
20250316
ぽかぽか春庭アート散歩>アート散歩お茶室は遠い(1)茶道具取り合わせ展 in 五島美術館
2月11日、休日の午後、いくかどうか迷っていた五島美術館に出かけました。迷っていたのは、茶道具展だったから。どうせ私の目では茶道具の逸品が展示されていたとしても、その美がどうすばらしいのかわからんちんだからです。長年茶道具も見て歩いたはずなのに、一向に目が養われない。やはりお茶を習ったことがないからでしょう。初めてお茶の稽古に出たおり、稽古おわりに「こんな足がしびれて立てないようなことを無理してならうことない」と思ったのが、目を養えなくなったゆえんです。最初の稽古が立礼であったら、もうちょっとお茶道具も見て楽しめるようになったのかも。
そんな節穴の目でも、いいなあと思う器に出会うこともあります。古伊賀の水差し。
古伊賀について五島美術館の解説
桃山時代から江戸時代にかけて、今の三重県伊賀市で焼かれたやきもの「古伊賀」。花生や水指などの茶陶(茶道具)を中心に、茶の湯において愛好されていました。大きく歪んだ形と、碧緑色の「ビードロ釉」、赤く焼きあがった「火色」、灰色のゴツゴツした器肌の「焦げ」など、窯の中で偶然に生まれる景色が魅力です。
古伊賀水指 「銘 破袋」

裏側に大きく破れたあとが見えるので「破袋」という銘もうなずけます。雄大な破格の美。
茶の湯が日本的美意識の究極の姿だと言われればその通りだと思うのですが、やはりこの先も私には侘びさびの世界からは遠いように思われます。
農家の庭先で、一家が摘んできたヨモギやドクダミをお茶の葉にして、古びた鉄瓶で沸かした湯をそそぎ、破れ茶碗で一服を味わう。そんな家族のお茶を美味しかろうと思ってしまうと、銘のある水差しや茶碗に重要文化財の書を飾った床の間でいただくのはさぞかし苦いお茶であろうと、飲む前から足がしびれる。
久隅守景 「納涼図屏風」

ひょうたん実る棚の下に、妻と子が仕事を終えた夫と寄り添い、夕方の涼を楽しむひととき。一碗の白湯か蓬茶でもあれば、割れ茶碗の一杯が至福の味わいになることでしょう。
千家をはじめ、茶の湯によって日本の美意識を確立していった人々を尊敬していますが、私にはなんといっても、この夕涼み図の一家が理想です。一杯の茶をふるまってもらえるなら、利休の二畳台目よりも、久隅の夕涼み図一家とともに飲みたい。
<つづく>
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