KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

止まらぬインフルエンザ

2023年12月23日 | 俳句
天気 晴 -3℃

いよいよ寒波の真っただ中に。都心の気温は0℃、だったらしいが、こちら東京の田舎はマイナスになった。多分、池に氷が張ったと思う。1階の窓から見える雑木林も、ようやく裸木になった。写真は窓越しなので、下の方のガラスが曇っていたようで。
東京都とその周辺地域では異常な流行になっているというインフルエンザ、ここでも集団感染して今日で10日目。一人が治癒しても、又新しい患者が出るようで、食堂は閉鎖されたまま。なので三食ルームサービスが続いている。私は予防注射は打っているけれど、自治体によって公費負担が色々で、コロナのワクチンみたいに入所者一括接種とはいかない。公費負担の手続きやら何やらをしていて遅れたり、面倒で打っていなかったり・・どうせ費用負担なんて何千円の世界。そんなの無視して接種を優先すればいいのに・・と私は思うけれど、支払いを家族(保護者)任せにしている人が殆どだから、私とは事情が違う。

ともあれ、コロナの時とは違い面会の人は部屋に入れないが、入所者は熱がなければ外出出来るので気楽だ。おまけに、食事も、手筈が旨くいくようになったら暖かいうちに運んでくれるので、何とも嬉しいこと。
介護士が「早く食堂へ行きたい、と言う人も何人も居るのよ」と言っていた。確かに、車椅子で移動する人は自分では自由になれないから、食堂で大勢に囲まれたいのかも。私は一人が気楽。今、食事を共にしている2人とは、あまり会話もしない。一人は耳が少し遠いので私が大声を出せない心臓病患者と知っていて、気を遣っているようだ。もう一人は、自分から何か話すことのないおとなしい人で、話すのは職員への愚痴が多い。ご夫婦で入居している人なので「そういう愚痴はご主人にでも言って」と言いたくなる。事実、「ご主人は何と言っていました?」と訊くことにはしている。ダンナさんの方は極めて常識のある人だ。そんな訳で食卓を囲んでいて楽しいことは全くない。でも、気苦労する人たちではないのだけが助かる。


ということで、私は「三食ルームサービス」を満喫しているが、まさか、正月まで、は困る。せめて正月くらいは外来者と部屋でゆっくりしたい。チラっと非常勤の看護師に訊いたら「もうそろそろ大丈夫、と私は思ってるけれど」という返事だった。

蒼天へ裸木の末(うれ)つき刺さる   KUMI
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冬至

2023年12月22日 | 俳句
天気 晴

写真は、冬至の今朝6時40分ごろの北の空、日の出前のマジックアワー、というのかもしれない。
冬至になってしまった・・又一年、生き延びた、と思う。ともかく生きている。今日の食事は、朝も昼も私の意に叶っていた。昼は一応、冬至メニューになっていて「お品書き」付だった。ご馳走ではないけれど、節季料理のときは品書き付きで、忘れっぽい年寄に季節を解らせてくれる。ま、私は俳句しているので、二十四節気くらいは気にかけて暮らしているけれど。

今朝の朝食。週三日はパン食の日で、久々にプレーンオムレツが出た。
人参と胡瓜のサラダ、オムレツ、右に写らなかったけれどコンソメスープ、パンにはママレード、そしてミルクティ。卵料理は、春以来少なくなっていて、最近、オムレツとか目玉焼きがやっと復活してきた。卵代の高騰のせい、というよりは、多分、本社で契約していた養鶏場が、鳥インフルエンザで閉鎖になって仕入れが出来なくなったのだろう・・という噂だった。食材は運営会社の一括仕入れらしいので。それにしても全く卵が出ない日の続いた時期には、私はスーパーで味付き茹で卵を買ってきて食べていたくらいだ。

昼食は、南瓜の煮物がたっぷりと。
「お品書き」を読むと・・
冬至献立
 ご飯
 具沢山味噌汁(豆腐など)
 たらの香味蒸し(葛あんかけ)
 南瓜のいとこ煮
 大根の柚子和え(酢の物)

朝も昼も人参が多いのは、冬至には人参南瓜などを食べると良い、という風習もあるからかも。子供の頃は、南瓜が冬になるまで物置にゴロゴロ置いてあり、あまり好きではなかった私はうんざりしていた。でも、今は大好き。
朝昼と、完食いたしました。珍しいこと。医師に止められているキノコ類や海藻類がなかった、ということでもなる。となると、夕飯は若布とキノコの味噌汁?困ります。

寒波がやってきて、列島の日本海側は雪、関東平野は空っ風。いよいよ歳末らしい天気になった。雪も降り始めの時期に大量に降るのが最近の気候になってしまった。徐々に積雪が増えていくのなら雪国の人も慌てずに済むだろうと思う。
今日は目眩も大分おさまったので、昼近い暖かそうな日差しに駅の売店へ仏壇の花など買いに出たら・・やっぱり寒波の風だった。手足がハンパなく冷えてきたので買い物もそこそこに帰ってきた。今年の冬は、寒さと手足の冷えとの「闘い」になりそうだ。

暁の空に雲なき冬至かな  KUMI
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終りなき闘い・免疫療法他、

2023年12月21日 | 俳句
天気 晴

写真は、5年前の今頃の公園で、終いの紅葉。ここへ入居する前の年・・夫の亡くなった年も紅葉がいつまでも残っていた。寒波襲来、大雪は列島に来ているが、関東平野には関係ない。年末寒波が来ないと武蔵野名物・空っ風が吹かない。その北風が吹いて、紅葉が終る・・はず。

昨日は、免疫療法の点滴の日、もう22回目だ。延期した月もあるが、ともかく足掛け3年になる。治療の標的のがんを「消す」のではなく、「増やさない」治療なので、終わりがない。他の病気への影響がひどくならない限りは続けることになるのかなあ・・採血すら大変なくらい血管が細くなっているので、昨日も点滴の針が入らず、看護師はお手上げ、ドクターを呼んだ。こういう時は外科のドクターが来てくれるが、さすが、循環器とか呼吸器外科のドクターは手術で細い血管を扱っているので失敗がない。
昨日は治療を終わったらいつもよりフラフラ状態になり、それが今日の昼過ぎまで続いていた。目眩が酷い、と訴えると看護師や介護士は必ず「無理しないで横になっていてくださいね」と言ってくれる。横になんかなりませんよ~
ベッドに横になったら目を瞑らないと、私の目眩はかえってひどくなる。なので目を瞑ったら眠るしかなくなるので、昼間は絶対にベッドへ横になることはない。昼間眠ったら、睡眠が昼夜逆転してしまう。

それに、闘うのは免疫療法の副作用だけではなく・・寒くなると私を悩ませるのは膠原病の症状あれこれ。膠原病、と診断されたのはここへ入居する前の年だ。それまでにも症状はあれこれと出ていても、原因が解らなかった。もっとも、膠原病そのものが、難病なのだから原因不明。症状はあちこちに出るし、私の親友は60歳の時、膠原病が元と言われた心臓発作で急逝した。
私の心臓も、そうなのかもしれないが、今は器械で動かして何とかなっている。この冬になって症状が去年よりも悪化してきたのは・・膠原病の強皮症のレイノー現象だ。ドクターは「血行を良くして、冷えを防いで」と言う。去年は何とかなったが、今年はまだ寒波も来ないのに、数日前には足の指が冷えで痺れきって、痛みで歩けなくなりそうに。温めるのに、こんなものがある、と膠原病の主治医が教えてくれた。これは手首用だが、足首用もある。


専用のカイロはちょっと高くつくので、使い捨てカイロの小型がちょうど良い。去年までは、ハンカチに包んで手首に巻いていたので、これはとっても重宝するアイテムだ。昨日の通院で起きたときからずっと使ってみたら、採血は問題なく終わった。
油断すると指先に血液が巡らなくなって、真っ白に。色だけではなく痺れるのが困る。それを越えると痛みすら感じて感覚もなくなり、ペンやグラスを持てなくなる。血行が悪いので手足の指の皹(ひび)がなかなか治らないし・・ドライアイも、血流の悪さと関係するらしい。

考えると、色々な良くない症状は、10年以上も前から出ていた。部分的だったし、そういう体質なのだ、と諦めていたけれど、今考えれば「膠原病」の末端症状だったようだ。かといって対処療法しかないので、よほど重症化しなくては問題にはならないようで・・
急逝した友人は、東京の離島に嫁いでいた。年に何回か船で内地の病院へ通院していて、その時に会っていたが、病気の話は詳しく聞いたことがなかった。「別に、すぐどうかなる病気でもないのよ」と行っていた。膠原病のことを考えると、いつも彼女を思い出す。正直に言うと、この病気、私はあまり良く勉強していない。強皮症と診断されたとき、肺が固くなる間質性肺炎になる恐れを言われたが今のところは無事なようだし、広範囲に症状が出るらしいので知識を得るのも、めんどくさい。
ともかく、私は病気のデパートです。自慢出来ることではないけれど・・

日短しはや灯の点る焼鳥屋  KUMI
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認知症検査

2023年12月18日 | 俳句
天気 晴

写真は、昨日の写真と同じ日のものなので、夕方、家を出るときに慌てて撮ったらしい。

午後は月2回のドクターの診察の日。寒さが急に来たせいか今日は朝から目眩がひどくて、訪問してくれるのはとても助かる。で、私は市役所の介護保険の認定の時以外、認知症の検査をしたことがない。「不要と思って今までしなかったけれど、自分で、最近モノ忘れがひどくなったというような自覚はありますか?」とドクター。
「あります、あります、始終です。さっきも、買い物に行かなくちゃ、と思ったのに、いつも行くドラッグストアの名前を思い出せないんです」
ということで、正式に検査、というか問診をしてもらうことに。
「でも、お願いがあります。100ー7 の問題も出ますよね?」
「ええ、ありますよ」
「私、ああいう引き算は小学生の時から暗算では出来ないのです。それでひっかかり、その先の問題に集中力がなくなって正確な認定にならないことが・・」
ほんとの話だ。「93ー7」が、暗算では解けない。引き算は紙に書くか算盤か電卓がないと・・なので、その問題は飛ばしてもらった。あとは満点だった。2年前、市役所の介護認定の時はもっと簡単なことだけだったが、その時「今日の日にちと曜日」で一日間違えた。しかも、凄く自信ありげに「今日は20日の金曜日です、毎日カレンダーは確かめていますから間違いありません」みたいなことを言ったりして。一緒に居たケアマネジャーが焦ったらしい。
今日は完璧。なぜかって、第3月曜は訪問医の診察日だから。でも、答えるときは自信なさそうに答えた。

昨日のブログの、小父さんのコメントへ書いたが、認知症は時間や金の計算の出来なくなることから始まる。忘れっぽくなった、覚えられない、というのとは違う。食事の内容を忘れても食事したことを覚えていれば問題ない。
初期の頃は普通に暮らしていて問題はないから、離れて暮らす親の認知症の発見が、遅れてしまう。電話したときに「今日は何時頃お昼を食べたの?」という聞き方をするといいかも。
その答えが曖昧だったら、危険かもしれない。
そして、たまにしか実家へ行かない人は、親の小銭入れや財布を調べること。認知症の始まりは、計算が出来なくなる。100ー7を暗算させるのはそのため?私には意味ないけど。小銭が異常なほど溜まっていたら、もう認知症かもしれない。
たとえば、482円をきっちり財布から出して支払えれば問題はない。どんなコインを幾つ出せばいいか・・が解らなくなるので、千円札を出してしまう。500円硬貨が出せれば、まだ正常かもしれない。ともかく、小銭入れがコインで一杯になるのも認知症の初期症状だ。自動支払機が増えてはいても、毎回千円札ばかり使うのも正常ではないはず。うむ、自己診断も必要だ。私はまだ大丈夫、と今日解ったので今のところは安心ではある。

いよいよ、となったら今は症状を遅らせる薬が承認されたので、それを頼るしか・・
えっと、新薬の名前、この前覚えたつもりだけど・・忘れた。やっぱりメモしておかなくちゃ。そうそう、冒頭のドラッグストアの名前もまだ思い出せない。危険信号、かも、

終電の音に寝返る霜の夜   KUMI
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懐かしい・・Glass Treeの輝き

2023年12月17日 | 俳句
天気 晴

いよいよ、冬が来た。昨夜、都心の方のイルミネーションをテレビで放映していたけれど、私が見ていちばん感動したのは、このワイングラスを重ねたクリスマスツリーのイルミネーションの風景だったかもしれない。何しろ、冬の夜に野外へお出かけすることなど、スキー場以外は考えたこともないので、この日・・8年前の今頃のこと・・は最後の夜のお出掛けとなった。
国営昭和記念公園のイルミネーション、何度か見に行っていたものの、トシとともに寒いのはちょっと・・で、この日は今年と同じくまだ真冬の寒さの来る前で、震えるほどではなかった。ともかく、グラスを積み上げた作品が何とも綺麗。色々と見た人にはたいしたことないかもしれないけれど、イルミネーション見物を他の所へ行ったことがないので、ただただ、私は感激して、ホットワインを飲んで、満足した。

上の写真は、昼間は下の銀杏並木のあるカナール。銀杏の葉がすっかり散り、電飾が吊るされる。
グラスを輝かせるライトアップはゆっくりと色代りしていた。周囲に余計な光のない公園では、街よりもとっても効果的。
多分、コロナ禍以後はまだこの催しは開催されていないと思う。開催していても、どうせ行けないので調べなかった。





この年の夏に心臓が壊れかけてペースメーカー埋め込みの手術をしたばかり。まだ、左手で重たいものは持てない時期で、重かった三脚を軽いものに買い換えた。一脚にも使えて便利だったが、それが「やっぱり・・」という強度で、当時使っていた重たいデジ一の望遠レンズを支え切れずにパキっと折れた。なので、古いカメラは手ブレ装置もなくてあとは失敗作ばかりに。
カメラは、その翌年に買い換えた。

この年が暮れ、そして正月が過ぎて・・姉が病気で入院することに。入院~転院~葬儀~納骨~ゴミ部屋のマンションの片づけ~乏しい不動産の処分とその相続の手続き・・・・ 80歳を過ぎているのに何ひとつ終活していなかった独身貴族の姉は、生きている時から手のかかる人だった。ましてや亡くなたら・・ 
それからの2年は地獄だった。なので、姉のような「お一人さま」が人生を終えるためにしておかねばならないこと、いわゆる「未婚単身生活者の終活」を私は書き残すつもりだったっけ。その後、夫の看病が始まって、自分の体調もどんどん悪くなり、それどころではなくなった。今は、自分の終活もまだ残っていることがあるし・・

今日の写真は、私の人生の、最後の輝きみたいなイルミネーションです。

街住みの夢の一つは落葉焚き  KUMI
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