ペースメーカー(以下PMと表示)の植え込み手術が終わり病室に戻ってきたのは午後5時40分でした。
写真は手術室で看護師さんに最後に撮ってもらったもので、体内に植え込まれたPMのレントゲン写真です。2本のリードが心臓内に留置されているのが分かります。リードは静脈を通して心臓に到達しているのですが、静脈にリードが入りこんでいる所はいったいどうなっているんでしょうかね?静脈のその場所が身体の動き等が原因で割けたりしないのでしょうか?何だかとても心配になってしまいます。退院後最初の外来は8月15日なので、その時にでもこのあたりのことも聞いてこようと思っています。
さて、病室に戻った私ですが、手術中の緊張から解放されたにも係らず気分は最悪状態でした。筋肉注射後ずっとそうだったのですが、頭がボッーとしていますし、だるさもあってベッドに横になっているしかない状態でした。PMの植え込まれた右肩を動かすことは禁止されており、胴と右腕を腹帯を巻くことで固定されています。
そんな状態でしたが、病室に戻ってから直ぐ、夕方6時は夕食の時間です。昼食が抜きだったこともあって腹は空いていました。 この日の夕食メニューは:
ご飯(170g)
豚肉のマスタード焼き
卵とウィンナーのトマト炒め
インゲンのごま和え
フルーツ(スイカ)
で、とても美味しかったです。入院中の食事は私にとってはちょっと量が少なめでしたが、毎食とても美味しくいただけて、いつも完食でした。
20:00 血圧145-83、心拍数 60、体温 36.9℃ ちょっと微熱です。
13日(土) 6:10起床。ぐっすりとは眠れず夜中に何回か目が醒めました。
起床時の血圧 144-91、心拍数60、体温36.6℃、体重64.5kgs
この日も終日頭がホーッとしていてダルさも消えていません。身体に力が入りません。特に右腕は全く力が入らず、ほとんどベッドの上で過ごしました。
昼前には体温が37℃をちょっと越えました。この日も何もできず20:00には就寝でした。
病室は3階の4人部屋でしたが、満室になることはなかったです。またこの階の患者達は殆どがカテーテル検査での検査入院です。なので1泊だけで翌日には退院してしまいます。皆さん元気な方達ばかりでしたから、気分的にも楽でしたね。そして1週間も入院しているのは私ぐらいのものでした。
14日(日) 5:30起床。
7時過ぎから院内の廊下での歩行や階段の上り下りを5分間ほど行いました。しかしまだ頭がスッキリしません。ボーッとしている感じが残っています。
病室に戻ると看護師さんによる血圧測定が待っており、動いた後だったため血圧が高めでした。
血圧 153-99、体温36.4℃、体重63.9kgs
13:00 昼食後まだ頭がスッキリしないため、頭痛薬ロキソニン服用。
13:30 家内、長男、次男が見舞いに来てくれました。今日は日曜日で外来は休みで1階ロビー内のソファーで家族4人くつろぐことが出来ました。
入院時は1人でしたし、手術の時も家族の付き添いは断っていて、今日が入院後初の家族の見舞いでした。
頼んでおいた空のペットボトルや足首に巻くウエイト、病院食では足りないためおやつ用の菓子パン3ヶと歌舞伎煎餅1袋を受け取る。ペットボトルには水を入れて左腕の筋トレ用です。
この日から、退院後そして職場復帰に向けた体幹トレーニングと院内散歩を開始しました。
14:55-15:20 両足にそれぞれ1kgsのウエイトを巻いて廊下、階段を使った散歩。
16:20~ 体幹トレーニング 2セット。背筋は肩に痛みが出るため除きましたが、それ以外は普段自宅で行っている腹筋2種類、スクワット2種類、腕振り(左腕のみ)、腿上げ、椅子に座ってのレッグエクステンション(ウエイト1kgs)、それに山後接骨院さんで教えていただいたベッドで寝た状態で太腿前面の筋力強化の運動、等です。
この体幹トレーニングと院内散歩(30分~40分)はその後退院した18日まで朝夕2回継続して行いました。
15日(月) 6時起床
血圧 131-80、体温 35.7℃、体重 64.7kgs
9:00 菅原先生の回診。手術後PMの最低心拍数は60にセットされていますが、安静時は長年40台の心拍数で過ごしていました。なのでこの60という心拍数はかなりキツイです。自分の鼓動が常に気に掛かる状態で落ち着きません。手術時にも先生には伝えていたのですが、最低心拍数を50に調整して欲しい旨改めてお願いしました。
9:30 その後、PMの調整器を病室に持ってきて最低心拍数50に設定してくれました。パソコンのマウスの様な形状の機器を肩のPM部分に乗せて数値の設定を行います。
最低心拍数の限界は50だそうで、これ以下の数値で設定することはないそうです。
この調整により、私の鼓動はとても安定(本人の意識の問題でしょうが)し、落ち着いていられるようになりました。
12:30 昼食を食べていると、病室に1人の男性が入ってきました。 窓際の私のベッドに向けて一直線に歩いてきます。何となく見覚えはあるのですが、?!誰?エッ!?うーん?
男性はニコニコ笑って近づいてきます。・・・ エッゥ!ウソでしょ?! ベッド脇まで来てやっと誰であるかが分かったのでした。しかし、彼は静岡に住んでる人なんです。
「えっ?静岡から来られたんですか?」「エッ!?」と何度もびっくり仰天の声を発してしまいました。信じられませんでした。こんなにびっくりしたのは本当に久し振りのことです。
このブログにいつもコメントを頂いている、同じ元心臓病仲間で、マラソン仲間でもあるOn-Xジョガーさんでした。聞けば町田に住んでいるお兄さんの所へもこの後寄るのだそうでしたが、わざわざこんな田舎町までお見舞いに来てくださったなんて大変嬉しい思いでいっぱいになりました。今日も祭日で病院の外来は休みでしたので、1階のロビーのソファに座りしばし談笑です。手術中のことや今は回復して体幹トレーニングや散歩ができていることなどを話し、あっという間に小一時間が過ぎてしまいました。
彼は折りたたみ自転車を持参してきていて、病院の最寄り駅である小田急線南林間駅から暑い中15分もペダルを漕いで来てくれました。この後お兄さんの家にも最寄り駅からは自転車で向かうそうです。
自転車を組み立てている時に、今度はトライアスロン仲間のKちゃんがお嬢さんと2人で見舞いにきてくれました。
これまたビックリ仰天です。午前中日産スタジアムで行われた小学生達のトライアスロン大会の帰りだそうです。On-Xジョガーさんとはここで別れを告げ、Kちゃんたちと談笑です。
友人達がこうしてお見舞いに来てくれるととても嬉しいです。もうすでに元気を取り戻した身としては何もすることがない病室での生活は退屈です。おじゃべりが一番ですね。
絵手紙を送ってくれた友人もいます。
PMをいれたことを気遣ってくれたこの絵手紙はとてもとても嬉しいものでした。
Pace Maker ならぬ Peace Maker ってのが良いですよね。ほのぼのした気持ちになってベッドの横のテーブルに置いていました。この絵手紙は看護師さんたちにもとても評判が良かったです。
手術後のことはもうちょっとあるので2回ではなく、3回に分けてアップすることにしました。ペースメーカー植え込み手術その3 として後日アップします。すいませんがこの続きはもう暫らくお待ちください。
私は2009年2月に先天性心房中隔欠損症と三尖弁閉鎖不全症のため大和成和病院で開胸手術を行い、その後はとても順調な回復具合で、好きなマラソンも楽しむことができるまでに健康な身体を取り戻すことができていました。しかし心房中隔が欠損していたことが原因と思われる徐脈が年々悪化しており、先月末には心拍数30bpmという事態に直面してしまったのでした。
2009年の手術の時点から主治医の先生方から「あまり心拍数が低くなってしまうようならペースメーカーを植え込むしかないですね。」と言われており、今月2日に大和成和病院で受診した結果ついにそのペースメーカーのお世話になることが確定したのでした。
そして7月12日(金)に大和成和病院にてペースメーカーの植え込み手術を受けてきました。手術そして入院時の様子を2回に分けて公開します。
ところで入院・手術の様子を報告する前に、まず私はこの徐脈に対して大きな勘違いをしていたことを白状します。2009年の心臓手術後も心拍数が低かったのですが、実は本人としてはあまり真剣には気に掛けていいなかったのです。ご存知のように私は趣味としてマラソンを楽しんでいます。一流のマラソンランナーはスポーツ心臓になってその心拍数が32~35bpmなんて言うこともあるのですが、私は2009年の心臓手術後の心拍数が40台になってもそれは私も一丁前にスポーツ心臓になっているからだろうと思っていたのです。心拍数が低くなればなるほど練習の成果だ!と自己満足していた所もあったくらいです。そう思ってしまったのは心拍数が低くなっても別に何の症状も出ていなかったからだと思います。
しかし、フルマラソンでたかだか3時間台の人間ではスポーツ心臓になんかなっていませんよね。趣味のマラソンのくせに大きな勘違いでした。私の心拍数が遅いのはスポーツ心臓のせいではなく、洞性徐脈という病気のせいだったんです。このことに気が付いたのは今回心拍数が30bpmになった6月末のことでした。
ははは、のん気なんて言うものじゃないですよね。自分自身笑っちゃいました。
さてさて、それでは その1 入院・手術当日のお話です。
12日に入院、そして入院当日の午後2時から植え込み手術でした。事前にネットでペースメーカー(以下PMと表示)の植え込み手術について調べていたのですが、その体験談などでは皆手術後はPMを植え込んだ側の肩や腕は固定され丸1日は身動きが出来ない様な状態とありました。そして動けませんから当然ながら小便を体外に出すためにドレーンチューブを尿道から膀胱まで挿入されてしまいます。
4年前の心臓手術の時に何が一番いやだったかと言うとICUで目が醒めた後、このドレーンチューブを抜き取られる時のあの強烈な痛みです。前回は全身麻酔をされてから挿入されましたからその痛みは抜き取られた時だけで済みました。しかし、今回は局所麻酔でした。ですからドレーンチューブを挿入される時にも同じような強烈な痛みがシラフの身に襲い掛かってくる訳です。当然剃毛もあるでしょうし、手術前のこの2つの儀式が一番の悩みの種だったんです。
そんな心配を抱えて病室で待っていたのですが、一向にこの儀式が始まりません。午後2時からの手術予定なのに1時を回ってもまだ誰も病室に来ません。そして1時20分になってやっと看護師が点滴を開始したのでした。
点滴 : アクチット輸液 1000ml & 生食注 100ml
この時点で、ああ、これでもう尿道へのドレーンチューブの挿入も剃毛もないんだと理解しました。私はパンツも履いたままなんです。点滴してから剃毛なんてことはあり得ません。
へぇー患部にイソジンで消毒するだけで手術開始なんだなぁ~なんぞと思いながらベッドに横になっていたんです。
そして1時55分になって看護師が私の肩に筋肉注射をしました。徐々に頭がボーッとなってきました。ベッドの端に腰掛けていたのですが、立ち上がる気力がすっかり失せてしまいました。注射後15分後には横になったらそのまま寝てしまいそうでした。
4年前の手術の際にも同じように肩に筋肉注射をしましたが、その時は全くと言っていいほど何の変化もなかったのです。この時は手術室に入ってから全身麻酔を施しましたから、前回と局部麻酔での手術の今回では状況が全く違います。なので使用している筋肉注射の中身に違いがあったのでしょう。
そして2時20分になると看護師が車椅子を持って迎えに来てくれました。もう完全にふらふら状態です。エレベーターに乗って2階の手術室へ入りました。4年前の手術室とは別の、隣にある手術室です。真ん中に手術台がありその上に乗ったのですが、とても幅の狭い手術台です。パジャマの上着を脱がされ、左肩から胸にかけてイソジンで消毒が始まりました。「ああ、これでもう剃毛も尿道へのドレーンチューブの挿入もないんだなぁ~。」ととても安堵をしたのを覚えています。今はどこの病院でもいきなりイソジンでの消毒から直ぐに植え込み手術になってしまうんでしょうかね?これは本当に楽だなぁ~と思いました。
手術台の上に乗ったところで、執刀医の菅原先生やスタッフの方々によろしくお願いしまーす、と挨拶しました。いよいよ植え込み手術の開始です。局部麻酔が左鎖骨下辺りに打たれました。ちょっとチクッと痛みがありましたが、大した痛みではなかったです。背中にはレントゲン用の板が肩から背中に掛けて敷かれています。室内のディスプレイに心臓付近の映像が映し出されているようです。そして頭のテッペンから足の先まですっぽり青い布で覆われてしまいました。顔の部分は布が直接顔に当たらないようにステンレスの枠が頭部に置かれていますので息をするには全く問題がありません。麻酔が先だったか、布で覆われたのが先だったかは覚えていません。ひょっとしたら逆だったかもしれません。
写真の手前側が頭です。患部の左肩だけ露出させてこの時はカテーテルを入れて血管の様子をモニターで見ているところです。
写真は手術室の看護師の方に撮影をお願いし、カメラを渡しておいたのです。そして執刀医の菅原先生の許可の下彼女が撮影してくれました。感謝、感謝です。
しばらく画像で様子をみていた菅原先生から「緊急事態、問題発生です。」と言う言葉とともに作業が中断されました。
同時に私には直ぐにピンとくるものがあったのです。4年前の心臓手術をする際に見つかっていたことなんですが、私は「左上大静脈遺残(あるいは残存)」という血管の奇形があるのです。これは胎児期の名残のもので、胎児のはじめの時期には左右の手から血液がそれぞれ別の静脈を通って心臓に戻ってきます。そして次第に胸の上のほうで左右の静脈を継ぐ血管が育ち左手の血液も右手からの静脈に合流するようになり、その後に左の心臓に向かう左上大静脈が退化するのだそうです。しかし、なぜか左右を継ぐ血管が育たなかったりして左手からの血液が元のままの左上大静脈を通っている人が200人に一人ほどの確率でいるのだそうです。
多分このことが原因でPMを入れることができないのかもしれないと思ったのでした。今回の手術前にこのことを担当の医師に伝えようかとも思ったのですが、同じ病院でカルテがあるのだから当然見ていることだろうと思いましたし、あるいはこの事がPMの植え込み手術には全く影響しないのかもしれないとも思っていたので、結局このことを菅原先生には伝えずにいたのでした。
そして作業を途中で中断した先生の口から出た言葉はなんと「左上大静脈遺残」と言う言葉だったのです。この遺残があるとPMのリードを挿入することが困難になり、左肩への植え込みは出来ないとのことでした。しかし、その代わり右肩への植え込みはできるのとのことで急遽右肩への植え込みへと変更することになったんです。米国などでは右肩への植え込みが主だと言うことや、実際に右肩への植え込みをやったことがあるので心配いらないという言葉もいただきました。ただ、私は右利きですので、PMを右肩に入れることでの不便は発生するだろうなぁ~と言う思いが湧いてきたのは事実です。手術開始から多分30分は経過していたと思います。全身に被せた青い布が一旦外され、左腕にされていた点滴が右腕へ、そして氏名の書かれたリストバンドはハサミで切られ、右腕に新しいリストバンドを巻かれました。その上で改めて青い布が全身に被せられ、右肩だけが露出した状態になりました。局部麻酔も打ち直しです。
上の写真とは先生の立っている位置が逆です。右肩への植え込みが開始されました。
菅原先生も年間数十件のPM植え込み手術を行っているのでしょうが、右肩への手術は数年に1回あるかないかのことでしょう。右と左では身体の構造がまったく逆になりますから、先生もとてもやり辛そうでした。左右が逆になってしまうため、作業する手を逆手にしたりしなければならず、また中が見え辛いようなこともあったようです。布で覆われていて見ることはできませんでしたが、先生が悪戦苦闘していることがはっきりと分かりました。スムーズに事が運ばず、時間だけがどんどん経っていく感じでした。とても疲れました。全身麻酔で行われた方が気が楽でした。途中では、「あぁ、もうどにでもなれぇ~。」と諦めの心理状態にもなってしまいました。
手術の方法ですが、
1) 右鎖骨下を横に4,5cm切開し、そこからPMが入るポケットを作ります。
このポケット作りから悪戦苦闘のようでした。筋肉が邪魔していたようで脂肪が適当にあった方が良いのかもしれませんね。私のように筋肉質の人はやり辛いと先生も言っておりました。
ポケットを作る際には電気メスで皮膚を切開したのでしょうが、麻酔をされていますからその感覚は全くありませんでした。ただ、切っている場所に刃先からアルコールを吹きかけているようなシュッ、シュッという音が聞こえたのと霧状の物が身体に掛かっているという感覚がありました。
2) ポケットが出来れば次にリードを静脈から心臓へと入れていきます。このリードの先端には1mm程の突起があって、1本は心房の右心耳と言う場所へ、もう1本は心室の心尖部と呼ばれる場所へ留置されたようです。(確認はしていませんので違う場所かもしれませんが一般的にはこのような場所だそうです。)リードの留置でも何度かやり直し、どこが一番良いかを何度か探しているようでした。
3) リードが収まればあとはPM本体をポケットに入れ込みます。この作業でも大変でした。かなり強引に力任せに肩を押されたことを覚えています。そして何度かビリッ、ビリッと電気が走るような痛みが襲い、その都度身体がそして足も大きく跳ねるように動いてしまいます。
しかし、手術中大変助かったことがあります。看護師さんが足をやさしく押さえてくれたことです。決して強くではなく、足の上にやさしく手を乗せているという感じなんです。このことが緊張している私の身体をずい分とリラックスさせてくれました。
何だかんだとえらく長い時間が過ぎていきましたが、それでもPM本体がポケットに入り、後はいよいよ縫合だけという段になって、私もこの時は随分と気が楽になったことを覚えています。そしてやっとこれで生きて帰れるとも思いました。
縫合はとても丁寧に行われたようです。ちょっとずれるとやり直している感じで仕上がり具合は良好のようです。何針縫ったんだろうと思い、終了後菅原先生に尋ねたところ、内側8針、外側20針は縫ったとの応えでした。
左の写真は縫合の時のものだと思います。
こうして5時20分に全てが終了し、最低心拍数が60にセットされました。入院中は60のままで退院日にその後の具合で調整するとのことでした。
手術時間は約3時間でした。通常なら2時間程度で終わるのでしょうが、やり直しがあったり左右が逆でやり辛いこともあって1時間ほど余計に掛かってしまいました。しかし兎に角無事に終わってほっとしました。と同時に本当にぐったりしました。局部麻酔でのPM植え込み手術がこんなに疲れるものだとは思ってもいませんでした。電池の残量が少なくなる7,8年後にはまた交換のための手術があるのですが、その時には全身麻酔でやってもらおうかと思ってしまいます。
さて、病室に戻ったのが夕方5時40分でした。その後のことは ペースメーカー植え込み手術その2 と題し後日またアップします。