日々の恐怖 2月10日 なくしたもの
周囲を山に囲まれたその町は、朝霧で有名だった。
気温が下がると、放射冷却によって冷やされた空気が霧となる。
盆地では山から流れ込む冷気が霧を濃くし、さらに空気の循環が少ないため、霧は朝日が完全に昇るまで長く居座ることになる。
周囲の山から見下ろせば、町が霧にすっぽりと覆われた、幻想的な景色を見ることができる。
町は白いベールに隠されているようでもあり、乳白色の湖に沈んでいるようでもあった。
この町の中心には、一本の川が流れていた。
夏には蛍の群舞が見られる美しい川だった。
この川には、不思議な噂があった。
川の周辺では、川霧も手伝ってより濃い霧が漂う。
その霧の中に、いるはずのない蛍が、
” スゥ~ッ・・・。”
と飛ぶのが見えることがあるという。
朝霧が発生するのは気温が下がってからなので、蛍の成虫が飛び交う季節とは異なっている。
なので、霧の中で見つける蛍は、いわゆる蛍ではない。
そんな蛍を追いかけていくと、もう亡くなってしまった会いたい人に、会えるのだという。
ある人は、蛍を追いかけた先に、背中を向けて立つ父親を見た。
ある人は、背後に友人の咳払いを聞いた。
ある人は、隣に立ってそっと手を握ってくれる妻の温かさを感じたという。
「 でもね、誰もがはっきりと会えたわけではないんですよ。
実は私もね、霧の中に蛍のような光を見たことはありますよ。
でも、話に聞くように死んだ人に会えるなんてことはなかった。
蛍に見えたのも、きっと朝日の反射かなんかでしょう。
正直、噂というより迷信ですよ、迷信。」
私にそう話してくれた男性を、次の朝霧深い河原で見かけた。
ウロウロと、乳白色の世界を歩き回っていた。
人は誰でも、なくしたものを求めずにはいられないのだろうと思う。
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