KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

7年前

2018年03月11日 | 俳句
天気 曇のち時々晴

写真は、3年前の今日の日暮れ。

今日は結社の東京例会の日、と昨日になって知った。呑気というかやる気の問題なのか、ともかく行く気分になれなくてやめた。
今日は東日本大震災から7年。そんなことも気分に影響している?というのは言い訳でしかなく。これではダメ、と思いあの年のことを少し思い出すことにして、震災直後に作った句を読み返してみた。

以下は、結社誌に載った句。基本的には自句自解はしないことにしているけれど、7年経ったから自分に許しを得て・・

みちのくの余寒を生き延びたる知らせ KUMI

夫の両親は東京出身だが、母方の叔母の夫が福島の人で、戦中に母(夫の祖母)と共に福島へ疎開した。夫も、一時疎開した。そのまま住みついたので夫の従兄弟たちは福島・宮城に住んでいる。中通りと宮城の山の方なので被災はしなかったと思われたが連絡がつくまで、何日もかかったのだ。

 余震また余震の朝の若布汁  KUMI

冷蔵庫の塩蔵の若布はいつも三陸産だ。遠い我が家のあたりにも、余震は届いた。でも震災後、三陸の若布は無論店先から姿を消した。翌年の春、「三陸産」という生若布を見たときはほっとしたものだ。

 おぼろ夜のらふそく一本老ふたり  KUMI

原発事故のため電力不足、地域ごとに日にちと時間を決めて何時間かの停電があった。
幸いなことに、我が家のあたりは一回しか実施されなかったが、同じ市内でも、数日置きに何度か停電した地域もあったらしい。我が家のあたりが停電しなかったのは・・近くに、私も世話になっている都立の大病院があり、小児医療センターもあって多摩地域の中心になる医療機関なので停電できなかったらしい。
夜の停電で、被災地の人たちの心細さをほんの少しは解る気持ちになれた。

死者生者つなぐ落花と思ひけり  KUMI

花ふぶく方へと消ゆる人の列   KUMI

寒い3月で、彼岸のうちにも雪が少し降った。なので桜の開花が遅れて、でも、東京ではなぜか余震の中を花見に行く人が多かったように思う。近くの公園には子連れのママ友たちの花見がたくさん居た。原発事故の放射能への怯え、いつ自分たちにも降りかかるかもわからない災害への恐怖・・そんなことを少しでも忘れたいかのように。
生きていることの幸せを思い、その年、初めて目黒川の桜を見に行った。3歳で母の故郷へ疎開してそこに住みついた私は記憶していない、私の生まれた地がそのあたりだったらしい。その後もあちこちで桜を見たけれど、心から楽しんで花見をしていた訳ではない。

そんなことを、俳句で思い出した。

大震災の前日は東京大空襲の忌日。そのどちらをも知っている、という人間は、だんだん少なくなっていく。毎晩、米軍戦闘機が房総半島上空を飛び、空襲警報に防空壕へ逃げる日々だった。疎開先で母の背中から見た、海の向こうが真っ赤になった大空襲は私の記憶の最初かもしれない。

生かされて三月十日十一日  KUMI
コメント (2)
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