おれはここで生きている

■味乃家 魚野川■新潟県魚沼市下島70-1 定休日 水曜日
死ぬまで生きる のらりくらりのなんでもありのガクさん

河床隆起70センチ

2006-10-21 08:22:03 | Weblog
朝日報の一面を見て、やはりそうかと思った。
地震の年の洪水はまれに見る大雨の影響だったが翌年建築中の洪水はそんな大雨では無いように思ったのにへそまで浸かる冠水であった。
少し雨が降るたびにいつもより増水してたのは山崩れで流れが悪くなってのことだけと考えていた。
やはり別の要因も有ったのだ。
わおーである。
もし地震前みたいな大雨になると最大70センチの増水になって最深2メーターになる可能性が出てきた。
未曾有の洪水ではそんな覚悟も仮想でシュミレイションしていたけど、普通の洪水でも起こることが分かってしまった。
この前に防水版に投資したばかりなのに、叉別の対策も必要になった。
次から次へと・・・・
最善を尽くせ・・遣るしかない。
夜4時半から和南津の公民館で地震から二年経った記念に店までのウオークがある。
千円会費でどなたでも参加できるそうだ。
ゴールが味乃屋魚野川で5時56分に木に点火して焚き火を囲み後におにぎりと汁で乾杯する。
もしブログを見て時間がある方は一緒に感動の焚き火を遣りましょう。
新聞社も来るらしい。
3時に皆で薪を積んで準備をした。前日から乾いた木材を細く割っておいて火をつけてすぐ燃え尽きるようにしておいたけど、歩いて来たら56分まで時間が有るので早めに火をつけた。
56分に黙祷をささげそれから皆で宴会になった。
去年は自分たちの建て直しに追われ、自主的なイベントが出来なかったが、ようやく出来るようになった。
参加者は少なかったけど大成功に終わった。
南瓜の汁でトン汁を造り,それを残ったおにぎりにかけて夕食にしている。
温めなおした汁はたとえようの無い旨さになった。
今から考えるとその日のトン汁はあまり旨くなかった。
大して造り方や味は変わらないのに。
よほどパニックになっていて味がわからなかったのだと思う。
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小粟田の里

2006-10-20 20:14:57 | Weblog
店の横の崖の上に柿木がある。
この前までカキに色がついてアー秋の色だなーと時々思っていた。
今日見たら柿の葉も色付き始め、叉周りの峰も紅葉が始まった。
ちょうど一週間前ぐらいから家族が病気に掛かり、父の面倒を母や妻がやっていてくれたが出来なくなった上に娘まで調子を崩した。
夜中に何回か呼び出され何とか今日までやってきた。
ケースワーカーの広井さんに助けられて、父を小粟田の里で面倒を見てもらい、手続きに行ってきた。
家族が良くなるまでまだしばらく預かってもらう事にしたが、父の顔を見たり言い訳に行った。
二階の二人連れの薄くらい部屋にいた。
婆ちゃんが良くなるまで27日まで辛抱してと頼むとあーあーとか細い声で答えたので大丈夫かと聞くと、大丈夫だこてやと答えた。
妻が泰亮から電話が有り、爺ちゃん頑張れと言っていたよと言うと、爺ちゃん子の孫の伝言に目に光が戻ってきたような気がした。
店が無ければ自分で介護ぐらいできるのにと思ってみたが到底無理の話だ。
周りには木の葉が色付き窓辺には車椅子に乗った老人達が遠くにいる家族のことを思っているのか悲しくあきらめきれないような眼差しで雨に打たれている梢をぼんやり眺めていた。
早く迎えに行ってやらなければと思い、そしてやがて自分も来るのだなと心に呟いた。
土砂降りの雨の中一筋の雷光が垂直に目の前に光った。
この4・5日周りを見る余裕が無かった。
昼定食は生姜焼肉。
小西さんが店番に出たのでかなり出た。
儲けが無いからあまり勧めないように頼んだ。
茸の天ぷらや、茸汁、そして蕎麦も出た。
予約が3つ。
一つはお昼の施設のお年寄り達で、夜は飲む会だった。
小千谷の人達はイロリの場所で大喜び、家族で期待と言われたけど4人じゃ送迎できないと断わった。
小千谷までガソリン代だけで往復すると1350円ぐらい掛かる、でもこなければ車のローンが払えない。
雨が上がり虫の音も聞こえ始め、良く寝て、出来ればだが、明日はお祝いが有るので頑張るぞー。

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半日の休暇

2006-10-19 11:33:06 | Weblog
音羽先生が見えたのでそれに合わせて地元生産農家の視察に行った。
茸とカグラナンバンだった。
茸はエノキタケの農家に行った。
もう少し変わった茸が見れるのかと期待してたのに。
神楽ナンバンはハウス栽培をしていて、担当の女性達が研修旅行でいなかったからこれも残念だった。
民宿は中角と言う、石打スキー場の前に有った。
今回の地方再生プロジェクトのグルメ部会の責任者の家でもある。
部長は30代の女性で凄く美人できっとやり手の方だと思う。
すぐ宴会に入り、ビールで乾杯。
坂本さんが僕に責任者をやれとけしかけたが、そんな時間が無いのとまったく余裕が無いので断わってしまった。
そのせいもあって少し責任を感じて参加をしている。
料理ははっきり覚えていなかったがすごく安く手を掛けているのがよく分かった。
ただ1俵13万もする天空米を使ってもその特質を生かしきれていないし、別の素材にお金を掛けて料金はもっと高くてもいいと思う。
僕と同じでこれからの経営に危機感を持っていると前回はなされていたのを覚えている。
僕も多くの店の中から選ばれるにはと毎日考えているが、今までスキー場という好立地の商売が身についていてそれから抜け出せないように思われる。
やはり美味しい食べ物と石打で中角でなければと言う感動が無ければ先に進めないと思う。
なぜこんな余計なことを書くかというと、彼女が美人であるからです。
そして仲間であって成功してもらいたいからです。
きのこと南瓜のニョッキはめまいがするほど美味しかった。
音羽先生の指導であった。
良い勉強になった。
そこで一泊した。
早めに寝たのと静かで良い休養になった。
朝食を食べ高速で急いで帰った。
15人乗りのバスで行ったのでガソリンを詰めてみてたまげた。
リッター5.5キロしか走れない。
本当に困った。
お昼に介護施設のお年寄りがお昼を食べにきてくれた。
やはりバリアフリーと車椅子用のトイレが有るからかもしれない。
叉明日別の人達が来てくれる。
こちらの方も何とか伸びるように福祉関係に売り込んでみよう。
後日赤ちゃんのお祝いを貰ったけどテーブル席でやるためにベビーベッドが必要で長岡のアカチャンホンポにベッドを買いに行ってきた。
なんか年寄りと赤ちゃんの店みたいになりそう。
続く
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ホロホロ隊長

2006-10-18 10:24:50 | Weblog
親方が機嫌よく帰っていった。
ほったらかしの花壇の草取りが終わり、耕したり無臭ニンニクの植え込みが晴天で進み、
ベトと触れ合って地球の力を取り入れたり体内の要らない力をアースしたりして身体ともバランスが取れたのだと思う。
店にはホロホロリズムがある。
言っている人も判らないような意味不明な言葉だがまーホローすると言うような感覚なのかなー。
手助けするというよりも見守って包んでいると言うような感じ。
だから店に働いてる人が永く勤めているように感じる。
私が一番長く勤めているから当然隊長だと思っているし一番の恩恵を受けているのも自分です。
なぜこんな話になったかと言うと、昨晩娘がぐわいが悪く母もぐわいが悪いし妻もぐわいが悪くて夜中に召集命令が来た。
予想されたので急いでいった。
実は自分もぐわいが悪かったのだった。
疲れと飲みすぎを引いてもあまりがありすぎで熱も出てきてしまった。
風邪かと思ったが半分ぐらいの原因は市場で買ったサザエが入った木箱の釘が手の内側に刺さったためと思われる。
ピザガマの火入れに焚き付けに使おうと思い手で箱を壊してた時に刺さってしまい
ぬく時あまりの痛さと釘の刺さった部分の長さに自分でも驚いた。
逆に娘に熱をとるためのシップをしてもらったり薬を貰ったり寝込んだために水やタオルなどと身の回りの世話を焼いてもらった。
何のために駆けつけたのかなー。
店でも同じような事に毎日なっていると始めて感じた。
今日は市場が休みと叉志保ちゃんたちレギュラーが休み。
お昼過ぎから音羽さんたちと会うために自分でも休みにした。
フランス料理の巨匠でキハチや酒井たちとも交流があり、と言うか同格ぐらいな名人で今熱心に食育に取り込んでいる。
石打の民宿で会議と懇談会で一杯飲むし、料理に定評のある宿らしいので良い勉強になると思う。
昼定食はサンマの焼魚とお刺身付、蕎麦を多めに打って出かける。
そんなつもりだったがそれ以上に蕎麦が出てもう一回打って出かけた。
30分の遅刻であった。
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松茸と本シメジ

2006-10-17 15:15:37 | Weblog
ジュンちゃんが帰るとき、一緒に車に乗せてもらって少し前に開店した丸正に行った。
昔食堂をやっていたが店主が高齢で辞めてしまって長い時間が経ち、店の存在など
忘れてしまっていたが娘さんと叉その娘さんが始めたように聞いていた。
数日前に山森さんがやってきて帰る時、車に乗せてもらってその店にに行ってみたら、満員で入れなかった。
商売上何が魅力なのか知りたいと思い再度の挑戦になった。
餃子とモツ煮の店であった。
これからの発展を期待したい。
帰りに娘さんらしい方に車で送っていただいた。
店に帰り夜空を眺めると満天の星空で、酔ったせいか天の川が何処にあるかわからないほどの凄さであった。
何と無く眺めていたら東から西へ大きな流れ星が見えた。
朝は叉二日酔いであったが明日市場が休みなので仕入れに行った。
カヤカリとマグロ、サンマ、鮭子、メス鮭、ムキガキ、カレイを買った。
今日は板長が休みだし小西さんも休みなので、仕込が出来ないかと思ったが、冷蔵庫ががらすきになったので予約がないときに仕込もうと思ったのだ。
魚の吟味に夢中になっていたら声を掛ける人がいるので振り向けば、三瓶さんだった。
只見から仕入れに来て、茸の先生である。
店で使う茸を集めてくれる大事な人だ。
頼んでいたきのこを持って来てくれたのだった。
松茸、本シメジ、ヌメリイグチ、ハナイグチ、ムキタケ、ナラタケ,ハタケシメジ
、特に本シメジは貴重だ。
松茸みたいに売っていないのだ。
味シメジと言うだけあってまるで味の素の塊みたいな凄い旨みだ。
ちょうど親方が東京に帰る日だったので、本シメジを持っていってもらった。母がぐわいが悪くなって大騒ぎ。
明日は音羽さんがやってくるのとFM新潟でPM4時55分放送されるのでこれも大騒ぎの元。
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イノシシの筋肉の煮込み

2006-10-16 21:21:24 | Weblog
昨日はウルルン滞在記を久しぶりに見た。
ブログにはまっていて殆どテレビを見ないのだが、
山も川も海も行かないので身近なストレス解消法と、
麻婆豆腐豆腐の元祖の中国料理屋が出るのでこれは見逃さないにしょうと8時ごろからテレビの前に座った。
普段見ないから何もかも新鮮で、息を殺して禁断のなにかを見るような雰囲気で見た。
自分でも呆れるぐらい熱中して泣いたり笑ったり。
その後の情熱大陸には参った。
洋服のデザイナーの事だったけど繊細で真面目で個性的で。
今の自分は何をしてるんだろう。
そう考えたら惰性で次の番組も見てしまった。
疲れすぎて眠れなかったのかもしれない。
朝やっと起きた。
市場に行ってカマスが安かったので買った、昼定食はカマスの天ぷらに肉じゃがにした。
これが殆どでなくて、やはり蕎麦とラーメンだった。
昼を過ぎたら疲れたのと寝不足で休もうと思っていたけど、
お客さんが切れないのと二人休んで手不足で出かけられなかった。
もう一つの理由は地鮎が大量に届くと電話を貰っていたからだ。
折角鮎が有るので、焼き鮎にしておにぎりに入れたり
、蕎麦掻に入れたりして新しくて古いメニューを提案しようと思った。
イノシシの肉の小出しがなくなったので、
大きいもも肉を出して筋を引いていたら親方が見つけその筋を旨煮にするからとっとけと言った。
板長はいつも大してよく掃除などしないのが今日に限ってよく取った。
横でそんなに取ったら肉が減ると思ったけど、親方の手前もあるので我慢していた。
親方が生姜と筋肉を時間を掛けて煮込んで自分の晩酌のつまみに持ってきて
皆に味見させていたけど手が空かないのと、
声が掛からなかったので無視をしていた。
残った旨煮が有ったのでつまんだら絶妙の味で辞められなくなりそうなので手の届かないところにおいておいた。
ジュンちゃんが来たので、イノシシの筋肉の旨煮といって少しだけ味見てもらおうと入れ物ごと出して飲み物を取りに行ってもどったらもう空になっていた。
きっと明日親方に言われそうだ。
これみんな食ちゃったのーと。
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屋根の雨漏り

2006-10-15 16:25:56 | Weblog
昨日マイクロバスが雨漏りするので板金屋に頼んで屋根の塗装をしてもらった。
地震の後一冬物置代わりに使っていたり大雪で雪下ろしをしたりしたので屋根に傷が付き、そこがさびて穴が開いたと思っていた。
前修理工場長の韮澤さんに話したら、穴が開くようになったらおしまえさーと簡単に言われてあったので、今度は29人乗りのバスを買わなければいけないと半日ぐらいめまいを感じていた。
塗装やさんが夫婦で来て、こんなもんで良いかなーと写真を撮ったのを見せて、穴は開いてなかったけど、鉄板の継ぎ目のシールドがひび割れていたのでそれが原因じゃないかと言って、これで漏らないと思うけどと帰っていった。
親方がこの前乗ったバスは百万キロ乗っていたから、これぐらい大丈夫と太鼓判を押してくれた。
アーアーよかった。
お昼に4つの予約、席が24席しかないので外に4テーブル食事できるように作った。
晴れていたし気温も上がりそうだったので決行した。
風があってかなり涼しく感じられたが結構利用する人がいて、その席も順番待ちしてる人もいた。
ラーメンと蕎麦が出た。
蕎麦を三時間打ちっぱなしで腕がベロベロになった。
馬場ちゃんも帰ってきたけどマイタケは取れなくて、ブナハリタケとヌメリスギタケ、ハタケシメジを採って来て、あまり茸が無いから来週は何処に行こうか悩んでいた。
夜のお客さんが少し来た。
家族でピザやラーメンそして定食を食べる人達が目立った。
いつも来る常連さんは会計の時、今日ははやってるねーと言って帰っていった。
コンセプトにあったお客さんが来始めたようだ。
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魚野川蕎麦

2006-10-14 17:31:23 | Weblog
たまに魚市場に簗から鮎がセリに出される事がある。
今日行ったらセリは終わっていたけど地鮎の焼枯らしが出ていた。
他の人に値段を聞いたら、焼く手間も無い様な値段であったので簗に電話してうちがある程度の値段で買うからと言って分けてもらう事にした。
星野さんが島根に行った時に鮎のパスタを食べてきたから魚野川もやらないかと言われて、少しその気になったけどやはり若い方にいまさら鮎の味を問い直す元気が無かったのでそのままにしていた。
だけど天然の鮎がまとまってある程度の値段で入手できるとなると叉遊び心がむらむらしてきた。
鮎を甘みを抑えた甘露煮にしてにしんそばのように温かい蕎麦を作ろうと思う。
それは地鮎蕎麦と名づけて、きのこやジビエを入れて魚野川蕎麦とする。
甘露煮とはたとえようが無いほどの旨さと言う意味で、巷に出回ってるものは佃煮風と言われると思う。
素焼きにして多少水分を飛ばし笹の葉を敷いて鮎を並べて味醂と酒と醤油と最後に水飴で照りを出し、昆布で蓋をして煮含め8時間以上ことことやる。
蕎麦の汁を邪魔しない味にして作り上げる。
土曜日だったがたいしたお客も来なかった。
お天気なので蕎麦がいつもながら出た。
法事が一つ。
人手があったので芋茎の皮むきをやったら指が茶色になってしまった。
酢の物にして蕎麦や定食の付け合せにするつもり。
寺井さん達が銀山にきの子取りに行ってきた。
殆ど取れなくて帰っていった。
馬場ちゃん達も行っているけどマイタケとブナハリタケは取れただろうか。
これから夜の営業に突入する。
続く
少しのマイタケとブナハリタケを持って来てくれた。
馬場ちゃん達が食事をしていて親方も一緒に晩酌をやっていたのにまだ他のお客さんがいたけど割り込んで焼酎の盗み酒をやって酔っ払った。
そこに山森先生が明日の会場に飾る花の壺をとりに来たので、帰りに車に乗せてもらって町にのみに行った。
都寿司に行って夕食の寿司を食べ、酔っ払ってしまった。
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山芋の葉黄色く

2006-10-13 08:01:21 | Weblog
週間予報では今日から晴れになっている。
台風が来ているので少し心配。
この頃温度が下がったので霧が出やすく小出の方は見えなくなっている。
にしから青空が広がって秋晴れの予感。
店の横のプルーンの木も葉が半分ぐらい落ちてそこに雀の新子のカップルが遊びに来てる。
梢の細い枝に止まり横になってゆらゆらゆれている。
食事は近くのヒエ畑に行って食べてる様子。
のどかな田舎の朝につられて前の崖に目を遣ると、いつもより遅い山芋の黄色い葉の色が一際綺麗に見える。
親方の奥さんが長袖のシャツを3枚親方にもたしてくれた。
中の黄色いシャツは親方が奥さんに言って徹は黄色好きだからとアドバイスしたらしい。
今日は山芋の葉と同じ黄色のペアールックで行くぞー。
遣る事が溜まっているけど何とか林の中を歩きたいものだ。
昼定食は肉じゃがに天ぷらを付けて、ほうれん草やオータムポエムを買ってきたのでおひたしや漬物に、最後のモロヘイヤも茹でて休日の準備。
金曜日は少し暇なので蕎麦を打ってフラフラしてたら蕎麦が出てあおられてしまった。
余計打ってきの子取りに行こうと思っていたら、タクシーが来た。
誰だろうと覗くと遠哲さんだった。
高千代の五月祭りに出会って以来のお付き合いで酒が好きで美味しいものが大好きな作家である。
昨日六日町の万盛庵でたっぷり飲んでいろいろのところを周って、上越線で下ってきたらしい。
汽車に乗っていたら店が見えたので川口駅でタクシーに乗り換えてきてくれたのだった。
一緒に飲みたかったのだが花金で大和町と小千谷の迎えがあったので水で乾杯して出迎えた。
市場から大根を余計に買ってきて即席のたくあんを仕込んだ。
コシヒカリを精米しているので粉ぬかは豊富にあるので美味しいのができるといいけど。
送迎は小千谷に行った。
大和は江口さんに行って貰い、帰りは自分が大和に行く。
皆さん喜んで帰った。
帰りに道路の温度計が11度になっていて綺麗な星空だった。
流れ星をと見ていたけど中々見えなかった。
10時過ぎに店に入り夕飯にした。
あまり物でカラスガレイの煮物と刺身、冷やっこがメニュー。
ほんとは朝食に用意した丸干しいかが食べたかったが、親方の朝食に用意したので諦めた。
高千代の一肌の燗にぴったりなのになー。
窓に目を遣ると新道島の方に半月の上限の月が昇って来た。
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松茸

2006-10-12 08:28:01 | Weblog
昨夜は早く閉店してネオンの町に繰り出そうかと思っているうちに日記に時間がかかり、
その上調理師学校の勉強を少しと思ったけど面白いのでのめり込んでしまい
かなりいい時間になってしまった。
お腹も空いたので調理室に明日用の牛蒡のキンピラが有ったのを摘まんだら、
一気に熱燗が飲みたくなって店で飲むことにしてしまった。
よその飲食店に行っても中々自分の口に合うのが見当たらなく、
いつもある程度妥協して飲んでいたが、
自分の店で自分で作るので好きなのが食べれる。
ただ孤独と言うつまみも食べなければいけないけど。
生ビールを飲みながらまな板と包丁を出して、もう一回牛蒡で生ビール。
松茸に酒醤油を振って石釜で焼いてる間にイグチとハツタケを鍋に入れ
豆腐たっぷりと葱、出汁醤油に黒毛和牛を薄切りにして、
ここらで松茸を出して酒を少し30センチの行平鍋に入れ
15秒でかんがつくのでコップに移し松茸でまず一口。
残りの松茸を熱燗に入れて松茸酒。
大間のマグロの中トロと沖メバルの残り物で刺身にして。
つまみはまあまあだけどここに星野さんでもいれば楽しいのにねー。
やはり一人は何を食べてもそれ以上の味にはならないものだ。
一人でたらふく食べたので朝の難儀な事。
予約があったが材料が間に合うので市場に行かなかった。
それと母が川口診療所に薬を取りに行ってくれと頼まれたことも有った。
川口役場で新しい手帳の申請も頼まれ、
待っていると老女の話し声がホールに響いているので聞いていると、
若い頃の自慢話であった。
役場の職員も大変と思った。
それを聴いてやっていたのだ。
だいぶ話して満足したらしく周りの人達に言い訳の言葉を掛けながら帰っていった。
なんか自分もそんなになるのかなーと考えたけど
もう昨日の夜は話し相手がいないでさびしく豪華な食事をしていたっけ。
お昼はこの頃パットしないでだらだらお客さんが来た。
FM新潟の人達が2時ごろ来たけどだらだらと途切れなくて困って、
静かな個室で収録をしましょうと提案したけど、
リポーターの人がこれの方が臨床感が有って良いですよと言ってくれたのでそのまま続けた。
実はリポーターの細貝さんとは面識があったのでした。
NT21の時一緒の時間帯に出演していた人だった。
懐かしかったので多いに盛り上がったし店の良い宣伝になる。
夕方、18日午後5時前と翌日群馬FMで放送されるらしい。
コシヒカリの取材だったので焼きおにぎりなども話したし、
激震ラーメンの話もした。
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