本年の猛暑の外堀巡り、
名古屋城、黒野城に続いて
第3弾は、
摂津の【有岡城】伊丹市
西国街道歩きで、伊丹市まで来たので城跡探索をすることにした。
有岡城に関しては説明不要でしょう。
鎌倉時代、在地領主の伊丹氏が築いた。
戦国時代、池田氏の家臣だった荒木村重が、主君を倒し織田信長の配下として伊丹城を有岡城と改名し本拠とした。
【総構え】
本丸は内堀の中に、
侍町は中堀の中に、
町家は外堀の中に、
武士も町人も外堀に囲まれたなかにあり、近世城下町のさきがけと言って良い。
そして外堀の土塁には要所要所に砦が築かれた。
台地の上の城下町と砦、
まさに城下町要塞、これは堅固ですよね。
戦国時代初期に総構えの城下町は珍しく、そのため信長も有岡城攻めに難儀した城でした
2024年8月16日。
猛暑日でした☀️
伊丹駅の観光案内所で、有岡城のパンフをいただく。
案内所のお姉さん、
『暑いので気をつけてくださいね』
と、声をかけてくれた。
そのかたじけないお言葉、
伊丹だけに痛み入った次第、
でゴザル😅
では、いざ参る!
駅前に有岡城の本丸遺構があります。
本丸だけなら駅近優良物件です。
というか、伊丹駅は本丸の中に設置された。
石垣が一部残されてる
官兵衛ゆかりの藤。
さて、黒田官兵衛は本丸のどこに幽閉されたのだろうか?
本丸の西側に
見事な内堀が残されてる。
堀の遺構としてはこれが唯一かな…
では、反時計回りに外堀跡を探索します
まずは、
「北ノ口砦跡」
砦遺構は消滅したので、高低差で遺構を妄想するしかない。
歩いてる所が堀底だったのでしょう。
横矢掛けのような折れから
最北端に向かうと
「岸ノ砦」
現在、岸ノ砦は猪名野神社になってます
外堀の土塁が残されてる。
土塁としては唯一かな。
どこから攻めても外堀、土塁と砦が障壁となる。
これは難攻不落の城ですわ。
これより西側を南へ下る
これより西側を南へ下る
阪急伊丹駅の北に
「昆陽口惣構跡」
堀跡は暗渠になる
昆陽は、こんようと呼んではいけません。
西国街道の昆陽宿方面への出入口に当たる重要な場所です
有岡城攻めで、信長は昆陽野に陣を敷いて攻めるが、10ヶ月持ちこたえ、
荒木村重遁走後、落城した。
総構えの堅固さは凄いのです。
伊丹と言えば、酒蔵の町
清酒白雪が有名ですな。
灘五郷と伊丹が日本遺産になってます
この南に
「上臈塚砦」
有馬街道と昆陽口を睨む
遺構は無し、マンションの付近にありました。
高台になってます。
高台の下を南下する。
石垣と道路で、外堀跡を想起させられます。
南へ水路があるので、追いかける
石垣は当時のものではない
伊丹の台地は南端へ細くなる。
尾根の先端と思えばよい。
その先端に
「鵯塚砦」ひよどり塚
高台に住宅があり、私有地のため外から眺めるのみ…
外堀歩きは砦の南端からUターンして東側を北へ
この水路の石垣は当時のものだったりして…😅
東側の外堀歩きはJRの線路沿いを縫うように進む
有岡小学校の横を通る
高低差だけでお腹いっぱいです😁
外堀一周しました。
猛暑のなか、無事に伊丹駅に戻った
約4時間、8キロ歩きました。
馬《●▲●》助ヒヒーン♪