新イタリアの誘惑

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エドゥアール・マネとその時代を歩く⑨ 傑作の舞台となった「フォリー・ベルジェール劇場」に行ってみた

2017-03-25 | マネと印象派

 モンマルトルのクリシー広場からサンクトペテルブルク通りを南下して行くと、すぐ左手39番地にマネ最後の家がある。1878年にここに越してきて、5年後の1883年に51歳で亡くなるまで過ごした場所だ。

 
 1881年、この家で、マネは生涯最後の大作に取り掛かっていた。すでに彼はその前年頃から健康状態が悪化していた。医師からは田舎での休養を勧められ、一時パリから離れたヴェルサイユで療養するほどだったが、彼の絵への情熱は少しも衰えていなかった。



 新作のテーマは、当時パリで最も人気のあったカフェコンセール「フォリー・ベルジェール」を舞台とした、華やかなパリの夜のひと時を切り取ること。
 カフェコンセールとは、飲み物とともにオペレッタなどの出し物を提供する流行の社交場だ。


 そのフォリー・ベルジェール劇場が今もあると聞いて、出かけてみた。地下鉄ノートルダム・ド・ロレット駅から東方向に約300mも歩くと、朝日を浴びて輝く建物がすぐに見つかった。

 正面の白い壁面中央に、金の浮き彫りがなされている。よく見ると、女性がダイナミックなゼスチャーで踊っている。いかにも華やかな装飾だ。

 両サイドにも金のレリーフ。3つの仮面があしらわれている。

 この日はちょうど休演日らしく中には入れなかったが、元気だったマネもこの場所に足しげく通ったのかと思うと、あの髭のおじさんが劇場内のバーでカクテルでも飲んでいる様子が、おぼろげに脳裏に浮かんでくる思いだった。

 連夜歓楽の饗宴を繰り広げる夜の社交場。ロートレックやドガは主役にスポットライトを浴びる演じ手を選んだが、マネは違った。

 絵の中心に立つのは、バーカウンターの給仕娘。彼女は実際に店で働いていたシュゾンという女性だ。

 ただ、マネには店に出向いて制作するだけの活力は残っていなかった。そこで、友人たちが行ったのは、急遽マネのアトリエにバーカウンターを設置し、シュゾンを連れてくること。
 
 再現された‟劇場空間”で、マネは残された情熱を振り絞って大作にのめり込んでいった。

コメント (2)
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