日々の出来事 2月1日 クリムト
今日は、グスタフ・クリムトが亡くなった日です。(1918年2月1日)
グスタフ・クリムトはオーストリアの画家で、絵画”アデーレ・ブロッホ・バウアーI”が1億3500万ドル( 約155億円 )で売買され、一枚の絵としては世界最高額を記録しています。
( 2006年にジャクソン・ポロックの絵画”No.51948”が約1億4000万ドルで売買されたニュースがありましたが、売却主のデービッド・ゲフェンがコメントを避けているため明確ではありません。 )
1862年、グスタフ・クリムトは、オーストリアの彫刻師の息子として生まれます。
グスタフ・クリムトは、若い頃から才能を認められ、美術館や劇場の装飾などの大きな仕事を数多く請け負っていました。
30才ごろから、印象派や象徴主義の影響を強く受け、保守的なウィーン美術に反発を始めます。
このころ、オーストリア政府から、大学の天井画を依頼され”哲学”、”医学”、”法学”を作製しますが、知性的なものの求めに反して、理性の優越性を否定する寓意に満ちたもので作品の是非について大論争になりました。( この”哲学”、”医学”、”法学”は焼失しています。 )
その後、1897年に”ウィーン分離派”を結成し、女性の肖像画家として人気を誇りました。( 実物より美しく描くところがミソです。 )
そして、グスタフ・クリムトは、晩年には風景画も数多く描き、1918年2月1日に亡くなりました。
よくポスター等で見かける絵としては、恍惚とした女性の表情が印象的な”ユディトⅠ”や”接吻”があります。( この二つは、ウィーンのオーストリア美術館にあります。 )
Der Kuss
☆今日の壺々話
キャンバス
しばしば人生はキャンバスに例えられる。
真っ白なキャンバスに何を描くか?
彩り豊かな絵を描く人がいる。
無難に仕上げる人もいる。
超大作に挑戦する人もいる。
細かく繊細な絵を仕上げる人もいる。
きっとみんな楽しいに違いない。
ドキドキしながら、自分の作品を素晴らしく完成させることに一生懸命なんだろう。
その一方で、頑張って絵を書いてたキャンバスに真っ黒なインクがこぼれてしまうようなやつもいる。
風に飛ばされてドロ水に浸かってしまうやつがいる。
もう取り返しがつかない状態。
やり直しはきかない。
一回きり。
周りのみんなが描いてる絵をうらやましそうに見ながら、
ぐちゃぐちゃになった自分のキャンバスの前で泣いてる僕がいる。
“黒い下地に白い絵の具で絵を書き直せよ。個性的な絵になるぞ。”
なんか元気出たよ、ありがとう。
画用紙とクレヨン
生まれた時、人は白い画用紙と、
色とりどりのクレヨンを渡されて、
何でも書いていいよといわれる…
さて何を書こうか…
考えているうちに、たっぷりあったはずの時間は過ぎてゆく…
ようやく書きたいものが決まった時には、もう帰る時間…
描きかけの紙とクレヨンは取り上げられてしまうんだ…
あんたはちゃんと良い絵を…
クレヨンをしっかりにぎって…
真っ直ぐに紙を見て…
迷わずお描き…
自分の絵をさ…
都会
上京して1年、都会の雑踏にも少しづつだが慣れてきた。
友達と呼べる人たちもできたが、何となくうわべだけの付き合い。
高校の時みたいに、何でも分かり合える間柄じゃない。
会話の間ひとつとってもしっくりこない。
標準語に慣れてないせいもあるのかもしれない。
週末だというのに一人部屋でごろごろしているのは、そんなつまらない理由からなんだろうか・・・。
“ コトン・・・。”
きた!
そうじゃない、そうじゃないんだ。
僕が花見の誘いを断って部屋にいる本当の理由。
毎月、最後の週の土曜日に届く絵葉書。
これをすぐに読みたくて、僕は部屋にいる。
高校の時のクラスメイト。
恋人でもないし、好きなんて言った事も言われた事も無い。
そもそも人を好きになったことがない。
この手紙の子も、ただの仲のいいクラスメイト。
でも、卒業間際に何となく交わした、
「 東京に行くんだね、卒業しても連絡するね。」
「 うん、俺も。」
という会話。
それから、毎月絵葉書が届く。
内容なんて他愛の無いものばかり。
僕の返事も他愛の無い季節の事や学校の事。
ほんの2、3行の近況報告。
電話すればいいのにって、たぶんお互いに思ってる。
でも、この絵葉書を読むと、懐かしい故郷と君の笑顔が見えるんだ。
「 彼氏できたよ、バカ!」
今回は1行だけ。
いつもの可愛らしい丸文字で1行だけ。
バカって言葉の意味が判った時、不意に涙がこぼれた。
僕は人を好きになったことがなかったんじゃない。
“好き”ってことの意味が、わからなかっただけだったんだ。
最後になるだろうこの絵葉書の返信は、きっと長文になる。
葉書の裏いっぱいに僕の気持ちを書く。
でも、投函はしない。
もう少し、この都会で頑張ろうと思う。
アトリエ
10年程前の話。
美術の教師をしていた姉がアトリエ用に2DKのボロアパートを借りた。
その部屋で暮らしているわけではなく、絵を描くためだけに借りたアパート。
せっかく借りてるのに住まないなんてもったいない!
そう思った私は姉に頼み込んでその部屋で一人暮らしをさせてもらうことにした。
一人暮らし初日、わくわくしながらアトリエに帰宅。
くれぐれも戸締りに気をつけるようにと言われていたため、帰ってすぐに玄関に鍵とチェーンをかけた。
その後、夕飯を作ったり本を読んだりして楽しく一人の時間は過ぎていく。
気付くともう夜も更けていたため、もう一度戸締りをチェック、ガスの元栓も締め眠りについた。
しばらくして、多分夜中の2〜3時だったと思う。玄関がガチャっと開いた。
どうやら姉が絵を描きに来たらしい。
こんな時間に頑張るなあと、ウトウトしながら思っていると、私が寝ている隣の部屋に入っていった。
隣の部屋は画材やらキャンバスやら置いてある部屋。
そこで、姉はブツブツ言ったりクスクス笑ったりしてる。
うーん、やっぱり芸術家と怪しい人って紙一重だよなぁ、と、酷い事を思いながらいつの間にか寝てしまった。
朝、目が覚めると姉はもう帰ったようで居なかった。
姉の絵に対する情熱は尊敬に値するよなぁ、と思いつつ出掛ける準備をして家を出る。
玄関の鍵を閉めた時に、突然恐怖に襲われた。
それ以来、私がそのアトリエに足を踏み入れることはない。
童話・恐怖小説・写真絵画MAINページに戻る。
大峰正楓の童話・恐怖小説・写真絵画MAINページ