KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

「ありがとう」の話

2020年11月27日 | 俳句
天気 曇

陰鬱な世の中を映すように、とびきり空の暗い一日だった。
写真は、週に一回くらい替える仏壇の供花。駅ナカにある地元野菜の店で、花も売っている。畑の隅で咲かせているような、素朴な小菊を花束にしていて、朝に剪った花なので日持ちが良い。昼ごろにならないと入荷しないこともあり、すぐに売り切れることもあり、買うタイミングが難しい。

ここで暮らしていると、一日に何回「ありがとう」「ありがとうございます」と言っているかなあ、と考えた。
というのは今朝、食堂での食事の最中に、私の後のテーブルで、男性が箸を床に落とした。見ていなかったので、4人の誰なのか解らない。拾おうとしていたらしく、気づいた男性の介護士さんが「新しいのを持ってきますよ」と、とりに行った。そして新しいのを「はい、どうぞ」と渡した。男性からの返事がない。振り向いた訳ではないので、4人の誰なのか、私は知らないが後ろの席は、いつも、元気にお喋りをしている人たちだ。
自分が落した箸を新しくしてもらったら、別にここではなくても、町の食堂でも「ありがとうございます」と言うでしょ?

まあ、その時はさほど気にならなかったが、昼食の時、職員が運んできたトレーの食事、「お待たせしました」と前に置かれても黙っている人が多いのに気づいた。その殆どは男性。無論、言語障害があってことばの出ない方も居るらしいけれど。夕食の時も同じようだった。
ふ~ん、そうだったのかあ、と私は今日になって気付いた。高い利用料を払っているから、サービスに対していちいちお礼は要らない・・のかなあ。でも、早朝出勤して、あるいは夜間勤務して、朝早くから働いてくれているのだし。コロナの感染に気配りしながらの勤務、大変だなあ、と思う。そう思うと、自然に「ありがとう」と言ってしまう。
朝に限らず、私は日常的なことでも何かしてもらう度、職員に「ありがとうございます」と言っている。
おやつは、今日は苺のゼリー。部屋へ運んでくれた職員に「ありがとう」と言う。


何もかもに言う必要はなかったのかなあ・・
家でも、私は何かしてくれたら家族にだって「ありがとう」と言っていた。夫ですら確か、ティッシュとって、と言われて私が渡せば「ありがとう」くらいは言ったような気がする。
母に「ありがとう、ごめんなさいをちゃんと言えれば、生きていけるものだよ」と教わってきた。
親の遺言みたいなものですからねえ、言っても損することではないらしいし。私は私の考えるように過ごそう。

落葉掃く明日掃く落葉背に受けて  KUMI
コメント (10)
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