日々の出来事 10月1日 レコードCDとビトロレーラ
今日は、レコードからCDに時代が変わった日です。(1982年10月1日)
1982年10月1日、ソニーによって日本最初のCDプレイヤーが発売され、同時に大滝詠一の“A LONG VACATION”やビリー・ジョエルの“ニューヨーク52番街”などのCDソフト50タイトルが発売されました。
当時は、レコードと同じ内容の商品がCD版として売られ、価格は2割ほど高く設定されていました。
また、ライナーノーツは、LPレコードに入っているのと同じ物が、四つ折りにしてCDケースに入っていました。
CDの最大収録時間の約74分は、カラヤンが“ベートーベンの交響曲第九番を収録できるように”と提言し、その他のクラシック音楽も調べた結果、約95%が75分あればCD1枚に収められることから規格となったと言われています。
まあ、昔のレコードをレコードプレーヤーで針を落として聞くのも、それはそれで良いものです。
大滝詠一の“A LONG VACATION”は良いアルバムでした。
でも、ここでは敢えて、大滝詠一の金字塔であるナイアガラ音頭を一つ・・・。
ナイアガラ音頭 (作詞作曲、大瀧詠一)
♪ヽ( ・∀・)ノ チャンチャン、チャンチャカチャカチャカ、チャンチャカチャカチャカ、
チャチャンカチャン、コラショット~ ヾ(*´∀`*)ノ゛♪
♪ヽ( ・∀・)ノ チャンチャン、チャンチャカチャカチャカ、チャンチャカチャカチャカ、
チャチャンカチャン、ヨイショット~ ヾ(*´∀`*)ノ゛♪
♪(´∀`)ノ゙ ハア~ (ハア~どおしたどした!)
今日も元気だ 御飯が美味い (コラショ!)
箸を持つ手にゃヨー チョイト花が咲く♪(ハ~ それからどした!)
ナイアガラ音頭で 踊りゃんせ(ソレ!)
かたい事言わずに 踊りゃんせ(ソレも一つ!)
かたい事言わずに 踊りゃんせ(はい かんそー!)ヾ(*´∀`*)ノ゛♪
♪ヽ( ・∀・)ノ チャンチャン、チャンチャカチャカチャカ、チャンチャカチャカチャカ、
チャチャンカチャン ヾ(*´∀`*)ノ゛♪
♪(´∀`)ノ゙ ハア~
明日も元気だ 味噌汁美味い
お椀持つ手にゃヨー チョイト蝶が飛ぶ♪
ナイアガラ音頭で 踊りゃんせ
ダンス・トゥ・ザ・ナイアガラ ミュージック
ダンス・トゥ・ザ・ミュージック ナイアガラ ヾ(*´∀`*)ノ゛♪
♪(´∀`)ノ゙ ハア~
明後日も元気だ 沢庵美味い
楊枝持つ手にゃヨー チョイトハエ止まる♪
ナイアガラ音頭で 踊りゃんせ
何だかんだ言わずに 踊りゃんせ(ソレも一つ!)
何だかんだ言わずに 踊りゃんせ(ソレもふた!)
何だかんだ言わずに 踊りゃんせ(はい おしまい!)ヾ(*´∀`*)ノ゛♪
♪ヽ( ・∀・)ノ チャンチャン、チャンチャカチャカチャカ、チャンチャカチャカチャカ、
チャチャンカチャン ヾ(*´∀`*)ノ゛♪
☆今日の壺々話
曲名の質問
「 だ~らだ~らで~れだ~りらん チャカチャカチャカチャカチャカ
だ~らた~らで~れだ~りらん チャカチャカチャカチャカチャカ
で~れで~れだ~らだ~ららん チャカチャカチャカチャカチャカ
で~れで~れだ~らだ~らだん チャカチャカチャカチャカチャカ
チャララ チャララ チャララ チャララ チャララ チャララ んばーばっ
チャララ チャララ チャララ チャララ チャララ チャララ んばーばっ
チャリラリチャリラリチャリラリチャリラリ ジャラララララララ どんどんどん
ピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキ んぱーぱっ
ピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキ んぱーぱっ
オーケストラだと思います。
昔ラジオで聴いてから頭から離れません。
曲名を教えてください。
おねがいします!」
「 ブラームスのハンガリー舞曲第1番では?」
「 え、これで分かるのかっ!」
「 か、神だ!!」
「 ぼ、僕、神山です。」
ビトロレーラ
みなさん、ビトロレーラを知っていますか?
昔、ジュークボックスと言うのがあったのですが、これのもう一つ昔、カフェやバーには音楽を流すための大型レコードプレイヤーが備え付けてありました。
この大型レコードプレイヤーの動力は電気ではなくゼンマイで、これを巻く仕事をビトロレーラと呼んでいました。
エビータと呼ばれていた元アルゼンチン大統領夫人エバ・ペロンは親日家でしたが、なぜ親日家になったかというと、少女の頃に日本人に親切にしてもらったからです。
エバは小学校を卒業した頃からアルゼンチンに移住した福島県出身三浦与吉の設立した三浦合資会社が経営する地方都市ルハンのカフェ・ハポネスで暫くの間“ビトロレーラ”として働いていました。
この仕事はただゼンマイを巻くだけではなく、客集めの役目も持っていて、どこのカフェも美少女を雇っていました。
そのため、カフェやバーを溜まり場としているプレイボーイ達に狙われて、身を持ち崩す女の子も多かったのです。
従って女性の職業としては軽蔑されても仕方がない職業と見られていました。
ところが、この店の従業員の日本人は責任者の溝口氏を始め皆親切で、エビータに対しても優しく礼儀正しく接し、一人前のセニョリータとして扱ってくれました。
このような扱いは、それまで愛人の子共として、多くの人達に蔑まれてきたエビータの多感な心に大きな感銘を与えました。
その後15才になったエバはブエノス・アイレス出て、俳優など様々な職業について大統領夫人になります。
夫の大統領フアン・ペロン大統領も軍人の頃、日露戦争を研究したこともあって夫婦そろって親日家でした。
大統領夫妻の親日エピソードは多く、サン・ビセンテにあるペロンの別荘のボーイ、メイド、料理人、庭師などを日本人から募集しました。
これは政敵が多い大統領夫妻が日本人の勤勉さ忠誠心を見込んでといわれます。
また、夫妻は邦人のカトリック受洗者850名の代父母にもなっています。
そして第二次大戦中、アルゼンチンは連合国側の早期参戦への圧力にもかかわらず、南米諸国でもっとも遅い、終戦間近の1945年3月26日まで対日宣戦布告を行ないませんでした(ペロンは当時軍相)。
1946年3月28日、大統領夫妻になった彼らは、戦後の日本との関係修復を積極的行なってくれたばかりか、エバ・ペロン財団を通じて慈善活動を行い、世界に先駆けていち早く大量の食料衣料を援助してくれました。
その内容は、1万トン級の船に一杯の小麦粉や食料品、それに牛の品種改良用にと6頭の種牛などでした。
貧しい少女に親切にしたら、後に国際レベルで恩返しがあっという、やたらとスケールのデカイ“笠地蔵”みたいなお話です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/58/a8a17461644a220031d2876dc247714c.jpg)
エバ・ペロン
カラオケボックス
12年前の話ですが、当時、私は流行りだしたカラオケボックスの従業員でした。
従業員は店長を入れて8人 部屋数は18です。
ここは、当時流行ったコンテナ式のカラオケボックスで、広い駐車場のような敷地に18個のコンテナが置いてありました。
最近のカラオケボックスに比べると小規模な作りですが、今では考えられないほど繁盛していました。 (2.3時間待ちが普通、システムは昔の100円1曲式)
開店12時~閉店2時まで非常に多くのお客で賑わってましたが、何故かいつも決まった特定の部屋でトラブルが起こります。
トラブルの例としては、お客同士の喧嘩と入室後のお客からの部屋替えの希望です。
内容は、部屋が気持ち悪いと言う人が多かったのです。
7号室と13号室にお客を入れると、週に4、5回のペースで、こういった事が起きてました。
で、私の体験なんですが、時間的には23時過ぎ、同僚のMが7号室のダスター(後片付け)から青い顔をして帰ってきました。
「 外を見てくれ!7号室は何かおかしい!!」
私は訳がわからず、7号室に向かいました。
受付から7号室までの距離は30mぐらいで、敷地内の一番端にあるのが7号室です。
突き当たりの7号室のコンテナの後ろに、男(25、6歳ぐらい)が立っているのが見えました。
外は照明も少なく、見通しも悪く、部屋からお客が出てきて外に立っているんだろうと考えました。
男を見て少し考えていると、血の気が引きました。
突き当たりの7号室は敷地の一番端、隣にはマンションがあり、7号室の壁とマンションの隙間は10センチほどです。
人間が入れる隙間はマッタクありません。
表現が難しいのですが、建物の角から男が半分顔を出して覗いている感じです。
私がジッと見ていると、男はスッと消えました。
消えると言うか、煙のような感じで。
少し疲れているのかと思いましたが、Mと私の二人がこの男を見ています。
結局、この日は何もありませんでしたが、あまりに気持ちが悪いので、仕事が終わった後、スタッフ同士で少し話しをして、事業部に報告することになりました。
その日から、特に何か起こることも無く、報告した事業部も笑って、この話は無かった事になりかけてたんですが、数ヶ月後大きな事件が起きました。
スタッフ4人が同じ日に事故に遭いました。
私は単車で転倒、IさんとHさんは車で事故、同僚のEは交通事故で亡くなりました。
たった一晩で、4人のスタッフが悲惨な出来事に遭いました。
この事がきっかけで事業部が話をしてくれました。
内容は、このボックスを建設したときに地鎮祭をやってないらしく、事業部の数人の方は気になってたらしいです。
後からわかった話なんですが、同僚のMは霊感が強く、いつも何か気配を感じてたらしいです。
あの出来事から12年、思わず書いてしまいましたが少し後悔しています。
それ以来、人では無い者を見ることは無いですが、いったい何を見たのか、未だにわかりません。
カラオケ屋
俺がバイト中に体験した話です。
以前カラオケでバイトしてたんだが、深夜から朝にかけて勤務していた。
うちの店は横に長くて長い真っ直ぐな通路両側に部屋がいくつもならんでいた。
入り口からみて右側へ進んだ突き当たりはトイレ、左へ進んだ奥は一段下がっていくつか部屋があった。
そして通路の両突き当たりには大きな姿見があった。
だいたいいつも朝5:00ごろに客を帰らせ閉め作業を行っていた。
いつも朝方になると寒気がしていたが、寝ずに働いているから疲れているだけだと思っていた。
その日はベテランのおっさん(バイト)と2人だけだった。
営業終了時間になり客を追い出して、全部屋の掃除を済ませ電源を落とし、トイレ掃除も終わった。
店内のBGMも止めて、ベテランのおっさんとレジ閉めをしていた。
外も明るくなり始め、眠気も極限まできていたが何とかレジを閉め終え、
「 やっと終わりましたね!」
とおっさんに笑顔で言ったら、
「 あぁぁぁぁぁああぁぁぁああぁああぁ~~。」
と、トイレの方から女の叫び声が通路を響かせながら聞こえてきた。
そしたら、おっさんが、
「 聞いちゃったね~。」
とか言ってきた。
人生であんなに鳥肌がたったのは初めてだった。
怖いからおっさんにトイレを見に行って貰ったが、やはり何もいなかった。
あとから聞いた話だと、実は休憩中に金縛りにあった人は何人もいるらしく、中でも一人の先輩は、女子トイレを掃除し終わり電気を消した瞬間に内側からドアを物凄い勢いで叩かれたらしい。
そう言えば、俺が女子トイレを掃除中に隣の個室から水が流れる音がした事もあった様な気がする。
自分は今まで霊的な気配を感じた様な気がする事は良くあったが、実際に聞こえてしまったのは初めてだった。
見えるだけじゃなくて、音だけでビビらせてくる霊もいたのか、若しくは見える人にはプラス映像つきだったのかもしれない。
通路を左に進んで一段下がる所に立ち入り禁止のロープが張られ、その奥の部屋がなぜ使われていないかは誰にも教えてもらえなかった。
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