りに行く事にして歩き出した。
トンネルの国道を通るのが一番の近道だけど通勤時間帯で車が一杯通るのでまたいろいろな人に見られて、親父なんでそんなとこ歩いているのだなどと思われるのが嫌なのと上着を着てこなかったのでなんか外を歩く格好じゃないのが恥ずかしくて山越えの道を歩いた。
地震のとき始めて通った道はもう誰も通らないので枯れ草になっていたが踏んで歩いた形跡も見当たらなかった。
冷たい雨の中薄っぺらのズックはすぐぬれて冷たくなってきた。
からだも冷えて傘を持つ手も冷たくなってきて太りすぎのからだは心臓が高鳴りひざも痛くなってきた。
寒くてどうしょうもなくなると思っていたが山の上に出る時には逆に温かくなっていた。
上りきったところは峠の原と言い、昔和南津の峠商店の茶屋をやって三国街道を通る人々を相手に商売をやっていたそうだ。
やがて新道が出来今の場所に移って、うちの先祖がその土地を譲り受け畑でずーと使っている。
子供の頃は親の農作業についていき古井戸にまつわる話を聞かされ落ちないようにといつも注意されていた。
今は百合を作る農家に貸してあり板長の家の畑も隣にある。
殆どの野菜が収穫されてあったがまだ野沢菜の切り取られた後に生えた新芽がみずみずしく雨にぬれていた。
自分の先祖の屋敷跡を過ぎ、隣のマキ婆の住んでいる夏の山小屋に差し掛かる頃には雨も小止みになり振り向けば牛ヶ首や木沢の山は薄っすらと初雪に覆われていた。
冷たい雨にけむる霧の柳の木々の中に赤い店の屋根が見えてきた。
まだ少し残っている葉は春の新緑に似て荒涼風景に花を添え魚野川は静かに流れている。
いつ見ても良いなーと感動が湧き上がってきて、そうだと昔言った言葉を思い出した。
失敗をして落ち込んでる妻が、こんな私って嫌でしょといったとき若い僕はそうじゃないよと言うの精一杯の言葉だったが心の中では貴女の全てが好きと叫んでた。
この自然の中に一人たたずんでいると、この魚沼の古里が雨や雪に荒れていても切なくなるほど好いなーと思う気持ちはきっと妻に抱いた気持ちと同じなのかなー。
こんな事を書いていたらもうお昼の準備が出来たからお茶にしょうと板さんが呼びに来た。
昼定食はカキフライ。
お茶を飲んだマキ婆が歩いて帰るというのでバス停まで送った。
帰りに店の駐車場に入った時に水鳥が二羽飛んできたのが見え、前に大工の近藤さんに鴨がいたら教えるよと、と言った事を思い出し見つめていると川鵜だった。
魚野川に魚がいなくなったのは鵜のせいだと思ったら急に腹が立って来てずっと見つめていた。
うっかり走っていた事を忘れ左前のタイヤが脱輪した時思い出し慌てて止まった。
もう少しで大沢川に落ちるところであった。
タイヤショベルにワイヤー繋いで持ち上げた。
一日で金曜日だから暇だろうと話してたら開店直後から女性のグループがピザを食べに来た。
今日はグループが多いなーと呟いたら、板長が御神迎だからだよととおしえてくれた。
コンニャクとイゴを作った。
コンニャクの凝固に灰の澄まし汁を使うのだが、固まりが悪いのは澄まし汁のアルカリ濃度が薄いのとコンニャクを増やそうと加水しすぎかも。
前の日に酢味噌を作ってかけたがいまいちパットしないので、野菜市場にカシュウナッツが有ったので一箱注文してフードプロセサーですり身にして砂糖と酢と味噌を加えてカシュウナッツ味噌を作った。
生山葵も問い合わせて在ったけどまだ分からないとのことだった。
蕎麦がおいしいと言ってくれる人達がやや増えたのでもう少しレベルを上げて粉山葵から生山葵にするつもり。

コメント (2)
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