KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

猛暑の終戦記念日

2020年08月15日 | 俳句
天気 晴38℃

全国的な猛暑、この地で38℃ということは、40℃越えの地もあったのではないかしらん?
何か涼しい写真は、と一昨年を見たら、昭和記念公園のプールの写真があった。子供プールを外から盗み撮り。大人の入る方は、そういうヤカラが居ると困るから?、公園内からは見えない。このあたりでは大人気のプールも、今年は休業している。公園は開園中。
ちなみに、国営昭和記念公園は、元は飛行機工場、戦後米軍基地にされていて、返還された時、平和を祈念して作られた。昭和天皇の資料館なども公園の外に併設されている。

終戦記念日も、もう75年目・・随分長く生きてしまった。
毎年、この日には必ず終戦日のことを書いて、句も作ってきた。そして、この日は夫の弟が海で事故死した忌日でもあり、祷りの日なので殆ど家を出ない。墓参も、いつもの年は高速道が渋滞するので省略して、秋彼岸に行くことにしていた。今年もまた。どっちみち、今日は猛暑プラス酷暑のような日で、戦後を75年も生きた老いの身は、家でエアコンに命を預けるしかない。
そんな私の自画像みたいな夏バテの姿。プールの近くで撮った覚えがある。


もう、毛づくろいの余裕もない老猫が暑さにダウン状態だった。近づいても身動きしなかった。

去年、終戦日の自分のことを書いたので、それは省略。
実はその日、私はとても怖い思いをした。母・姉二人と山を越えた隣村の父の実家から帰る途中の畑の中で、低空飛行の米軍機(B29?)に狙われた。狙われた、としか言いようのない、我々4人しか居ない畑のど真ん中。母は、私を抱いてとうもろこし畑の中に伏せた。とうもろこしが、爆風に大揺れするくらいの低空を何機かの飛行機が過ぎていった。8歳上の姉と3歳上の姉も多分、同じように地に伏せて頭の上の轟音に耐えていたと思う。いつもは防空壕で耐えていた音が、真上にあるのだから怖かった。(房総半島に住んでいたので、首都周辺襲撃の飛行機の通り道だった)
それから、私の脳裏には終戦のあの天皇のラジオ放送が記憶になってくる。
以上の二つのことが同じ日だった、とはっきりしたのは、一昨年くらいだったろうか。恐怖の体験の真相を聞こう、聞こう、と思っているうちに母も姉も亡くなった。残るは3歳上の姉だけ(今も私より元気)なので、確かめておかなくちゃ、と聞いておいて良かった。姉はよく覚えていた。
多分、終戦を解っていても、米軍兵は面白がって母子をからかっていたのだろう、と私は思う。
その後何十年も、私は飛行機の爆音がトラウマになり、今の家に移る前、数年だけ住んでいた家に近い横田基地の音にどうしても慣れなかった。

長く生きているのも楽ではない。コロナと戦争とどちらが怖いか、と言われれば、戦争の方が怖い。

終戦日かの日も空を米軍機  KUMI
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熱中症対策

2020年08月14日 | 料理
天気 晴 34℃

写真は、わが家の周りの蝉の鳴く樹。朝のうちはみんみんが盛んで、しばらくするとジイジイと油蝉の大合唱が始まる。蝉時雨を通り越して蝉豪雨。みんみんの声はどこかへ。それがおさまると、みんみんと油蝉が静かに鳴く蝉時雨。一度現れたクマゼミはもう寿命を全うしたようだ。法師蝉も数日前には鳴き始めたのに、まだ秋ではない、と思ったのかどこかへ消えてしまった。

不思議なもので今日は最高気温34℃予測、と聞くと、あら涼しくなる、と思ってしまう。かといって猛暑に慣れた訳でもない。
昨日だったか、熱中症にならないエアコンの冷房の使い方を、テレビで話していた。ちょっと興味があって見たら、とにかく一晩中エアコンで部屋を冷やして、パジャマは長袖長ズボン、タオルケットではなく羽毛布団を掛ける。そうすれば「冷房で体がだるくなる」ということはなく快眠出来る・・と。パジャマは長袖にしているけれど、羽毛布団をまさか・・

室内で熱中症になる人があとを断たず、大変な数字になっているという。コロナの死亡者が出ないのに、都内では熱中症の死亡者が相当数あるようだ。
熱中症で人生お終い・・というのは困る。でも、一晩中エアコン入れっぱなし、には抵抗がある。マンションはコンクリートに熱が籠るから、確かに夜になって外気温が下がっても室温は下がらない。わが家のエアコンは居間にしかないので、寝室との境の襖を開けっ放しにして冷やしている。
それでもねえ・・冷房付けっぱなしは抵抗がある。足が冷えて風邪をひきそう。熱帯夜のとき、私は寝る前に2時間タイマーを入れて、大体はそのまま朝まで眠れる。それ以上は体が冷えきってしまう。暑くて目が覚めた時のために、冷風機を置いてあり、それを付ける。といっても、大抵目覚ましが鳴るまで熟睡しているから目が覚めないことが殆どだ。今朝は、足が冷たくて目が覚めたので冷風機を付けた。午前3時半。窓を開けても風は生ぬるい。

今月いっぱい猛暑は続くのだという。
う~ん、タイマーを3時間にする? でも寒くなってトイレに行きたくなりそう。トイレに起きたら眠れなくなるし・・ コロナ対策よりも熱中症の方が対策に困る。

寝返りて枕の固き熱帯夜  KUMI
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猛暑続くそして「萩の月」

2020年08月13日 | 俳句
天気 晴のち曇 36℃

写真は、公園へ行けば咲いているはずの千日紅の何年か前の写真。写真も俳句も、立秋が過ぎたとはいえ秋に限定出来ない猛暑続きだ。

昨日と同じく猛暑のち雷雨の予報。でも、黒雲が湧き遠くに雷が鳴るばかりでこちらは警報が出ても穏やかだった。恐ろしいような遠雷が続いていた。
昨日の午後の雷雨は埼玉で何時間かの停電があって大変だったようだ。この猛暑に停電したら・・考えただけでもぞっとする。以前、落雷で短い停電があったもののすぐに回復した。何時間、ということはこの猛暑の中では災害と同じ。冷凍庫はどこまでもつかしらん?熱中症対策に氷をたくさん作っておかなくては・・と、今日は思った。水だけはいつも、最低でも2L×6本はストックしているから安心。

今日は近所に住んでいた甥の13回忌。そしてそのあとにもう一人の甥と、29歳で事故死した夫の弟の命日。
そのあとに4年前の姉の命日が加わって、8月は一年で最も厭な月だ。ちょっと考え始めると鬱状態になってしまう。おまけに、夫の元気な姿の最後も一年前の今頃だった。
過去のことはあまり考えないことにしている。一番大事なのは、自分がこの猛暑とコロナ禍の最悪の時期を生き延びること。

昨日、整体治療の帰路、隣駅で買った仙台銘菓「萩の月」


改札前のJRのコンビニでちょうど並べ始めていた。JR東日本のお土産売り上げナンバー1なのだそうだ。2個入りで私にはちょうど良いので思わず買ってしまった。このお菓子、初めて食べたのは夫の両親(二人とも50代で亡くなった)の健在だったころ、福島に住む夫の叔母のお土産だった。福島に住むのに仙台土産、でも、叔母の息子が宮城に住み着いたので、何か関係あったのかもしれない。最初に食べた時から、印象に残るお菓子だった。その後何度か食べたことがあるものの、もう何年かご無沙汰だった。
和菓子のような、洋菓子のような、でも口どけが良くて日本茶に合う。
ちょっとした、今日のやすらぐひと時になった。あ、もう1個ありますねえ、仏壇に供えてあるから。

てのひらの豆腐涼しき重さかな   KUMI
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雷雨の過ぎた空

2020年08月12日 | 俳句
天気 晴のち雷雨

朝から体調最悪・・そういえが今日はゲリラ雨がくる、と予報していたっけ・・と納得した。
写真は、午後3時過ぎ、雷雨の去ったあとの又雷雨の来るらしい空。右の方の秩父方面で雷雲が作られているようだ。

体調の悪さを何とかしてもらえるかも、と、予約していた午前中の整体治療には行った。マスクをすると目まいが加速していく蒸し暑さ。倒れたら熱中症と思われるので、日傘をさして、駅構内と電車以外ではマスクは外すことにした。皆、苦しくないのかなあ、と自分の体力のなさが情けない。
頚椎中心の今日の治療で帰路はかなり楽になったものの、帰宅したら黒雲モクモク、大雨警報。目まいは元に戻ってしまった。ただ、ゲリラ雨はわが家のあたりを襲来しなかった。雨音と雷鳴を聴きながら、眠ってしまったくらいだから。

夕暮れに富士山が見えていた。スマホのズームで撮ってみる。


カメラでは一度パソコンへ取り込まねばならないので、スマホならそのままブログへアップ出来る。前のスマホより、旨く撮れることが解った。

今日は熱中症の救急搬送が100件以上もあったそうだ。コロナよりも熱中症の方が命の危険がある。どちらにしても、籠るしかないこの八月だ。

遠雷の遠雷のまま暮れにけり  KUMI 
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青空そして39℃

2020年08月11日 | 俳句
天気 晴 39℃
朝から空が青くて、富士山がすっきり見えた。上の写真はレンズ40mmなので実際の眼に見える風景と同じかもしれない。下の写真はズーム70mm。


青空にほっとしたものの・・わが市は39℃ですよ。埼玉・群馬では40℃越えもあるという。海に近い都心よりも気温は高くなる。
今日は湿度が昨日より少なく、風もあったからまだ良い。これで昨日一昨日のように湿度が高かったら人間が蒸し焼きになる。古いエアコンがもし故障したらどうしよう?と気が気ではない。設定温度28℃にしてあるが、午後になったら室温が29℃。これはまずい、と思って設定を27℃にした。室内でも水をガブ飲みした。

もう20年前くらいだろうか。東京で39.4℃になった、という日、吟行句会で上野公園へ行っていた。無論、当時は35℃を越えることも珍しい時代。午後から駅前の文化会館での句会があるために公園を下り、昼食を摂ろうと駅前通りを一人で歩いていたら、頭がクラクラしてきた。帽子に日傘、と日除けルックだったのに。
立っているのが辛くなり、目の前の店のドアを押して、目の前の椅子に座った。ひんやりの冷房で少し体が元へ戻ってきて、初めてそこがイタリアンレストランだと解った。店員の持ってきた水を一気飲み(当時は、水を持参する習慣すらなかった)して、息を吹き返した。店のテレビの昼のニュースで、39度越えを知った。歩いたビル街はもっと高温だったのだろう。
熱中症の話になると、いつも上野のその日のことを思い出す。倒れたらどうなっていただろう?

午前中、手紙を投函するついでにコンビニへ寄り、料理済のものを買う。食材は冷凍庫にたくさんあるが、料理せねばならないものばかり。体調悪いときのために買っておくことにしている。料理が出来ないような時でも食欲だけはある。
何点か買ったうちの、最近のお気に入り。


この「豚の角煮」を買うのは、三度目になる。とっても柔らかく脂身がそのままになっていて、味も濃くなくて、気に入っている。私も作るが、脂身大好きなのにどうしても脂の部分が固くなってしまう。第一、一人分の角煮なんて元気でも作るはずがない。
先日は、万願寺唐辛子があったので焼いて添えた。焼く料理は野菜を洗うだけなので何とかなる。


うっかりするとこの時期は食事が野菜と冷奴ばかりになるので、栄養とるためにコンビニも旨く活用することにした。
そうそう、珈琲ゼリーも美味しいのでよく買う。100円ですよ。カフェでは安い店でも400円くらいはするでしょ。猛暑籠りコロナ籠りのお楽しみ。

パトカーの炎暑の街を疾走す  KUMI
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