大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

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日々の出来事 11月24日 山一證券 野澤社長

2018-11-24 07:00:00 | A,日々の出来事_





 日々の出来事 11月24日 山一證券 野澤社長





 今日は、山一證券が自主廃業を決定し、経営破綻した日です。(1997年11月24日)
山一證券は、日本の四大証券(野村證券、大和證券、日興證券、山一證券)の一角を占める1897年創業の歴史のある名門企業でした。
 しかし、1989年のバブル崩壊後は、損失処理の先送りや利益供与、簿外損失などのスキャンダルが続発し、乱脈経営の結果、大蔵省にも見捨てられ自主廃業に追い込まれました。
最後の社長である野澤正平は、法政大学出身で東大卒が主流を占める社内では傍流で、社長就任後に簿外損失の膨大な損失を始めて知り唖然としました。
 1997年11月24日、野澤社長は自主廃業の記者会見を行います。
この会見の最後に、野澤社長は突然マイクを持って立ち上がり、顔をグチャグチャにして涙を流し世間に訴えます。

「 みんな私たちが悪いんであって、社員は悪くありませんから!
善良で能力のある社員たちに申し訳なく思います。
優秀な社員がたくさんいます。
ひとりでも再就職できるように応援してください!!」

 テレビに映ったこの様子から、世間では野澤社長の言葉を心からのものと同情的に受け止めるものも多く、その後多くの元社員は、野澤社長の望んだ通り再就職を果たす事が出来たようです。






 ルポ


 山一證券の本社は今・・・・・。
中央区の茅場町駅を出て永代通りをしばらく行くと、見覚えのあるビルが目に入る。
上層部分に特徴のあるそのビルは、かつて日本四大證券の一つとして鳴らした山一證券の本社ビルだ。
 今はその多くのフロアをNTTデータが占めているが、隅田川を眼下にしたその茅場町タワーは遠くから見るとどことなく、すす汚れて見え、往時の「山一城」は感じられない。
まばらな人通りの永代通りを、時折ビジネスマンが特に気にもかけずに「城下」を過ぎていく。










「 社員は悪くありませんから!」 山一證券 野澤社長
















☆今日の壺々話







     お仕事



「 あなたァ、顔色が悪いわよ、風邪?」
「 う~ん、風邪かなァ・・。」
「 今日、休んだら・・・。」
「 でもなァ・・・。」
「 どうせ、休んだって誰も困らないでしょ!」
「 それはそうなんだが・・・。
 そのことがみんなに分かるのが困るんだ・・・。」
















     就職内定御礼




「 部長、内定御礼が来ました。」
「 うん、どれどれ・・・・。」


前略

ドウモ~~~ッ!!☆☆(*⌒ヮ⌒*)
貴社におかれましてはますますご清栄のことと存じま~~~ッす☆☆
このたびは内定をいただき、ありがとうございます~~~っ♪(#⌒〇⌒#)キャハ
長いようで短かった就職活動を終え、今、本当に貴社と出会えて良かったと思う気持ちでいっぱいです。
\(⌒∇⌒)/
人事部のみなさんにはひとかたならぬお世話になったこと、(◎_◎)
心よりお礼申し上げます。 (*^-^*)
会社説明会に参加させていただいたときから最終面接までの間、さまざまな面で勉強させていただきました。(o^v^o) エヘヘ
会社訪問の折には、活気のある( `_)乂(_´ ) 勝負! を見させていただいたり、興味深い仕事の話<(゜ロ゜;)>ノォオオオオオ!をきかせていただき、そのたびに感激したことが思い出されます。( ̄ー ̄)ニヤリッ
これからは、私も貴社の一員として産業界の発展に微力ながら貢献していきたいと気を引き締めているところです。(/ ∇ \)キャー
入社後は、一生懸命精進し全力で仕事に取り組む所存でーーす。(¬_¬)ジィーッ→ !

                               草々


「 どうしたんです、部長?」
「 誰だ、こんなヤツを合格させたバカは?」
「 社長です。」
「 うん、合格!」

















日本を代表する三大企業




・株式会社月極
日本全国で駐車場等を運営、日本最大手。
保有物件に「月極」の看板を掲げている。


・株式会社定礎
日本中に大量のビルを保有。
保有ビルに「定礎」の文字のプレートをいれている。


・株式会社ゴランノスポンサー
多くのテレビ番組のスポンサーとして有名。
「ゴランノスポンサーの提供でお送りいたします」のアナウンスは有名。


















質問 「株で貯金の100万を20万にしたい」




「 株で貯金の100万を20万にしたいんだが、オススメの銘柄教えろ。」

「 なにも考えなくていいと思う。」

「 前のヤツの言う通りじゃね。」

「 10円で買った株をすぐに9円で売る。
株のシステム上これは可能。」

「 俺に80万振り込め。」

「 とりあえず日経先物でもやればいい。」

「 80万でヘアアイロン買いまくって40代の髪型とか。
どうでも良さそうなおっさんに配って困らせ幼女。」

「 なんかお前らの案は儲かりそうにないな・・・。」

「 あ?」

「 おまえはなにをいってるんだ。」

「 減らしたいんだろ?」

「 えっ?何言ってんだお前 。」

「 質問、嫁。」

「 あっ・・・質問の桁が一桁少なかったwwwww
倍にしたいんだよwwww」

「 40万か!!」

「 40万となると難しくなってくるな。」

「 40万は微妙な加減が必要だな。」

「 200万だ!バーローw」

「 200万を40万か!」

「 200万も無くすと、お前借金100万だぞ!?
大丈夫か?」

「 -100万にするのは難しいな。
今すぐクレカで限度額めいっぱいまで下ろして、俺の口座に振り込め。」

「 200万を40万にしたいってことは、約分して100万を20万にしたいってこと?」

「 なんで、そんなに減らしたがるんだよ!」

「 200万を40マソか…。
これは一筋縄ではいかないな。」

「 だから、100万→200万にしたいんだよ!!」

「 100万を200万の損にしたいって・・・。
お金持ちはいいな。」

「 100万を200万にして20万にしたいのか?」

「 あれ?つまり100万が間違いで、20万は二倍なんだから、200万を40万にしたいってことか?」

「 アメリカの自動車関係の株買えよ。
big3あたりマジオススメ。」

「 もう~><
わからずや共め!!」

「 100万の資産を200万の借金にしたいってか?
まあ若いうちの苦労は買ってでもしろっていうからな。」

「 いやいやさっき言ってた二倍ってのは100万を200万にのことなんじゃないか?
だから20万はそのままだろ。」

「 ん、1000万を200万にしたいってこと?
このブルジョワが!」

「 お前らいい加減しろよ。
そろそろ真剣に考えてやろうぜ。
200万を20万にする方法を。」

「 株より、外貨預金の方が無難だよ。
円高だから、ユーロ、オーストラリアドル、米ドル、NZドルで20万ずつ外貨定期作って数年寝かせるのがぶなんかな。」

「 お前らみんな日本語学校へ通えや!!」

「 減らすことなんて誰だってできるだろ。
何故相談する・・・。」

「 おまえが数字を勉強しろよw」

「 なんかクオリティの高い減らし方聞きたいんじゃね。
歴史に残るような。」

「 どうだあかるくなつたろう やれよ。」

「 おいちょっと待てよ、おまえら!
まずは200万を20万にしたいのか、40万にしたいのか、はっきりさせようぜ!」

「 200万の借金にしたいんだろw」

「 俺もう20万前提で計画立ててるから、この際20万でいいじゃないか。」

「 ちょっとまて単位が書いてないぞ。」

「 難しい問題になってきたな。
考察の結果、ウォンか、ジンバブエドルか、ヘクトパスカルか。
この三つに絞られると思うんだが、どう思う?」

「 わかった・・・、100万ガバスだろ・・・。」

「 今は亡きミリバールかもしれんぞ。」

「 株や外為なんて、複雑そうにみえるが、実はすごく単純。
誰でも知ってるような原則、安い時に買って高い時に売る。
ホントこれを忠実に守ってれば金は増えてくばっかり。
みんなもうちょっと待てばもっと高くなる!とか、今は安くなっちゃったけど もうちょっとで戻る!とか、根拠のない妄想してるから損ばっかりしてるんだよ。
おれはこの基本を忠実に守り、2ヶ月で500万を300万にした。」

「 減ってんじゃねーか!!」

「 株じゃなくて妹なのかもしれん・・・。」

「 (´・ω・`)?」

「 目的達成だろ。」

「 妹ww不覚にもふいたじゃねーかwww」

「 妹で100万から20万か。
貢いでるな。」

「 妹はさすがに高いな。
俺は是非とも姉に投資したい。」

「 これってなぞなぞだろ?
200万→40万
ムズ過ぎる。」

「 100万円を株で200万円にしたい!儲けたい!!
言ってる意味わかる!?」

「 40万はどこいったんだよ!ふざけんな。」

「 100万円を妹で200万円にしたい!信者けたい!!」

「 こいつ妹の身体を売るつもりか…。
それで宗教を設立しようと…。
いかん!ともだちが誕生する前に俺が食い止めなければ!」

「 お前ら、きちんと読んでやれよ。」

「 あっ・・・質問の桁が一桁少なかったwwwww
倍にしたいんだよwwww」

「 一桁少なかったって言ってるだろ・・・。」

「 株で貯金の1000万を40万にしたいんだが。」

「 お前らだけで勝手に盛り上がってんじゃねーよ!!
少しは妹のことも考えてやれよ!酷いぞ!」

「 もっと全うな手段があるはずだ!
家族を犠牲にする考えは捨てろ!」

「 あーなるほど。
その発想はなかったわ。」

「 複利って知ってる?
意外と知られていないんだけど、銀行の金利も複利になるのよ。
つ ま り、
1000年くらい銀行に預ければ、200万位にはなるよ、余裕で。
計算してないけど。」

「 繊細な買い方が必要だな。」

「 おまえら 株=妹なんだとしたらだよ。
言ってる「銘柄」ってなんだ?
ポニテとかニーハイとか履いてないとか。」

「 1000年も生きてねーよ!!バカ野郎!!」

「 つまり、1000万円=40万円にしたいわけだな?
それをするにはお金の価値を25倍にすればいいよ。」

「 質問者がいない…………。
こんなに親切に教えてるのに。」

「 で、お前としてはどれを実践したいわけ?」

「 久しぶりにヌクモリティを見たのに質問者はなにを迷ってるというのか。
気兼ねせず選んでいいんだよ?」

「 どれもしたくねーよ!!タコ!!」

「 タコか・・・。
一匹80マソするタコなんてあるかな?」

「 価値は無くとも80万で買えばいいんじゃね?」

「 タコかあ。
おいしいよな。
この不況に借金したがるなんて、お前相当なドドMクンだな。」

「 結局、お前は何がしたかったんだよ!!!!!」

「 いやまて、質問者を見返すとオススメの銘柄と書いてあるが、オススメのパンツ柄の書き間違えではないだろうか。
蛸柄オススメ。」

「 って言うかお前らが何をしたいんだよ!?」

「 決まってるじゃないか。
お前の力になりたいんだよ。」

「 俺らはお前の為に100万を20万にしてやりたいんだよ!」

「 あぁ、これが人の温かさか…不覚にも涙ぐんでいる。」

「 おまえもか・・・俺もだよ・・・。」

「 俺が儲けるようにしろよ!!」

「 やだなあ、無理して儲けることないんだって。
お前は最初に言ったことを、曲げなくていいの!
ここにいるやつらなら、どんな難しいことでも 現実になるアドバイスくれるから、俺らのために意見曲げなくていいんだよ。」

「 俺が信者蹴るようにしろよ?
お前気持ちは分かるけど、日本じゃ宗教の自由が認められてるんだぞ。
さあ、もう一度冷静になって、200万→20万への道を皆で探していこう!」


















内定





卒業時の会話より、

「 内定決まったんだって?山一證券!いいよなぁボーナスいいんだろ?」
「 そういうお前だって雪印内定おめでとう、トップブランドじゃない。」
「 あ~、俺なんか今のところダイエーだけだよ・・・。」
「 何言ってるんだ?将来を見据えた独自の流通システムは安定の証だぞ。」

一同「 ま、いずれにしても、つぶれる心配だけはないってこったな!」

。・゚・(ノД`)・゚・。


















俺の人生(FXトレーダー)





23歳 国公立大学卒業で大手証券会社(山○証券)に就職
25歳 バブル期で入社3年目で年収1000万達成
26歳 3歳年下の子と職場結婚(嫁は本当に可愛いかった)
27歳 バブル崩壊で会社破綻で無職になる
28歳 不動産会社に転職、
29歳 娘の出産で1女のパパになる
30歳 その会社も業績不振で倒産となり、再度無職になる。このころから鬱の症状が出る
31歳 就職活動するも見つからず、アルバイト生活
32歳 定職につけず、嫁との喧嘩絶えず、とうとう離婚
33歳 欝の症状が酷くなり、引きこもり生活が続く
34歳 貯金もなくなり、生活保護受ける
36歳 周りのボランティアの支えで自分自身を徐々に取り戻す
37歳 小さな機械の製造工場だが、正社員で就職する
39歳 再婚して、普通の生活手に入れる
42歳 子供(1男1女)にも恵まれ、幸せな生活を送る
43歳 知人の勧めでFX始める
44歳 リーマンショックで全財産失う
45歳 リーマンの影響で会社からリストラ
46歳 無職のため、生活苦でサラ金の借金が膨大し、自己破産。それが原因で嫁と離婚
46歳 鬱の症状でひきこもり←いまここ


















2004年の夏




 何年前の話か忘れたが、知り合いのMが株をやりたいと言ってきて、アドバイスしてやったのが事の始まりだった。
Mは地元の工場でコツコツと働いてきたが、ためた金で相場をやるのが夢だったらしい。
 会社の早期退職に応募して仕事を辞めたのが53歳のとき。
俺は一応止めたのだが、Mは大手証券会社で口座を開き、信用まで申し込んでしまった(開いた時は在職だったのですぐに開けた)。
 当初資金3000万と退職金の一部の500万でスタート。
後で信用を開いたことを聞いた俺は、最初の1年間は維持率が、決して100%を切らないようにと念を押していたのだが・・・。

 待てよ、俺がアドバイスした会社だから大手じゃなかったか。
まあいいや、で、口座開いてから3ヶ月ぐらいたったある日、お茶でも飲まないかということでサテンで談笑したのだが、状況を聞くとトントンだという。
何を買っているの、と聞くとトヨタやソニー、新日鉄など日本を代表する優良企業ばかり。
まあ最初は皆そんなもんだろうと思いながら話をしていた。

「 そのうち上手くなれば利益も上がってくるだろう。取りあえず林輝太郎でも読んでみたら。」

で、その日はそれで別れたのだが、今度は半年くらい音沙汰がなく、俺も気になりかけたころにMから「久しぶりに話でもしないか」と電話がかかってきたんです。
 で、会って話を聞いてみると、「いやぁ、株って簡単だよな。ここ半年でかなり行ったぜ」と言う。
セルシオの新車を買ったというのでさすがに俺も興味が湧いてきて、一体なんの銘柄でそんなに儲けたんだと聞いてみた。

 そしたら返ってきた答えが、こともあろうに兼松日産農林。
(おいおい泰山かよ)
あんまり覚えていないが、その頃が4000円を超えてきたころだったと思う(面倒なんで各自当時のチャートみてください)。
 よくよく話を聞くと、3000円を越えてきた頃に初めて買って、見る見る上がるものだからどんどん現物買い増して信用で玉回してたみたい。
その後最終的には株価5000円超えたんだったかな。
 また1ヶ月ぐらいして、4500円超えてきたときに、俺もさすがに心配になってきて、
「そろそろヤバイよ。もう十分儲けたんだから手を引いた方が賢明だよ」とアドバイスしてやったのだが、「まだ行けると思うけどなあ。4000円の玉がしこたまあるから平気平気」って言うから、投資は自己責任だし、俺もそれ以上強く言うのもかえってアレかと思って、維持率だけはマジで気をつけた方がいいぞというのが精一杯。

 で、5000円超えたあたりで、さすがに今度は証券マンの方から電話かかってきて(まあちょこちょこ掛かってはきてたみたい)、
「Mさん、そろそろヤバイっすよ」とかなんとか言ってきた。
俺の記憶だと当時のM氏の現物がトヨタとかその辺が2割ぐらいで、後の8割が平均単価4,800円ぐらいの玉が1万5千株、信用の玉が2万株ぐらいだったと聞いた。
 で、証券マンがうるさいもんだからMがブチ切れしたらしく、「維持率あればいいんだろうるせーな」とか言って、老後の蓄えの定期預金解約して1000万ブチ込んだんですよ。

 それから数日してプチ暴落があって、さすがにビビっていったん現物だけ残して信用分はブン投げたんらしいんだけど、こともあろうにちょっと戻したところで信用ほぼ全力。
 そこからはもうご存知のように一直線で急降下。
暑い夏の日だったそうです。
案の定「追証貸してくれ」のラブコール。
俺だって1年や2年の株暦じゃないから、安易に追証なんて貸せない。
「現物も全部ブン投げても払えないのか?とにかく親族とか当たってみろよ」としか言えなかった。
後で分かった話だが、気のいい奴があまりのMの状況を見かねて500だけ都合してやったが、結果的にはとりっぱぐれた(後で遺族が相続放棄した)。


 後はもう想像してください。
ラブコールから1ヶ月か1ヵ月半くらいしてからの話だが、突然家から蒸発したらしく、家族が警察に捜索願いを出してた。
警察の方も事情が事情だけに、懸命に捜索してくれたらしいんですけど……。
 家は関西だったんですが、2週間後に山梨県警から府警の方に連絡が入ったらしいです・・・。
確認しにいった親族がいうには、鬼のような形相でこっちを睨み付けるように死んでたらしい。方法は実は俺も聞いてないが、首吊りではなかったらしく、悲惨な死に方だったと聞いた。
当然夏の熱い盛りで、2週間もほったらかしにされた死体は見るに耐えなかったと・・・。

 まあこんなの氷山の一角なんでしょうけど・・・。
遺族も一時期かなり取り乱したようで訴える、とか騒いでたけど弁護士にたしなめられてそれっきりみたい。
 忘れられない、親族の人が「あの死に顔だけは忘れられない。鬼のような形相というのはこういう顔を言うのですね」と言っていたのが。
そして、俺の記憶に残っているのは、葬式の帰り道のあぜ道で鳴く蝉の声と照り付ける太陽(全身黒なので暑かった)、はかない陽炎と元気に駆け回る近所の子どもたち。




















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11月23日(金)のつぶやき

2018-11-24 06:56:41 | _HOMEページ_




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日々の出来事 11月23日 風船おじさん

2018-11-23 07:00:00 | A,日々の出来事_





 日々の出来事 11月23日 風船おじさん






 今日は、風船おじさんが大空に旅立った日です。(1992年11月23日)
1992年11月23日、“風船おじさん”こと鈴木嘉和が、琵琶湖湖畔から檜の風呂桶ゴンドラにヘリウムガスを注入した風船26個を付け、アメリカネバダ州のサンド・マウンテンへ向けて飛び立ちました。
 このゴンドラは“ファンタジー号”と名付けられ、風船おじさんは“アメリカに行ってきます”と元気に言い残し出発しました。
しかし、翌日は携帯電話で連絡が取れたものの、2日後はSOS信号が発信され、海上保安庁の捜索機が探したところ、アメリカではなく、何故か宮城県金華山沖の東約800km海上を飛行しており、風船おじさんは元気に手を振りSOS信号を停止しました。
その後、捜索機は3時間ほど追跡しましたが、大丈夫と言うことで帰還します。
そして、それ以後、消息不明です。
 風船おじさんが、何故アメリカのサンド・マウンテンに向かったかと言うと、この山は“鳴き砂”の山として知られていましたが、環境破壊で砂が鳴かなくなったのです。
このことに対して、鳴き砂の保護をアメリカに訴えるために風船飛行を決行しました。








  ファンタジー号











     あなたが空を飛ぶための風船の個数



 一般的な直径28cmぐらいの風船にヘリウムを入れて、浮力が一個13gで計算すると、空を飛ぶための風船の個数は、決めることができます。



体重と風船の個数


□kg-□個

1-77    21-1615   41-3154   61-4692   81-6231
2-154    22-1692   42-3231   62-4769   82-6308
3-231    23-1769   43-3308   63-4846   83-6385
4-308    24-1846   44-3385   64-4923   84-6462
5-385    25-1923   45-3462   65-5000   85-6538
6-462    26-2000   46-3538   66-5077   86-6615
7-538    27-2077   47-3615   67-5154   87-6692
8-615    28-2154   48-3692   68-5231   88-6769
9-692    29-2231   49-3769   69-5308   89-6846
10-769   30-2308   50-3846   70-5385   90-6923
11-846   31-2385   51-3923   71-5462   91-7000
12-923   32-2462   52-4000   72-5538   92-7077
13-1000  33-2538   53-4077   73-5615   93-7154
14-1077  34-2615   54-4154   74-5692   94-7231
15-1154  35-2692   55-4231   75-5769   95-7308
16-1231   36-2769   56-4308   76-5846   96-7385
17-1308  37-2846   57-4385   77-5923   97-7462
18-1385   38-2923   58-4462   78-6000   98-7538
19-1462   39-3000   59-4538   79-6077   99-7615
20-1538  40-3077   60-4615   80-6154   100-7692


 ☆ 大空は、あなたのものです!!
















☆今日の壺々話






世間で流れている風船おじさんの噂話



・風船オジサンには多額の借金があって、出発前には連日ヤクザ風の借金取りが自宅に来ていた。
・風船旅行は借金から逃れる為の事実上の自殺だった。万が一成功してアメリカに着いたら世界中から取材が殺到するから、その出演料で借金を返済するつもりだった。
・複数回の離婚歴があり、風船旅行の直前にかなり歳の離れた若い女性と再婚し、多額の生命保険がかけられていた。だが、行方不明で死亡の確認がとれない為に未だに保険金は支払われていない。
・計算上はジェット気流の吹く高度まで上がれる筈だったが、出発直前にフ〇テレビが多額の取材費と引き換えに撮影機材を積ませた為に、その重さでジェット気流の高度まで上がれなかった。















風船




 今日スーパーに買い物に行ったら駐輪場で、自転車につけた風船を外そうと頑張っている親子がいた。
最初は、「あ~、つけたら外れなくなっちゃったのかな。」と思ったんだけど、そこに女子高校生?が登場。

「 あの~、私の自転車なんですけど~。」

風船ドロ発見!でした。
 何をしていたかを悟った女子高校生は、母親を尻目に子供に向かい、「ボク風船欲しかったの?頂戴っていえるかな?」と優しく言い、子供も「ちょうだい。」、「(もらってから)ありがと~。」と。

 そして逃げようとする母親に、「ちゃんとお礼が言えるいい子に、盗んだ物をあげるのはやめてあげてください。」と、ハッキリクッキリ言い切った。
すごいなぁ、女子高校生。
私は思ってても絶対言えない。


「 自転車に風船つけて走る女子高生!?、何者????」
















ミッキーの風船



 中学校の遠足でディズニーランドに行きました。
友人とミッキー型の風船を買って、帰りのバスに乗り込もうとしたら、

「 おまえら!何の為の遠足だと思ってるんだ!」

と怒られ、風船の空気を抜かれました。
行き先ディズニーランドで、一体何の為の遠足だったのか、いまだに解かりません。















黒い風船




 駅前に飯食いに言ったら、子供が黒い風船膨らましてたんです。
よく路上パフォーマーとかが使ってる、細長いヤツ。
 で、膨らませた細長い風船を股間に当てて、「パパの!パパの!」と連呼絶叫してました。
それやった瞬間、横にいた母親がナイスタイミングで、無言でスパーンって頭を週刊誌でひっぱたいてて、そしたらその子供がまるで怯むことなく、その細長黒風船をまた股間にあてて左右に振りながら、「色も!色も!」と連呼絶叫初めて、母親がまた無言でスパーンと・・・。














     風船カツラ



 何年か前、私はスキンヘッドに憧れていたが、女なので簡単に剃り上げるわけにも行かず悶々としていた。

ふと、小学校の頃、ちぎった新聞を水溶き糊にひたし、風船に貼って、張子を作ったのを思い出した。

 これでカツラが作れるのではないか、と急にワクワクした私は、善は急げとばかりに文房具屋で糊と風船と半紙(新聞の後、半紙で表面を仕上げる)と絵具を買った。

鏡を見ながら頭と同じくらいの大きさまで風船を膨らまし、ちぎった新聞をペタリペタリと 風船に貼った。

 一層目ではまだまだだった風船カツラが、層を重ねるごとに本格的になり、しっかりとして、ある程度の加工に耐えられるレベルになった頃、いよいよだな、と半紙を貼って仕上げに入った。
ここまでに半月かかった。

 十分乾燥させ、頭の形を想定しながら張子をカットし、絵具で自分の肌の色を観察しな がら色を作り、最後にニスを塗ってテカテカにした。

 完成品をかぶってみたら、多少いびつなでこぼこはあるものの、かなり本気くさいスキンヘッドが鏡の向こうからこちらを見ていた。

 あんまりうれしくて、写真を何枚も撮り、カツラも捨てるのが惜しくて大事に取っておいた。


 結婚して5年。
子供が忘れたはずのカツラをかぶっていた。
ぶかぶかだった。
慌てて自分の部屋へ行くと、夫がカツラの内部に保管していた写真を見て爆笑していた。
 そのまま飛び出して3時間ほど近所の河原を放浪していたら、血相を変えた父親に発見され、家に連れ戻された。
玄関でくしゃくしゃな泣き顔の夫が「ごめん、本当にごめん。」と謝ってて、蒼白な顔の私の両親が「何があったかしらんが、とにかく話し合いなさい。」と言った。
 カツラにまつわる過去の全てが恥ずかしくて飛び出したのに、さらに大事に発展してて 全ての事情を説明するのも、その場に存在するのも恥ずかしくて死にそうだった。















マンボウ型の風船




 数年前、ヘリウムガスを入れた魚型の風船が流行っていた。
私はマンボウ型の風船を購入したが、特にそれで遊ぶ訳でなく、その辺に浮か
していた。
 ある日、仕事から家に帰ってくると、母がこんな事を言った。
昼間、一階の居間にいたら階段をゆっくりと風船のマンボウが降りてきたのだ。
母がマンボウに「姉ちゃんは(私の事)は、まだ帰ってきてないよ」と言うと、マンボウはまたゆっくりと階段を上って行ったのだそうだ。

「 性根があるようだったよ!」(生きているようだった、という意味らしい。)

母は興奮気味に言ったが、風船に話しかけるあんたはいったいどうなんだ?
 2階に上がると、マンボウは私の部屋で何事もなく浮いていた。
特に怪現象はなかった。
 そして数日後、仕事から家に帰ってきた時、母が言った。

「 風船がおらんなったんよ。」

なんのこっちゃ?と思ったが、聞いてみると、こんな話だった。
 母と姪が一階の居間にいた時、またマンボウがゆっくりと階段を下りてきた。
そして居間を横切り、増築したベランダへの階段をゆっくりと上っていき、そのまま飛んでいったのだ。
母と姪が追いかけたが間に合わなかった。
家にいた何かが、マンボウに乗って出て行ったのだろうか?



うちも、風船が夜中に階段を上がってきた時はびびったことがある。
















エビって金魚鉢で飼える?





 0知識の初心者だけどエビって金魚鉢で飼える?
他にもヒーターとかポンプとか大掛かりな装置要らなくて、掃除も要らないようなアクアリウム生物って何が居る?(水草以外で)


魚の世話すらまともに出来ないガキンチョは、生き物飼うのやめようね。
オモチャのエビでも入れとけ。


・・・え・・・…!?


メダカ、ドジョウ、アカヒレ。


ミナミヌマエビとメダカを数匹ずつ、マツモをどっさり入れれば無加温無ろ過でいけると思うけど、無ろ過は水槽内の状態をきちんと把握できる上級者向け。
せめて水草いれようぜ。


皆さんの意見で検討した結果、エンゼルフィッシュの風船を買って部屋に浮かべる事にしました。
ありがとうございまいた。


なっ・・・・・・・・、なんだコイツは!













風船




 道でよく配っている風船。
ヘリウムが入った浮く奴から浮かない風船やら、近所の繁華街でやたら配っている。
4歳の息子を連れていると全く関係ない広告でも風船を差し出される。
息子は喜んでそれを受け取る。

しかしわたしは風船が大嫌い!

嫌いというよりも、怖い。
 いつ割れるか、どこで割れるか、何したら割れるか。
もらった瞬間からびくびく。
あまりにびくつくからいっそこの手で割ってやろうかと思う程怖い。
 しかも子供は風船を手でつかむ。
ゴム風船に食い込む細い指なんて見ると耳を塞がずにはいられない。
振り回し、鉄柵にぶち当たる様子を見るとどこかとんがった部分にひっかかりパーーンと割れるんじゃないかと直視出来ない。
風船配っているあのカブリ物した中の人が憎いっ!

 渋々家に持ち込まれた風船は、リビングを浮遊する。
風船の上に座ろうとする息子を悲鳴で止め、ガンプラの尖った角で刺すまいとガンプラを隠す。
それほど怖い風船。

息子「ねーママ、これ切ってもいい?」

 ハサミで紙を切っていた息子、もっと何か切りたくなっちゃったのか、チラシでも切ろうとしているのか?
と息子を見ると、風船をハサミで切ろうとしている息子。
冗談じゃなく逃げた。

息子「ねーー風船ハサミで切ってもいいー?」

た、確かにしぼんできているよ。でもまだ丸いよ!?
いいよいいよそんなに切りたきゃ切ればイイジャン!
切って驚けば良いじゃん!!
驚いて怖さを知れば良いじゃん!

 息子は何事も無いかのように風船を切り刻んだ。
どうやら相当しぼんでいたらしく、

「 パーーン!」

なんて音も出さず風船は絶命した。

 風船。
それは唯一息子が怖くないのに母が怖い物。
それを悟られてはヤバい。
今まで築いてきた地位が!地位が!

















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11月22日(木)のつぶやき

2018-11-23 06:53:58 | _HOMEページ_





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日々の恐怖 11月22日 裏拍手(3)

2018-11-22 20:12:54 | B,日々の恐怖






 日々の恐怖 11月22日 裏拍手(3)






 Aは以前にもまして寡黙になっていた。
何か話しかけられたら頷いたり、相槌を打ったりするが自分からはしゃべらないのだ。

「 何頼む?」

とBが聞いたが、頷くばかりで何が欲しいか言わないので、

「 まぁ、とりあえず生中頼んどくか!いらなきゃ俺が飲むしね。」

と頼んだ生中にも、つまみにも一切手をつけていなかった。

“ なんだか様子がおかしいな・・・。”

とは、俺ばかりでなく皆考えていたと思う。
 例えば、仕事がうまくいっていなくて鬱病とかになってるんではと俺は心配した。
俺はなるべく明るい調子で話しかけた。

「 しかしさ~、A君めっちゃ見た目若いよな!
うらやましいよ~!
俺なんてオッサンになっちゃって・・・。」

しかしAは曖昧に笑って頷くだけだ。
 すると、何人かが流れに乗って話しかけた。

「 いやそれ思ったわ!
全然変わってないじゃーん。」(笑)
「 老けないタイプっているんだねー!」

Aは相変わらず微笑んでいるだけだ。
幹事のBも盛り上げようと言葉を発した。

「 つーか、Aって石仮面でもかぶったァ~?」

それは、決して馬鹿にしようとか、本気でそう思っていったわけでなく単なるギャグである。















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日々の出来事 11月22日 芸術は爆発だ

2018-11-22 07:00:00 | A,日々の出来事_





 日々の出来事 11月22日 芸術は爆発だ





 今日は、鉄パイプを持った画家が大暴れした日です。(1980年11月22日)
1980年11月22日、東京都千代田区の東京国立近代美術館で、鉄パイプを持った売れない画家 山下要が“これらの絵はまっとうなものでない!”と叫びながら絵を壊し始めました。
 これに気付いた監視係が守衛を呼びましたが、守衛が駆け付けたときには、既に“チシアンのドンカルロス騎馬像”などの絵画作品約70億円相当が壊された後でした。
警察で山下要は、“ここでやらなければ、文句ばかり言い続けている負け犬になると思った” と供述しました。
このとき、杖を装って美術館に持ち込んだ鉄パイプは、若草色に綺麗に塗られ、先には小豆色の房が付いて芸術的に仕上げられていました。

 “ 芸術は、爆発だァ~!”












  コントルポアン 岡本太郎
















☆今日の壺々話










     消去法



「 将来、画家になったらいいか、詩人になったらいいか迷っているんだ。」
「 そりゃ、画家になりなさいよ。」
「 ぼくの絵を見たのかい。」
「 いや、君の詩を読んでみたんだ。」
















     日本昔話 “アヒル”




 昔々、ある農家の前で、画家が絵を描いていました。
すると農家から一羽のアヒルが出て来ました。
そして、画家に近寄って来て、卵を一つ産んで農家に帰って行きました。
画家はふと思い付き、卵を取り上げます。
そして、卵を七色に塗って地面に置いておきました。

 しばらくすると、雄のアヒルが農家から出て来ました。
雄のアヒルは画家の近くをウロウロしていましたが、画家の足元にある卵を見てギクリとして立ち止まりました。
そして、物凄く怒った様子で農家に戻り、雄のクジャクに決闘を申し込みましたとさ。
 めでたし、めでたし。
あ、めでたくは、無いか・・・・・。















オー・ヘンリー  “魔女のパン” 




 いつも乾いた古パンばかり買ってくやつれた客を、
パン屋の女主人が貧乏画家だと思ってて、
女主人はその男に好意を抱いていて、
きっと喜ぶだろうとバターをこっそり挟んでやったら、
実はその男は建築家で、
近々あるコンペの為に睡眠時間を削って設計図を描いていて、
設計図の誤った部分を消すのには消しゴムよりも古パンの方が適していたので、
いつも古パンを買っていたのだが、
コンペの前日、あと少しの所で古パンに挟まれたバターのせいで一世一代の設計図は台無しにされてしまいましたとさ、
って話。














ブルース・リー





 女子高に通う私が小3から密かにファンだった人、それは、キムタクでも、ブラピでも福山雅治でもなく・・・・。


『 ブルース・リー 』 


 寝巻きがカンフー着だったのは勿論のこと、部屋には彼の名言などが書いてある本、映画のビデオ、ブロマイドで溢れていた。
しかし、ここは女子高、ブルース・リーがアウェイなのは目に見えていた。

 当時私は美術部で、ある美術展の出品〆切が明日に迫っていたため、一人遅くまで残って絵を描いていた。
皆帰ったなぁ~、と思い、ふと立ち上がり背伸びをした時だった。

“誰も居イナイ→ここは広い教室→飛び蹴りの練習にもってこい”の図式が頭の中に。

気がつくと私は、

「 フォウアタ――ッ!!アタタタタッ――ホォォウ!」

とかいいながら、学校特有のあのデカイ黒いカーテンを標的に、飛び蹴り開始。
 その後、ついにはタオルをヌンチャクがわりに、

「 ホァタッ!ホァタッ!アタタタタ!」

と、もはや自分でも自分自身が止められなくなった、まさにその時だった。

「 ガチャ!!」

隣の準備室の扉が開いた。
 なんと、美術の先生だった。
初老の美術教師は、私の姿を確認すると静かに扉を閉めたのだった。

 その後、先生が旅行へいった時、美術部員にお土産を買って来てくれた。
私がもらったのは、NINJYAと書かれたスポンジ製のヌンチャクだった。
















誰か知りませんか?





 未だによくわからない番組?を観ました。
20年程前の話です。
 当時高校受験を控えていた私は朝型勉強に変えていて、その日も5時に起きていました。
テレビをつけても、当時その時間は何も放送されていませんでした。
ところが、その日、1局だけ放送されていたのです。
 美しい風景が映し出され、人は全く出てこないものの、どうやら昔話のようで、男性の語りだけが聞こえてきます。
語りの状況に合った美しい風景だけが次々と映し出されました。
内容はこうでした。


 ある1人の画家が、古民家にやってきてそこで暮らす事になりました。
(美しい山の中に1軒の古民家の映像)

ある日画家が絵を描きかけの状態で眠ると、次の日にはその絵が完成されていたのです。
(キャンバスの映像)

どうやらそれは、座敷わらしの仕業らしい。
 不思議の事にそれは何度も続き、完成された絵は飛ぶように売れ、いつしか絵が評価され、重要な絵を任される事になりました。
画家がいつものように絵を描きかけたまま眠ると、翌日、その絵は切り刻まれていました。

「 切り刻まれてはどうにもできない!!」

と、怒り狂った画家はガラス瓶を座敷わらしに向けて投げつけました。
(ガラス瓶が割れる映像)

翌日。
村人が画家の家を訪ねると

「 うわぁぁ…っ!!」

そして、天井から吊るされた先が輪になった縄が映り、

「 あぁ…前の主人と同じ死に方だ…。」

そこで、突然画面は吹雪の夜の雪山と山小屋になり、

「 …冬の夜はまだまだ長いです。ほら、あなたの後ろにも…。」

そして、何の前触れもなく、画面は砂嵐になりました。
 本当に怖かったです。
新聞にも載ってなく、学校で聞いても皆どこのテレビもやってなかったと言うだけ。
私が観たのは何の番組だったのでしょうか?




 どこの局だったか覚えてないですか?
覚えていたら、その局に問い合わせてみるのも手だとは思うのですが・・・。
20年以上も前の事をそれ程鮮明に覚えていらっしゃるのは、よほど怖い思いをしたのでしょうね。




 どこの局だったかは覚えていないというか…テレビ朝日だったような気がするのですが、自信がないのです(;^_^A
 他の局は、当時湾岸戦争真っ只中で、「湾岸戦争関連ニュースは○時から放送致します」みたいな映像が流れていました。
やはり、正体はわからずに終わってしまいました。





















 秋口の頃だったか、俺の勤めてる会社の社長の菩提寺が建物の一部を修復するとかで、俺も含めて若い社員が5、6人と監督役の係長が一人、荷物の運搬を手伝いに行かされたことがあった。
本来は休日である土曜日に、だ。

 ご本尊の裏にある位牌やらなんやらを丁寧に梱包して箱詰めしていたまでは良かったんだが、なんか妙に気になる物がある。
あからさまに額縁入りの絵画なんだけど、布被せてある。
それも複数枚。
 黙ってスルーしてれば良かったんだろうけど、やっぱり気になる。
そんでもって住職の息子さんに聞いてみた。

「 これ、絵ですか? 
なんでこんな風にしてあるんです?」

って。
 そしたら息子さん、カラカラと笑いながら、

「 ああ、それは皆『曰くつき』の絵です。
だから、うちで預かってるんですよ。」

って事も無げに言う。

「 あ~、ははは、そうですか~。」

聞かなきゃ良かったなあ、とプチ後悔しながら作業に戻って、やがて夕暮れになった。
 会社の大型ワゴン車二台分くらいのダンボール荷物を乗せたまま山道(田舎の高所にある寺だったので)を下って、その途中道の駅で食事をすることになった。
食事しながら係長に、

「 そういや、あの荷物どこに下ろすんですか?」

と聞くと

「 会社の倉庫。」

だと。

“ えー、なんか怖いじゃん。
やだなあ、位牌まみれの倉庫で在庫調べるのは・・・・。”

まあ、んなこと言っても仕方が無いので、会社に戻ってから倉庫の一角に荷物下ろして、それじゃあお疲れ様、という運びになったんだけど・・。

 ホントに嫌だったのは、その翌々日。
つまり月曜の夕方。
うちで注文した資材が入荷したんで、倉庫に運んだんだ。
 すると、例の位牌ダンボール箱のひとつが蓋開いてる。
そればかりか、なんか見覚えのある布の被った絵が、そのダンボールに立てかけてある。

“ うわマジで洒落にならん!”

と思ったけど、気になるなんて生易しいもんじゃないから、一応確認してみようと思った。
 布をそーっと捲って見てみると、女の人の肖像画だった。
肩口から上がモナリザみたいな構図で描いてある絵。
 ただ、まあ、さすが、寺で預かるだけのことはある。
ひとごろしみたいな目がこっち睨んでて、唇の端がきゅーっ、と笑いの形に吊り上ってる。
十人に聞いたら十人が「気持ち悪い」と言うであろう表情。
描いたやつの気が知れない、というレベルのヤツ。

 速攻で倉庫を出て、係長に進言した。

「 持ってきたはずの無い絵があるぞ!」

ちょっとした騒ぎになった。
 すぐにその時の面子が倉庫に集められて、

「 これ、誰が持ち込んだんだ?」

と質問。
そしたら、隣の部署の新人が手を挙げる。
 最早、彼以外の全員が「????」状態。
だって、そんなもの運べなんて誰も指示してない。
なんで、そんなことしたのか?

新人「 良く覚えてないんですけど、俺が入れたような気がします。」
係長「 気がした、ってのはどういうことだ。」
新人「 すみません、良く覚えてないんです。」
係長「 ・・・・・。」
俺 「 土曜日、ここに運んだ時は箱には封がしてあっただろ。
   開けたのは、誰なんだ?」
新人「 あ、それも僕です。」
俺 「 なんで? 
   今日、あの寺から荷物の問い合わせでもあったの?」
新人「 いえ・・・・。
   昨日、ぶらっと会社に来てこの絵を見てたから・・・・。」
係長・俺・その他「 ・・・・・・・・・・・・!」

 つまり、そいつはわざわざ嫌な絵を運んできたばかりか、日曜日に会社に来てその絵を眺めていたらしい。
休日で誰もいない会社の倉庫で、一人で。
 しかも、彼は自分がそういう行動をとったのは覚えているのに、“何故そんなことをしたのか”、がどうしても思い出せない、とのこと。
この時点で俺は鳥肌立ちまくり、係長も“こりゃヤバい!”と判断したらしく、すぐ寺に連絡した。

 後で聞いたら、電話の向こうで住職の息子さんがこんなこと言ってたらしい。

「 ああ、付いていっちゃいましたか。
その人を怒らないであげてください。
悪いのはその絵ですから」

手伝いメンバー全員が寺に持っていくことを拒否したため、返却は運送屋さんに任せました。
泣く泣く再梱包したのは、その新人でした。

















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11月21日(水)のつぶやき

2018-11-22 06:52:39 | _HOMEページ_



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日々の出来事 11月21日 気球

2018-11-21 07:00:00 | A,日々の出来事_






 日々の出来事 11月21日 気球






 今日は、モンゴルフィエ兄弟が、パリで初めて気球による有人飛行に成功した日です。(1783年11月21日)
モンゴルフィエ兄弟は、焚き火の煙を紙袋に溜めると、紙袋が浮かび上がることに気が付きます。
 1782年ごろから、モンゴルフィエ兄弟は気球の実験を重ね、1782年12月14日には絹製の袋を使い、高度250mまで上昇させることに成功します。
この時、気球は風に飛ばされ、飛んできた気球を見た村人は、“空からお化けが落ちてきた”とビックリしました。
 1783年6月5日には、アノネーでリンネル製の袋を使って実験を行い、気球を高度2000mまで上昇させました。
この当時、“どうして煙を集めると気球が上昇するのか”は分からず、モンゴルフィエ兄弟はこれを煙の中に上昇させる成分が入っているものと考えていたので、この上昇成分を“モンゴルフィエのガス”と言っていました。
 1783年9月19日には、ルイ16世の見学のもと、モンゴルフィエ兄弟は、気球に吊り下げた籠にアヒル・ニワトリ・ヒツジを入れ、気球を上昇させても上空に酸素があることを示し、勲章を与えられます。
 そして、動物実験に成功したモンゴルフィエ兄弟は、1783年11月21日、初めての気球の有人飛行に成功します。
この実験はパリで行われ、フランソワ・ダルランドとピラトール・ド・ロジェを乗せた気球は100mまで上昇、パリ上空の9kmの距離を25分間に渡って飛行しました。
現在、遊園地などで見られる熱気球の原型が、このとき初めて出来上がったのです。








  気球
















☆今日の壺々話









  ジョーク1 “経済学者とビジネスマン”


 二人の男が気球に乗っていました。
風向きが悪く、気球はどんどん流されて、二人の知らない土地にきました。
彼らは高度を下げ、道を行く一人の男に声をかけました。

「 すいませーん。
 私たちは今、何という場所にいるんでしょうか?」
「 あなたたちは気球の中にいますよ~。」

それを聞いて一人が言いました。

「 あいつは経済学者に違いない。
 言っていることは正しいが、何の役にも立たない。」

それを聞いた地上の男は言いました。

「 そう言うあなたたちはビジネスマンに違いない。
 私より見通しのいいところにいながら、自分がどこにいるのかも分からない。」













     ジョーク2 “気球”


「 うわ~っ、大変だ、バーナーが壊れたァ~。」
「 落ちるゥ~~!!」

二人の男を乗せた気球は、深い谷底に落ちて行きました。
そして、谷底に落ちた二人は、脱出する方法を考え始めました。

「 ここは、何処なんだろう?」
「 分からないな・・。」
「 大声で助けを呼べば、谷にこだまして誰かに声が届くかも知れない。」
「 そうだな、取り敢えずやって見よう!」

二人は大声で叫びました。

「 お~~~い、ここは何処だァ~~~?」
「 お~~~い、助けてくれェ~~~~!!」

しかし、しばらく待っても、何の返答もありません。

「 やっぱりダメかな・・・。」
「 そうだなァ、もう、叫んでから15分も経っている・・・・。」

その時、返事が返って来ました。

「 君らは、谷底だァ~~~~~~!!」

一人の男は喜びました。

「 やったァ~、これで助かる・・。」

でも、もう一人の男は諦め顔をしていました。
不審に思った男は尋ねます。

「 どうしたんだ?
 もう直ぐ助かると言うのに・・・・。」
「 いや、もう、最悪だ。
 あいつは、数学者に違いない。」
「 どうして?」
「 理由は、3つある。
 一つ目は、ヤツは答えるまで長い間考えていた。
 二つ目は、ヤツは与えられた条件から論理を正しく組み立てた。
 三つ目は、ヤツはそれが絶対正しいと確信したから答えを言ったんだ。」
「 じゃ、大丈夫だろ?」
「 いや、数学者だからなァ・・・。
 もう、答えに満足して家に帰っただろうな・・・。」













ジョーク3 “分析”



 ある女が、気球飛行中に風で地図を飛ばされてしまった。
目視では進むべき方向がわからなかったため、仕方なく、眼下を歩いていた男に呼びかけた。

「 すみません、ここがどこだか教えていただけませんか。
一時間前には戻っている約束をしているのですが、迷ってしまって・・・。」

男は、こう答えた。

「 あなたがいる場所は、ざっと見て地上三十メートルほどの上空です。
位置としては、北緯三十六度三十分と三十五分の間、東経百三十九度四十五分と五十分の
間というところでしょう。」

これを聞いて、女は尋ねた。

「 失礼ですが、ご職業はエンジニアでいらっしゃいませんか?」
「 そうです、なぜわかったのですか?」
「 今いただいた情報はきっと理論的には正しいのでしょうけれど、数字は解釈の仕方がわからないと役に立ちません。
現に私は相変わらず迷っていて、問題は何も解決されていないからです。」

すると、男はこう言った。

「 あなたは、プロジェクトマネージャーでいらっしゃいませんか?」
「 ええ、そうですが、なぜおわかりに?」
「 まず、あなたは自分が今いる位置も、自分が向かっている方向もわかっていない。
さらに、守れもしない約束を自分でしておきながら、私に問題解決を求めている。
要するに、置かれている状況は私と会う前とまったく変わっていないのにもかかわらず、あなたは、さりげなく全部私のせいにしているからです。」















ブタの丸焼き




 幼稚園の頃、庭でみんなが鬼ごっこや砂遊びをしているのに、私はいつも一人で隅っこの鉄棒にぶらさがっていた。
両手両足で鉄棒にしがみつき、空を見ながらゆらゆら揺れていた。
 先生に「何をしてるの?」と聞かれて、「ブタの丸焼き」と答えた私。
きっと他の子みたいに子供っぽく騒いだりせず、ブタになりきって青い空を切なく見上げる自分に酔っていたんだと思う。

 今、考えると意味不明。
なんであれがかっこいいと思っていたんだろう。
消し去りたい過去のひとつ。














チクワ



 完全に鬱なとき、あんま考え込まないほうがいいよ。
天気いいから、嫌なこと忘れて屋上とかで寝転がってチクワ咥えて深呼吸とかするといいよ。
空気がチクワの味になる。
チクワを食べてないのにチクワ味が楽しめる。
 15分くらいで全体的に乾燥してきて味しなくなるけど、唾でぬらせばまたチクワ味の空気が復活する。
チクワを咥えながら、チクワ味の空気のようにお金も増えたらいいなって、青い空と雲を見ながら考える。
きっと、すごいアイディアが浮かぶ。
もし浮かばなくても、チクワ味が楽しめるし嫌なこともちょっと忘れられる。














空飛ぶ目玉



 空を飛ぶ巨大な目玉というイメージの源泉は、19世紀フランスの画家オディロン・ルドンの “眼は奇妙な気球のように無限に向かう”という版画にある。
 水木しげるのバックベアードをはじめ、 多くの目玉モンスターがこの作品を発想の原点として生まれている。
日本では、文豪芥川龍之介の妖怪画巻、化物帖の一目怪がやはり強烈な影響を与えている。
 だが目玉モンスターの源泉はもっと古く、西洋で古代から信じられていた、
毒を持った視線“邪眼(邪視)” を避けるために家の庇や船体などに描かれる“魔除けの目”が独立したものと考えられる。
この場合、モンスターの属性は“邪眼”、外観は“魔除けの目”というかたちを取ることが多く、 ファンタジーに登場するビホルダー等の怪物に、その現代的な姿を見出すことができる。

 古代より世界中で、一つ目の怪物の存在が信じられていたが、これは“隻眼の神”が零落して恐れられるようになった姿と考えられている。
隻眼の神とは鍛冶の神であり、鍛冶職人が火を見つめ続けるために片目を潰してしまう職業病を患うことが多かったことの反映である。
 日本の一つ目妖怪“一本ダタラ(たたら=鍛冶場)”、“山ン爺”、“雪入道”などがこれに相当する。
ギリシア神話の単眼巨人キクロプス(サイクロプス)も元々は神々の鍛冶師であり、かつ宝の守護者であった。
 なお単眼の怪物の多くは鼻がなく、額に一本角を持っているが、これは単眼症という。
奇形児の顔には鼻がなく、額に突起(本来なら鼻になるはずだった部分)があることと関係すると見られている。
 また民族学者・柳田国男は一つ目小僧を、古代の日本で神に捧げる生け贄の人間の逃亡を防ぐために片目を潰す習慣があったことと関連付け、生け贄にされる代わりに、その日までは犯罪を犯すことを許された
人身御供を、一般の人々が鬼として恐れたことの名残りだと説明している。
 神話に登場する巨人や龍などの巨大な怪物は、多くの場合、暴風雨など天災の形象化と考えられている。
それでは単眼巨人の一つ目は台風の目を現わしているのではないかとも考えられるが、実際に地上から台風の目がはっきり円形に捉えられることは少なく、これは単なる偶然である可能性が高い。















昔の記憶



 小学校低学年くらいの時の話
近所の同学年の友達数人が隣のアパートの外階段で何やら騒いでいるのでそこへ行ってみた。
皆が指差す方を見ると、向こうの空にビルの給水タンクみたいなものが浮かんでいるのが見えた。
誰かが双眼鏡を持ち出してきて、自分もそれを覗いたが、やっぱり給水タンクみたいだった。
でも空に浮かんでる。
一人が「あれは○○帝国の円盤だよ」なんて言ってた(○○の部分は憶えてない)

 後になって母親に「アレ何だったんだろうなー」と言うと母親は、「あれ気球だったでしょ。あんたを自転車の後ろに乗せて見せに行ったじゃない」と言うが、おれには母親のチャリでそんなもんを見に行った記憶は無い。
















風の神さんの落し物



 明治十年(1877年)5月23日のお昼過ぎ、千葉県東葛飾郡堀江村(浦安市)の小さな漁村で、それは起こります。

 朝からの漁も終わり、船や網の手入れなどしながら、村の漁師たちが浜辺でおしゃべりをしてる・・・そんな、のどかな、いつもと変わらぬ風景の中、ふと、空を見上げると、北西の方角から、何やら巨大な物体が近づいてきます。

「 何じゃ?アリャ。」
「 クラゲのバケモンか?」

 それは、空から落ちてくる・・・というよりは、ふわりふわりといった感じで、ゆっくりと降りてきます。
やがて、それは、浜辺にストンと・・・。
近づいてみると、いやはや、思った以上に大きい。

 その物体の高さは九間(約16m)、幅五間(約9m)、周囲十七間(約30m)。
大きな球形の物体で、全体に太い綱が張り巡らされていて、その綱の内部には、綱に沿うような形で、猫の皮のようなヌメっとした白い物が納まっています。
 しかも、その綱の内側の物は、クラゲのようにブヨブヨ・・・。
おりからの風にあおられ、物体は、浜辺の上を回転しながら、あるいは、ズルズルと引きずられるように動き回ります。

 知らせを聞いた村人が続々と集まってきて、浜辺は大騒ぎです。

「 なんや、ラッキョウの化け物みたいやな。」
「 いや、デッカイ袋のようやで。」
「 ひょっとしたら、風の神さんの落し物やないかい?」

 そう言いながら、はじめは遠巻きに見ていた漁師たちも、やがては、そのヌメヌメした皮の部分をさわりはじめる者、船の櫂(かい)でつっつきはじめる者・・・イロイロです。
 しかし、コチラをつっつけば、アチラがポコンと膨れあがり、アチラをつっつけば、またコチラがポコンを膨れあがり・・・やがて、力自慢の若者が、「オリャ~」とばかりに力任せに蹴りあげると、鈍い音とともに、皮が破れたかと思うと・・・プシュ~ッ!!!
その裂け目から、大量の臭いにおいの空気が、風のように吹き出しました。

「 うわぁ!毒吐きよった!」
「 逃げろ!逃げろ!」

もう、腰を抜かす者。
あわてて転ぶ者。
毒気をあびて倒れる者。
あたりは騒然となります。

 で、後に判明するのですが・・・。
実は、この明治十年という年・・・そう、頃は、ご存知、西南戦争の真っ只中であります。

 その西南戦争が始まったばかりの3月に、西郷軍に包囲された熊本城は、何とか籠城作戦で守りきり、その後の田原坂での勝利によって無事だったもの、50日間という長きわたって、城は孤立状態となり、中と外でまったく連絡が取れないという、とても危険な状態となっていました。
そこで、新政府軍は、緊急時の連絡用の新兵器の開発を馬場新八に依頼していたのです。
 それは、奉書紙(ほうしょがみ・キメの細かい厚手の和紙)、130反(1反=約11m)をミシンで縫い合わせ、表面にゴムを塗った風船状の物で、中に蒸気ポンプで瓦斯(ガス)を送り込み、綱を編んだ物をかぶせて、その綱から伸びた先に、籠を取り付け、そこに人間が乗って、空を飛ぼうというシロモノでした。

 つまり、軍事用の気球だったという事です。

 明治十年(1877年)5月23日、築地の海軍兵学校で行われた実験では、海軍はもちろん陸軍の軍人・関係者が多数見守る中、金杉の瓦斯会社から運ばれた瓦斯を注入された2個の気球が、空高く舞い上がる・・・予定だったのですが、残念ながら、一つの気球は、飛行直前に破裂。
で、もう一つが、上記の大騒ぎの気球だったわけです。

 コチラは、飛ぶには飛んだものの、つないでいた綱が切れ、あれよあれよという間に、風に乗り、東南の空へと消えてしまっていたのでした。

これが、日本初の気球の実験でした。

 結局、この西南戦争で、実際に気球が使用される事はありませんでしたが、その後、気球は、イベント用の見世物として、一般の人々の知るところとなります。

 やがて訪れた暗い時代には、日露戦争で偵察用に使用されたり、太平洋戦争の風船爆弾として、その技術が、軍事用に引き継がれていく事になりますが、現在は、ご存知のように、夢あふれる乗り物として、その飛距離を競うスポーツとしてもお馴染みですね。
 それにしても、何も知らされていなかった明治の頃の一般庶民は、さぞかし驚いた事でしょうね。

「風の神さんの落し物」、なんだかわかる気がします。
















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11月20日(火)のつぶやき

2018-11-21 06:55:32 | _HOMEページ_




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日々の出来事 11月20日 トロフィム・ルイセンコと遺伝

2018-11-20 07:00:00 | A,日々の出来事_






 日々の出来事 11月20日 トロフィム・ルイセンコと遺伝






 今日は、トロフィム・ルイセンコが亡くなった日です。(1976年11月20日)
トロフィム・ルイセンコは、1898年生まれのウクライナ出身のソ連の農学者です。
 ルイセンコは、低温処理によって春まき小麦が秋まきに、秋まき小麦が春まきに変わることを、環境の操作により植物の遺伝性が後天的に変化したものと考え、メンデルの遺伝学を否定しました。
 そして、この後天的に獲得した性質が遺伝すると言うルイセンコ学説は、マルクス・レーニン主義の弁証法的唯物論を証明するものとしてソ連政府に支持され、ルイセンコはソ連農業アカデミー総裁等の多くの政治的要職を歴任するまでに至ります。
さらに、1948年以降は、ルイセンコ学説はソ連生物学界の公式見解として承認されてしまいます。
そして、ニコライ・バビロフのように、この学説に反対する生物学者は追放されたり、強制収容所に送られるなど粛清されました。
 その後、ルイセンコ学説は他国の大きな批判を受ける中、ソ連内の政治的権力の失墜と共に徐々に力を失い、DNAの構造や機能が解明されて行くにつれて、支持者はいなくなりました。
この悲劇は、政治的イデオロギーが科学に介入するとろくでもないことが起こると言う典型的なケースと考えられます。







  トロフィム・ルイセンコ















☆今日の壺々話







インターン医学生




「 イテテテ、先生、早く治療して下さいよォ~!」
「 えっと、この症状は・・・・・。
 あ~、弱ったなァ~。
 初めての患者だからなァ~。
 緊張するなァ~。
 あ~、何から聞けばよかったのかなァ~?」
「 先生、早くして下さいよォ~。」
「 そうだ、そうだ。
 教授の注意を思い出さなきゃ・・・。
 ん~と、この場合、教授は、どう言っていたか・・・?
 え~、何だったかなァ~。
 あ、思い出した!
 まず、患者の遺伝歴を聞かなきゃ!」
「 先生、まだァ~~。」
「 え、いや、もう、大丈夫!
 それじゃ、質問します。
 えっと、あなたのお父さんやおじいさんも、馬に蹴られやすかったですか?」

















血液型






 身近にいたO型とO型の夫婦から生まれた子供がA型・・・・・。
子供が知り合いだったが、家族で大騒ぎ!!

母親「私は浮気してない!アナタでしょ?浮気したのは!」
父親「俺もしてない!つか俺が浮気したら、生まれるのはよその女からだ!」
母親「あぁ~そうか・・・。」


注、このA型の子のパターンは非常に稀ですがあります。

















米寿




 祖母の米寿で親戚が集まっていたんだけど、私がこれからデパートに買い物に行くと言うと、すぐそばの馬券売り場で、馬券を買ってきて欲しいと頼まれ、軽くOKしちゃったら、ワシもオレもと8万も集まってしまって、これは危ない、絶対に番号とか間違えられない、と超緊張して馬券売り場に向かった。
 
 マークシートを塗りつぶす手もブルブルと震え、しかし完璧に購入! やった、私は天才!
・・・・でも、馬券、全部取ってくるの忘れちゃった。
 戻ったけど、もうない。
かなりの涙目で親戚の家に帰り全てを告白、静まり返る祝の場・・・・・。
 しかし、一人のおじさんが、

「 よし、皆で競馬を見よう!」

と言い全員で競馬を見る事に。
中には超万馬券も含まれ、皆は手に汗を握り、自分の購入した馬が負けるように渾身の応援。

結果は、購入馬券、全部ハズレ!

「 やった!やった!!逆転無罪!」

親戚はハイタッチとハグで喜びを爆発させ、祖母は泣き、私は胴上げされた。

私が人生で一番輝いた日だった。

でも、良く考えると、頭が弱いのは遺伝だと思い知らされた日でもあった。

















遺伝学に基づく禿げ家系診察速見表





★遺伝学に基づく禿げ家系診察速見表★(Xhが禿げ遺伝子、Xa、Yは正常染色体)

男:XaY=普通の髪(・∀・)    XhY=禿げ(´・ω・`) 
女:XaXa=禿とは無縁(・∀・) XhXa=禿げ因子アリ(´・ω・`)
  XhXh=健常一族を禿げ一族へと豹変させる呪いの遺伝子 ('A`)

①父方禿げ×母方普通の場合(XhY×XaXa)
 娘は100%XhXaとなりはげ遺伝子を保有する。ただし、発症はせず。
 息子は100%XaYとなり、禿げ遺伝子は途絶える←勝ち組(禿率 0%)

②父方普通×母方禿げの場合(XaY×XhXa)
 娘は50%の確率でXhXaかXaXaとなる←禿げ家系か途絶えるかの分かれ道。
 息子は50%の確率でXhYかXaYとなる←禿げるか禿げ家系脱出かの分かれ道。 (禿率 50%)

③父方禿げ×母方禿げの場合(XhY×XhXa)
 娘は100%禿げの系統を受け継ぐ、しかも内50%はXhXhの最強禿げ遺伝子を持つ。
 息子は50%の確率でXhYかXaYとなる←両方禿げの奴はこの50%にかけるべし。 (禿率 50%)

④最悪のケース、父方禿げ×母方禿げ(最強型)の場合(XhY×XhXh)
 娘は100%XhXhの最強禿げ遺伝子を持つ。←呪われた家系
 息子は100%XhYで禿を発症する←ご臨終 (禿率 100%)

⑤父方普通×母方禿げ(最強型)の場合(XaY×XhXh)
 娘は100%XhXaとなりはげ遺伝子を保有する。
 息子は100%XhYで禿を発症する←親父禿げてないのに('A`) (禿率 100%)















人生の確率






●交通事故で死ぬ確率 0.003%
●過労で死ぬ確率 0.0003%
●合コンで出会った相手と結婚する確率 8.8%
●社内恋愛する確率 37.5%
●夫が浮気している確率 50%
●結婚できない確率 12.6%
●プロ野球選手と結婚できる確率 0.001%
●できちゃった結婚する確率 63.3%
●夫の収入が妻より低い確率 4.1%
●婿養子になる確率 1.4%
●ほぼ毎日セックスしている確率 3.3%
●Jリーグ選手になれる確率 0.18%
●ニートになる確率 2.2%
●正社員ではなくなる確率 28%
●転職で給料が上がる確率 55.6%
●年収1000万円以上稼ぐ確率 7.3%
●都心に新築マンションを購入できる確率 0.4%
●定年後もいまの生活水準を保てる確率 12.9%
●ホームレスになる確率 0.02%
●自己破産する確率 1.5%
●オレオレ詐欺でだまされる確率 0.008%
●保険金目当てに殺される確率 0.00002%
●盗聴されている確率 12.9%
●裁判員に選ばれる確率 0.02%
●震度6以上の地震に見舞われる確率 86.3%
●エレベーターに閉じ込められる確率 1.8%
●落雷被害にあう確率 0.00003%
















青い眼のオッサン




身体の大きなクマみたいな青い眼のオッサンが、こんなこと言ってた。

「 日本ってのは没個性というより鏡なんだ。
 拝金主義者が見れば拝金主義者に見える。
 スケベが見ればスケベに見える。
 好戦的な者が見れば好戦的に見える。
 差別主義者が見れば差別主義に見える。
 けれど礼儀正しい者が見れば礼儀正しく見える。
 優しい者が見れば優しく見える。
 好奇心旺盛な者が見れば好奇心旺盛に見える。
 義理堅い者が見れば義理堅く見える。
 みんなの言うことを聞くとわけわからないよ。
 確かに日本人は、相手に染まりやすいね。
 けど一枚の鏡だと思えばどうだい?
 日本人がどう見えるか聞けば、そいつがどんなヤツなのかわかるんだ。」
















遺伝





 6~7年前銭湯で幼稚園ぐらいの女の子に、
「パパー この人のちんちん大きー!」
と指をさされて大声で言われた。
 確かに俺の息子は大きい方だったが、指をさされたのは初めてだった。
俺は特にタオルで隠すことはしなかったので、特に目立ったのだろう。
その子のお父さんは「すみません」と恥ずかしそうに謝っていた。
 しかし、それだけでは終わらなかった。
俺が体を洗っているとその女の子が友達の女の子2人を連れてきて、
「ほら、この人のちんちんとっても大きいんだよ。」
とわざわざ見に来た。
 お父さんが「やめなさい」と言ったのと同じくらいに女湯の方から、
「○○ちゃ~ん、なにお話してるの?」
と同じくらいの女の子の声が聞こえてきた。すると、
「この人、とってもちんちんが大きいの。ゾウさんみたいなの。」
とありったけの大声で叫んでいた。
それで男湯、女湯の両方からくすくすと笑い声が聞こえた。
 俺はとんでもなく恥ずかしくなって、石鹸を流して早く上がろうと思い立ち上がったとき、不覚にも勃起してしまった。
その場にいた女の子3人から「わっ!」と声が上がり、
「○○ちゃ~ん、大変~、この人のちんちん上にいっちゃったの~、パオーンしてるの~!」
と女湯に向かって叫んだ。
 男湯・女湯同時に大爆笑がおこった。
その女の子達は「すごーい! すごーい!」と俺の息子に向かって拍手をしていた。
それを見た男湯の人たちがさらに爆笑し、その爆笑につられて女湯でもいっそう大きな銭湯中が爆笑の渦となった。
俺は逃げ出すようにして銭湯から出て行った。















沖縄




 母の婆ちゃんは沖縄の巫女(?)の家系、婆ちゃんはそれが嫌で沖縄を飛び出した
うちの母は一人沖縄に預けられる予定だったが、出港寸前に婆ちゃんが思い止まり日本につれていった
 母は幼少期いろいろ見えないモノが見えていたそうだ。
木の上、街角、部屋の隅 、なにかしら見えていたらしい。
 けど、出港前に長老みたいな婆ちゃんに呼び出された。
古びた大きな屋敷の広間。
掘ごたつのようになったところに座る長老。

「 こっちにこい。」

と言われて隣に座った。
 そこで記憶が途切れているそうだ。
沖縄の記憶はそこまで。
そこからは福岡で暮らした記憶しかないらしい。
それ以来、何かが見えた事は一度もないそうだ。
















鹿




 私のおじいちゃんのご先祖様は、北海道の開拓時に青森から北海道にやってきた開拓者。
そのご先祖様は動物が大好きで、子供のころからあらゆる動物に懐かれていたらしい。
道端で死に絶えている犬や猫を見れば手厚く葬った。
それは北海道にきても同じだった。
 北海道に来て数年経ったころ、ご先祖様は一頭の鹿が倒れているのを見つけたらしい。
その鹿はまだ生きていて、足を怪我していた。
ご先祖様はその鹿の足に薬を塗って、水を飲ませた。
鹿は、大きく、とても毛並みの良い美しい鹿だったらしい。
 数日後、ご先祖様が前に鹿が倒れていた場所に行ってみると、ずっと遠くの林の隙間から、とっても大きな立派な鹿がこちらを見ていた。
その鹿の隣に、ご先祖様が助けた鹿もいた。
ご先祖様は美しい鹿に見とれていたら気を失い、次に気が付くといつの間にか家に帰っていた。
 それからというもの、ご先祖様にピンチが訪れると、夢に助けた鹿と、もう一頭大きな美しい鹿が現れ、ヒントをくれたりしたらしい。
 私は過去に2回その鹿が夢に現れた事がある。
ヒントをくれるわけでもなく、ただこちらをじっと見てるだけで、鹿二頭の背景が変わったり、一緒に森を歩いていたり。
私が見たのはこの2回だけ。
 おじいちゃんは、亡くなる前に、迎えに来てくださった、と呟いていた。
病院に入院していたとき、おじいちゃんは、ご先祖様の助けた鹿は、北海道の鹿の神様の嫁だったらしいと言っていた。
あと、私は無条件で動物に懐かれています。

















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11月19日(月)のつぶやき

2018-11-20 06:54:42 | _HOMEページ_




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日々の出来事 11月19日 やせ蛙

2018-11-19 06:55:57 | A,日々の出来事_






  日々の出来事 11月19日 やせ蛙






 今日は、小林一茶が亡くなった日です。(文政10年11月19日)
小林一茶は、江戸時代を代表する俳諧師の一人です。
 小林一茶は宝暦13年に信濃北部の北国街道柏原宿で、貧乏な農家の長男として生まれました。
3才のとき実母を喪い、8才で継母を得ますが馴染めず、江戸へ奉公に出ます。
25才で二六庵小林竹阿に師事し俳諧を学び、江戸から房総付近にかけて旅をしながら俳句を読み続けました。


  めでたさも 中くらいなり おらが春

  雀の子 そこのけそこのけ  お馬が通る

  名月を 取ってくれろと 泣く子かな

  我と来て 遊べや 親のない雀

  やれ打つな 蝿が手をする 脚をする

  かたつむり そろそろのぼれ ふじの山

  裸にて 生まれてきたに 何不足


 小林一茶は一生を通じて家族愛に薄く、実家を出てからも父の遺産相続で継母と争い、付き合っていた女流俳人の織本花嬌とは死別、結婚しても妻や子供と死別、二度目の妻とも短期間で離別、おまけに文政10年に自宅も全焼し、焼け残った土蔵で生活する中、同年11月19日、65才の生涯を閉じました。


  これがまあ つひのすみかか 雪五尺


しかし、不幸なままで終わりかと言うと、そうではありません。
小林一茶は、タダでは死にません。


  やせ蛙 負けるな 一茶ここにあり


 この句は、単にカエル相撲での判官びいきを歌ったものではないのです。
小林一茶の死後、3番目の妻やを に女児やた が誕生、その後、やた は明治まで生き一茶の家系は後世に残りました。
やせ蛙は、子孫を残すため、実は日夜戦っていたのです。(小林一茶の日記より)








  小林一茶(村松春甫画)
















☆今日の壺々話







オタク俳句群



母パート
妹デート
俺ニート



夜なのに
僕がみるのは
あおいそら



なんだこりゃ
パソコン切ったら
キモヲタが



外不況
おいらはお部屋で
籠城戦



5時5分
AM?PM?
分からない



服がない
買いに行くにも
服がない



買ったけど 
封をきらない 
ゲーム群



軋んでる
オレの家計と
体重計



聞いてない 
誰もそこまで 
聞いてない



おれオタク
おれおれオタク
おれオタク














不幸



 ある夫婦が船旅に出ました。
夫婦は客船の甲板で月を見ていたとき高波が押し寄せ、夫が波にさらわれてしまいました。
数日捜索したものの、夫は見つかりませんでした。
妻を陸地で降ろし、船長は「奥さん、何か見つかったら必ず連絡しますので。」と言い残して出航しました。

3週間後、夫を見つけた船長は、妻にFAXを送ります。

“ 奥さん、残念なお知らせです。
ご主人は見つかりましたが、場所は海底で、既にお亡くなりになっていました。
ご主人を引き上げたら、たくさんの貝がついているような状態だったのですが、貝の中に5万ドル相当の真珠がありました。
ご遺体はいかがいたしましょうか?”

直ぐに、船長は妻からの返信FAXを受け取りました。

“ 真珠は送って頂戴、そして「エサ」をまた沈めておいて。”
















不幸からの解放




 フランスに仕事で行った夫(10年以上前)。
ホテルで強烈な金縛りに遭い、汗ぐっしょりになりつつも恐怖と必死に戦ったという。
 ベッドのそばに、フランス人の女の子が現れた。
俺は、その少女に“ケツが臭い”と言われた、と憤る夫。
恐怖よりも、ショックのほうが強かったようだ。
 この10年、“俺のケツは臭いのか?”と悩んだという。
“別に臭くないよ”と励ましても、“いや、霊が言うんだから間違いない”と言って聞かない。

 最近、とある海外の心霊関係のネットで、
「白人の少女が現れて、これ何?と宿泊客にたずねるホテル」が紹介されてた。
そのホテルは名前こそ出ていなかったが、場所の特徴から考えて夫が泊まったホテルに違いなさそう。
フランス語で「これ何?」は、カタカナに直すと「ケスクセ?」らしい。

 まさか・・・
ネタと思うなかれ。
本当です。
 夫は、十年にわたる“ケツが臭いかも”という見えない鎖から解き放たれた、と本気で喜んでます。
“俺が遭ったのはやはり霊だったのか”という方の恐怖は、微塵も感じられません。
ホント、良かったね。
















足音



 高校の時、一緒に住んでいた祖父が急死した。
その後、時々真夜中に庭を歩き回る足音が聞こえるようになった。
草を踏みしめる音で、少し歩いては立ち止まり、また少し歩くという感じだった。
父母を俺の部屋に呼んで全員で足音を確認し、すぐに庭を懐中電灯で照らしても人はいない。
 ある夜、窓を隔ててすぐ近くから足音が聞こえた。
窓の前にいると思った俺は、また父母を呼んでカーテンを開けた。
誰もいなかった…が、その時また下から足音が聞こえた。
大きな蛙がいた。

















蛙釣り



 これは小学校3~4年生頃(20年程前)の話です。
最近ふと思い出しましたので書いてみます。
少々長くなりますがご勘弁を。


 それは8月のある蒸し暑い夜でした。
母が知人の家に行くと言ったので、特についていく理由はなかったのですが、その頃はまってた蛙釣りがやりたくてついて行きました。
蛙釣りとは、水田の稲穂の先を一粒残して他は全て取り除き、その先を水田にいる蛙の鼻先に近づけてくわえさせ釣り上げる遊びです。
うちの小学校では流行っており、俺は小学校でトップクラスの腕でした。

 その知人の家に行くのは俺は初めてでしたが、俺の住んでいた所は四方を水田に囲まれた家が多かったので釣り場所には困りません。
夜に一人で出かけられない臆病者ではありましたが、初めて行く場所での蛙釣りの誘惑には逆らえず、知人宅に着くと早速一人で釣り場を探し始めました。

 すぐに釣り場を見定めると、周囲の暗闇を少し気にしながらも釣り始めました。
その夜はなぜかいつもよりもよく釣れ、普段の倍のペースで釣れました。
しばらくすると蛙も慣れて釣れなくなるので場所を替えようと移動を始めました。
その知人宅の隣には小さい神社があり、その鳥居前の電柱には電灯がついていて、その明かりに少しホッとし、その明かりの下で再び釣りに夢中になっていました。

 ここでも普段よりハイペースで釣り上げ続けていました。
次第に興奮してきた俺は時間を忘れていました。
 しばらくするとやはり釣れなくなり、興奮も収まってきたので再び移動しようと顔を上げたとき、周囲の異変に気付きました。

 いつの間にか辺りは深い霧に包まれていました。
周囲の電柱には何本かおきに電灯があり、また小型懐中電灯も持ってきていたので霧の中ということは容易に判断できました。

 しかし、自分の住んでいる地域では夏に霧が発生することは無く、その見慣れぬ状態と視界の悪さに忘れていた恐怖感を取り戻し、母の所に戻ろうと知人宅を目指しました。
しかし進めども進めども家が見えてきません。
道を間違えたかとも思いましたが、俺は当時方向感覚が鋭く、道や方向を間違うことは一度もありませんでした。
それ以前に隣接した神社の前にいたのだから歩いても1分とかからないはずでした。
その事に気付いた瞬間、周囲に突然何かの気配が感じられました。

 姿は見えないがかすかに足音のようなものが聞こえました。
人が歩くような足音ではなく、言葉で表すのは難しいのですが、“ヒタヒタ+ポタポタ”というような音でした。
だんだんとその音は近づいてくるように感じました。
 頭の中は恐怖でいっぱいになり、その気配を何とかやり過ごそうと道を外れ路肩の畦道に立ち止まり、道の方を向きました。
気配はさらに自分との距離を縮め、通り過ぎろと祈ったがその思いは誰にも通じず、自分の前で止まり、こっちを向いたように感じられました。
俺は半泣き状態で一歩後ずさりをした瞬間、足を滑らし田んぼに落ちました。
いや、落ちたはずでした。
気がつくと田んぼと灌漑用の溝を仕切るコンクリートの上に立っていました。
左手に田んぼ、右手に畦道の土壁。



       __道路
        │
        │2m位の高さ
    ココ  │
___П_│
田んぼ  溝        こんなイメージです。

ただ、蛙釣りをしていた時はそのような作りではなかったのです。



        畦
          ___道路
  _____|高さ40cm位
  田んぼ         

こんな感じで、溝やコンクリは無く高さも低かったはずです。
              

 周りはまだ深い霧に包まれているようでした。
足を滑らした時に懐中電灯を落としたらしく、はっきりと判別はできません。

闇に目が慣れるまでその場を動かず、というか恐怖で動けず時は過ぎていきました。
しばらくすると闇に目が慣れ、ぼんやりと周囲が月明かりで明るくなっていき、それと同時に霧が晴れていきました。
 周りが見えてくるにつれ、周りの異変にも否が応にも気付きました。
前後50cmくらいの間隔で何かいる。
大人くらいの背丈の何か。
人の様ではあるが人ではない様に感じました。

 霧が晴れるにつれ、周囲の状況が把握できるようになりましたが、その異常さは理解ができませんでした。
何かの気配があったのは前後だけではありませんでした。
その前にも後ろにも同じようなものが並んでいる。
まるでブランドバッグの限定品に行列している人々のようでした。
 怖かったが、もう一度確認しようと恐る恐る後ろを振り向いた時、心臓が凍りつくくらいにドキゾクッとしました。
その人のような物の全ての顔の部分に狐の面がついていました。
能面の狐の目をさらに吊り上げたような感じでした。
 そしてその狐面はグッと体を押してきました。
しかし体には何も触れておらず空気自体を押してきているような感じでした。

 足元は細くて不安定なコンクリートで、否応なしに前に進まされていると、前にいた何体もの狐面が一つ一つ姿を消していった。
自分の眼前にいた狐面が姿を消した瞬間、何が起こっているか理解できました。
 足元に穴が開いており、そこに落ちていったようでした。
俺は踏み止まろうと抵抗しましたが、後ろからの圧力には勝てずに、自分も落ちていきました。土のスライダーを滑り落ちているような感じでした。
5秒ほどで底に着き、そこで見たものは落ちる前と同じ風景。
左手に田んぼ、右手に畦道の壁。

 後ろの狐面もすぐに滑り降りてきて、再び妙な行列は始まりました。
しばらく進むとまた穴があり、その底にはまた同じ風景。
何度も何度も同じことを繰り返し、どれくらいの時間がたったのかわかりませんでした。
 しかし、頭がだんだんと冷静になっていったのか、滑り落ちる穴が深くなっていることに気がつきました。
最初5秒位滑落していたのが10秒位になっている。
さらに何度か歩いては落ち歩いては落ちを何度も繰り返すと、今度は穴が底なしになりました。
 かなりの時間滑り落ちていた感じがし、このまま永遠に落ち続けるかのようでした。
その時、何か低い音が轟いた、猛獣が吠えた様なおなかに響く威圧感がありました。
その音を聞いた途端目の前がぼやけ、かすみ、意識が遠ざかっていくのを感じました。

 意識が戻ったとき、目の前には母の顔がありました。
帰ろうと捜しに来たところ、神社の狛犬の像に寄りかかるように倒れていたらしいのです。
ケガとかは無かったので大騒ぎにはならず、そのまま帰ったのですが、翌日、母にこの出来事を話したところ、不思議な顔をされました。

 母いわく、知人の家の窓から俺の姿が見えていたと。
ずっと同じところをうろうろしていたらしい。
蛙釣りが好きなのを知っていたため、別に不審にも思っていなかったと言っていました。
 もちろん霧のことも言ったのですが霧など出ておらず、満月だったため非常に明るかったらしい。
しかし、その日着ていた服の背中からお尻にかけて、土まみれでひどく汚れていたとは言っていました。

 今から思うと最期の咆哮の主は発見時に寄りかかっていた狛犬で、狐に憑かれようとしていた俺を守ってくれたのでしょうか。
ちなみにその神社が何を祀っていたのかはわかりません。

















カエルノウタ



 ある年末でのことです。
会社の先輩からこんな誘いを受けました。

「 年末年始は実家に帰るんだけど、よかったらうちで一緒に年越ししない?おもしろい行事があるのよ。
一回見せてあげたいな~と思っててさ。」

 その人は年齢も私より上でしたがとても気さくに接してくれる方で、入社した頃から何かと可愛がってくれていました。
仕事でもプライベートでも面倒見が良く、いろいろと連れていってもらったりしていたのですが、遠出の誘いはこれが初めてでした。
せっかくの帰省、ましてや年末年始にお邪魔するなんて悪いなという気持ちもありましたが、「気にしないでおいでよ~」と言われ、私自身は実家に帰る予定もなかったので、誘いを受けることにしました。
 詳しく話を聞いてみると、12月の29~31日に先輩の町では行事があるようで、年越しがてらそれを見においでという事でした。
会社は29日で終わり、休みに入るのは30日からです。
行事について尋ねてみると、

「 私の町で毎年やってるんだけどね~町の人達の中から一人が選ばれて、その人のために行う行事なの。
0時をまわってからやるから、正確には30~元旦までの三日間になるわね。」
「 深夜に?そんな時間に何をするんですか?」
「 それは見てからのお楽しみ。
今年は私のお母さんが選ばれて、もう私もお父さんも大喜びでさ。」
「 そうなんですか。
よくわからないですけど、そんな時に私がいたら、やっぱりお邪魔じゃないですか?」
「 いいのいいの、うちの家族は気にしないから。
のんびりしたとこだし気軽においでよ。
まぁ休みは30日からだから、初日のは見れないけどさ。」

具体的な内容はわからなかったものの、何だか興味をそそる話でした。
私がその行事について気になってきたのを察すると、

「 もし最初から見たいなら、29日仕事終わりにそのまま行くって事でもいいよ。
あたしとしても最初から見せてあげたいしね。
年一回しかないうえに、今年はやっとうちのお母さんが選ばれたからさ。」

と言われました。
 出来たらそうしたいとこでしたが、あまり甘えるのも悪いと思い、結局30日に向かうことになりました。
先輩は少し残念そうでしたが了解してくれ、30日から1日まで私は先輩の実家で過ごすことになりました。



 当日、朝9時頃から先輩の車で目的地へ向かいました。
先輩の実家がある町は、私達の住んでいるところから車で3時間ほどかかります。
道中はのんびりと会話しながら、どんな行事なんだろうとわくわくしていました。

 しばらくして景色が変わってきた頃、先輩がこんな事を言いました。

「 昨日、雨降ったよね。」

言葉のとおり、前日の29日は深夜まで雨が降っていました。
流れを切っての発言というわけでもなかったですし、何でもない話題なんですが、どこかに違和感があるような…そんな感じがしました。

「 降りましたね。
今日は止んでてよかったですよね。
行事は雨が降っててもだいじょぶなんですか?」
「 一応は平気。
昨夜は予定どおり行われたよ。
実はさぁ、あたし昨日から帰ってたからもう大変だったのよ。
会社からそのまま実家向かって、夜中にそれやって、終わったらまたこっち戻ってきて、あんた迎えに行って…。
今すっごい眠い。」

そう言って大欠伸する先輩には、先ほど感じた妙な違和感はありませんでした。

 そうしてまた何でもない会話をしながら進んでいき、やがて目的地に到着します。
ちょうど12時になるぐらいの時間だったと思います。
車を降り、先輩の実家の方へ目をやった瞬間、ぎょっとしました。
 先輩の実家は古いお屋敷みたいな広々とした家だったんですが、家の前の庭に水溜まりがありました。
鯉を飼ってる池のような大きさのです。
 自然に出来るものでもそれぐらい大きくなるのかもしれませんが、そこにあったのはどう見ても不自然なものに思えました。
泥水をはった風呂場のような、そんな感じだったのです。
これは一体…と戸惑っていると、

「 これも行事に関係してるのよ~、とりあえず落ちないように気を付けてね。
結構深いから。」

と言われ、
不思議に思いながらも、ひとまず家の中へ案内してもらいました。
 中へ入ると、奥から女の人が駆け寄ってきました。

「 遅かったね。
あっ、この子がお客さん?」

先輩は「そうだよ」と答えながら私の方を向き、その女の人が母の姉だと教えてくれました。
私が挨拶を済ませると、昼食が出来てるからと奥の方に案内され、お昼をごちそうになりました。
食後には居間にいた先輩の父とも挨拶を交わし、先輩が昔使っていた2階の部屋に案内されました。

 部屋に入って一息つき、ふと窓から外を眺めるとある事に気付きました。
隣近所の家が何軒か見えるのですが、庭に大きな穴のある家がいくつかありました。
水溜まりではなく、ぽっかりと大きな穴があいているのです。
気になって先輩に聞くと

「 あぁ、あれは選ばれるのを待ってるお宅って事なの。
穴がない家は一度家族の誰かが選ばれたか、今は必要ありませんって事ね。
選ばれた家はさっき見たとおり、穴に水を入れて大きな水溜まりになるの。
選ばれた人は大変なのよね~お母さんも今準備中だからうちにいないのよ。」

という事でした。
 今思えば、この時から何だかおかしな空気が漂っていたような気がします。
先輩の説明を聞いても、何が行われるのか全く分からない。
当初はお祭り気分で楽しめるような行事だとばかり思っていたのが、何か異様なもののように感じ始めていました。
とはいえ、そんな失礼な事を言うわけにもいかず、私の考えすぎであることを願うばかりでした。


 その日は行事が始まる時間までのんびりしてようという事で、前日ほとんど寝てなかった先輩は寝てしまい、私は先輩の叔母さんと話したりして過ごしました。
夜になって夕飯やお風呂を済ませ、あとは行事が始まるのをじっと待つだけとなりました。
この間、先輩のお母さんの姿は一度も見ていません。

 11時を過ぎた頃、事態が動きだしました。
四人でたわいもない話をしていたところ、電話が鳴り叔母さんが出ました。
10分ほど話して電話を切り、先輩と先輩の父には「そろそろ用意だから行っておいで」と、
私には「○○ちゃんはここにいよっか。私も一緒にいるから」と言いました。
何も分からなかった私は、「はい」と答えるしかなかったです。
すると、先輩がムッとしたような表情で叔母さんに近付いていきました。
そしてなぜか険悪なムードになり、突然二人の言い合いが始まりました。

「 叔母さん、昨日も家に残ってたよね。なんで?」
「 何年も前からさんざん言い続けてるでしょう?
私は認めてない。
どうしてもやるならあんた達だけでやりなさい…って。」
「 やっとお母さんが選ばれたのに、まだそんな事言うわけ?
叔母さんだってしてもらったくせに。
今日だってお母さんはずっと準備してるのに。」
「 私はあんた達とは違うの、いいから早く行きなさい。」

私は状況が飲み込めずにおろおろするしかなく、昼間の不安がますます募っていきました。

 しばらく二人の言い合いは続いていたのですが、先輩が時計を見て時間を気にしたのか口を閉じ、言い合いは終わりました。
黙ってみていた先輩の父は途中で先に出ていってしまい、苛立った様子の先輩はばたばたと出かける支度をし、玄関へ向かいました。

「 昨日より気合い入るわ~これから何があるか、しっかり見ててよ!」

私にそう言うと先輩は出ていきました。
 先輩の姿が見えなくなったその瞬間、いきなり叔母さんが玄関の鍵を急いで閉め、私の手を掴んで居間へ戻りました。
そして私の顔を見つめ、神妙な面持ちで話し始めました。

「 ○○ちゃん、今から私が話す事をよく聞いて。
もう0時をまわったわね。
この後1時になったら、ある事が始まるわ。
このままだと、あなたは犠牲者になる。」

思わぬ言葉でした。

「 えっ?…おっしゃってる意味が分かりません。どういう事なんですか?」
「 詳しくは後で話すから!とにかく、今は解決するための話をするわ。
こうなってしまった以上、あなたはその行事を見なければいけないの。
1時になったら2階に行って、部屋の窓から外を見なさい。何があっても、最後まで見なきゃダメよ。
ただし、声をかけたりしてはダメ。ただ見て、聞くだけでいいの。」
「 聞く?聞くって何をですか?一体何なんですか?」
「 歌よ。あの子達が歌う歌を聞くの。
必ず最後まで聞かなきゃダメよ。耳を塞いだりしないで最後まで。いいわね?」

もう何が何だか分からず、泣き出したい気持ちで一杯でした。
何かとんでもない事に巻き込まれてしまったのでは、どうしたらいいのか、と頭がぐるぐるしていました。
 叔母さんは私の頭をそっと撫でながら「大丈夫」と言ってくれましたが、何を信じていいのか分かりませんでした。
しかし、その間にもどんどん時間は迫ってくる。
結局、叔母さんに言われたとおりにするしかありませんでした。
時間が過ぎていくにつれ、私の心臓は破裂しそうな程バクバクしていました。
どうしよう…どうしよう…。

そうこうしている内に1時が近付き、叔母さんに2階へ行くように促されました。

「 一緒に来てくれませんか?」

とお願いしましたが、

「 私はここにいるから、歌が終わったらすぐに降りてらっしゃい。
 くれぐれもさっき言ったことをちゃんと守るようにね。」

が答えでした。

「 さぁ…。」

と背中を押され、逃げ出したい気持ちで2階へ上がり、昼間にいた部屋へ入りました。
 でも、窓の外を見ようとする事が出来ず、ただうずくまって震えていました。
もうやだ、怖い。
それだけでした。

 5分…10分…。
どれくらいそうしてうずくまっていたかは覚えていません。
とても長い長い時間に思えました。
ふと、何かが聞こえてきている事に気付きました。
 話し声?叫び声?
何かが聞こえる。
私は無意識に窓に近づき、外を見ました。
 窓の外、あの水溜まりの周りに、いつのまにか大勢の人が集まっていました。
子供も大人も、男も女も。
十代ぐらいの子や、五~六歳ぐらいの子、熟年の方や高齢者の方…20人ぐらい、もっといたかもしれません。
 その全員が、さっきまでずっと雨にでも打たれていたかのように、服も体もずぶ濡れでした。
ピクリとも動かず、全員が水溜まりを見つめています。
そして、何かを話している…?
 怖さで固まったままその光景を見ていると、次第にはっきりと何かが聞こえてくるようになりました。
不気味に響くその声にすぐにでも耳を塞いでしまいたかったですが、叔母さんの言葉を信じ、必死で耐えていました。
 やがて、それが何なのかがわかりました。
歌です。
叔母さんの言っていたとおり、確かに歌を歌っているように聞こえました。
何人もの声が入り交じり、気味の悪いメロディーで、ノイズのように頭に響いてくるのです。
何と言っているのか、聞こえたままの歌詞はこうでした。

かえれぬこはどこか
かえれぬこはいけのなか

かえれぬこはだれか
かえれぬこは○○○
(誰かの名前?)

かえるのこはどこか
かえるのこはいけのそと

かえるのこはだれか
かえるのこは○○○
(こっちは私の名前に聞こえた)

かえれぬこはどうしてる
かえれぬこはないている

かえるのこはどうしてる
かえるのこはないている

この歌詞が二度繰り返されました。
 全員がずぶ濡れで、水溜まりを見つめたままで歌っていました。
誰も大きな声を出しているような感じには見えず、
私のいる部屋ともそれなりに距離があるはずなのに、その歌ははっきりと聞こえていました。
本当に例えようのない恐怖でした。
二度繰り返される間、ただがたがたと震えながらその光景を見つめ、その歌を聞き続けていました。

 二度目の歌が終わった途端、静寂に包まれると同時に一人が顔を上げ、私の方を見ました。
それは満面の笑みを浮かべた先輩でした。
さっきまではあまりの恐怖で気付きませんでしたが、よく見ると先輩の父もそこにいました。
 ただ一人、私を見上げ微笑んでいる先輩に、私は何の反応も示せませんでした。
しばらくそのままでいると突然そっぽを向き、どこかへ歩いていってしまいました。
すると、周りの人達も一斉に動きだし、ぞろぞろと先輩の後へ続いていきました。

“ 終わったんだ…。”

私はガクンとその場に座り込み、茫然としていました。
 早く叔母さんのとこに戻りたい、でも体が動かない。
頭がぼーっとなり、意識を失いそうにフラフラとしていたところで、叔母さんが2階に上がってきてくれたのです。

「 終わったね。
怖かったでしょう。
よく耐えたね。
もう大丈夫よ。
もう大丈夫。」

そう言いながら叔母さんに抱き締められ、私はせきをきったように泣きだしてしまいました。
何を思えばいいのか、本当に分かりませんでした。


 少しして落ち着いた私は、叔母さんに抱えられながら居間に戻りました。
時間はもう2時を過ぎていました。
時間を確認すると、

「 ○○ちゃん、ホッとしている時間はないの。
あの子やあの子のお父さんは、今日はもうここには戻ってこないけど、さっきのはもう一度行われるわ。」
「 えっ…?」
「 今度は3時に。
歌の内容もさっきとは少し違うものになるの。
ここでぐずぐずしていると、またあの子達が水溜まりに集まってくるわ。
そうしたらもう取り返しがつかなくなる。」
「 そんな、どうしたらいいんですか?
私はどうしたら。」
「 落ち着いて。今から私の家に行くわ。
この町を出て少し行ったとこにあるから。
 でも、あなたが持ってきたものとかは諦めてちょうだい。
持ち帰るとかえって危険だからね。
詳しい話はそれからにしましょう。
さぁ、すぐ行くわよ。」

 言われるままに私と叔母さんは家を飛び出し、そこから少し離れた空き地にとめられていた叔母さんの車に乗り込み、その町を後にしました。
どこを走っても同じ景色に見え、迷路から抜け出そうとしているような気分でした。


 1時間ぐらい走ると、ようやく叔母さんの家に着きました。
中に入り、ある部屋に案内されたのですが、その部屋の中を見て再び恐怖が全身に広がりました。
卓袱台しかないその部屋の壁一面、天井にまでお札がびっしりと貼られていたのです。
異常としか思えませんでした。

“ もしかして、私は騙されているのでは?
叔母さんも何かとんでもない事に加担している一人?”

そんな考えが頭をよぎりました。
 次々と意味の分からない状況が続き、自分以外の者に対して不信感が募っていたのかも知れません。
そんな私の心を見透かすように、叔母さんは言いました。

「 いろいろと思うことはあるでしょうし、恐怖もあるでしょうけど、この部屋でなきゃ話は出来ないのよ。
ごめんね。
我慢してね。」

 叔母さんは私をゆっくりと卓袱台の前に座らせ、自分は真向いに座りました。
そして、話してくれました。

 ここからは叔母さんの話を中心に書きます。
ほぼ、そのままです。

「 何から話せばいいのかしらね。
○○ちゃんはそもそも、あの子から何て聞いて、どうしてあの町へ来たの?」
「 毎年おもしろい行事があるから、見に来ないかって誘われたんです。
町の中から一人が選ばれて、その人のために行われるものだって聞きました。
それで、今年はお母さんが選ばれた…って。」
「 期間は三日間で、今日は二日目っていうのは聞いた?
初日から来れないかって誘われなかった?」
「 聞きました。
初日から見せてあげたいからそうしようかっていう話もあったんですけど、私が断ったんです。
あまりお世話になるのも悪いと思ったので…。」
「 そっか。
あの子があなたに言ったことは、全部そのままね。
あれは毎年選ばれた人のために行われるもので、今年はあの子の母親が選ばれた。
一日目から見せたいと言ったのは、特別な意味があったから。」
「 どういう事ですか?」
「 ○○ちゃん、今日一度でもあの子の母親の姿見た?見てないわよね?
それどころか、どこで何をしてるのかも、あの子は具体的に話さなかったでしょう?
当たり前なのよ。
あの子の母親、つまり私の妹だけど、死んでるんだから。
何年も前にね。」
「 えっ?」
「 あの子が学生の頃だったから、もうずいぶん前よ。
だから、あなたが話を聞いた時も、最初からあの子の母親はいなかったって事。」
「 そんな、だって…それじゃ選ばれたっていうのは何なんですか?
さっきの事は何なんですか?」
「 あれは死人を生き返らせるためのもの。
選ばれたというのは、生き返るチャンスを得たという事なの。
 毎年、死んだ人間の中から一人が、そのチャンスを得られる。
ただし、それを家族が望んでいなければダメ。
望む場合は庭とかに大きな穴を掘って、その意志を示すの。
 選ばれた場合、知らない間に穴に水が溜まっていって、大きな水溜まりが出来るの。
これは1月2日から12月1までの間、時間をかけて起こるわ。
それによって選ばれた者の家族は、29~31日(30~1日)の三日間、さっきのあれを行う。
そして1月2日から水がなくなり、また時間をかけて別の人が選ばれるのよ。
さっき、歌を聞いたわよね?
最後まで聞いたわよね
どんな内容だったか言ってみてくれる?」

 前述の歌詞を叔母さんに伝えました。
叔母さんの話ではこうなるそうです。

かえれぬ子はどこか
かえれぬ子は池の中

かえれぬ子はだれか
かえれぬ子は〇〇〇
(選ばれた死人の名前)

かえるの子はどこか
かえるの子は池の外

かえるの子はだれか
かえるの子は〇〇〇
(犠牲にする者の名前)

かえれぬ子はどうしてる
かえれぬ子は泣いている

かえるの子はどうしてる
かえるの子は鳴いている

「 選ばれた死人を生き返らせるには、犠牲とする誰かに三日間歌を聞かせなきゃいけない。
あの子が初日から見せたいと言ったのはそのためよ。
 歌は1時から2時、3時から4時の間でそれぞれ内容が変わり、各2回ずつ歌われる。
三日間で6つの内容の歌が、計12回歌われるというわけ。
さっきあなたが聞いたのは3つ目の歌ね。
6つ目12回目の最後の歌を聞かせた後、その人をあの水溜まりに突き落とすの。
 はい上がってくるのはその人ではなく、選ばれた死人。
犠牲になった者は二度と帰ってこないわ。
そうやって、生きていた誰かの代わりに、死んだ誰かが戻ってくるのよ。
 といっても、今の人達は、弔いのつもりで形だけ行う事がほとんど。
ここ何年かで本当に生き返らせようとしたのは今回だけ。
というより、あの子だけといった方が正しいかもね。
 あの子は母親に固執してる。何年経っても断ち切れないでいるの。
母親が選ばれたと分かった時から、あなたの話が出てたわ。
どうしてあなたにしたのかは分からないけど、あの子はあなたを犠牲にして、母親を生き返らせるつもりだった。
 本来なら、二日目に来たという時点で、これは成立しないはずだったのよ。
三日間のどれが欠けてもダメだからね。
でも、雨が降ったのがいけなかったわね。
 歌も含め、これらの事はカエルノウタって呼ばれてるわ。
元は、昔から祀られている何かに関係するものなの。
死人を生き返らせるなんてぐらいだから、霊とかそんな次元じゃないのかもね。
 その何かは雨を好むって伝えられてる。
三日間のうち、一日でも雨が降っている中でカエルノウタを行うと…(ここだけはぐらかしてました)。
とにかく、昨日雨が降った事で、あなたが一日目にいなかったというのは、意味を成さなくなったの。
本当なら、事が済んだ三日目に現われるはずのあの子の母親が、昨日の時点であの水溜まりにいたからね。
 あなたが最初に見た時も、さっきの歌の時も、水溜まりからじっとあなたを見つめていたのよ。
お母さんが準備してるっていうのは、そういう意味だったの。
たぶん、これからもあの子は諦めないわね。
またいつか選ばれるのを待ち続ける。
だから、あの家の水溜まりの穴が無くなる事はないでしょうね。」

ここでかえるのうたの話は終わりました。
 話を聞いた事である疑問が浮かびましたが、聞けませんでした。
もしそうだったら…、正気でいられないかもしれない。
そう思ったからです。


 この夜は叔母さんの家に泊めてもらい、朝になって私の家まで送ってもらいました。
別れる際、叔母さんに言われました。

「 明日から新年だけど、その一年間は雨に濡れないようにしなさい。
雨の日は外出自体控えたほうがいいわ。
生活は大変になるでしょうけど、必ず守ってね。
その一年を過ぎれば、もう大丈夫だから。
 もし、どうしても何か心配な事があったら、私のところにおいで。
怖い思いさせて本当にごめんね。
元気でね。」


 休みが明けた後、しばらく先輩は会社に出てきませんでした。
『お母さんが亡くなった』と連絡してきたそうです。
 私はその年に会社を辞めました。
叔母さんに忠告されたとおり、雨の日には一切外に出なかったので、続けられなかったんです。
突然雨が降るかもわからないので、その一年間は実家で引きこもりでした。
なお、私が辞めるのと入れ違いで先輩は復帰して、今もその会社に勤めています。
とても会う気にはなれませんでした。

今、私は普通に暮らしてます。
















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11月18日(日)のつぶやき

2018-11-19 06:55:34 | _HOMEページ_



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11月17日(土)のつぶやき

2018-11-18 18:12:15 | _HOMEページ_






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日々の出来事 11月18日 ウィリアム・テル

2018-11-18 07:00:00 | A,日々の出来事_







 日々の出来事 11月18日 ウィリアム・テル







 今日は、ウィリアム・テルがリンゴに矢を当てた日です。(1307年11月18日)
14世紀初頭、ハプスブルク家はスイス中央部のウーリの支配を強めようとしていました。
そして派遣された代官ヘルマン・ゲスラーは、中央広場のポールに自分の帽子を掛け、これに対して、民衆は頭を下げてお辞儀をしなければならないとしました。
 しかし、ウィリアム・テルはこれに反抗し、頭を下げなかったので逮捕されます。
ゲスラーは、テルが弓の名手であることを知り、テルの息子の頭の上にあるリンゴを弓で射抜く事ができれば釈放すると約束しました。
そして、1307年11月18日、ウィリアム・テルは、リンゴに矢を当てます。
 そのとき、ウィリアム・テルは失敗していれば、ヘルマン・ゲスラーに矢を向けていたと言いました。
この言葉に怒ったヘルマン・ゲスラーは、ウィリアム・テルを逮捕しますが、結局、ヘルマン・ゲスラーの手を逃れたウィリアム・テルに射殺されます。
そして、この事件を切っ掛けとして、スイスの独立運動が動き出したと言う話です。
( でも、これは伝説で、実はテルもゲスラーも実在しておりません。)




  Dear ウィリアム・テル

「 突然ですか、メ~ル送りまァ~す!
 テルちゃん、一回、勝負しましょうネ!
 僕なんか、船の上でも当てちゃうもんねェ~!!」

 バイバイ ☆(^∀^)ノ~~!!

                 from 那須与一







  ウィリアム・テル
















☆今日の壺々話










りんご




 りんごの木の枝に1匹のイモ虫が住んでいました。
ある嵐の晩、枝が折れ、イモ虫はりんごに掴まったまま木の下の川に落ちてしまいました。

「 ぼくは、いずれ食べ物が無くなるか、干からびて死んでしまうんだろうな。」

そう思うと、イモ虫はとても悲しくなりました。

「 でも、あと1日だけ、とりあえず今日だけ生きてみよう。」

そう思ったイモ虫は、足元のりんごをかじり始めました。
りんごの船が転覆しないように気をつけて。

 とうとう、りんごも皮一枚を残すのみとなりました。
これ以上かじったら穴が開いて沈んでしまう。

「 これで、ぼくのできることはもう何もないな。」

そうつぶやいてイモ虫はじっと横になりました。


数日後、りんごの船から1匹の美しい蝶が飛び立ちました。















        リンゴ



 昔といっても、20年程前の話なんだが・・・・。

 あるリンゴ農家でリンゴが余り、捨てるのももったいないのでトラックに積んで売りに出た。
たまに街中でトラックを屋台みたいにして売っているやつだ。
 何県かをまたいで売り歩いた後、ある街に入った。
その街での売り上げはあまり良くなかった。
そして彼は、いつも通りトラックはそのままにして弁当を買いに離れた。
いつも通りトラックにリンゴをつんだまま。
いつも通り試食OKの看板をだしたまま。

 5分ほどしてトラックの方に戻ってくると人だかりができている。
なんだとおもって近づくとおばちゃんたちが、「試食や試食、試食用やからな!」と、自分の買い物袋にどんどんリンゴを入れていっている。
トラックの上に人が立って、大声で「一人2個や、2個までやで!」と叫んでいる。

 最初何が起こったか理解できなかったが、我に返って止めようとすると、「なんやおっさんジャマすんなや、2個までやで!」と言われる。
集団心理なのか、声を張り上げても聞いてもらえない。
 やむをえずトラックを少し動かそうとすると、「あぶない!」、「待てー!」、「ドロボー!」、とわけのわからない罵声を浴びる。
そのままゆっくり走ってなんとか振りほどいて後ろを見ると、リンゴをトラックに向けて投げながら何かを叫んでいる集団が見えた。

2度と大阪には行かないと祖父が言ってました。



















みかんとりんご




 みかんとりんごの例えは、自分みたいに「もの」に感情移入するタイプは混乱の元だったなぁ。

 「みかん3個とりんご6個」は、あくまで「みかん3個とりんご6個」で「9個」じゃない。
それとも、「あわせて」だから、みかんとりんごが合体して「みかんりんご」ができるのか?
「りんごみかん」ができたらどうするんだ?
 そもそも、みかんは3個しかないんだから、結婚できるりんごは3個しかないだろ?
あぶれたりんごはどうするんだ? 
りんご同士でくっつくのか? 
それだって1個あぶれるぞ。
 あぶれた1個が可哀想だよな。
オレだったら泣くわ。
そうだ。
みかん1個とりんご2個で組めばいいんだ。
そしたら、あぶれるヤツが出なくてすむぞ。
みんな仲良く、だ。
オレって頭イイ!

「 みかん3個とりんご6個、あわせて3個です。」
「 間違ってます。」

以後、算数が全然理解できなくなったw。


蜜柑と林檎を、酸素と水素に入れ替えたら正解w。


















バナナ使徒




 バナナ考えたヤツ天才じゃね?
よく言われることだけど、バナナ考えたヤツは天才すぎるというか。
 でも、だってまず皮がヤバイ。
外皮ヤバイ。
剥きやすい。
スイカやメロンはバナナ見習えっつー。

 そりゃみかんも剥きやすいよ?
でも薄皮ジャマ。
薄皮食うんか出すんかで人間を悩ますとこがダメダメ。
 その点、バナナは外皮オンリー。
しかも種もない。
種なし。
 種を出すアクションが不要。
ワンアクションで食べられる。
ワンアクションフード。

 食べるペースも調節できる。
大きい口なら一口で、小さい子ならそれなりに。
外皮はソフトクリームのコーンみたいに持ち手にもなっちゃう。
なんという食べやすさ。
なんという無駄のないインタフェイス。

 外皮のないイチゴなら、皮剥く必要ないじゃんとか言う。
ほら、きた。
 じゃあイチゴさん聞くけど、おまえ農薬からガードできんのかよ。
バナナの外皮は防毒、保湿、長期保存ばかりか、携帯性にもすぐれちゃってる。
直接、持って散歩に行ける。

 あと房。
バナナってば、ちょう房。
一本だけじゃなく、複数本を一括で扱える。
ワンハンドでキャリーできる。
すごい。
バナナすごい。

 丸くない。
坂道でコロコロ転がらない。
転がりリンゴによる交通事故が多発する現代社会において、バナナなら坂道の事故ゼロ。
落としても安心。
バナナは、安全をもパッケージング。

 ほんとにね。
ほんとバナナ考えたヤツ天才。
つーか、神?

……神?

 そうかもしんない。
バナナ作ったの神って比喩てきな褒め言葉じゃなく、文字通りバナナ作ったのは神。
そして、こんだけバナナが人間向けに作られてること考えると、神って意外と人間のこと気にかけてる。
人間のためにちょう尽くしてる。
バナナ作って尽くしてる。

 ハハハ、神のやろう、人間のごきげんとるためにわざわざバナナ作ってたなんてね。
あーみえて、結構カワイイとこあるんじゃん。



















     せんせぇ!バナナはおやつに入りますか?






「 はい、じゃあ遠足に関するお知らせはこれで全部だ。何か質問あるやついるかー。」
「 はーい、せんせぇー。」
「 どうした、土田。」
「 おやつは300円までですかあー?」
「 そうだぞ、だからちゃんと考えて買わないとダメだぞ。」
「 せんせぇ! バナナはおやつに入りますか?」
「 ははは、安心しろ、バナナはおやつに入らないぞ。」
「 先生。」
「 どうした。」
「 バナナ目当てで遠足に参加してもいいですか。」
「 先生初めて目にするモチベーションだぞそれ バナナ好きなのか?」
「 はい。」
「 じゃあ、何本でも持てるだけ持ってきていいぞ? なんてな、ははははは!」
「 軽トラは弁当箱として認められますか。」
「 お前何トン持ってくるつもりだ。そこまでバナナに情熱傾けても喜ぶのは東南アジアの人ぐらいだぞ、ほどほどにしとけ 他に質問ある奴いるかー。」


「 はい。」
「 ん、何だ?」
「 人はいつか土に還りますか。」
「 うん、難しい問題だな。
シンプルに答えるとイエスだけど、それでも精一杯生きるのが先生大事だと思うぞ。」
「 天に昇っていった魂は、幸せであると言えますか。」
「 うん、また難しい問題だな。
結果はどうあれ、幸せだと先生は思うぞ。」
「 うんこ行ってきていいですか。」
「 哲学のすぐあとにうんこを持ってくるって、凄い気圧差だぞ。
先生高山病になっちゃうかと思ったぞ。」
「 バナナはうんこに入りますか。」
「 いいから早く行ってこい。
そしてお前なりの答えを見つけろ。 
さ、他に質問あるヤツいるかー?」
「 せんせぇーおやつの300円には、しょーひぜい入りますかぁ?」
「 お、いい質問だな。安心しろ、消費税は入らないぞ?」
「 手数料は300円に含まれますか。」
「 あんまりATMに無理言うのは良くないと思うな先生。
お母さんにもらいなさい、ね?」
「 10%複利だと遠足が終わる頃にはいくらになってますか。」
「 悪かった。無理するな。
無理しなくていい。
先生が貸してやるから無理するな。」
「 300円に振り回される人生は滑稽ですか。」
「 そんなことはない、そんなことはないぞ! 大丈夫だ全然大丈夫だから。」
「 300円以下の人生でも、魂は天に・・・。」
「 還る還る、還るとも。お前はきっと幸せになれるとも。」
「 先生。」
「 どうした。」
「 うんこ流してきていいですか。」
「 何で放置して帰ってきたんだお前は、流して来い、行ってこい早く。」
「 先生。」
「 何だ。」
「 僕は寝るとき裸です。」
「 うんこ流して来い早く。」


















バナナパウンドケーキもどきを作った(読者参加型)






バナナの見切り品を買ったのでバナナパウンドケーキもどきを作った。
生地を途中でわけてココアで色づけしたものとマーブルにした。
ラムとバニラオイルでかおりづけした。
なかなかよいできかと



思いきや



実は



そうでもなかった。



ちょw・・・・・・・・・。
バナナをいれすぎたのかやきあがりがよくわからず火をいれすぎたみたい。
でも焦げはなかった。
よかった。
まあまあ美味しい。
ナッツいれたくなった。
でもバナナにチョコレートにナッツではなぁ。



さすがに



ミックス粉で作ったものは



安っぽい味なので



まず子供に食べさせて



丸々と太った子供を



夫と共に



食べた。



そうしたら夫が



口から大きな卵を産んだ。



川上から流してみたら



目覚まし時計が



鳴ったところで



目が覚めた。



良かった。



ではさっそく、
バナナの見切り品を買ってきて、バナナパウンドケーキもどきを作ろう。
生地を途中で分けて、半分はココアで色づけし、マーブルにしよう。
ラムとバニラオイルで香りづけしよう。
ナッツもいれたいな。



と思いきや



玉子を切らしてたので夫の産んだ卵を



レンジに入れてみたら



就職できました。



おめでとう。



















バナナの絵




 小学生の頃の話。
俺はさっちゃんの怖い話を本気で信じていた。
 その話って言うのが、さっちゃんの歌を全部聴いてしまうと夜、さっちゃんの幽霊が足をもらいに鎌を持ってやって来る、というもの。
これを防ぐには枕元にバナナの絵を毎晩置いて寝なければいけない。
今考えるとバカらしいが、本気で信じていた。

 俺はその話を六月の始めに友達から聞き、その日の晩から枕元にバナナの絵を置いて寝ていた。
最初の方は怖かったのだか、日を重ねる内に枕元にバナナの絵を置いて寝るという事が当たり前になっていき、怖くはなくなっていた。

 そうこうしているうちに七月下旬になった。
夏休みに入る前に先生が図書室で一人三冊本を借りましょう、と言うのでクラス全員で借りに行った。
こうして夏休みが始まった。
もちろん、バナナの絵の習慣は続いている。

 夏休み終盤。
十一時も過ぎたので寝ようと思いベッドに入り枕元を確認した。
絵がない。
ベッドの下も確認した。
ない。
俺は家中を探し回ったが見つからなかった。
やばい、さっちゃんが来る。
あまりにも怖かったのでその日は母の布団で一緒に寝た。
 朝になりホッとした。
なんだ、さっちゃんの話はウソだったんだ。
母にも笑われた。
その日から枕元には何も置かずに寝た。

 夏休みが終り、始業式の日。
あの話を教えてきた友達に、さっちゃんは来なかったと話した。
当たり前じゃん、来る訳ないじゃん。
友達がそう言ったので、こんな噂話を本気にしていた自分がバカに思えてきた。
 始業式が終り、ホームルーム。
先生が、夏休み前に借りた本を返しに図書室に行きましょう、と言った。
クラス全員で図書室に行き本を返す。
余った時間は読書をしなさいと先生が言った。
 俺が読みたい本は棚の高い位置にあり届かなかったので先生に頼んで取ってもらった。
先生が棚から本を取ると、その棚から一枚の紙切れが落ちてきた。
それが、あのバナナの絵だった。


















バナナ





 私の父は、結構怪しいものに憑かれやすく、何回も神社にお祓いに行ったことがあります。
私が小学生の頃から、よく連れて帰ってきては母が、

「 いい加減にしてよ~。」

と呆れてたのは覚えています。

 父は私が小学生の時、トラックの運転手で北海道から青森、秋田と走り回っていてよく家を空けていました。(北海道出身です)
 確か私が小学4年の時に、道北に荷物を運びに行き、3日後に帰ってきました。
そしていきなりバナナを見せられたのを覚えています。
その時に父から聞いた話をします。
 父は道北のある港に荷物を運びに行く途中道に迷ったそうです。
時刻は深夜2時を過ぎ、田舎なので街灯もなくただ一本道を走りつづけてました。

“ ○○町に行きたいのに家さえ見えてこない。”

内心焦りを感じていました。
 すると前方に誰かが歩いていたそうです

「 こんな時間に人なんているもんだな、まぁ助かった。」

父はスピードを緩め徐々にその人に近づきました。
その人の後ろ姿は、長袖にスカート、髪が肩ぐらいある女性でした。
 しかし近づくうちに、いつものやばい感じがしたそうです。

「 こんな真夜中に、普通歩いてるか・・・・?」

疑問に思いましたが、早朝までには港に行かなければならないので、道を尋ねることにしたそうです。

「 すみませーん。」

少々小さめな声で言ったそうです。
 その女性はピタッと歩くのを止め、父のトラックに近づいてきました。
トラックって結構高い位置に運転席あります。
だから、ドアから降りようと思ったらしいんですけど、その女性がドアに手をかけひょこっと顔をだしたんです。
 かなりそれにはびびったそうなんですが、思ったより女性の顔が人間だったんで大丈夫かなと思い、すぐに窓を開けて

「 あの~、○○町まで行きたいんですけど・・・・。」

すると女性は目を見開きにこりと笑って

「 そうですか~、そうですか!
もう真っ直ぐいけば交差点見えるんで曲がってすぐですよ!!」

夜中2時過ぎで眠気さえでていた父は、そのテンションの高さに圧倒されたそうです。
 しかし、女性が一人では危ないと考えて、

「 あのこんな遅い時間に一人で危ないですよ、送りましょうか?」

と言った瞬間、

「 バナナ食べます?」

なんかいきなり声のテンションが下がったらしいのです。
 その女性はトラックにかけてた手を降ろしました。
焦った父は窓から覗きこもうとすると、ぴょーんとバナナが投げ込まれたそうです。

「 なんか変な人だな~、どっからバナナだしたんだよ?」

と思いながら、お礼をと窓から顔を出しました。

「 あれっ?」

女性はすでにいませんでした。
投げ込まれてから何秒も経っていません。
 すぐにトラックから降りて見回したそうですが、先程言ったように街灯もなく田んぼしかない一本道。
誰一人いませんでした。
 怖くなり、すぐにトラックに乗り込んで走りだし、女性の言った道を進むとちゃんと町が出てきたそうです。
あれが人間だったのか幽霊だったのかわからないといいます。
ただ父が見せてくれたバナナは、その時の証拠だと言っていました。


















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