【Q】福島の名付け親は?
イ)伊達氏
ロ)蒲生氏
ハ)上杉氏
答えは一番下↓
≪南東北へgo米沢≫
2012年5月3日(木)
至米沢
至仙台
#
#
福
島→→→→
駅 ↓
# 大手門跡
# ↓ ~
# ┏━━┓★~
# ┃県庁┃~阿
# ┃_/~武
# ~隈
# ~川
至郡山
16時56分、
『福島駅』
電車が福島駅終点だったため、たまたま駅を出たのですが、出た以上ただでは帰りません!
福島市は福島県の県庁所在地。
県庁のあるところお城&城下町あり、これが基本。
夕方で薄暗く雨も本降り、気持ちは萎えがちだが、頑張りました!
駅前の道を真っ直ぐ東へ。
途中で右折すると県庁前の広い道路に。
駅から歩いて約15分。
17時18分
『福島城大手門跡』
石碑があるだけです
一般に大手門と言われてますが、追手門という場合もある。
敵を追うので正面は追手門。
裏口は搦手門です。
ちなみに大阪府茨木市の追手門大学、この追手門は大阪城の正面に位置するからだとか?
突き当たりが福島県庁。
この付近に二の丸、本丸があったようです。
県庁の東の端の隅っこに
★『もみじ山公園』
画像が薄暗くてよくわからない。
レンズに雨粒がついてます
ここは二の丸外庭で藩主板倉氏の御殿庭だったようだ
もみじ山だけに紅葉の季節に来るべきか?
「大佛城出土宝塔」
県庁の西の土手から出土した宝塔が公園に移されてここに据えられた。
福島城の前身は杉妻(すぎのめ)寺で、
杉妻寺大仏城と呼ばれた。
「板倉神社」
公園の一番端にある。
藩主の神社も城下町に付き物ですな。
我が市にも井伊神社が彦根城じゃなくて佐和山城の麓にあります
神社は
阿武隈川の堤防の上にある
阿武隈川が天然の要害として外堀の役目を果たしてるのですな
先の大震災で神社が倒壊。
仮社が大木のそばにあった
倒れた木々などもあり被災の爪痕が痛々しかった
12月末に再建完了する予定だそうな。
あたりはもう真っ暗
これ以上の探索は無理
駅へ引き返しました
約一時間の福島城歩きでした
再び福島駅。
18時00分
続く〓
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
本日の答え、
『蒲生氏』
杉妻(杉目)城と呼ばれてたのを縁起のよい福島城に改名した
北にある信夫山から風が吹きおろし、吹く→福に。
福島城は伊達氏以後、蒲生氏、会津領、天領となり次々に藩主が交代したが、元禄時代に板倉氏となってから3万石として幕末まで続いた。
余談ですが、学生時代大津市の古文書調査をしたが訴状史料に京都所司代板倉氏の名前が出てきてた
後の大岡裁きの話は板倉氏の判例が伝わったとか?
写真付ブログ
http://blog.goo.ne.jp/hakusiyu/0?guid=ON
Φ(*^馬^*)φ
母の二回目の手術は無事成功!
早期発見で心筋梗塞を防ぐことができた
まずは良かったです
現在は退院して安静にしてます
しかし、治療費高かったな…
今年はいろいろと貧乏になった我が家です
なお、入院中に相続手続き完了。
父の財産、現金はすべて母が。
現在の家屋と土地は我が輩、
畑は弟の所有と決まった。
母の裁定に従うのみでした
ちなみに畑はお墓のすぐそばにあり、土地の評価額はほぼ0です
弟はなんとかして畑を高く売りたいようだが、売れるかな?
我が輩は固定資産税が負担に。
いずれにせよ
我が輩は長生きできないので、最終的に全財産は弟→甥や姪に移動します
うーん…
だぜぇ~
馬〓ひでにゃん〓
(*⌒Q⌒*)水瓶
イ)伊達氏
ロ)蒲生氏
ハ)上杉氏
答えは一番下↓
≪南東北へgo米沢≫
2012年5月3日(木)
至米沢
至仙台
#
#
福
島→→→→
駅 ↓
# 大手門跡
# ↓ ~
# ┏━━┓★~
# ┃県庁┃~阿
# ┃_/~武
# ~隈
# ~川
至郡山
16時56分、
『福島駅』
電車が福島駅終点だったため、たまたま駅を出たのですが、出た以上ただでは帰りません!
福島市は福島県の県庁所在地。
県庁のあるところお城&城下町あり、これが基本。
夕方で薄暗く雨も本降り、気持ちは萎えがちだが、頑張りました!
駅前の道を真っ直ぐ東へ。
途中で右折すると県庁前の広い道路に。
駅から歩いて約15分。
17時18分
『福島城大手門跡』
石碑があるだけです
一般に大手門と言われてますが、追手門という場合もある。
敵を追うので正面は追手門。
裏口は搦手門です。
ちなみに大阪府茨木市の追手門大学、この追手門は大阪城の正面に位置するからだとか?
突き当たりが福島県庁。
この付近に二の丸、本丸があったようです。
県庁の東の端の隅っこに
★『もみじ山公園』
画像が薄暗くてよくわからない。
レンズに雨粒がついてます
ここは二の丸外庭で藩主板倉氏の御殿庭だったようだ
もみじ山だけに紅葉の季節に来るべきか?
「大佛城出土宝塔」
県庁の西の土手から出土した宝塔が公園に移されてここに据えられた。
福島城の前身は杉妻(すぎのめ)寺で、
杉妻寺大仏城と呼ばれた。
「板倉神社」
公園の一番端にある。
藩主の神社も城下町に付き物ですな。
我が市にも井伊神社が彦根城じゃなくて佐和山城の麓にあります
神社は
阿武隈川の堤防の上にある
阿武隈川が天然の要害として外堀の役目を果たしてるのですな
先の大震災で神社が倒壊。
仮社が大木のそばにあった
倒れた木々などもあり被災の爪痕が痛々しかった
12月末に再建完了する予定だそうな。
あたりはもう真っ暗
これ以上の探索は無理
駅へ引き返しました
約一時間の福島城歩きでした
再び福島駅。
18時00分
続く〓
‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡‡
本日の答え、
『蒲生氏』
杉妻(杉目)城と呼ばれてたのを縁起のよい福島城に改名した
北にある信夫山から風が吹きおろし、吹く→福に。
福島城は伊達氏以後、蒲生氏、会津領、天領となり次々に藩主が交代したが、元禄時代に板倉氏となってから3万石として幕末まで続いた。
余談ですが、学生時代大津市の古文書調査をしたが訴状史料に京都所司代板倉氏の名前が出てきてた
後の大岡裁きの話は板倉氏の判例が伝わったとか?
写真付ブログ
http://blog.goo.ne.jp/hakusiyu/0?guid=ON
Φ(*^馬^*)φ
母の二回目の手術は無事成功!
早期発見で心筋梗塞を防ぐことができた
まずは良かったです
現在は退院して安静にしてます
しかし、治療費高かったな…
今年はいろいろと貧乏になった我が家です
なお、入院中に相続手続き完了。
父の財産、現金はすべて母が。
現在の家屋と土地は我が輩、
畑は弟の所有と決まった。
母の裁定に従うのみでした
ちなみに畑はお墓のすぐそばにあり、土地の評価額はほぼ0です
弟はなんとかして畑を高く売りたいようだが、売れるかな?
我が輩は固定資産税が負担に。
いずれにせよ
我が輩は長生きできないので、最終的に全財産は弟→甥や姪に移動します
うーん…
だぜぇ~
馬〓ひでにゃん〓
(*⌒Q⌒*)水瓶