KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

富士山に見守られて

2019年12月16日 | 俳句
四十九日は20日なのだが、仕事を持つ若い人たちのために少し早い14日の土曜日に済ませた。
わが家から車で、渋滞なしなら1時間半の富士山の麓。義父が自分の寿命を知っていたらしく、亡くなる半月前くらいに「ここを買え」と言ったので仕方なく買ったようなところなのだ。今は高速道で簡単に行くことが出来るが、東富士道路の出来る前は、峠道を越えるのでそう近くはなかった。
とにかくこの時期には珍しい暖かな、でも富士山の素晴らしく綺麗な日になった。上の写真は、霊園から。下は、東富士有料道路の車窓から。


無論日帰りで十分に間に合うが、済ませてから、河口湖畔の温泉で一泊してお清めをした。その宿の窓からも大きな富士山が見えて、遠くに小さく見える富士に慣れている身には、富士山を堪能した納骨となった。宿からの夕富士の頂上も、ちょっとアップして撮るとこんなに近かった。


私はずっと体調が悪くて、送迎をしてくれた友人夫婦に感謝感謝しかない。昨日は昼頃に帰宅し、裏の部屋に置いてあった小さな仏壇を居間に移して友人に頼んで設置した。義父母と、海で事故に遭った義弟の位牌があり、夫は毎朝水を替えて手を合わせていた。私は、夫の留守の時を除くと彼岸と命日などのほかはあまり熱心に手を合わせることもなかった。
三人の位牌と夫の位牌と。夫は元の家族のところへ戻り、私は一人残されたような感覚になった。享年は父59歳母54歳弟29歳。夫が抜群に高齢だから、今は奇妙な家族だ。
私の周りは、夫婦して真言宗の家なので、納骨は四十九日が常識になっている。もっと早い家もあるようだ。いつまでも遺骨が手許にあると気持のがなかなか切り替わらない・・と言うのは本当のようだ。毎日夫に何かを言おうとすると、涙が溢れるので、出来るだけ何も語らなかった。さてこれからは・・何か愚痴を言ったら、三人の家族にも聞かれているような気分になりそうだ。
友人に「パートナーロスにならないでね」と言われた。その余裕は、今のところないようだ。とにかく、回復しない眩暈と腕の痛みを何とかしたい。片付けねばならない亡後の手続きなど、まだ色々残ったままだ。

富士燦と枯れゆく野山従へて  KUMI
コメント (4)
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