馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

美濃黒野城を攻める、の巻

2024-07-22 16:37:25 | 美濃国の史跡
近江国坂田郡磯野村出身の武将で、後に美濃黒野城主となったのが、
加藤貞泰

4万石の領地を得て城下町を築きました。
加藤家と言えば熊本藩主の加藤清正や水口藩主の加藤明友(嘉明の孫)などの系統があるが、直接は繋がってない。

黒野城主だったのは秀吉時代から江戸時代にかけてのわずか16年間で、後に伊予大洲城主として明治維新まで存続しました。

わずか16年とはいえ、城跡及び城下町の遺構の痕跡が少なからず今も現存しています。

電車で岐阜駅に。

黄金の信長公がお出迎え。
いやそれにしても暑い。
この蒸し暑いのにピカピカのマントは暑苦しい

駅前からバスに揺られて約30分。

黒野城前バス停下車(460円)
案内板が充実していて地元愛を感じる
すぐに水堀跡へ。
向こうに橋が見えるが、これは本来無かった。
昭和時代に公園として整備された時に付けられたそう。

本丸の入口は、西側に一箇所のみ。

こちらが、本来の入口

車で来ても良かったな、と後悔する。

石碑の所に城門があったか。
奥にトイレ。この付近が枡形状虎口、
虎口の南側に顕彰碑

この顕彰碑近くに階段があり、
土塁の上へ

櫓台は張り出していて横矢掛けを兼ねる
櫓は南東と北西の2箇所のみ。
四万石の城なので名古屋城と比較してはいけません。

反時計回りに北上する
土塁の上にベンチが適宜設置されてるが、直射日光が当たり座る気にならない

土塁ウォーク、西へ向かう


そして、南下する
土塁が直角に折れて盛り上がる
枡形状虎口をうまく撮影できてないのが情けない

本丸内部は特に何もない

発掘調査されて石垣と菊紋瓦が見つかった。
パンフレットの画像





本丸跡は以上です。



この後、暑いなか城下町跡、外堀跡痕跡を約3時間探索します

続く


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
































コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2回目の面会は、‥‥😭、の巻 | トップ | 美濃黒野城、城下町&外堀跡巡り »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿