【Q】729年、大伴旅人(おおとものたびと)が九州に赴任中に都で起きた事件は?
イ)隼人反乱
ロ)藤原広嗣の乱
ハ)長屋王の変
答えは一番下↓
≪広島旅その25≫
5月3日(月)、
【万葉の歌碑】
いろは丸展示館を後にして鞆港バス停から仙酔島渡船場まで移動しました
渡船場の向かい側の崖下に万葉歌碑があります
万葉集には鞆の浦に関する歌が8首あります。
写真の歌は
「吾妹子(わぎもこ)が見し鞆の浦のむろの木は常世(とこよ)にあれど見し人そなき」
作者は大伴旅人。
727年、旅人は大宰府に左遷されたが、
730年、いよいよ都に帰ることになり鞆の浦でこの歌を詠んだようです
むろの木は神木、行く時はここで妻と航海の安全を祈願したのかも?
旅人の妻大伴郎女(おおとものいらつめ)は728年に大宰府で亡くなってます
帰りに立ち寄った時は一緒に見てくれる妻がいません
左遷と妻を亡くした悲しい思いをこの歌から読み取れるのではないか?
そして旅人は都に帰ってまもなく亡くなります
歌は悲しいが、
実際にはこの付近観光客も多く渡船乗り場で行列ができてるし観光鯛網船が賑やかだし往時を偲ぶ雰囲気はありません
続く
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
『龍馬伝』次週から最終章ですね。
我が輩は霧島温泉に泊まって翌朝霧島神宮を参拝しました。
この時、鉢植えのエビネを買ったがその後どうなったか忘れました
高千穂峰には登ってません。
登ってみたいけどもう無理です、右膝が痛むから。
ドラマでは山頂の逆鉾を龍馬が抜いてましたが、今は触ることが出来ないそうです。
余談ですが、大相撲で逆鉾という力士がいましたね。寺尾の兄です。
あまり強くなかった記憶が…
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
答:長屋王の変
藤原四兄弟が仕組んだ謀略と言われてますね。
藤原氏が中央政治を独占するきっかけとなりました。
大伴旅人が都にいたら多分巻き込まれてただろうね
後にこの四兄弟が相次い流行病で亡くなったため長屋王の怨霊と恐れられたりしました。
大伴旅人の子は家持、高岡市の万葉歴史館が思い浮かびます
全然関係ないけど大伴旅人が亡くなる前に諏訪国が廃止され信濃国の一部となりました
♪(*^ひ^*)で
イ)隼人反乱
ロ)藤原広嗣の乱
ハ)長屋王の変
答えは一番下↓
≪広島旅その25≫
5月3日(月)、
【万葉の歌碑】
いろは丸展示館を後にして鞆港バス停から仙酔島渡船場まで移動しました
渡船場の向かい側の崖下に万葉歌碑があります
万葉集には鞆の浦に関する歌が8首あります。
写真の歌は
「吾妹子(わぎもこ)が見し鞆の浦のむろの木は常世(とこよ)にあれど見し人そなき」
作者は大伴旅人。
727年、旅人は大宰府に左遷されたが、
730年、いよいよ都に帰ることになり鞆の浦でこの歌を詠んだようです
むろの木は神木、行く時はここで妻と航海の安全を祈願したのかも?
旅人の妻大伴郎女(おおとものいらつめ)は728年に大宰府で亡くなってます
帰りに立ち寄った時は一緒に見てくれる妻がいません
左遷と妻を亡くした悲しい思いをこの歌から読み取れるのではないか?
そして旅人は都に帰ってまもなく亡くなります
歌は悲しいが、
実際にはこの付近観光客も多く渡船乗り場で行列ができてるし観光鯛網船が賑やかだし往時を偲ぶ雰囲気はありません
続く
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
『龍馬伝』次週から最終章ですね。
我が輩は霧島温泉に泊まって翌朝霧島神宮を参拝しました。
この時、鉢植えのエビネを買ったがその後どうなったか忘れました
高千穂峰には登ってません。
登ってみたいけどもう無理です、右膝が痛むから。
ドラマでは山頂の逆鉾を龍馬が抜いてましたが、今は触ることが出来ないそうです。
余談ですが、大相撲で逆鉾という力士がいましたね。寺尾の兄です。
あまり強くなかった記憶が…
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
答:長屋王の変
藤原四兄弟が仕組んだ謀略と言われてますね。
藤原氏が中央政治を独占するきっかけとなりました。
大伴旅人が都にいたら多分巻き込まれてただろうね
後にこの四兄弟が相次い流行病で亡くなったため長屋王の怨霊と恐れられたりしました。
大伴旅人の子は家持、高岡市の万葉歴史館が思い浮かびます
全然関係ないけど大伴旅人が亡くなる前に諏訪国が廃止され信濃国の一部となりました
♪(*^ひ^*)で