日々の恐怖 2月12日 遭難者
俺は登山が好きだ。
連休が取れれば必ず登山に行くほどに。
俺には好きな山がある。
標高はそれほど高くないけど、険しい道のりで毎年遭難者が出ている山だった。
道の整備が進んでいないから、登山家の中でも敬遠されがちな山だった。
俺は人が少ないその山を大いに気に入っていた。
まるで俺だけのもののようだった。
ある休日のこと、俺はその山に登山に出かけた。
鳥のさえずりと川の流れる音がすがすがしい。
しばらく歩いていると吊り橋がある。
頂上に行くにはそこを通らなければならない。
つり橋に差し掛かったとき一人の男がいた。
男の様子が変だ。
男は手すりの外に立って、下をただ見つめている。
俺はとっさに言った。
「 危ないですよ!」
男は気づいてこちらを向いた。
俺は悟った。
男は飛び降り自殺をしようとしているのだ。
俺はさらに言った。
「 あなたが死んだら、奥さんや娘さんはどうやって生活するんですか。
自殺なんてやめてください。」
そんなことを言ったと思う。
俺は男の家族なんて分からない。
どこかの刑事ドラマで見たようなセリフを吐いただけだ。
男は俺のほうを見て、
「 勇気が出ました。」
そう言ったと思う。
俺は自殺をやめたと思った。
良かったと思った。
そのとき、男はぱっと手を離した。
男は飛び降りたのだ。
俺はすぐさま119を呼んだ。
山奥だったし、数十メートルもある谷底だ。
男は助からなかった。
後で分かったことだが、男は保険金をかけて、事故に見せ掛け自殺したのだった。
俺は救急隊員に事のいきさつを説明した。
当然保険金は下りなかった。
俺はそれ以来、遭難者を見ても見ないふりをしている。
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