KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

減らぬ感染者

2022年08月26日 | 俳句
天気 曇のち一時雨

写真は昨日のマリーゴールド。あまり好きな花ではなかったので手軽なのに、ベランダヘ咲かせたことはなかった。最近になり公園等で見ると元気になれる。

クラスター終了して、入所者へのサービスも昨日から元へ戻る、という話だった。でも、そう旨くはいかないようで、木曜の週一の室内清掃は見送られた。狭い部屋の掃除なぞ自分で出来る...筈が、情けなくも今の私にはキツい。無論、この3週間は自分でしてきた。
昨日は元気あったのに、今日は朝から不整脈がひどい。そうでなくても下を向いた作業は目眩を誘う。洗面の流し台を磨くのは省略した。感染した職員も戻って来たようだが、又感染者が出ない保証はない。

昼食は、今日は月一回の「お誕生会」のメニューで少し豪華だった。食堂なら祝われる人が前に並び、プレゼントを渡したり結構賑やかなのに。
休み休みの掃除のあと、ようやく落ち着き、食欲は何とか..‥


久しぶりに天ぷらと茶碗蒸し。食堂から運ぶ間にすっかり冷えた天ぷらでも、久々となればまあまあのご馳走。茶碗蒸しと海老しんじょのお吸い物が美味しかった。
職員には各室へ毎食の配膳は面倒だが、元の食器に戻ったら、多少冷えていても私は部屋で食べる方が気楽。理由は色々あるけれど。ま、体の動くうちは贅沢言わず皆に合わせましょ。都の感染者が1日1万人を切ったら、食堂再開、とか言っていたけれど、まだまだのような気がする。

秋蝉のむくろへ雨の降り始む  KUMI


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早すぎる彼岸花

2022年08月25日 | 俳句
天気 曇がち

花の少ないこの時期、この鮮やかな花が目立つ。最近覚えた、ペンタス。学童クラブの前に咲いていた。
午前中、ちょっと用あって出たついでに、いつも8月のうちに彼岸花の咲いてしまう家のあるのを思い出した。まさか、と思ったらやはりもう咲いていた。なぜか色が未だ真紅ではない。

本当は彼岸花は律儀に彼岸に咲く花なのに。


さて、午後は月1回のLINE句会。月の最終木曜日の13時からと決めている。6月に面会に来てくれた時、3人で部屋で句会をし、結構楽しめた。LINEでリアルタイムのチャット句会というのも、便利な時代になったもの。
13時に題を三つずつ出す。季語でなくても良い。出句締切は15時、LINEトーク画面にそれぞれの句が載るので、自分の句以外から3.4句を選ぶ。2時間で9句を作るのはキツいかと思ったが、結構な頭の体操になる。
私よりずっと若い二人は一応家庭があるので、結局、16時くらいまでには終われる。
疲れたが楽しかった。今日出された題。
少年、扉、夜、処暑、包丁、澄む、二百十日、木槿、鳴。
自分で出した題なのに、「二百十日(厄日)」が最後まで作れずに困った。

鮭一尾寝かせ包丁研ぎ始む            KUMI
少年の成れの果てなり蜻蛉追ふ KUMI


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隔離終了

2022年08月24日 | 俳句
天気 曇のち一時雨

ホトトギスの花、2年前の写真だが、もう咲いている頃。

もっと降る予報が、あまり降らず。今日からクラスター対策終了になり隔離期間が終わった。私の居る階はあまり関係ないが、感染者の複数人居た3階の人は、やっと館内の自由が戻ったようだ。介護士も完全防御スタイルからいつもの制服に戻った。
介護不要の私は入口で全ての用を済ませ、室内には検温と酸素測定の看護師以外は入れないようにしていた。今日からは一応、感染者がいないので、今まで通りにしましょう。又出たら、その時に考える。
外来者も、1階で会えることになった。私は近所の買い物や通院は自由だが歩行出来ぬ人や認知症の人には、この2週間は長かったかも。

食堂はまだ再開出来ぬままだが、部屋へ運ばれる食事の食器が普通に戻った。自分の器に移していたが、ご飯茶碗はなくて、大型紙コップで食べていた。美味しくなかったのでホッとした。割り箸は使わず自分の箸を使っていた。
未使用でトレーに乗せ返していて、3日目くらいにふと気付き「使わない箸も廃棄するのよね」と聴いたら、全部廃棄だという。なのでもったいないから部屋にストックしておいたけど‥‥

どうしましょ。使う時が来るかしらん。

「行動制限のない夏休み」という表現にいら立つ。ネットの書き込みには「感染リスクの高い人だけ自分で制限せよ、元気で若い人は軽症で済むのだから、外へ出て社会を動かす」ということのようだ。これではいつになっても、感染も亡くなる人も減らないだろう。おまけに観光客へ鎖国を解くというから、病院はどうなるの?
コロナどころか、持病も何とか入院せずに済ませねば。私の歩けるうちにコロナ前の暮らしはもう、戻らない気がする。

帰る日の近き燕の翻り  KUMI





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処暑の空

2022年08月23日 | 俳句
天気 晴

ちょっと買い物に出て仰いだ空がすっかり秋。さすが今日は処暑、と思った。でも蒸し暑さが戻っていて。


姉の七回忌にあたる日。あれから6年経っているのか、と思うが、決してもう6年、とは思わない。その間に色々なことがありすぎて、思うのは6年前の自分は随分元気だった、ということ。姉の後始末に駆けずり回って費やした日々を、自分のために使いたかった。ま、人生は旨くいかないもの。
独身貴族で経済的には恵まれていて入院の2ケ月くらい前まで楽しく暮らしていた姉。終活など何ひとつしていなかった。後始末で散々な目にあったので、私は落ち着いたら「お一人様の終活の在り方」をまとめようと思っていた。が、その後夫の病気や自分の病気などなどで実現しなかった。
ともかく、お一人様は70歳過ぎたら自分の人生の後始末はきちんと自分ですべき。

両親の墓への納骨までを私が行ったので、以後の法要はもういいでしょ。
我が家の仏壇ヘ般若心経だけ、唱えました。
毎日していることだけど、今日は姉の分と2回も。

カフェオレのミルクぬるくて処暑の朝 KUMI


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みゃあ、もう旅立った?

2022年08月22日 | 俳句
天気 曇がち

スマホからの写真アップは多分、パソコンからは見るに耐えないかも、と思いつつ。パソコンは使えないままほったらかし。写真の花は、ヘクソカズラ。漢字ではとても書けない字だ。かわいい花なのに。そういう匂いがすると言うけれど、私は確認していない。

先日、久しぶりにノラネコを見たら、急に
「みゃあ」を思い出してしまった。

ここへ来る前のマンションで多くの居住者に可愛がられていた自立猫(と私はノラを呼んでいた)。いつもマンションの敷地の入り口のベンチに居て、人が通ると「みゃあ」と小さく鳴く。
夏が過ぎた頃から急に痩せて来て、私がここへ入所の前に、ボランティアに保護され施設入所してしまった。自分の身と比べてしまい悲しかった。多分もう、生きて居ないとは思うけれど。みゃあのように膝へ乗ってくるようなノラは滅多に居ない。

別れはどこにでもある。
看護師さんの一人が今月いっぱいで退職する、と挨拶に来た。この春からは看護師の仕事ではなく、なぜか看護師の服のまま介護士の仕事をしていた、50代後半の女性。
軽い障害者で足が不自由なのに、よく働いていたと思う。でも、看護師にしてはちょっと知識は頼りなかった。それでも人当たりは良かったから、安心は出来た。

施設の暮らしやすさは職員で決まる。
私が、安心して頼れそう、と思う正規職員はすぐに転勤してしまうか転職してしまう。最近、顔の見えない人たち、コロナで休んでいるのだと思うけれど。
クラスター騒ぎの前に、一番信頼していた介護士が転勤してショックだったので、感染騒ぎの終わるのが怖くなる。

特急の軽き警笛涼新た  KUMI

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