2021年2月21日(金)
河後森城から宇和島駅に戻ったのが
14時20分。
このまますぐに宇和島城へ向かうべきなのだが、ちょこっと寄り道することにした。
結局、これが大きな失敗に…
駅から港へ向かう。
宇和島社会福祉センター、
電話ボックスの上に牛鬼。
毎年7月に「うわじま牛鬼まつり」が盛大に催されるが、今年は例のごとく中止になったそうです。
ちなみに我が輩が訪れたこの時は松山市でコロナ感染者が1名、
という状態。
その後、まさかこんなに大感染するとは誰も想像しなかった…
「宇和島市歴史資料館」
由緒ありそうな建物ですよね。
明治17年(1884)9月、宇和島広小路(宇和島城の南東)に「宇和島警察署」として建てられたもの。
その後、
昭和28年から、南宇和郡西海町(現:南宇和郡愛南町)に移築され、役場となり、
平成4年(1992)に宇和島に戻り、復元されました。
明治時代の「擬洋風建築」として
平成8年(1996)に登録有形文化財に指定されました。
で、この隣に
14時46分、
「樺島砲台跡」。
幕末の安政2年に宇和島藩が海防のために海を埋め立てて築いた。
お台場と呼ばれたそうで、これは復元です。
五門の砲台が設置された。
自由に内部へ入れます。
周囲は堀のようになってるが海だったと思います。
隣の資料館に詳しい展示物があるそうだが、時間がないので入ってません。
東京のお台場が続百名城に指定されたので行ってみたいけど、行けるかな?
砲台見学後、真っ直ぐ駅へ戻るべきなのだが
ガイドマップを見ると須賀川の対岸に「多賀神社」を見つけた。
我が地元の多賀大社と関係ありそうなのでちょこっと立ち寄ることにした。
15時06分、「多賀神社」
確かに多賀大社の分社なのだが、
入口の自然石には
「千五百守社」と刻まれてる。
「ちいほもりのやしろ」と読むそうです。
この地域では最古の社という意味があるとか?
境内に入ると、異国風の石像がある。
↑中央に男根像、その向こうに信楽の狸像
奥の社殿には
またしても男根。
そういえば、ガイドブックには「凸凹神堂」と書いてある。
性に関する社でもある。
宇和島藩伊達家と彦根井伊家は、初代藩主より縁戚関係にあるため、多賀大社の分社として祭ったが、本来は原始的な伝統のある地域の社だったのかも?ね。
時間がないので寄り道はこれくらいにして急いで宇和島城へ向かいました。
その途中に
「穂積橋」
宇和島藩士で法学者の「穂積陳重」の功績を称えて名付けられた橋。
銅像として仰がれるよりもみんなに渡ってもらえる橋になったほうがいい、と言う氏の思いを尊重したそうです。
食堂もある。
橋の近くに
「高野長英の隠れ家」
宇和島藩主伊達宗城が長英の才能に魅せられて招聘し、ここに匿った。
長英は蘭学の教授の他に藩の砲台建設にも携わりました。
残念ながら、最後は幕府に捕らえられ無念の死となりました。
城下町にはこのような史跡がいっぱいあるが、もう寄り道できない!
急ぎました
15時40分、
城山登山口到着。
目の前に見える桑折氏長屋門を入って天守まで駆け足で登ります。
というのは、
天守は16時で閉館。
あと20分しかない。
冬場は早く閉まるのです。
て、早すぎやろ!
次回へ続く~
馬《●▲●》助ヒヒーン♪