βNHK深夜便β
『スペシャルインタビュー』
†ユーミンが語る音楽と私の人生†
@6月に2回に渡って放送された松任谷由実さんへのインタビューの模様をちょこっと紹介します
〓挨拶
√ユーミンと呼んでください!
キャラクターグッズと思って。
〓新曲について
√新曲『ダンスのように抱きよせたい』
中井喜一主演の映画の挿入歌。
夫婦愛の歌として作った
寄り添ってずっと走っていくような夫婦をダンスとして表現した
√「あなたにあえてよかった」
というフレーズは夫婦とともにファンに対しても言える
周りに素直になった
〓曲作り
√日常生活を写しとってくる→無意識に曲に反映される
〓子供の頃
√小さい時から音楽に敏感だった
幼稚園の時、聴音のお遊戯で人より早かった
√子供の頃、お昼に洋画劇場があって見てた
映画音楽に親しむ
√呉服屋に80人ぐらいの従業員がいた
その人達の影響もありコンチネンタルタンゴに親しんだ
√家が米軍基地に近い。
軍人さんがアメリカの生地を持ち込んで店(呉服屋)にやってくる
洋裁の部屋で遊んだ
アメリカ人が菓子をくれた
洋風の文化に染まって成長した
√中学一年の時、FEN(極東放送)のラジオを聴いた
プロコムハレムの青い影がきっかけ。
キリスト教の学校に通った
教会音楽、バッハやヘンデルを聴いて自分でも曲が作れると思って作ったのが音楽の始まり。
〓デビュー
√14歳の時に曲を作った。
タイガースを脱退してソロとなった加橋克美さんのシングル曲となった
雑誌の話題になった
√変わった曲なので自分歌うしかなかった→シンガーソングライターに。
デモテーブを持ち込むために歌った
√音楽は親に内緒で隠れてやってた
√当時、OLとは言わずにBG(ビジネスガール)と言ってた
普通のBGになりたくなかった
√最初から自由業アーティスト志向だった普通の生活仕事は無理と思ってた
√絵の勉強で美大に入学した
絵が呉服に役立つ、と親は考えてた
本人は音楽をやりたかった
√アルバムデビューで親にバレた。
√ニューミュージックと呼ばれた
デビューしたら女陽水、女拓郎と書かれた
曲自体はメルヘンと言われた
それが嫌だった
√飛行機雲の頃、原盤のレコード会社自体が進歩的な新しい若い会社で、荒井由実に賭けた!
√苦節一年半、東北地方を廻ったりもした
√ルージュの伝言の頃からブレイクした
√80年代はユーミンの時代と呼ばれた
が、なぜか音楽の歴史解説書には登場しない(笑)。
√チームでユーミンの暖簾を守り続ける
個人とユーミンブランドのはざまで悩んだりする
√商家では本音より建て前が大切。
これがユーミンブランドにも?
√自分の声が変わってるのでユーミンの声がプロジェクトの主導権に。
この声がすべて。
√自分の生まれた環境や風土・時代が音楽に影響を与えた
√自分の創作活動を妨げる大きな事件がない世代に生きた(平和な日本)のは幸運だったかも。
Φ(*^ひ^*)φ
第1日目は以上です
新曲紹介と荒井由実時代までのユーミンの生き様を語ってくれました
親に隠れて一生懸命自作を音楽出版社に売り込んでた、地方回りもしたユーミンの姿に親しみがわきますね
次回は松任谷由実時代です
♪(*^ひ^*)で10.08.12.午前10時01分
『スペシャルインタビュー』
†ユーミンが語る音楽と私の人生†
@6月に2回に渡って放送された松任谷由実さんへのインタビューの模様をちょこっと紹介します
〓挨拶
√ユーミンと呼んでください!
キャラクターグッズと思って。
〓新曲について
√新曲『ダンスのように抱きよせたい』
中井喜一主演の映画の挿入歌。
夫婦愛の歌として作った
寄り添ってずっと走っていくような夫婦をダンスとして表現した
√「あなたにあえてよかった」
というフレーズは夫婦とともにファンに対しても言える
周りに素直になった
〓曲作り
√日常生活を写しとってくる→無意識に曲に反映される
〓子供の頃
√小さい時から音楽に敏感だった
幼稚園の時、聴音のお遊戯で人より早かった
√子供の頃、お昼に洋画劇場があって見てた
映画音楽に親しむ
√呉服屋に80人ぐらいの従業員がいた
その人達の影響もありコンチネンタルタンゴに親しんだ
√家が米軍基地に近い。
軍人さんがアメリカの生地を持ち込んで店(呉服屋)にやってくる
洋裁の部屋で遊んだ
アメリカ人が菓子をくれた
洋風の文化に染まって成長した
√中学一年の時、FEN(極東放送)のラジオを聴いた
プロコムハレムの青い影がきっかけ。
キリスト教の学校に通った
教会音楽、バッハやヘンデルを聴いて自分でも曲が作れると思って作ったのが音楽の始まり。
〓デビュー
√14歳の時に曲を作った。
タイガースを脱退してソロとなった加橋克美さんのシングル曲となった
雑誌の話題になった
√変わった曲なので自分歌うしかなかった→シンガーソングライターに。
デモテーブを持ち込むために歌った
√音楽は親に内緒で隠れてやってた
√当時、OLとは言わずにBG(ビジネスガール)と言ってた
普通のBGになりたくなかった
√最初から自由業アーティスト志向だった普通の生活仕事は無理と思ってた
√絵の勉強で美大に入学した
絵が呉服に役立つ、と親は考えてた
本人は音楽をやりたかった
√アルバムデビューで親にバレた。
√ニューミュージックと呼ばれた
デビューしたら女陽水、女拓郎と書かれた
曲自体はメルヘンと言われた
それが嫌だった
√飛行機雲の頃、原盤のレコード会社自体が進歩的な新しい若い会社で、荒井由実に賭けた!
√苦節一年半、東北地方を廻ったりもした
√ルージュの伝言の頃からブレイクした
√80年代はユーミンの時代と呼ばれた
が、なぜか音楽の歴史解説書には登場しない(笑)。
√チームでユーミンの暖簾を守り続ける
個人とユーミンブランドのはざまで悩んだりする
√商家では本音より建て前が大切。
これがユーミンブランドにも?
√自分の声が変わってるのでユーミンの声がプロジェクトの主導権に。
この声がすべて。
√自分の生まれた環境や風土・時代が音楽に影響を与えた
√自分の創作活動を妨げる大きな事件がない世代に生きた(平和な日本)のは幸運だったかも。
Φ(*^ひ^*)φ
第1日目は以上です
新曲紹介と荒井由実時代までのユーミンの生き様を語ってくれました
親に隠れて一生懸命自作を音楽出版社に売り込んでた、地方回りもしたユーミンの姿に親しみがわきますね
次回は松任谷由実時代です
♪(*^ひ^*)で10.08.12.午前10時01分