新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

心ふるえる風景 パリ編㊻  モンマルトルに住んだゴッホもロートレックも なぜあのサクレクール聖堂を描かなかったのか

2025-03-01 | 心ふるえる風景 パリ編

 サクレクール聖堂  モンマルトルの丘にそびえる高さ83mの教会は

 青空を背景にパリの市街を睥睨するかのように  純白の雄姿を誇っている

 エッフェル塔やオペラ座など パリ中心部にある建築物とは一味違って

 3本の円形尖塔を持つビザンチン様式の建物は 温かい雰囲気で人を迎え入れてくれる気がする

 

 それはモンマルトルという地区が 高き志を抱いてパリを目指した

 異国からの若者たちが 修業し語り合い花開いて世界に飛び出した場所であるという

 事実と重ね合わせてしまうからかもしれない

 

 実際イタリアからモディリアニ ロシアからシャガール オランダからゴッホなど

 多くの若者が この地で青春の血を燃やした

 また地元フランスでも ルノワール ロートレック ユトリロらもここから羽ばたいた

 

 近世パリの芸術文化の 大きな基点となったモンマルトル

 その地のシンボル的な建築がサクレクール聖堂ともいえそうだ

 

 ただ 意外なことに気が付いた

 サクレクール聖堂が完成したのは 実は1919年  第一次世界大戦が終わった翌年のこと

 永い歴史を誇るパリの中では 相当に新しい建築なのだ

 

 改めて 先ほど列挙した画家たちの没年を調べてみると

 ゴッホ1890年 ロートレック1901年 ルノワール1919年・・・

 ゴッホもロートレックも サクレクール聖堂の完成を見る事もなく他界してしまっている

 ルノワールは晩年は南仏に移住していたし わずかに1920年に亡くなったモディリアニだけが

 ぎりぎりで今のサクレクールを見ていたのかもといった感じだ

 

 道理で時代を代表する彼らの作品に なぜサクレクール聖堂が残っていないのか

 思えば当たり前のことに やっと納得した

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする