ストック
haruniwa
今、ドキュメンタリー作品で一番みたいと思っているのは、ジェシカ・ユー監督作品『非現実の王国ヘンリー・ダーガーの謎』(2004)です。
だれにも知られず、10代から70代後半まで一人きりでファンタジーを書き続け、挿絵を描き続けた掃除夫ヘンリー。掃除人を解雇され、老人ホームに入ったが、アパートの一室に、膨大な作品が残された。たまたま大家がアーティストであったために、彼の作品は、「焼却処理」されずに、世に出された。驚くべき長編ファンタジーと挿絵。
私は2008年3月にこの作品が劇場公開されたときはまったく気づかず、1年たってDVDが発売されてようやく気づきました。見たいです。ヘンリーダーガーについてのコラムを掲載してから中国へ行きたいです。
カフェコラムのストックはあと2,3ヶ月分はあるのだけれど、このごろ身辺雑記は書くには書いても、直前に掲載をやめたりして、文学と日本語学の話が多くなっています。
4月からは中国通信を書きたいのだけれど、4月は、書きためてある漢字関係の話にするかも。
仕事が終わったあとの「ひとりおつかれさん会」夕食に新宿高野でオムライスとビールでひとり乾杯。
家に帰れば、娘息子に「洗濯、お茶碗洗いが山になっている」と、責められる。
13日金曜日にブックオフ飯田橋で「単行本500円均一セール」をやっていたので、今期の「よく働いたごほうび」を買った。『交隣須知の日本語』とか、元値の2400円では
2009-02-20 16:30:48 ページのトップへ
つづき
haruniwa
買える値段ではない。500円なら、買っておいてツンドクしておいてもいいかな、って思って買ったのだけれど、ツンドクの余裕のない部屋のありさま。ああ、片づけがいやだ。しないと娘におこられる。いやだ。
2009-02-20 16:41:32 ページのトップへ
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映画「憂国」のことなど
haruniwa
三島由紀夫と堂本正樹のことなど
2009-02-08 09:23:27 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:映画「憂国」のことなど
haruniwa
> 三島由紀夫と堂本正樹、福島次郎などについて、2月下旬春庭コラム掲載予定を先行掲載。
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2009/02/21
ぽかぽか春庭ことばの海を漂うて>寒紅忌(1)切腹ごっこ
1970年代から80年代まで、「憂国の志士三島由紀夫が日本の未来を憂える国民へのアジテーション」という解釈が席巻していた三島切腹事件について、三島夫人平岡瑶子1995年に死去のあとタブーが無くなり、新たな証言が続いています。
11月25日、亡き我が母の誕生日である日が、歳時記には「憂国忌」などと載るのでは、なんだかイヤだと思ってきたけれど、「右翼が三島の写真をかかげて、天皇バンザイとか言ったりする日」から「ゲイが『薔薇刑』の写真をかかげて、ラブイズビューティフルとか言ったりする日」になって、墓場の母もほっとしているのじゃないかと思っています。
「この世では表沙汰にするわけにはいかなかったふたりの愛の遂行」という「市ヶ谷心中」の真実の姿が見えてきたこと、私は三島と森田のためによかったと思っています。
三島由起夫にまつわる回顧譚の中で、衝撃的な証言のひとつが、劇作家演出家の堂本正樹『回想 回転扉の三島由紀夫』文藝春秋(2005)です。
この中で、堂本は1949年の夏、16歳のとき銀座のゲイバーで24歳の三島に出会って以来、1970年の三島自衛隊事件のその数日前までのつきあいを告白しています。
堂本の語る「切腹ごっこ」。
若い頃の堂本は三島の求めに応じて「やくざと学習院の坊っちゃん」とか「満州皇帝の王子と甘粕大尉」などの役割設定をし、三島が用意してきた擬刀で切腹シーンを繰り返したといいます。男同士の行為のなかでも、三島は「血と刀」に異常に高ぶる性癖を持っていたのだという。
三島作品の劇化や映画化にあたって堂本正樹は、三島の推薦で演出を担当し成功しました。京都の能衣装老舗の娘朋子と結婚したあとも三島とは「兄貴」「まき」と呼び合う「兄弟のちぎり」を続け、ついに三島主演の『憂国』を演出することになりました。実際の映画監督としては堂本があたったけれど、三島の「脚本・主演・監督」ということにしたほうが「世間受けがいい」という三島の言い分であり、制作費を出すのも三島だったから、堂本は「演出」というクレジットのみになったのが少々不満でした。
三島渾身の映画『憂国』だったけれど、総ラッシュを見た三島夫人平岡瑶子は激怒して泣き叫び、フィルムは没収焼却処分ということになった。三島の切腹シーンそして妻があとを追うという映画は、「他の女との浮気シーンを見せつけられた妻」以上の立腹を瑶子夫人に与えたのでした。
この映画の衣装を担当した堂本夫人朋子は「三島さんと女優さん(鶴岡淑子)のからみのシーンもきれいに写されているのに、なんでそない怒らはるのか」と思ったのだという。この「夫婦最後のちぎり」シーンでは三島と鶴岡は全裸になるので、堂本朋子は三島用の前貼りパッドを手作りしたのだそう。(『本の話』文芸春秋インタビュー石田陽子)
しかし、映画完成から4年後、『憂国』の心中シーンは現実のものとなりました。しかも心中の相手は女性ではなく、24歳の美青年。楯の会のメンバー森田必勝でした。
ある編集者の回顧によれば、市ヶ谷で割腹した森田必勝は、三島のかっての恋人だった青年にそっくりの風貌であったそうです。
<つづく>
2009/02/22
ぽかぽか春庭ことばの海を漂うて>寒紅忌(2)シークレットブーツの三島
三島についてのさまざま証言のなかで、私が面白いと感じたひとつのエピソード。三島は幼い頃から虚弱体質であることをコンプレックスにしていて、ある時期からボディビルと剣道に励んで筋肉隆々の肉体に改造したことが自慢だった。自らの肉体を誇示して、写真集を発売したり、映画や劇に出演したり、ナルシスト全開になった。
でも、どうしても改造できないコンプレックス、それは身長。三島は死後解剖の結果では身長163cmと発表されている。あの世代の男性の身長として平均よりは低くないとは思うのだけれど、兵役につけなかったことと身長は三島のコンプレックスの源でした。
三島が身長劣等感を持っていたことの証言があります。
三島由起夫が美青年を集めて結成した「楯の会」は、自衛隊などで実際に訓練を行ったことが知られています。
きらびやかな楯の会の制服は、1968(昭和43)年の春、楯の会の前身である「祖国防衛隊」の最初の自衛隊体験入隊の後、堤清二氏の協力を得てオーダーメイドで作られた。 楯の会メンバー伊藤良雄の証言(2001/02・28大西景子インタビュー)によると
「全員、西部デパートに行って、寸法計ってもらって、仕立ててもらった」
ところが、三島のポケットマネーでは靴の支給までできず、靴は、隊員の自前となる。「自衛隊の戦闘服の下にはく靴があるでしょう。半長靴です。本当は、楯の会の制服には、
あの靴は合わないんです。格好悪いんですけど、みんなあれを買って、はいていました。(三島)先生だけは、底上げのシークレット・シューズなんですよ。外から見ると、普通の靴なんですけど、背が高く見えるシークレット・シューズ」
http://www2.odn.ne.jp/~aax63750/hanashi.html
制服をポケットマネーで誂えた三島が、靴は全員揃えなかったというのは、「自分だけ特別なシークレットシューズでは目立つから、靴は揃えずバラバラなものとした」というのです。シークレットシューズで10センチも身長を高くした三島が、伊藤や森田らに等々と「将来の日本」を語ってやまない。はたして、切腹したそのとき履いていた靴は、シークレットブーツだったのかどうか。
元自衛隊陸将補であり、自衛隊調査学校(陸軍中野学校の後身スパイ養成学校)」の副校長をしていた山本舜勝(やまもときよかつ)『自衛隊「影の部隊」—三島由紀夫を殺した真実の告白』(講談社2001)は、三島と政治家の関わり、自衛隊との関わりについて語っています。
山本が「墓場に持っていくつもりだった」という事実を公表する気になったのは、自衛隊調査学校の閉校を契機としています。自分の生涯をかけた作品ともいえる調査学校を「もはや今の時代には無用の長物」と否定されたと感じた老兵は、墓場へ持っていくみやげ話のひとつとして、三島と自衛隊について証言しました。彼の感じた三島は「中曽根康弘や佐藤栄作に、いいように利用されてしまった」というものだが、三島が死に場所として市ヶ谷自衛隊を選んだのは、中曽根や佐藤との関わりによってではなく、心中の相手として森田必勝を選んだときから必然となったことであったろうと思います。
<つづく>
2009/02/23
ぽかぽか春庭ことばの海を漂うて>寒紅忌(3)福島次郎
「歳時記に忌日が載るほどの文学者になりたい」とは、かって文学少女だったクラスメートがもらしたひとことです。中学校の文芸部で、私と彼女は書き競い、酷評しあいました。その少女は、今では樋口一葉研究者となって私立大学教授になっています。歳時記に載るかどうかはわかりませんが、ウィキペディア検索ではちゃんと彼女の名前で紹介記事が出てきましたから、たいしたものだと思います。
歳時記に載っている忌日。たとえば「時雨忌」といえば松尾芭蕉の忌日。芭蕉が亡くなった旧暦10月12日は、時雨ふる季節であり代表的な句のひとつに「初時雨猿も小蓑を欲しげ也」(『猿蓑』発句)などがあることから、名付けられた。(新暦にすると11月28日にあたるけれど、現在実施されている各地での芭蕉関連イベントは、新暦の10月12日が時雨忌とされています)
「桜桃忌」は太宰治、「河童忌」は芥川龍之介、「憂国忌」は三島由紀夫、など、代表的な作品名にちなむ忌日名もあるし、「実朝忌」「西鶴忌」「三鬼忌」など、名前そのものの忌日名もあります。
「寒紅忌」といっても、歳時記には載っていません。私が勝手に名付けた忌日だから。2月22日という覚えやすい忌日に比べて、福島次郎というその名は、ペンネームとしてはごく平凡な響きであり、一度聞いてもすぐ忘れてしまいそうなインパクトのない名前です。彼は、あえてこの何の特徴もなさそうな名前を筆名として使い続けました。「福島次郎」は本名なのです。
福島次郎という小説家の名を記憶している人は、よほどの三島由紀夫ファンかゲイ文学ファンだけだろうと思います。福島次郎は、作家としての生涯に、2度芥川賞候補になりました。1996年に『バスタオル』が第115回芥川賞の、また1999年に『蝶のかたみ』が第120回芥川賞の候補作になったものの、2度とも落選。ついに芥川賞を手にせず、2006年2月22日に亡くなりました。
芥川賞の候補になっているのだから、「無名の作家」というわけではありません。郷里の熊本ではそれなりに名の知れた文化人として遇されています。
私は彼の代表作『剣と寒紅』にちなんで、2月22日を勝手に「寒紅忌」と呼んでいます。いわば、「一流にはなれなかったのに、一生文学にしがみつくことで人生を保っていた物書き」として、三島由起夫のきらきらしい派手やかな一生とは異なる作家を記憶していてやりたい、という気分。心理学者に言わせれば、一流にはなれない自分自身へのなぐさめと癒し、ということになるのでしょうか。
今となっては誰も思い出しもしないであろう作家の、そう、二流の作家として一生を終えた老いたゲイ作家の魂に向かって、一句詠む。
「寒紅の小指凍らせ五衰かな 春庭」
死亡記事を以下に引用します。記事は「元芥川賞候補だった小説家」としての扱いではなく、「ひとつの作品が世間をさわがせて有名になったことのある小説家」として紹介されています。『剣と寒紅』という小説のスキャンダラスな面が福島次郎の死の報のメインでした。
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福島次郎氏(ふくしま・じろう=作家)22日、すい臓がんで死去。76歳。告別式は24日午後2時、熊本市本荘6の2の9合掌殿島田斎場。自宅は同市萩原町7の47。喪主は妹、井村市子さん。
1996年に「バスタオル」、99年に「蝶のかたみ」で芥川賞候補。98年に「文学界」に発表した小説「三島由紀夫――剣と寒紅」で、三島との交際を描き、話題を集めた。作中に引用した三島からの手紙が著作権侵害にあたるとして、三島の遺族が福島氏と文芸春秋などを相手に出版・販売差し止めなどを求めて提訴。2000年11月、最高裁で福島氏側の敗訴が確定した。(2006年2月22日13時50分 読売新聞)
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<つづく>
2009/02/24
ぽかぽか春庭ことばの海を漂うて>寒紅忌(4)仮面文学
私の本名で検索すると、私の書いた論文名や授業科目名が出て来ますが、私はネット・ブログのなかでは「春庭」というハンドルネームを使っています。江戸時代の盲目の国学者本居春庭の名を借りているのです。
なぜブログでは本名を使わないかというと、娘と息子に「何を書くのも自由だろうけれど、絶対に家族を巻き込むな。家族が特定されるような情報をネットに載せてはならぬ」と厳命されているのです。「娘も息子も不登校生だった」だの「夫は赤字会社経営の収入無し男」だの書いているので、本名がわかったら家族から総スカンになります。
ネットで実名を出して書き続けるにはある覚悟がいると思います。ブログ炎上、名誉毀損の被害のみならず、家族親族にも迷惑が及ぶそうですから。逆に言うと、ものを書いていこうとする覚悟をもった人にとって、本名が出せる人というのは「ネットにさらされても実害を蒙ることはないという自信」があるとも見えます。私など失敗続きの人生で、弱みがたくさんありますから、とても本名は出せません。
福島次郎が本名で書き続けたのは、ある覚悟があったからでしょう。戦後の日本は、ゲイは偏見を受ける存在であり、高校教師として働きながら「ゲイ小説」を発表するという人生を選ぶには、さまざまな制約があったと思います。
福島次郎は1930年、熊本の生まれ。1951~52年、三島由紀夫と愛人関係になり(名目は「書生」として三島家に住み込んだ)、いったんは別離したのち、1961年には再び愛人関係が復活するなど、三島が結婚するまで深い縁でつながっていました。
三島由紀夫はゲイであることを最後まで公にはしませんでした。『仮面の告白』などに描いた男色は、あくまでも創作上のことであり、「実生活はヘテロである」というポーズを貫くために画家令嬢とお見合いをし結婚しました。三島結婚の後は、福島は「身をひいた」形になり、熊本での高校教師生活をおくりました。福島の書き残したところによれば、三島夫人瑶子は福島と三島の関係に気づいており、三島は「ヘテロを装うため」には夫人の前では自分がゲイであることは微塵も出さないよう努力したという。
しかし、福島以外の恋人も芸能界演劇界に数多くいた三島は、結婚後も男性と性的な関係を持ち続け、しかもそれを夫人の前では隠し通そうとしました。三島は夫人のために「ビクトリア王朝風の白亜の邸宅」を建て、自身は都内のマンションを仕事場にしたり、帝国ホテルを定宿にしたりして「作家の生活」と「家庭での夫、父としての生活」を分けていました。
夫人は娘息子を出産した後、三島の男性関係に神経をとがらせる日々が続き、三島の嗜好が表現されているような作品を嫌悪しました。たとえば、映画『憂国』の切腹シーンに激怒し、映画フィルムの回収と焼却を要求しました。1本だけ密かに残されたネガフィルムが三島邸から発見され、2006年にDVDが制作され発売されている)
また、ジョン・ネイスン『三島由紀夫―ある評伝』が「同性愛者の三島はもともと結婚を考えていなかったが、癌と診断された母倭文重を安心させるために見合いをし結婚した」という記述の他、三島をゲイとする評伝に対し、日本語版の出版を差し止め書店から回収させるという措置を断行した。(『三島由紀夫―ある評伝』は、瑶子夫人の死後、2000年に野口武彦の翻訳で再発行されている)
福島次郎は高校教師として独身を貫き、ゲイ文学を追究しました。教え子の男子高校生との交情を描いた作品で芥川賞候補になるなど、福島の小説はいわゆる「薔薇族文学」ですから、一般の人が読むことは少ないし、読んで彼の文学世界に入り込めるかどうかはわかりません。芥川賞候補になった『バスタオル』は、教え子との行為の後始末をバスタオルでぬぐうという描写がある作品。受賞はしませんでした。
<つづく>
2009/02/25
ぽかぽか春庭ことばの海を漂うて>寒紅忌(5)剣と寒紅
三島夫人が1995年に亡くなったあと、夫人をはばかって言及されてこなかったさまざまな証言が明らかにされるようになりました。福島は1982年に高校を退職したあと本名で小説を同人誌などに書き続けてきたのですが、1999年に『剣と寒紅』を出版し、若い頃からの三島との交流を明らかにしました。
『剣と寒紅』の中に、三島由紀夫から福島へあてた手紙が12通引用されていたため、三島の娘紀子(1959~)息子平岡威一郎(1962~)は、「手紙の所有権は福島にあるが、著作権は三島のもの」という理由で裁判を起こし、福島は敗訴。『剣と寒紅』は絶版となりました。しかし、裁判で決着がつく間に出版社は裁判そのものを「宣伝材料」に使い、「三島文学研究者が買うほか、1万部もでたら大ヒット」の作品を10万部増刷し、出版差し止めが確定するまでに売り切りました。したがって、古本マーケットにはかなりこの作品が出回っており、アマゾンで中古品は123円という値段から売られています。
あくまでも小説の形で書かれた作品ですから、自己美化もあろうし、創作部分も入っているはずです。しかし、三島研究者なら必ず読むべき小説になったことは事実であり、なによりも挿入された三島から福島へあてた恋文が三島本人の筆であることは、裁判で証明されたのですから、三島文学研究の一次資料として価値が高い。
「文学作品」として、三島の作品の何かを越える価値を持ったのかというと、たぶん、三島の天才にたいして、福島は天才のまわりを廻る衛星であったとしか評価できない。福島の作品が日本語言語文化として翻訳し海外にも知らせるべき作品となるかというと、私にはそのようには思えない。
『仮面の告白』一作を見ても、三島の天才はどのような評価にも耐える言語作品としての確固とした価値を持っており、『金閣寺』や『豊穣の海』は翻訳され、海外でも読み続けられる作品となるだろうと思います。
『剣と寒紅』の中で、三島が福島と抱擁し少女のように「ボク、しあわせ」と、声をあげたという描写がある。
「私の方から三島さんの体を強く抱きしめ、その首筋に、激しいキスをしゃぶりつくようにしたのだった。三島さんは、身悶えし、小さな声で、わたしの耳元にささやいた。「ぼく、、、幸せ、、」歓びに濡れそぼった、甘え切った優しい声だった。」
出会った最初のころ、小柄な貧弱な肉体にコンプレックスを持っていた頃の三島は福島に対して「タチ」として行為を行いたがっていたのに、コンプレックスを解消すべくボディビルと剣道に励んで「写真に写して残しておきたい」体に作り替えてからは、ためらいもなく「ネコ」として肉体を差し出した、という福島の描写があり、1970年代から「三島はネコ」と思ってきた私の「ただのカン」が証言されたようで、ちょいとうれしい。
写真集『薔薇刑』などに現れているナルシストとしての三島は、心理学的にも研究され尽くされている観があります。また、三島を取り巻いていた編集者の回顧譚の出版も盛んで、三島の実像がさまざまに描写されています。
三島文学はこれからも一定の層のファンが読みつづけ、内外で「三島文学研究」で博士号をとる人も続くでしょう。
最初は祖母と母親が自分を取り合って壮絶な家庭内冷戦を繰り広げ、最後は妻と母親が
自分を取り合ってケンカするのを、おろおろと見ているしか出来なかった息子であり夫であった男。さまざまに自己演出を行い、「ノーベル文学賞」を欲しがった作家。豪放な演出の陰で実は小心で嫉妬深く嫌みな心性を持っていた男。男色のカミングアウトは最後の最後までしなかったゲイ。その死を「憂国忌」として今も顕彰されている「切腹してサムライになりたかった男」
その陰で、ゲイをカミングアウトしゲイ文学を書き続けたけれど、三島文学の衛星のひとつとしか評価されなかった福島次郎。
二流の人として生きた彼の忌日2月22日を「寒紅忌」と名付けた。二流の人が、ここに記す。
<おわり>
2009-02-08 09:26:37 ページのトップへ
Re:映画「憂国」のことなど
mackychan
お。
この先行はひょっとすると、自分の身体コンプレックスをネタにしたコラムに反応してくれてのことかな? という風に思ったら、ちょっと自意識過剰かしらん。
ためになりました。
堂本正樹『回想~』は、自分も文藝春秋を購入して読みました。このあと、本棚から出して再読してみよう。
始めたころは、深く考えず実名と顔を晒していたんですけれどね。いまとはなってはもう、意地でもやり通すぞと。叩けばホコリが出るそのホコリを、あらかじめ晒しておいたら問題の起きようがないだろうと。
とーちゃん、ねーちゃんとも理解してくれているのが有難いところです。
自分の場合、春さんと逆だったりするんです。格闘技雑誌は共作だからしかたないけれど、エロ本のコーナーは一本まるごと自分だけで書いている。けれども雑誌の方針で、どれだけ自分をアピールしたくても強制的ペンネーム。
実名で書きたいけれど、しばらくは我慢の日々です。
2009-02-10 09:04:09 ページのトップへ
ガス・ヴァン・サント
mackychan
なるほど、了解しました。先行掲載で、読んでおいてよかった。
ところでショーン・ペンが主演賞を取った『ミルク』は、男同士の濃厚なキスシーンから始まります。(先週、試写があった)
ペンは異性愛者ですが、脚本家も監督ヴァン・サントも同性愛者。とくにヴァン・サントはデビュー時から公言しており、映画ファンもそういう視点で彼の映画を観る傾向にあったわけです。
今回のオスカー授賞式で、最も感極まっていたのは、脚本賞を取った『ミルク』の脚本家でした。
壇上で、自分の境遇を吐露し、自分を見捨てずにいてくれた両親への感謝を述べ、さすがゲイ・カルチャーの先進国だと思わせてくれました。
自分の周囲にも、同性愛者が何人か居ます。ゲイバーに行った際に、自分だけがモテモテだったという過去も手伝って、彼らと一緒に居ると、どうも構えてしまうという自分が居る。いまはそうでもなくなったけれどね。
『ろくでなし』にも明かしていないエピソードとして、ゲイの子に告白されたことがあったんです。
そのときに、吐き気をもよおした。自分のなかでは異性愛同性愛含めてなんでもありじゃん、とか思っていたのに、あぁそれは他人事であることに限定され、関ってきたら自分だってそうなってしまうのだなぁ~って。
あれ、妙な返信になってしまいました汗
2009-02-27 03:14:37 ページのトップへ
三島論は倉庫に格納お蔵入り
haruniwa
「英語苦手です」言い訳話につづける予定だった三島由紀夫論でしたが、三島論は、ニッポニアニッポン倉庫に収めておわりです。
なぜかと言うと、書いているうちに、私が三島由起夫にも福島次郎にも尊敬の念を抱いてはいないということが判明し、愛していない人、尊敬していない故人について悪口を書くのは、やはり私の分際では千年早いと思って、カフェに出すのはやめにしました。
カフェは、いろんな趣味嗜好の人がいて、男色についても絶対的拒否の人もいるから、私が意図して書いたことを意図したように読み取ってくれる人はまっき~さん以外に少ないだろうと判断しました。
ニッポニアニッポンは倉庫であり、まず、カフェ会員も近づくことのないサイトです。読む人は皆無。倉庫の掲示板のコメント欄という「隠し部屋」みたいなところをわざわざ読む人もいないでしょう。
私は、サブカルチャー「やおい」が好きなのであって、ゲイもレズビアンも、そのような生き方があることは理解するけれど、好きではない。これはヘテロに生まれついてしまったイッパンピープルの悲しさ。
三島について福島次郎について調べれば調べるほど、ふたりへの共感がなくなっていった。
ゲイを隠し通した三島のいじましさも、極私的であるべきセクシャリティについて、「三島さん」と、名指しで公表した福島のなさけなさも受け付けがたくなってきた。
ダイアナ妃との恋愛を暴露したイギリスの元恋人氏とか、一度は愛した人とのいきさつを、相手が死んだあと暴露する人について、それがどれほど「文学的」理想によってかかれたのだとしても、生の露出に関して、私はどうも納得できない。
一度昇華した感情を、モデルを特定されない形で文章化するならともかく、相手が有名人であることを利用して、自分の文章を売るやり方がどうにも好きではない、ということ。三島の周囲の人たちは、これほど三島を嫌いながら生前はつきあっていたのか、と思うくらい、三島への容赦ないエピソード暴露。人間性がどうにも気分がのらなくなってきたので、カフェコラムとしてはボツにしました。
そのうちまとめ直してUPするつもり。
したがって、26日からの新シリーズは「外来語」について。
まあ、このあたりをつっついている限りは、私のふやけた脳も安泰だということで。
2009-02-27 12:17:26 ページのトップへ
お蔵入りその2
haruniwa
ヘンリーダーガーについて書いたのも、なんだか中途半端な気がしてきて、倉庫その2に入れました。
こちらもまっき~さんしか来ない倉庫、「ダンスの部屋」
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/dancingsoleil/diary/d128#comment
ダーガーについてなにかのついでがあるときにでも見てください。
2009-02-27 13:25:02 ページのトップへ
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女優の夜
mackychan
ダーガーの件、了解しました。
数年前に渋谷あたりの書店では特集コーナーが出来ていましたね。友人が買って、回し読みしました。すごい世界観。
死んでから云々というところで、荻野目慶子の『女優の夜』を思い出しました。
春さん、読みました?
自分、芸能人の手記や告白本の批評もやりたいと思ったときがあって、それは既に吉田豪さんがやってはいるんだけれどね、とにかく、出る本を片っ端から読んでいたころに出会った作品。
沢山発表されている告白本のなかでも、出色だと思います。
深作さんが病で倒れた直後あたりだから、死んでから告白、というわけではないけれど、(深作さんに)犯された経緯を詳細に綴っているところなどは、一種の復讐かなと思った・・・んだけど、読み直してみたらそんなことはない、なかなか複雑な愛の物語だなぁと。
2009-02-28 09:30:17 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:女優の夜
haruniwa
深作監督は、「女優開眼のためには監督が女にしてやるしかない」としんじていたのでしょうね。松坂慶子も深作によっていい女優になりました。
深作さん慶子が好きなのかな。
田中絹代は溝口監督については「尊敬する監督であって夫にすべき人じゃない」と発言していたそうですが。
石原真理子が「DVをうけた」と暴露本を書いた相手の玉置浩二と結婚したのでびっくりです。
まあ、ふたりがそれでよいのなら、ヤケぼっくいに火をつけようが再婚しようが好きにしたらいいのですが。
どうも暴露本に対しては構えてしまう。
石原真理子の暴露本も「落ち目女優の起死回生」と思えたので、いい感じがしなかった。でも、タマキDVに対しても「どこまでなら書いていい」という相談をしながらだったというので、ほう、そうでしたか、と思いました。
女優にもいろんなタイプがあってよいけれど、夫と仲良くして子供を育てていることがシアワセと思うなら、表現者という仕事を選ばないほうがいいように思います。
昨夜は夫が死んで歌わなくなったちあきなおみの表現力のすごさに、夜中3時まで聞いていました。
今夜はちと眠い。と思ったらもう2時すぎた。
2009-03-01 02:19:09 ページのトップへ
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映画小僧は、単なるミーハーだった
mackychan
ま、日曜のコラムにも同じようなことを記すんですが、
スコセッシ版『沈黙』が動き出して、昨日の朝日夕刊にも記事が載っていました。
スコセッシが長崎にやってくる数日前に情報が入って、いろんな映画雑誌に当たってみたんだけれど、返ってくる言葉は決まっていて、既に飛んでいるものが居るから取材者は必要ありません、と。
経済的余裕があれば、旅行として行ってきてもよかったんだけれどなぁ。
撮影はニュージーランドがメインらしいので、日本で撮るかどうかも分からないんだよね。だから資料集めとしてやってきた今回を最後に、完成後まで日本にやってこないかもしれないし~。
と、日曜に『DREAM』の取材が控えているのに、なんだか気持ちが違うほうに飛んでいってしまっています。
仕方なく? もういちど『沈黙』を読んで、こころを落ち着かせています。
春さん、篠田版は観ました?
そういえば自分、篠田さんについて書いたことはなかったなぁと。
『心中天網島』が最高傑作だと思うんだけど、『沈黙』も力作だった。『少年時代』以降はちょっと、アレだけど。
漱石同様、映画にし易いようにみえて、じつは映像化が困難な遠藤作品。
熊井啓も『深い河』を撮っていますが、印象に残ったのは秋吉久美子の暗いエロスくらいでした。
2009-03-06 10:45:21 返信フォームへ 掲示板へ戻る
おしゃべりな沈黙
haruniwa
アサヒ夕刊の記事よみましたよ。まっさきに頭に浮かんだのは、まっき~さん、長崎にいってるんじゃないかってこと。
スコセッシに握手してもらいたいよねぇ。
自費で長崎まで飛んでいけない悲しさ。プレカリアートの悲哀が身にしみたでしょ。
2月14日に出席した研究会。
研究会終了後居酒屋談義で、もりあがった話題のひとつがスコセッシの『沈黙』がどのように撮影されるのか、でした。
この研究会は大学院のふたつのゼミの合同研究会で、私が所属しているのは「比較文化を中心とする文化研究カルチュラルスタディ」ゼミ。合同でゼミをしたのは「キリスト教文学研究」のゼミでした。
キリスト教文学ゼミは先生もクリスチャンで、ゼミ生のほとんどはクリスチャンという研究会。
ふたつのゼミ生の雰囲気の違いもさることながら、沈黙などのキリスト教をテーマにした文学や映画の受け止め方に関して、信者と非信者の間にはこうも大きな乖離があるのか、ということを知って、一種カルチャーショックでした。
2009-03-06 11:57:59 ページのトップへ
沈黙とテス キリストは彼らを見放したのか救ったのか
haruniwa
『沈黙』は1966年の書き下ろしでした。私はいまよりもっと貧しい学生だった1970年代の早稲田古本屋街で箱入りの『沈黙』を買ったのですが、今、その本はどこにいったのやら。
篠田正浩監督の『沈黙』を、映画館で見た覚えがありません。テレビ放映されたのを見たのだと思うのですが、いつの放映だったか、まったく記憶にありません。
居酒屋談義では、篠田正浩の脚本のリメークなのか、原作を読み直した上でのリメークになるのかということが話題になりました。
篠田脚本ではロドリゴの扱いなどが違うからです。
ぐるぐる回る水車に拷問を受けている神父が縛り付けられているシーンが一番印象に残っているのですが、これって、もしかしてほかの切支丹もののドラマとごっちゃになっているんじゃないかという疑いもあります。
スコセッシは少年時代カソリック神父をめざしていたくらいですから、現在も信仰を捨てていないように思うのですが、はたして、篠田正浩とどのようにちがうのか、どのようにキリストの不在と存在に迫るのか。
2009-03-06 12:08:49 ページのトップへ
純粋な女
haruniwa
研究会の中で『テス』の原作と映画の相違についての話題が出ました。
原作では最後にテスが神を否定するというシーンがあるのに、映画では、テスの神への信仰を残しているというラストシーンになっている、という話を聞きました。
原作を読んでおらず、ナスターシャ・キンスキーの演じるテスの美しさ、ラストシーンのストーンヘンジに身を横たえるテスの姿の印象だけが強かった私には、キリスト教に対する原作と映画の相違は、興味深いものでした。
おそらくキリスト教を否定するテスを原作のままにして出したら、映画化はできなかったろうし、映画は資金回収が見込めるほどヒットはしなかった。
テスは、アレックスにレイプされた結果生んだ我が子が死んだ後、埋葬式を村の牧師から拒否される。テスとその子は、神が庇護する世界からの追放されたのだ。キリスト教世界で、教会から排除されるということは共同体かららの排除を意味する。
牧師の息子エンジェルとの結婚においても、テスはキリスト教コミュニティから排除される。
原作のサブタイトルは「A Pure Woman(純粋な女)」です。純粋であればあるほど、神は彼女を突き放し、最後は処刑台へ送り込む。
『沈黙』の日本での撮影が何日でもいいからあるといいね。あるいはニュージーランド撮影現場に潜入するコネを今から手回ししておくとか。
映画小僧も純粋だけではやっていけない。スコセッシに会えなかった残念無念も、きっといつかは文の芸の肥やしになるさ。
2009-03-06 12:13:05 ページのトップへ
久し振りのインディーズ
mackychan
ほんとう、プレカリアートって、こういうことをいうのかと。
なんだか大恋愛をしたときの高揚感がありますもの、スコセッシが日本にやってきたというだけで。何度か来ているのにさ~。ネット配信の生中継だけで、泣いちゃった男ですから。
B級帝王、ロジャー・コーマンから映画術を学んだスコセッシ、取りかかったら、早撮りで撮影自体はすぐ終わると思います。編集に時間をかけるという点では、武と同じ。
たぶん、来年のカンヌに持っていくと思います。
いま分かっていることは、脚本は原作からの脚色であり、映画のリメイクではないということ。
ほんとうは『タクシードライバー』の盟友ポール・シュレイダーに手がけてほしかったんだけど(このひとは『最後の誘惑』でもタッグを組んだ)、そうではないみたい・・・ということ。
とにかく、あれやこれや想像して、楽しむこととします。
想像出来るのは、拷問シーンは容赦なしということくらいかな。『カジノ』ではね、イカサマ師を懲らしめるため、万力(!)で顔を潰すシーンがありました。あと、万年筆で首を突き刺すという、どうかしているシーンも。
なるほど、今回のは徹底的にインディペンデントでやりたいというスコセッシの気持ちが分かります。メジャーだと規制が入るからね。今度のコラムでは、ここいらへん(スコセッシが撮りたくて撮ったわけではない作品たち)をネタに語ってみようかと。
あぁ居酒屋談義、聞きたかったな。たぶん視点がまったく違うから自分が参加してもかみ合わないだろうけれど、凄くためになりそうなので、聞きたかった。
2009-03-06 21:08:12 ページのトップへ
麗しのキンスキー
mackychan
そうでしょう、そうでしょう、『テス』といえば、キンスキーの美しさで95%成功したといえる作品ですもの、といったら、怒るひとが居るかしら。でも自分も、中学生のころに衛星映画劇場で観ただけなので、キンスキー美しい、怪物のようなとーちゃんクラウスのDNA、ほんとうに入っているのかと、そんな感想を持ったのでした。もういちど、観返したくなってきた。
昨日、『ヤッターマン』を先行で観る。
面白かった。かなり、面白かったといえるかな。
量産主義・三池さんの良いところが、全部出ています。フカキョンも楽しそうにエッチを演じる。エッチって、こんな感じなのかしら~ みたいなわざとらしい演技が、かえってエッチだ。
今日の春さんコラム。
映画のことを取り上げることが多いので、宮台さんの文章をよく読むんですが、まーず、分かり難い。
いや、昔はともかく、いまの方向性とか割と好きなんですよ。でも方向性やテーマが好きなだけで、文章が好きというわけではない。
春さんの宮台評って、どうなんでしょ。
ごめんね、そんな感じがするというだけなんだけれど、たぶん、好きじゃないだろうなと思って、敢えて聞いてみます。
2009-03-07 11:01:31 ページのトップへ
宮台
haruniwa
もちろん、キライですとも。
つうか、私より若い言論文化人で本が売れている人はキライなのよ。
HALはネタミそねみやっかみひがみでを食べて生きているんだから。
学生運動に関わって東大を出て、ずっと予備校講師をしていた山本義隆「磁力と重力の発見」は物理ぜんぜんわからない私だけれど、いつかは買おうと思って射るんだけれど、宮台の本は買わんぞ。私が買わなくても印税ボロ儲けしているし。
2009-03-07 16:40:18 ページのトップへ
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忘れないウチのメモ
haruniwa
忘れないうちにメモしておく「辞書がでてくる映画と小説」
2009-03-07 16:41:52 返信フォームへ 掲示板へ戻る
辞書がでてくる映画
haruniwa
ちくま学芸文庫武藤康史『国語辞典の名語釈』の巻末おまけにある「辞書年表」
辞書がでてくる映画として
『アヒルと鴨のコインロッカー』
『父と暮らせば』
『赤目四十八瀧心中未遂』
『ロックよ静かに流れよ』
『裸の十九歳』
『ラブ・ストーリーを君に』
この中に1962年の映画に『言海』が登場していると書いてあるのだけれど、私にはさっぱり何の映画なのか検討がつきません
2009-03-07 16:57:20 ページのトップへ
スコセッシ信者代表
haruniwa
ドライバーつきスーパーアリーナ取材がおわったあとは、夜のTV鑑賞でしょうか。
今日の神へのオマージュもよかったです。「おしゃべりな沈黙」っていいタイトルですね。
2009-03-08 11:03:46 ページのトップへ
あった、あった。
mackychan
ただいま~。
①唐突ですが、ダーガーの書き込みについて。
ありました、ありました。
なぜ検索に引っかからなかったのかは、単に自分が名称を間違えていたから。
ダーガーを、ターガーとやっていました。ごめんっ。
というわけで、はるまき2008-04-11『非現実の王国で』に書き込みがあります。
②昨日のイベントは、ちょっと、、、いや、かなり不発かなぁ。
日本を再び格闘技王国にするには、新しい要素が必要かもしれません。
2009-03-09 07:53:07 ページのトップへ
辞書
mackychan
辞書が出てくる映画より、電話帳が出てくる映画のほうが、どんどん出てきますね。映画の性質上、それは当然のような気もします。
『言海』が登場する映画・・・思い浮かびません。ちょっと調べてみます。
2009-03-09 07:55:42 ページのトップへ
上映劇場まで予想できます
mackychan
そんなことでえばる必要もないんですが、
『沈黙』はたぶん、新宿武蔵野館でかかるでしょう。
当たったら、褒めてね笑
2009-03-09 07:57:21 ページのトップへ
ダーガー検索
haruniwa
検索名人を自称しているのに、「ヘンリーダーガー&mackychan」で出てこないし、まっき~が差がしてもないというので、あれ、はるまきではないところに書いたのかと思っていたけれど、「非現実の王国 mackychan」で検索すれば出てくることがわかりました。私がアンド検索で失敗したのは、自分のワープロぐせで、「ん」は「nn」と打つことにしているので、検索でmackychannとしていたのかもしれない。
ちゃんと調べれば、ちゃんと出てくる。
すごいね。
クワイエットルームの「変人」の流れで、非現実の王国でがでてきなのでした。
2009-03-09 16:36:21 ページのトップへ
非現実の王国で
haruniwa
検索名人を自称しているのに、「ヘンリーダーガー&mackychan」で出てこないし、まっき~が探してもないというので、あれ、はるまきではないところに書いたのかと思っていたけれど、「非現実の王国 mackychan」で検索すれば出てくることがわかりました。私がアンド検索で失敗したのは、自分のワープロぐせで、「ん」は「nn」と打つことにしているので、検索でmackychannとしていたのかもしれない。
ちゃんと調べれば、ちゃんと出てくる。
すごいね。
クワイエットルームの「変人」の流れで、非現実の王国でがでてきなのでした。
1年前に紹介されたときは非現実の王国でを見る気になれなかったのに、1年後には見たいと思ったのは、まっき~の紹介した映画だということが頭のすみに残っていたのかも。
2009-03-09 22:17:03 ページのトップへ
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春さんが、戻ってくるころには…
mackychan
とーちゃんから飯島愛の追悼文、雑誌バージョンが読みたい、エロ本を送ってくれといわれたけれど、その雑誌があまりにもアレなので、自分のとこだけコピーして送った自分・・・誇り持って載せているけれど、それとこれとは違うからね~。
同じ理由で、春さんに読んでもらいたい雑誌コラムが沢山あるのに、春さんに送れない自分が居ます。
でも最近、コネが広がっていろんなところに載せてもらえる可能性も増えたので、春さんが戻ってくるころにドサッと送れるよう頑張ってみますです。
というわけで、春さんが中国で忙しくしているあいだも、ちょくちょくはるまきコーナーを荒らしますので、そこんとこよろしく。
いってらっしゃいませ。
2009-03-14 11:04:09 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:春さんが、戻ってくるころには…
haruniwa
格闘技の雑誌でもAVの雑誌でも、私は読みたいところだけ選んで読むから、他にどんな過激な記事や写真があろうともOKですよ。
まっき~さんの書くなわばりが増えて行きつつあるのは喜ばしいことです。
そのうちパパ上が「そんなに送ってきても読み切れないから、精選せよ」と悲鳴を上げるかもしれませんね。
今は精選もなにもとにかく与えられた仕事にきっちりよい文章を書いて、牧野光永の筆力を認めさせる時期でしょう。がんばって書いていってください。
はるまき書き込み、楽しみにしていますから。どんどん書いてください。
2009-03-14 12:11:11 ページのトップへ
Re:春さんが、戻ってくるころには…
mackychan
> とーちゃんから飯島愛の追悼文、雑誌バージョンが読みたい、エロ本を送ってくれといわれたけれど、その雑誌があまりにもアレなので、自分のとこだけコピーして送った自分・・・誇り持って載せているけれど、それとこれとは違うからね~。
> 同じ理由で、春さんに読んでもらいたい雑誌コラムが沢山あるのに、春さんに送れない自分が居ます。
> でも最近、コネが広がっていろんなところに載せてもらえる可能性も増えたので、春さんが戻ってくるころにドサッと送れるよう頑張ってみますです。
>
> というわけで、春さんが中国で忙しくしているあいだも、ちょくちょくはるまきコーナーを荒らしますので、そこんとこよろしく。
>
> いってらっしゃいませ。
>
2009-03-21 09:00:59 ページのトップへ
あ、
mackychan
いろいろといじっていたら、勝手に重複返信されていました汗
ほんとうは、ちよさんが記してくれたところのリンクを、載せようかどうしようか迷っていたところだったのです・・・が、そういえば本人の了解を得ていないことに気づき、
まぁ要約すると、事件性のあるネタゆえ、まだ詳しくは記せないのだけれども、カフェで記した練習中の事故というのは、ほんとうは人助けをやって負ったもの、でもいろんなひとにやり過ぎだと叱られたので、ちよさんだけでも褒めてね、という自分のメールに対し、ちよさんがブログで褒めてくれたという内容です。
というわけで、春さんが中国で節約生活を送っているあいだも、わけの分からんことに巻き込まれ、というか、自分で突進していって、勝手に満身創痍になっているバカチンです。落ち着きない35歳だなぁ。
↑そんなわけで、重複部分、削除しちゃってくださいな
2009-03-21 09:11:23 ページのトップへ
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魂は、ホン「には」宿っていた
mackychan
①決断のときとか、そういう場面における音楽効果の古臭さに閉口
②そもそも演出スタイルが自分の好みではなかった
・・・と、いきなり文句から入ってみる。
でもね。
決して、観て損したという出来ではない、
フジテレビ開局50周年記念のドラマ『黒部の太陽』。
自分の友人(にっかつの同級生の女子。演出コース。新聞奨学生の同志でもある)は演出補佐として参加。
彼女から話を聞いたのは去年の春くらいだったから、映画的なスケールで制作が進んでいたんだと思います。
キャストは豪華だしロケも多く(それはエンドクレジットに流れる、沢山の地方フィルムコミッションで理解出来る)CGも巧く、時間もお金もかけている。
完成版を観た彼女、「いいホンだし役者もいいのに、観ていて胃が痛くなってきた。つくづく、監督と編集が大事だって分かった」と。
自分も「なんでこのエピソードを、こういう構図で撮るんだろう」とかなんとかエラソーにブツブツいいながら観ていたんですが、
演出にはいろいろ文句があっても、書き直された脚本は悪くないと思った。
香取慎吾(熊谷組・倉松班の親方)が小林薫(黒四建設事務所次長)の家で、ユースケ・サンタマリア(熊谷組大町作業所工事課長)に
「元気な昔のひとが居ると、勇気をもらえるんだ。俺たちも、ここを生きて出られるんだなって確信出来るから」
という―グッときたなぁ。
ただ開局50周年というのは分かるけれど、無駄に豪華キャスト過ぎるともいえるかな。
それでも、手垢のついた清張(開局50周年で取りあげたのは、テレ朝でしたね)を何度も映像化するより意味があると思うし、人気の若手を使うことによって、黒部のお話を知らない少年少女に興味を持たせる効果はあるんだよね。
2009-03-23 14:18:44 返信フォームへ 掲示板へ戻る
haruniwa
今、ドキュメンタリー作品で一番みたいと思っているのは、ジェシカ・ユー監督作品『非現実の王国ヘンリー・ダーガーの謎』(2004)です。
だれにも知られず、10代から70代後半まで一人きりでファンタジーを書き続け、挿絵を描き続けた掃除夫ヘンリー。掃除人を解雇され、老人ホームに入ったが、アパートの一室に、膨大な作品が残された。たまたま大家がアーティストであったために、彼の作品は、「焼却処理」されずに、世に出された。驚くべき長編ファンタジーと挿絵。
私は2008年3月にこの作品が劇場公開されたときはまったく気づかず、1年たってDVDが発売されてようやく気づきました。見たいです。ヘンリーダーガーについてのコラムを掲載してから中国へ行きたいです。
カフェコラムのストックはあと2,3ヶ月分はあるのだけれど、このごろ身辺雑記は書くには書いても、直前に掲載をやめたりして、文学と日本語学の話が多くなっています。
4月からは中国通信を書きたいのだけれど、4月は、書きためてある漢字関係の話にするかも。
仕事が終わったあとの「ひとりおつかれさん会」夕食に新宿高野でオムライスとビールでひとり乾杯。
家に帰れば、娘息子に「洗濯、お茶碗洗いが山になっている」と、責められる。
13日金曜日にブックオフ飯田橋で「単行本500円均一セール」をやっていたので、今期の「よく働いたごほうび」を買った。『交隣須知の日本語』とか、元値の2400円では
2009-02-20 16:30:48 ページのトップへ
つづき
haruniwa
買える値段ではない。500円なら、買っておいてツンドクしておいてもいいかな、って思って買ったのだけれど、ツンドクの余裕のない部屋のありさま。ああ、片づけがいやだ。しないと娘におこられる。いやだ。
2009-02-20 16:41:32 ページのトップへ
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映画「憂国」のことなど
haruniwa
三島由紀夫と堂本正樹のことなど
2009-02-08 09:23:27 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:映画「憂国」のことなど
haruniwa
> 三島由紀夫と堂本正樹、福島次郎などについて、2月下旬春庭コラム掲載予定を先行掲載。
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2009/02/21
ぽかぽか春庭ことばの海を漂うて>寒紅忌(1)切腹ごっこ
1970年代から80年代まで、「憂国の志士三島由紀夫が日本の未来を憂える国民へのアジテーション」という解釈が席巻していた三島切腹事件について、三島夫人平岡瑶子1995年に死去のあとタブーが無くなり、新たな証言が続いています。
11月25日、亡き我が母の誕生日である日が、歳時記には「憂国忌」などと載るのでは、なんだかイヤだと思ってきたけれど、「右翼が三島の写真をかかげて、天皇バンザイとか言ったりする日」から「ゲイが『薔薇刑』の写真をかかげて、ラブイズビューティフルとか言ったりする日」になって、墓場の母もほっとしているのじゃないかと思っています。
「この世では表沙汰にするわけにはいかなかったふたりの愛の遂行」という「市ヶ谷心中」の真実の姿が見えてきたこと、私は三島と森田のためによかったと思っています。
三島由起夫にまつわる回顧譚の中で、衝撃的な証言のひとつが、劇作家演出家の堂本正樹『回想 回転扉の三島由紀夫』文藝春秋(2005)です。
この中で、堂本は1949年の夏、16歳のとき銀座のゲイバーで24歳の三島に出会って以来、1970年の三島自衛隊事件のその数日前までのつきあいを告白しています。
堂本の語る「切腹ごっこ」。
若い頃の堂本は三島の求めに応じて「やくざと学習院の坊っちゃん」とか「満州皇帝の王子と甘粕大尉」などの役割設定をし、三島が用意してきた擬刀で切腹シーンを繰り返したといいます。男同士の行為のなかでも、三島は「血と刀」に異常に高ぶる性癖を持っていたのだという。
三島作品の劇化や映画化にあたって堂本正樹は、三島の推薦で演出を担当し成功しました。京都の能衣装老舗の娘朋子と結婚したあとも三島とは「兄貴」「まき」と呼び合う「兄弟のちぎり」を続け、ついに三島主演の『憂国』を演出することになりました。実際の映画監督としては堂本があたったけれど、三島の「脚本・主演・監督」ということにしたほうが「世間受けがいい」という三島の言い分であり、制作費を出すのも三島だったから、堂本は「演出」というクレジットのみになったのが少々不満でした。
三島渾身の映画『憂国』だったけれど、総ラッシュを見た三島夫人平岡瑶子は激怒して泣き叫び、フィルムは没収焼却処分ということになった。三島の切腹シーンそして妻があとを追うという映画は、「他の女との浮気シーンを見せつけられた妻」以上の立腹を瑶子夫人に与えたのでした。
この映画の衣装を担当した堂本夫人朋子は「三島さんと女優さん(鶴岡淑子)のからみのシーンもきれいに写されているのに、なんでそない怒らはるのか」と思ったのだという。この「夫婦最後のちぎり」シーンでは三島と鶴岡は全裸になるので、堂本朋子は三島用の前貼りパッドを手作りしたのだそう。(『本の話』文芸春秋インタビュー石田陽子)
しかし、映画完成から4年後、『憂国』の心中シーンは現実のものとなりました。しかも心中の相手は女性ではなく、24歳の美青年。楯の会のメンバー森田必勝でした。
ある編集者の回顧によれば、市ヶ谷で割腹した森田必勝は、三島のかっての恋人だった青年にそっくりの風貌であったそうです。
<つづく>
2009/02/22
ぽかぽか春庭ことばの海を漂うて>寒紅忌(2)シークレットブーツの三島
三島についてのさまざま証言のなかで、私が面白いと感じたひとつのエピソード。三島は幼い頃から虚弱体質であることをコンプレックスにしていて、ある時期からボディビルと剣道に励んで筋肉隆々の肉体に改造したことが自慢だった。自らの肉体を誇示して、写真集を発売したり、映画や劇に出演したり、ナルシスト全開になった。
でも、どうしても改造できないコンプレックス、それは身長。三島は死後解剖の結果では身長163cmと発表されている。あの世代の男性の身長として平均よりは低くないとは思うのだけれど、兵役につけなかったことと身長は三島のコンプレックスの源でした。
三島が身長劣等感を持っていたことの証言があります。
三島由起夫が美青年を集めて結成した「楯の会」は、自衛隊などで実際に訓練を行ったことが知られています。
きらびやかな楯の会の制服は、1968(昭和43)年の春、楯の会の前身である「祖国防衛隊」の最初の自衛隊体験入隊の後、堤清二氏の協力を得てオーダーメイドで作られた。 楯の会メンバー伊藤良雄の証言(2001/02・28大西景子インタビュー)によると
「全員、西部デパートに行って、寸法計ってもらって、仕立ててもらった」
ところが、三島のポケットマネーでは靴の支給までできず、靴は、隊員の自前となる。「自衛隊の戦闘服の下にはく靴があるでしょう。半長靴です。本当は、楯の会の制服には、
あの靴は合わないんです。格好悪いんですけど、みんなあれを買って、はいていました。(三島)先生だけは、底上げのシークレット・シューズなんですよ。外から見ると、普通の靴なんですけど、背が高く見えるシークレット・シューズ」
http://www2.odn.ne.jp/~aax63750/hanashi.html
制服をポケットマネーで誂えた三島が、靴は全員揃えなかったというのは、「自分だけ特別なシークレットシューズでは目立つから、靴は揃えずバラバラなものとした」というのです。シークレットシューズで10センチも身長を高くした三島が、伊藤や森田らに等々と「将来の日本」を語ってやまない。はたして、切腹したそのとき履いていた靴は、シークレットブーツだったのかどうか。
元自衛隊陸将補であり、自衛隊調査学校(陸軍中野学校の後身スパイ養成学校)」の副校長をしていた山本舜勝(やまもときよかつ)『自衛隊「影の部隊」—三島由紀夫を殺した真実の告白』(講談社2001)は、三島と政治家の関わり、自衛隊との関わりについて語っています。
山本が「墓場に持っていくつもりだった」という事実を公表する気になったのは、自衛隊調査学校の閉校を契機としています。自分の生涯をかけた作品ともいえる調査学校を「もはや今の時代には無用の長物」と否定されたと感じた老兵は、墓場へ持っていくみやげ話のひとつとして、三島と自衛隊について証言しました。彼の感じた三島は「中曽根康弘や佐藤栄作に、いいように利用されてしまった」というものだが、三島が死に場所として市ヶ谷自衛隊を選んだのは、中曽根や佐藤との関わりによってではなく、心中の相手として森田必勝を選んだときから必然となったことであったろうと思います。
<つづく>
2009/02/23
ぽかぽか春庭ことばの海を漂うて>寒紅忌(3)福島次郎
「歳時記に忌日が載るほどの文学者になりたい」とは、かって文学少女だったクラスメートがもらしたひとことです。中学校の文芸部で、私と彼女は書き競い、酷評しあいました。その少女は、今では樋口一葉研究者となって私立大学教授になっています。歳時記に載るかどうかはわかりませんが、ウィキペディア検索ではちゃんと彼女の名前で紹介記事が出てきましたから、たいしたものだと思います。
歳時記に載っている忌日。たとえば「時雨忌」といえば松尾芭蕉の忌日。芭蕉が亡くなった旧暦10月12日は、時雨ふる季節であり代表的な句のひとつに「初時雨猿も小蓑を欲しげ也」(『猿蓑』発句)などがあることから、名付けられた。(新暦にすると11月28日にあたるけれど、現在実施されている各地での芭蕉関連イベントは、新暦の10月12日が時雨忌とされています)
「桜桃忌」は太宰治、「河童忌」は芥川龍之介、「憂国忌」は三島由紀夫、など、代表的な作品名にちなむ忌日名もあるし、「実朝忌」「西鶴忌」「三鬼忌」など、名前そのものの忌日名もあります。
「寒紅忌」といっても、歳時記には載っていません。私が勝手に名付けた忌日だから。2月22日という覚えやすい忌日に比べて、福島次郎というその名は、ペンネームとしてはごく平凡な響きであり、一度聞いてもすぐ忘れてしまいそうなインパクトのない名前です。彼は、あえてこの何の特徴もなさそうな名前を筆名として使い続けました。「福島次郎」は本名なのです。
福島次郎という小説家の名を記憶している人は、よほどの三島由紀夫ファンかゲイ文学ファンだけだろうと思います。福島次郎は、作家としての生涯に、2度芥川賞候補になりました。1996年に『バスタオル』が第115回芥川賞の、また1999年に『蝶のかたみ』が第120回芥川賞の候補作になったものの、2度とも落選。ついに芥川賞を手にせず、2006年2月22日に亡くなりました。
芥川賞の候補になっているのだから、「無名の作家」というわけではありません。郷里の熊本ではそれなりに名の知れた文化人として遇されています。
私は彼の代表作『剣と寒紅』にちなんで、2月22日を勝手に「寒紅忌」と呼んでいます。いわば、「一流にはなれなかったのに、一生文学にしがみつくことで人生を保っていた物書き」として、三島由起夫のきらきらしい派手やかな一生とは異なる作家を記憶していてやりたい、という気分。心理学者に言わせれば、一流にはなれない自分自身へのなぐさめと癒し、ということになるのでしょうか。
今となっては誰も思い出しもしないであろう作家の、そう、二流の作家として一生を終えた老いたゲイ作家の魂に向かって、一句詠む。
「寒紅の小指凍らせ五衰かな 春庭」
死亡記事を以下に引用します。記事は「元芥川賞候補だった小説家」としての扱いではなく、「ひとつの作品が世間をさわがせて有名になったことのある小説家」として紹介されています。『剣と寒紅』という小説のスキャンダラスな面が福島次郎の死の報のメインでした。
============
福島次郎氏(ふくしま・じろう=作家)22日、すい臓がんで死去。76歳。告別式は24日午後2時、熊本市本荘6の2の9合掌殿島田斎場。自宅は同市萩原町7の47。喪主は妹、井村市子さん。
1996年に「バスタオル」、99年に「蝶のかたみ」で芥川賞候補。98年に「文学界」に発表した小説「三島由紀夫――剣と寒紅」で、三島との交際を描き、話題を集めた。作中に引用した三島からの手紙が著作権侵害にあたるとして、三島の遺族が福島氏と文芸春秋などを相手に出版・販売差し止めなどを求めて提訴。2000年11月、最高裁で福島氏側の敗訴が確定した。(2006年2月22日13時50分 読売新聞)
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<つづく>
2009/02/24
ぽかぽか春庭ことばの海を漂うて>寒紅忌(4)仮面文学
私の本名で検索すると、私の書いた論文名や授業科目名が出て来ますが、私はネット・ブログのなかでは「春庭」というハンドルネームを使っています。江戸時代の盲目の国学者本居春庭の名を借りているのです。
なぜブログでは本名を使わないかというと、娘と息子に「何を書くのも自由だろうけれど、絶対に家族を巻き込むな。家族が特定されるような情報をネットに載せてはならぬ」と厳命されているのです。「娘も息子も不登校生だった」だの「夫は赤字会社経営の収入無し男」だの書いているので、本名がわかったら家族から総スカンになります。
ネットで実名を出して書き続けるにはある覚悟がいると思います。ブログ炎上、名誉毀損の被害のみならず、家族親族にも迷惑が及ぶそうですから。逆に言うと、ものを書いていこうとする覚悟をもった人にとって、本名が出せる人というのは「ネットにさらされても実害を蒙ることはないという自信」があるとも見えます。私など失敗続きの人生で、弱みがたくさんありますから、とても本名は出せません。
福島次郎が本名で書き続けたのは、ある覚悟があったからでしょう。戦後の日本は、ゲイは偏見を受ける存在であり、高校教師として働きながら「ゲイ小説」を発表するという人生を選ぶには、さまざまな制約があったと思います。
福島次郎は1930年、熊本の生まれ。1951~52年、三島由紀夫と愛人関係になり(名目は「書生」として三島家に住み込んだ)、いったんは別離したのち、1961年には再び愛人関係が復活するなど、三島が結婚するまで深い縁でつながっていました。
三島由紀夫はゲイであることを最後まで公にはしませんでした。『仮面の告白』などに描いた男色は、あくまでも創作上のことであり、「実生活はヘテロである」というポーズを貫くために画家令嬢とお見合いをし結婚しました。三島結婚の後は、福島は「身をひいた」形になり、熊本での高校教師生活をおくりました。福島の書き残したところによれば、三島夫人瑶子は福島と三島の関係に気づいており、三島は「ヘテロを装うため」には夫人の前では自分がゲイであることは微塵も出さないよう努力したという。
しかし、福島以外の恋人も芸能界演劇界に数多くいた三島は、結婚後も男性と性的な関係を持ち続け、しかもそれを夫人の前では隠し通そうとしました。三島は夫人のために「ビクトリア王朝風の白亜の邸宅」を建て、自身は都内のマンションを仕事場にしたり、帝国ホテルを定宿にしたりして「作家の生活」と「家庭での夫、父としての生活」を分けていました。
夫人は娘息子を出産した後、三島の男性関係に神経をとがらせる日々が続き、三島の嗜好が表現されているような作品を嫌悪しました。たとえば、映画『憂国』の切腹シーンに激怒し、映画フィルムの回収と焼却を要求しました。1本だけ密かに残されたネガフィルムが三島邸から発見され、2006年にDVDが制作され発売されている)
また、ジョン・ネイスン『三島由紀夫―ある評伝』が「同性愛者の三島はもともと結婚を考えていなかったが、癌と診断された母倭文重を安心させるために見合いをし結婚した」という記述の他、三島をゲイとする評伝に対し、日本語版の出版を差し止め書店から回収させるという措置を断行した。(『三島由紀夫―ある評伝』は、瑶子夫人の死後、2000年に野口武彦の翻訳で再発行されている)
福島次郎は高校教師として独身を貫き、ゲイ文学を追究しました。教え子の男子高校生との交情を描いた作品で芥川賞候補になるなど、福島の小説はいわゆる「薔薇族文学」ですから、一般の人が読むことは少ないし、読んで彼の文学世界に入り込めるかどうかはわかりません。芥川賞候補になった『バスタオル』は、教え子との行為の後始末をバスタオルでぬぐうという描写がある作品。受賞はしませんでした。
<つづく>
2009/02/25
ぽかぽか春庭ことばの海を漂うて>寒紅忌(5)剣と寒紅
三島夫人が1995年に亡くなったあと、夫人をはばかって言及されてこなかったさまざまな証言が明らかにされるようになりました。福島は1982年に高校を退職したあと本名で小説を同人誌などに書き続けてきたのですが、1999年に『剣と寒紅』を出版し、若い頃からの三島との交流を明らかにしました。
『剣と寒紅』の中に、三島由紀夫から福島へあてた手紙が12通引用されていたため、三島の娘紀子(1959~)息子平岡威一郎(1962~)は、「手紙の所有権は福島にあるが、著作権は三島のもの」という理由で裁判を起こし、福島は敗訴。『剣と寒紅』は絶版となりました。しかし、裁判で決着がつく間に出版社は裁判そのものを「宣伝材料」に使い、「三島文学研究者が買うほか、1万部もでたら大ヒット」の作品を10万部増刷し、出版差し止めが確定するまでに売り切りました。したがって、古本マーケットにはかなりこの作品が出回っており、アマゾンで中古品は123円という値段から売られています。
あくまでも小説の形で書かれた作品ですから、自己美化もあろうし、創作部分も入っているはずです。しかし、三島研究者なら必ず読むべき小説になったことは事実であり、なによりも挿入された三島から福島へあてた恋文が三島本人の筆であることは、裁判で証明されたのですから、三島文学研究の一次資料として価値が高い。
「文学作品」として、三島の作品の何かを越える価値を持ったのかというと、たぶん、三島の天才にたいして、福島は天才のまわりを廻る衛星であったとしか評価できない。福島の作品が日本語言語文化として翻訳し海外にも知らせるべき作品となるかというと、私にはそのようには思えない。
『仮面の告白』一作を見ても、三島の天才はどのような評価にも耐える言語作品としての確固とした価値を持っており、『金閣寺』や『豊穣の海』は翻訳され、海外でも読み続けられる作品となるだろうと思います。
『剣と寒紅』の中で、三島が福島と抱擁し少女のように「ボク、しあわせ」と、声をあげたという描写がある。
「私の方から三島さんの体を強く抱きしめ、その首筋に、激しいキスをしゃぶりつくようにしたのだった。三島さんは、身悶えし、小さな声で、わたしの耳元にささやいた。「ぼく、、、幸せ、、」歓びに濡れそぼった、甘え切った優しい声だった。」
出会った最初のころ、小柄な貧弱な肉体にコンプレックスを持っていた頃の三島は福島に対して「タチ」として行為を行いたがっていたのに、コンプレックスを解消すべくボディビルと剣道に励んで「写真に写して残しておきたい」体に作り替えてからは、ためらいもなく「ネコ」として肉体を差し出した、という福島の描写があり、1970年代から「三島はネコ」と思ってきた私の「ただのカン」が証言されたようで、ちょいとうれしい。
写真集『薔薇刑』などに現れているナルシストとしての三島は、心理学的にも研究され尽くされている観があります。また、三島を取り巻いていた編集者の回顧譚の出版も盛んで、三島の実像がさまざまに描写されています。
三島文学はこれからも一定の層のファンが読みつづけ、内外で「三島文学研究」で博士号をとる人も続くでしょう。
最初は祖母と母親が自分を取り合って壮絶な家庭内冷戦を繰り広げ、最後は妻と母親が
自分を取り合ってケンカするのを、おろおろと見ているしか出来なかった息子であり夫であった男。さまざまに自己演出を行い、「ノーベル文学賞」を欲しがった作家。豪放な演出の陰で実は小心で嫉妬深く嫌みな心性を持っていた男。男色のカミングアウトは最後の最後までしなかったゲイ。その死を「憂国忌」として今も顕彰されている「切腹してサムライになりたかった男」
その陰で、ゲイをカミングアウトしゲイ文学を書き続けたけれど、三島文学の衛星のひとつとしか評価されなかった福島次郎。
二流の人として生きた彼の忌日2月22日を「寒紅忌」と名付けた。二流の人が、ここに記す。
<おわり>
2009-02-08 09:26:37 ページのトップへ
Re:映画「憂国」のことなど
mackychan
お。
この先行はひょっとすると、自分の身体コンプレックスをネタにしたコラムに反応してくれてのことかな? という風に思ったら、ちょっと自意識過剰かしらん。
ためになりました。
堂本正樹『回想~』は、自分も文藝春秋を購入して読みました。このあと、本棚から出して再読してみよう。
始めたころは、深く考えず実名と顔を晒していたんですけれどね。いまとはなってはもう、意地でもやり通すぞと。叩けばホコリが出るそのホコリを、あらかじめ晒しておいたら問題の起きようがないだろうと。
とーちゃん、ねーちゃんとも理解してくれているのが有難いところです。
自分の場合、春さんと逆だったりするんです。格闘技雑誌は共作だからしかたないけれど、エロ本のコーナーは一本まるごと自分だけで書いている。けれども雑誌の方針で、どれだけ自分をアピールしたくても強制的ペンネーム。
実名で書きたいけれど、しばらくは我慢の日々です。
2009-02-10 09:04:09 ページのトップへ
ガス・ヴァン・サント
mackychan
なるほど、了解しました。先行掲載で、読んでおいてよかった。
ところでショーン・ペンが主演賞を取った『ミルク』は、男同士の濃厚なキスシーンから始まります。(先週、試写があった)
ペンは異性愛者ですが、脚本家も監督ヴァン・サントも同性愛者。とくにヴァン・サントはデビュー時から公言しており、映画ファンもそういう視点で彼の映画を観る傾向にあったわけです。
今回のオスカー授賞式で、最も感極まっていたのは、脚本賞を取った『ミルク』の脚本家でした。
壇上で、自分の境遇を吐露し、自分を見捨てずにいてくれた両親への感謝を述べ、さすがゲイ・カルチャーの先進国だと思わせてくれました。
自分の周囲にも、同性愛者が何人か居ます。ゲイバーに行った際に、自分だけがモテモテだったという過去も手伝って、彼らと一緒に居ると、どうも構えてしまうという自分が居る。いまはそうでもなくなったけれどね。
『ろくでなし』にも明かしていないエピソードとして、ゲイの子に告白されたことがあったんです。
そのときに、吐き気をもよおした。自分のなかでは異性愛同性愛含めてなんでもありじゃん、とか思っていたのに、あぁそれは他人事であることに限定され、関ってきたら自分だってそうなってしまうのだなぁ~って。
あれ、妙な返信になってしまいました汗
2009-02-27 03:14:37 ページのトップへ
三島論は倉庫に格納お蔵入り
haruniwa
「英語苦手です」言い訳話につづける予定だった三島由紀夫論でしたが、三島論は、ニッポニアニッポン倉庫に収めておわりです。
なぜかと言うと、書いているうちに、私が三島由起夫にも福島次郎にも尊敬の念を抱いてはいないということが判明し、愛していない人、尊敬していない故人について悪口を書くのは、やはり私の分際では千年早いと思って、カフェに出すのはやめにしました。
カフェは、いろんな趣味嗜好の人がいて、男色についても絶対的拒否の人もいるから、私が意図して書いたことを意図したように読み取ってくれる人はまっき~さん以外に少ないだろうと判断しました。
ニッポニアニッポンは倉庫であり、まず、カフェ会員も近づくことのないサイトです。読む人は皆無。倉庫の掲示板のコメント欄という「隠し部屋」みたいなところをわざわざ読む人もいないでしょう。
私は、サブカルチャー「やおい」が好きなのであって、ゲイもレズビアンも、そのような生き方があることは理解するけれど、好きではない。これはヘテロに生まれついてしまったイッパンピープルの悲しさ。
三島について福島次郎について調べれば調べるほど、ふたりへの共感がなくなっていった。
ゲイを隠し通した三島のいじましさも、極私的であるべきセクシャリティについて、「三島さん」と、名指しで公表した福島のなさけなさも受け付けがたくなってきた。
ダイアナ妃との恋愛を暴露したイギリスの元恋人氏とか、一度は愛した人とのいきさつを、相手が死んだあと暴露する人について、それがどれほど「文学的」理想によってかかれたのだとしても、生の露出に関して、私はどうも納得できない。
一度昇華した感情を、モデルを特定されない形で文章化するならともかく、相手が有名人であることを利用して、自分の文章を売るやり方がどうにも好きではない、ということ。三島の周囲の人たちは、これほど三島を嫌いながら生前はつきあっていたのか、と思うくらい、三島への容赦ないエピソード暴露。人間性がどうにも気分がのらなくなってきたので、カフェコラムとしてはボツにしました。
そのうちまとめ直してUPするつもり。
したがって、26日からの新シリーズは「外来語」について。
まあ、このあたりをつっついている限りは、私のふやけた脳も安泰だということで。
2009-02-27 12:17:26 ページのトップへ
お蔵入りその2
haruniwa
ヘンリーダーガーについて書いたのも、なんだか中途半端な気がしてきて、倉庫その2に入れました。
こちらもまっき~さんしか来ない倉庫、「ダンスの部屋」
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/dancingsoleil/diary/d128#comment
ダーガーについてなにかのついでがあるときにでも見てください。
2009-02-27 13:25:02 ページのトップへ
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女優の夜
mackychan
ダーガーの件、了解しました。
数年前に渋谷あたりの書店では特集コーナーが出来ていましたね。友人が買って、回し読みしました。すごい世界観。
死んでから云々というところで、荻野目慶子の『女優の夜』を思い出しました。
春さん、読みました?
自分、芸能人の手記や告白本の批評もやりたいと思ったときがあって、それは既に吉田豪さんがやってはいるんだけれどね、とにかく、出る本を片っ端から読んでいたころに出会った作品。
沢山発表されている告白本のなかでも、出色だと思います。
深作さんが病で倒れた直後あたりだから、死んでから告白、というわけではないけれど、(深作さんに)犯された経緯を詳細に綴っているところなどは、一種の復讐かなと思った・・・んだけど、読み直してみたらそんなことはない、なかなか複雑な愛の物語だなぁと。
2009-02-28 09:30:17 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:女優の夜
haruniwa
深作監督は、「女優開眼のためには監督が女にしてやるしかない」としんじていたのでしょうね。松坂慶子も深作によっていい女優になりました。
深作さん慶子が好きなのかな。
田中絹代は溝口監督については「尊敬する監督であって夫にすべき人じゃない」と発言していたそうですが。
石原真理子が「DVをうけた」と暴露本を書いた相手の玉置浩二と結婚したのでびっくりです。
まあ、ふたりがそれでよいのなら、ヤケぼっくいに火をつけようが再婚しようが好きにしたらいいのですが。
どうも暴露本に対しては構えてしまう。
石原真理子の暴露本も「落ち目女優の起死回生」と思えたので、いい感じがしなかった。でも、タマキDVに対しても「どこまでなら書いていい」という相談をしながらだったというので、ほう、そうでしたか、と思いました。
女優にもいろんなタイプがあってよいけれど、夫と仲良くして子供を育てていることがシアワセと思うなら、表現者という仕事を選ばないほうがいいように思います。
昨夜は夫が死んで歌わなくなったちあきなおみの表現力のすごさに、夜中3時まで聞いていました。
今夜はちと眠い。と思ったらもう2時すぎた。
2009-03-01 02:19:09 ページのトップへ
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映画小僧は、単なるミーハーだった
mackychan
ま、日曜のコラムにも同じようなことを記すんですが、
スコセッシ版『沈黙』が動き出して、昨日の朝日夕刊にも記事が載っていました。
スコセッシが長崎にやってくる数日前に情報が入って、いろんな映画雑誌に当たってみたんだけれど、返ってくる言葉は決まっていて、既に飛んでいるものが居るから取材者は必要ありません、と。
経済的余裕があれば、旅行として行ってきてもよかったんだけれどなぁ。
撮影はニュージーランドがメインらしいので、日本で撮るかどうかも分からないんだよね。だから資料集めとしてやってきた今回を最後に、完成後まで日本にやってこないかもしれないし~。
と、日曜に『DREAM』の取材が控えているのに、なんだか気持ちが違うほうに飛んでいってしまっています。
仕方なく? もういちど『沈黙』を読んで、こころを落ち着かせています。
春さん、篠田版は観ました?
そういえば自分、篠田さんについて書いたことはなかったなぁと。
『心中天網島』が最高傑作だと思うんだけど、『沈黙』も力作だった。『少年時代』以降はちょっと、アレだけど。
漱石同様、映画にし易いようにみえて、じつは映像化が困難な遠藤作品。
熊井啓も『深い河』を撮っていますが、印象に残ったのは秋吉久美子の暗いエロスくらいでした。
2009-03-06 10:45:21 返信フォームへ 掲示板へ戻る
おしゃべりな沈黙
haruniwa
アサヒ夕刊の記事よみましたよ。まっさきに頭に浮かんだのは、まっき~さん、長崎にいってるんじゃないかってこと。
スコセッシに握手してもらいたいよねぇ。
自費で長崎まで飛んでいけない悲しさ。プレカリアートの悲哀が身にしみたでしょ。
2月14日に出席した研究会。
研究会終了後居酒屋談義で、もりあがった話題のひとつがスコセッシの『沈黙』がどのように撮影されるのか、でした。
この研究会は大学院のふたつのゼミの合同研究会で、私が所属しているのは「比較文化を中心とする文化研究カルチュラルスタディ」ゼミ。合同でゼミをしたのは「キリスト教文学研究」のゼミでした。
キリスト教文学ゼミは先生もクリスチャンで、ゼミ生のほとんどはクリスチャンという研究会。
ふたつのゼミ生の雰囲気の違いもさることながら、沈黙などのキリスト教をテーマにした文学や映画の受け止め方に関して、信者と非信者の間にはこうも大きな乖離があるのか、ということを知って、一種カルチャーショックでした。
2009-03-06 11:57:59 ページのトップへ
沈黙とテス キリストは彼らを見放したのか救ったのか
haruniwa
『沈黙』は1966年の書き下ろしでした。私はいまよりもっと貧しい学生だった1970年代の早稲田古本屋街で箱入りの『沈黙』を買ったのですが、今、その本はどこにいったのやら。
篠田正浩監督の『沈黙』を、映画館で見た覚えがありません。テレビ放映されたのを見たのだと思うのですが、いつの放映だったか、まったく記憶にありません。
居酒屋談義では、篠田正浩の脚本のリメークなのか、原作を読み直した上でのリメークになるのかということが話題になりました。
篠田脚本ではロドリゴの扱いなどが違うからです。
ぐるぐる回る水車に拷問を受けている神父が縛り付けられているシーンが一番印象に残っているのですが、これって、もしかしてほかの切支丹もののドラマとごっちゃになっているんじゃないかという疑いもあります。
スコセッシは少年時代カソリック神父をめざしていたくらいですから、現在も信仰を捨てていないように思うのですが、はたして、篠田正浩とどのようにちがうのか、どのようにキリストの不在と存在に迫るのか。
2009-03-06 12:08:49 ページのトップへ
純粋な女
haruniwa
研究会の中で『テス』の原作と映画の相違についての話題が出ました。
原作では最後にテスが神を否定するというシーンがあるのに、映画では、テスの神への信仰を残しているというラストシーンになっている、という話を聞きました。
原作を読んでおらず、ナスターシャ・キンスキーの演じるテスの美しさ、ラストシーンのストーンヘンジに身を横たえるテスの姿の印象だけが強かった私には、キリスト教に対する原作と映画の相違は、興味深いものでした。
おそらくキリスト教を否定するテスを原作のままにして出したら、映画化はできなかったろうし、映画は資金回収が見込めるほどヒットはしなかった。
テスは、アレックスにレイプされた結果生んだ我が子が死んだ後、埋葬式を村の牧師から拒否される。テスとその子は、神が庇護する世界からの追放されたのだ。キリスト教世界で、教会から排除されるということは共同体かららの排除を意味する。
牧師の息子エンジェルとの結婚においても、テスはキリスト教コミュニティから排除される。
原作のサブタイトルは「A Pure Woman(純粋な女)」です。純粋であればあるほど、神は彼女を突き放し、最後は処刑台へ送り込む。
『沈黙』の日本での撮影が何日でもいいからあるといいね。あるいはニュージーランド撮影現場に潜入するコネを今から手回ししておくとか。
映画小僧も純粋だけではやっていけない。スコセッシに会えなかった残念無念も、きっといつかは文の芸の肥やしになるさ。
2009-03-06 12:13:05 ページのトップへ
久し振りのインディーズ
mackychan
ほんとう、プレカリアートって、こういうことをいうのかと。
なんだか大恋愛をしたときの高揚感がありますもの、スコセッシが日本にやってきたというだけで。何度か来ているのにさ~。ネット配信の生中継だけで、泣いちゃった男ですから。
B級帝王、ロジャー・コーマンから映画術を学んだスコセッシ、取りかかったら、早撮りで撮影自体はすぐ終わると思います。編集に時間をかけるという点では、武と同じ。
たぶん、来年のカンヌに持っていくと思います。
いま分かっていることは、脚本は原作からの脚色であり、映画のリメイクではないということ。
ほんとうは『タクシードライバー』の盟友ポール・シュレイダーに手がけてほしかったんだけど(このひとは『最後の誘惑』でもタッグを組んだ)、そうではないみたい・・・ということ。
とにかく、あれやこれや想像して、楽しむこととします。
想像出来るのは、拷問シーンは容赦なしということくらいかな。『カジノ』ではね、イカサマ師を懲らしめるため、万力(!)で顔を潰すシーンがありました。あと、万年筆で首を突き刺すという、どうかしているシーンも。
なるほど、今回のは徹底的にインディペンデントでやりたいというスコセッシの気持ちが分かります。メジャーだと規制が入るからね。今度のコラムでは、ここいらへん(スコセッシが撮りたくて撮ったわけではない作品たち)をネタに語ってみようかと。
あぁ居酒屋談義、聞きたかったな。たぶん視点がまったく違うから自分が参加してもかみ合わないだろうけれど、凄くためになりそうなので、聞きたかった。
2009-03-06 21:08:12 ページのトップへ
麗しのキンスキー
mackychan
そうでしょう、そうでしょう、『テス』といえば、キンスキーの美しさで95%成功したといえる作品ですもの、といったら、怒るひとが居るかしら。でも自分も、中学生のころに衛星映画劇場で観ただけなので、キンスキー美しい、怪物のようなとーちゃんクラウスのDNA、ほんとうに入っているのかと、そんな感想を持ったのでした。もういちど、観返したくなってきた。
昨日、『ヤッターマン』を先行で観る。
面白かった。かなり、面白かったといえるかな。
量産主義・三池さんの良いところが、全部出ています。フカキョンも楽しそうにエッチを演じる。エッチって、こんな感じなのかしら~ みたいなわざとらしい演技が、かえってエッチだ。
今日の春さんコラム。
映画のことを取り上げることが多いので、宮台さんの文章をよく読むんですが、まーず、分かり難い。
いや、昔はともかく、いまの方向性とか割と好きなんですよ。でも方向性やテーマが好きなだけで、文章が好きというわけではない。
春さんの宮台評って、どうなんでしょ。
ごめんね、そんな感じがするというだけなんだけれど、たぶん、好きじゃないだろうなと思って、敢えて聞いてみます。
2009-03-07 11:01:31 ページのトップへ
宮台
haruniwa
もちろん、キライですとも。
つうか、私より若い言論文化人で本が売れている人はキライなのよ。
HALはネタミそねみやっかみひがみでを食べて生きているんだから。
学生運動に関わって東大を出て、ずっと予備校講師をしていた山本義隆「磁力と重力の発見」は物理ぜんぜんわからない私だけれど、いつかは買おうと思って射るんだけれど、宮台の本は買わんぞ。私が買わなくても印税ボロ儲けしているし。
2009-03-07 16:40:18 ページのトップへ
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忘れないウチのメモ
haruniwa
忘れないうちにメモしておく「辞書がでてくる映画と小説」
2009-03-07 16:41:52 返信フォームへ 掲示板へ戻る
辞書がでてくる映画
haruniwa
ちくま学芸文庫武藤康史『国語辞典の名語釈』の巻末おまけにある「辞書年表」
辞書がでてくる映画として
『アヒルと鴨のコインロッカー』
『父と暮らせば』
『赤目四十八瀧心中未遂』
『ロックよ静かに流れよ』
『裸の十九歳』
『ラブ・ストーリーを君に』
この中に1962年の映画に『言海』が登場していると書いてあるのだけれど、私にはさっぱり何の映画なのか検討がつきません
2009-03-07 16:57:20 ページのトップへ
スコセッシ信者代表
haruniwa
ドライバーつきスーパーアリーナ取材がおわったあとは、夜のTV鑑賞でしょうか。
今日の神へのオマージュもよかったです。「おしゃべりな沈黙」っていいタイトルですね。
2009-03-08 11:03:46 ページのトップへ
あった、あった。
mackychan
ただいま~。
①唐突ですが、ダーガーの書き込みについて。
ありました、ありました。
なぜ検索に引っかからなかったのかは、単に自分が名称を間違えていたから。
ダーガーを、ターガーとやっていました。ごめんっ。
というわけで、はるまき2008-04-11『非現実の王国で』に書き込みがあります。
②昨日のイベントは、ちょっと、、、いや、かなり不発かなぁ。
日本を再び格闘技王国にするには、新しい要素が必要かもしれません。
2009-03-09 07:53:07 ページのトップへ
辞書
mackychan
辞書が出てくる映画より、電話帳が出てくる映画のほうが、どんどん出てきますね。映画の性質上、それは当然のような気もします。
『言海』が登場する映画・・・思い浮かびません。ちょっと調べてみます。
2009-03-09 07:55:42 ページのトップへ
上映劇場まで予想できます
mackychan
そんなことでえばる必要もないんですが、
『沈黙』はたぶん、新宿武蔵野館でかかるでしょう。
当たったら、褒めてね笑
2009-03-09 07:57:21 ページのトップへ
ダーガー検索
haruniwa
検索名人を自称しているのに、「ヘンリーダーガー&mackychan」で出てこないし、まっき~が差がしてもないというので、あれ、はるまきではないところに書いたのかと思っていたけれど、「非現実の王国 mackychan」で検索すれば出てくることがわかりました。私がアンド検索で失敗したのは、自分のワープロぐせで、「ん」は「nn」と打つことにしているので、検索でmackychannとしていたのかもしれない。
ちゃんと調べれば、ちゃんと出てくる。
すごいね。
クワイエットルームの「変人」の流れで、非現実の王国でがでてきなのでした。
2009-03-09 16:36:21 ページのトップへ
非現実の王国で
haruniwa
検索名人を自称しているのに、「ヘンリーダーガー&mackychan」で出てこないし、まっき~が探してもないというので、あれ、はるまきではないところに書いたのかと思っていたけれど、「非現実の王国 mackychan」で検索すれば出てくることがわかりました。私がアンド検索で失敗したのは、自分のワープロぐせで、「ん」は「nn」と打つことにしているので、検索でmackychannとしていたのかもしれない。
ちゃんと調べれば、ちゃんと出てくる。
すごいね。
クワイエットルームの「変人」の流れで、非現実の王国でがでてきなのでした。
1年前に紹介されたときは非現実の王国でを見る気になれなかったのに、1年後には見たいと思ったのは、まっき~の紹介した映画だということが頭のすみに残っていたのかも。
2009-03-09 22:17:03 ページのトップへ
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春さんが、戻ってくるころには…
mackychan
とーちゃんから飯島愛の追悼文、雑誌バージョンが読みたい、エロ本を送ってくれといわれたけれど、その雑誌があまりにもアレなので、自分のとこだけコピーして送った自分・・・誇り持って載せているけれど、それとこれとは違うからね~。
同じ理由で、春さんに読んでもらいたい雑誌コラムが沢山あるのに、春さんに送れない自分が居ます。
でも最近、コネが広がっていろんなところに載せてもらえる可能性も増えたので、春さんが戻ってくるころにドサッと送れるよう頑張ってみますです。
というわけで、春さんが中国で忙しくしているあいだも、ちょくちょくはるまきコーナーを荒らしますので、そこんとこよろしく。
いってらっしゃいませ。
2009-03-14 11:04:09 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:春さんが、戻ってくるころには…
haruniwa
格闘技の雑誌でもAVの雑誌でも、私は読みたいところだけ選んで読むから、他にどんな過激な記事や写真があろうともOKですよ。
まっき~さんの書くなわばりが増えて行きつつあるのは喜ばしいことです。
そのうちパパ上が「そんなに送ってきても読み切れないから、精選せよ」と悲鳴を上げるかもしれませんね。
今は精選もなにもとにかく与えられた仕事にきっちりよい文章を書いて、牧野光永の筆力を認めさせる時期でしょう。がんばって書いていってください。
はるまき書き込み、楽しみにしていますから。どんどん書いてください。
2009-03-14 12:11:11 ページのトップへ
Re:春さんが、戻ってくるころには…
mackychan
> とーちゃんから飯島愛の追悼文、雑誌バージョンが読みたい、エロ本を送ってくれといわれたけれど、その雑誌があまりにもアレなので、自分のとこだけコピーして送った自分・・・誇り持って載せているけれど、それとこれとは違うからね~。
> 同じ理由で、春さんに読んでもらいたい雑誌コラムが沢山あるのに、春さんに送れない自分が居ます。
> でも最近、コネが広がっていろんなところに載せてもらえる可能性も増えたので、春さんが戻ってくるころにドサッと送れるよう頑張ってみますです。
>
> というわけで、春さんが中国で忙しくしているあいだも、ちょくちょくはるまきコーナーを荒らしますので、そこんとこよろしく。
>
> いってらっしゃいませ。
>
2009-03-21 09:00:59 ページのトップへ
あ、
mackychan
いろいろといじっていたら、勝手に重複返信されていました汗
ほんとうは、ちよさんが記してくれたところのリンクを、載せようかどうしようか迷っていたところだったのです・・・が、そういえば本人の了解を得ていないことに気づき、
まぁ要約すると、事件性のあるネタゆえ、まだ詳しくは記せないのだけれども、カフェで記した練習中の事故というのは、ほんとうは人助けをやって負ったもの、でもいろんなひとにやり過ぎだと叱られたので、ちよさんだけでも褒めてね、という自分のメールに対し、ちよさんがブログで褒めてくれたという内容です。
というわけで、春さんが中国で節約生活を送っているあいだも、わけの分からんことに巻き込まれ、というか、自分で突進していって、勝手に満身創痍になっているバカチンです。落ち着きない35歳だなぁ。
↑そんなわけで、重複部分、削除しちゃってくださいな
2009-03-21 09:11:23 ページのトップへ
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魂は、ホン「には」宿っていた
mackychan
①決断のときとか、そういう場面における音楽効果の古臭さに閉口
②そもそも演出スタイルが自分の好みではなかった
・・・と、いきなり文句から入ってみる。
でもね。
決して、観て損したという出来ではない、
フジテレビ開局50周年記念のドラマ『黒部の太陽』。
自分の友人(にっかつの同級生の女子。演出コース。新聞奨学生の同志でもある)は演出補佐として参加。
彼女から話を聞いたのは去年の春くらいだったから、映画的なスケールで制作が進んでいたんだと思います。
キャストは豪華だしロケも多く(それはエンドクレジットに流れる、沢山の地方フィルムコミッションで理解出来る)CGも巧く、時間もお金もかけている。
完成版を観た彼女、「いいホンだし役者もいいのに、観ていて胃が痛くなってきた。つくづく、監督と編集が大事だって分かった」と。
自分も「なんでこのエピソードを、こういう構図で撮るんだろう」とかなんとかエラソーにブツブツいいながら観ていたんですが、
演出にはいろいろ文句があっても、書き直された脚本は悪くないと思った。
香取慎吾(熊谷組・倉松班の親方)が小林薫(黒四建設事務所次長)の家で、ユースケ・サンタマリア(熊谷組大町作業所工事課長)に
「元気な昔のひとが居ると、勇気をもらえるんだ。俺たちも、ここを生きて出られるんだなって確信出来るから」
という―グッときたなぁ。
ただ開局50周年というのは分かるけれど、無駄に豪華キャスト過ぎるともいえるかな。
それでも、手垢のついた清張(開局50周年で取りあげたのは、テレ朝でしたね)を何度も映像化するより意味があると思うし、人気の若手を使うことによって、黒部のお話を知らない少年少女に興味を持たせる効果はあるんだよね。
2009-03-23 14:18:44 返信フォームへ 掲示板へ戻る