【Q】遠州城東郡新野村。
現在のどこ?
イ)浜松市
ロ)御前崎市
ハ)静岡市
答えは一番下↓
≪箕輪城へgo≫
2015年5月1日(金)
箕輪城跡を巡ります
10時07分
『虎韜門』ことうもん。

なかなか読めませんね。「韜」ふみとも読む
広辞苑によると踏襲の踏と同じ、と書いてある。
虎を踏む門ですか?
虎を踏んだらただでは済まない
そういう意味の門?
中国の兵法書に「六韜(りくとう)」がある。
六巻のうちの一つ。虎の巻の語源は虎踏。
虎韜は平野で戦う際の戦略戦術や武器の使用法などをとりあげている
。
秘伝ですわ。
井伊直政が大手門にした時に名付けたらしい。
ホンマかいな?
虎といえば、遠州井伊谷に本拠があったころの当主に井伊直虎がいます。名前は虎ですが、女性です。
この女当主が幼少の直政を養育したと言われてる
幼少の直政は虎松と呼ばれてました。
家康から大事な城を任されて張り切った直政がこちらを大手にして虎にちなむ名前を付けたのかも?
本来は奥へ進むべきだが、
東に階段があるので登りました。

安土城なら真っ直ぐの大手道を登る気分ですが、
ここは、
『大堀切』

道じゃなくて堀の底でした。
だから当時は階段なんか無かったはず。
発掘調査したらこの地面の5m下に石垣が見つかった
堀底は石垣のさらに下7.5m以上の深さ。
石垣が堀に平行して築かれてあれば彦根城と同じく登り石垣か!
と思いたくなるが、さすがにそれはない
堀を横断するように石垣が築かれてるので、防御壁・砂防ダムの役割があったと説明板に書いてある。
この大堀切が南北を分断、「一城別郭」と表現される。

彦根城でも大堀切で分断されてるが、彦根城の場合は大堀切の堀底を通り、鐘の丸経由でないと本丸に行けないようになってる。
上から堀底の敵を攻撃し、鐘の丸が占領されたら廊下橋を落として本丸に行けないようにする作戦でした。
公民館の職員さんの話では虎韜門付近にガイドのおじさんがいて、説明をしてくれます、とおっしゃってくださったが、
ガイドおじさんは前を行く若い女性に付きっきりで説明してました…

さらに堀底道を登る。

向こうに石垣が見えてきました

どうやら土橋の基底部の石垣のようです
10時15分、
『郭馬出』
堀の中の出島みたいになってます
南と北、2つの城郭を結ぶ、分断する広場ですな

工事してます。
土橋を通って二ノ丸へ行けません!
我が輩は敵か?
仕方ないので迂回しますが、
そう簡単には引き下がらない我が輩です…

続く👍
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本日の答え、
『御前崎市』
井伊家の当主直親は謀叛の嫌疑をかけられて今川氏真に暗殺された。
これにより井伊家は断絶しかけたが、
井伊家と親しかった御前崎新野の豪族新野氏が直親の正室直虎と遺児直政を保護した。
女領主となった直虎は直政を養育する。
直虎と直政は直接の親子ではない。
井伊家を救った新野氏はその後亡びます。
が、後に井伊直中の子親良は筆頭家老木俣の養子となり、さらに新野家を復興させます。
親良と大老直弼は兄弟です。
再来年の大河ドラマ「井伊直虎」が楽しみですね。
木俣家と新野家は必ず登場するのでこのマガで取り上げたことを覚えておきましょう。
我がひこにゃん市も大河ドラマ直虎にちなんだイベントを計画中だニャー!
ブログ
http://blog.goo.ne.jp/hakusiyu/0?guid=ON
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@紫七部様
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
昔、父が生きてる頃は川の上に大きなシートを敷いて
柿が川底に落ちないようにしてたものです。
なんでも知恵を絞って器用にこなした父が最後は認知症になるなんて…。
今度の祝日は弟が来るので、
最後に残った柿を根こそぎ持って帰る。
今年の柿もおしまいです
@みかんを食べる怪盗ひこにゃん様
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
みかんといえば、有田みかんが最高。
仕事してる頃は会社の守衛さんに
お歳暮として有田の田村みかん箱入り4500円のをあげた。
我が家はとてもとても食べられない高級みかんですわ。
畑にはミカン、いよかん、ゆずの木がある。
ミカンは手入れしてないのでほとんど取れない。
いよかんはたくさん取れるが酸っぱいので我が輩は食べない。
ゆずは去年の大雪で枝が折れた。
トゲが痛いし、食べるのはつらいので柚もあまり嬉しくない
父がいないと我ながら困ったもんやわ
ニャー
馬ひでにゃん
(*⌒Q⌒*)ヒヒーン