新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

モンサンミッシェル④ 長い階段を上って修道院へ。ただ、内部は「取り残された空洞」のイメージ

2020-06-23 | フランス・モンサンミシェル

 ようやく修道院への大階段が見えてきた。

14世紀から15世紀にかけて築かれた階段は90段。そそり立つような急こう配だ。上り切ってからチケット売り場があり、そこからが修道院の本体に突入ということになる。

 階段途中からさっき見てきた展望所が垣間見える。

 入場した後も、またまた階段。

 その上にある海抜80mの展望台「西のテラス」に到着した。

 ここからは、さきほどの眺めに加えてサンマロ湾の広角度の展望が広々と楽しめる。

 目の前には聖堂があり、大天使ミカエルの像が先端に立つ尖塔も間近だ。

 修道院の内陣に入ってみた。ここは15世紀に建設されたゴシック様式の建築。高く高く柱が伸びて壮大な空間を感じることができる。

 レリーフもいくつか。

 ただ、途中で城塞や監獄に使われたことから、内部を装飾する像や絵画などはほとんどなく、がらんとした印象だ。

 聞いてみると、15世紀にはロマネスク様式の内陣が壊れ、18世紀には身廊と修道院の半分も崩壊したということで、残されているのは全体の半分もないとのことだ。

 外観の凄さとは対照的に、内部は「時代に取り残された空洞」といったイメージが色濃く漂っていた。

 

 

 

 

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モンサンミッシェル③ 島内を歩き始める。オムレツの店からグランド・リュを通って修道院へ

2020-06-20 | フランス・モンサンミシェル

 島に入った。唯一の入口は前哨門。そこから「王の門」を抜ける。門には跳ね橋がついており、ここで敵の侵入を防ぐ仕組みになっていた。

 すぐに派手な赤いテントが見えてきた。ああ、ここが名物の特大オムレツで有名なレストラン「ラ・メール・プラール」だ。1888年創業という伝統の店。

 ちょっと覗いてみよう。すんなりと調理場まで入れてしまった。

 2人の女性がボールに沢山の卵を割り入れてかき混ぜている。

 トントントンと、かき混ぜる時の軽快なリズムが調理場中に響き渡る。ふと、川崎大師に行った時の、店先で飴を切るリズムを思い出してしまった。

 そこを過ぎるとメインストリート。グランド・リュとは「大きな通り」という意味だが、実際は人のすれ違いにも気を使うような狭い通り。

 ちょうど団体さんが入って来たので、かなりの混雑具合になってしまった。両側には土産物店、ホテル、レストランなどが軒を連ねている。

 途中、城壁の外を見ることが出来る小広場があった。

 そこから見る周辺は、砂州の広がり。

 干潮の時間帯だったので、海水はかなり沖合まで引いていて、

 いくつかの小さな流れが筋を描いていた。

 遠くに島が見える。3キロ沖合のあの島はトンブレーヌ岩というところだそうだ。

 振り向けば修道院が険しい崖の上にそそり立っている。

 その影が水面にくっきりと映り込んでいた。

 

 

 

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モンサンミッシェル② 聖堂~城塞~~監獄。海のバスティーユ~海上のピラミッド

2020-06-16 | フランス・モンサンミシェル

 ガイドブックなどの解説を思い出しながらモンサンミッシェルに向かって歩く。

 この修道院創設にはこんなエピソードがある。対岸の町アウランシュの司教だったオベールは、708年のある夜夢を見た。大天使ミカエルが現れ「かの岩山に聖堂を建てよ」と告げた。オベールがこのお告げに従って小さな聖堂を建設すると、モンサンミシェルは一夜にして周囲が海に沈み、孤島となったという。

 でも、司教といえばそれなりの地位の方。天使くらいに言われた所で、その命令を聞かなくたって・・・。と最初は思った。しかし、ミカエルは大天使。これはちょっとしたえらい天使なのだ。

 聖書には3人の大天使が登場する。一人はガブリエル。神の意志を伝える役割を持つ。あの聖母マリアに受胎の事を告げたのがこの大天使だ。

 また、ラファエルは病気やけがを治す大天使。そしてミカエルは神に最も近い存在で、最後の審判では死者が天国と地獄のどちらに行くかを決める役割持っているという。そういえば、ジャンヌダルクに「フランスを救え」と告げたのも聖ミカエルだった。

 従ってオベール司教はその命令には従わなければならなかったとされる。

 なお、名前の呼び方だが、ミカエルはイタリア語。フランス語だとミッシェルに、英語だとマイケルになる。ああ、ビートルズに「ミッシェル」という名曲があったっけ。ここはフランスなので「モン・サン・ミッシェル(聖なるミッシェルの山)」となるわけだ。

 聖堂から大規模な修道院建設へと改築が始まったのは966年。ベネディクト会によってスタートし、その後何度も改築を重ねて現在の形になった。

 孤立して建つ「海上のピラミッド」(ヴィクトル・ユゴーの言葉)だけに様々な使われ方をしてきた。

 14世紀の英仏百年戦争の際には戦略的な要素から城塞として活用され、16世紀に修道院として復活したものの、18世紀のフランス革命時には監獄として使われた。この時にはパリのバスティーユ監獄の名を取って「海のバスティーユ」と呼ばれたことも。通算の囚人収容人数は1万4000人にも上ったという。

 1863年にナポレオン3世の勅命で閉鎖され、修道院として現在の形に戻ったのは1966年のことだった。

 ようやく島に到着した。さあ、これからモンサンミシェル内部の探索に入ろう。

 

 

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モンサンミッシェル① 思い立って神秘の島へ。最も美しい風景を求めてホテルも対岸に決定。

2020-06-13 | フランス・モンサンミシェル

 モンサンミッシェル。フランス北西部ブルターニュ半島。北にイギリス海峡、南は大西洋に面した半島だが、その西海岸・マロン湾に浮かぶ孤島の修道院が「聖ミッシェルの山」と名付けられたモンサンミッシェルだ。

 数年前フランス旅行中に思い立ってモンサンミッシェルに向かった。大多数の観光客はパリから電車とバスで、あるいはツアーのバスで向かうが、私はたまたまランスに滞在中だったので、変わったコースを選んだ。

 まずランスから電車でシャンパーニュに行き、ここでTGVに乗り換えてレンヌへ。レンヌからはバスでモンサンミッシェルに行くという方法だ。 パリ経由という手もあったが、そうなるとパリ市内でもう1回乗り換えが必要となるため、迂回ルートを選択したというわけだ。

 ランス発午前8時でモンサンミッシェル到着午後2時と、結構な旅行となった。

 到着時はこんなくらいな小ささでモンサンミッシェルは見えた。到着後対岸にホテルを取った。島全体の姿を眺めるには対岸がベスト。

 ホテル名は「サンオベール」。大天使聖ミカエルから命令を受けて最初の聖堂建設を手掛けた地元の司教の名前そのもののホテルだ。隣のレストランでチェックインをし、カギを受け取って部屋に入るシステムだったが、問題は旧式のカギ。3回ほど回転させないと開かないという難関で、コツをつかむのにかなり苦労した。

 でも、ホテルからすぐの場所に島全体をバッチリばっちり眺めることの出来るスポットが見つかった。ここなら夕景、夜景、そして朝早い時間にも問題なく快適にホテルからの行き来が出来そうだ。

 

 

 

 

 

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