「鉄道」の話に戻ろう。ここに描かれているのは若い女性と子供だが、真のテーマは鉄格子越しに見える汽車の煙。汽車は後方のサンラザール駅に出入りしている所だ。
サンラザール駅は、1837年に開業した、フランス西部のノルマンディ地方への出発駅。1860年代に海水浴ブームが始まり、バカンスを楽しむために新興ブルジョワたちは遊覧列車に乗ってしばしの旅行を楽しんだ。
有名なモネの「サンラザール駅」も、この時代の作品だ。
こうした社会背景の中で、重要度を増す列車、駅の存在は、時代に敏感な画家たちの格好のテーマとなった。
オイローパ通りを歩いてみた。サンラザール駅から出発する列車がすぐ真下に見える。
サンクトペテルブルク通り、ロンドン通り、マドリッド通りと、ヨーロッパ各地の都市名が付いた3本の道が交差する場所に、ヨーロッパ橋が架かる。1860年代に架けられた高架橋だ。
産業革命の象徴のような鉄道の上にある堅固な鉄骨の橋を強調したこの風景を描いた絵がある。
カイユボットの「ヨーロッパ橋」だ。
電化された現在では経験できないが、橋の完成当時は「鉄道」の絵のように蒸気機関車から吐き出される煙が、この橋中を覆っていたことだろう。
マネが1872年から78年まで使っていたアトリエは、ヨーロッパ橋の少し北側にあった。
サンクトペテルブルク通り4番地。「鉄道」を描いたのはこのアトリエだ。
また、そのアトリエから直角に西に延びるのがベルヌ通り。当時はモニエ通りと呼ばれており、アトリエの窓からちょうど真っすぐにこの通りが眺められる。
1878年6月30日、万博を記念して祝日となったこの日のパリ・モニエ通りを描いた、マネの作品「旗のあるモニエ通り」。
まったく同じ日のパリの通りを描いたモネの作品もある。「モントグイユ通り」。風にたなびく無数の国旗、通りを埋める市民たちの歓声が街に響くかのようだ。
対して、マネの絵はどこか空虚。
よく見ると絵の左端に松葉杖の男が歩いている。マネが左足を切断したのは、この絵の5年後のこと。悲劇を予感させる何かがあったのだろうか?