KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

冬木の芽

2023年12月29日 | 俳句
天気 晴

何の木なのか覚えがないけれど、一枚だけ残った木の葉に、他の枝にはもう木の芽の出ている写真。何かの花の芽なら「冬木の芽」という立派な季語になる写真。でも、撮影者が7年前のことは覚えていないので解りません。
好きな写真ではある。

さて、ここへ入所して3年が経ち、三度目の年末年始を迎えることになってしまった。3年生きている自分に驚く。なかなか信じてもらえないが、3年前、本当に余命3年くらい、と病院の呼吸器内科のT先生に診断された。夫の時と同じ外来専門のベテランドクターで、信頼出来る。夫を亡くして1年経っていなかったので、がんの性質は違うものの場所は同じ所。夫はたった10ヶ月で転移・命終となったが、私は手術可能な軽症だ。ただ、心臓が弱っているので全身麻酔の手術には循環器のドクターからストップされた。
「手術しなかったら、何年くらい普通の意識で暮らせますか」というような問い方をしたら、抗がん剤が効くかどうかで違うけれど・・と、2年か3年くらいは普通の意識が保てるかも・・と言ってくれた。脳へ転移すれば夫や亡姉のように意識はなくなるし、あっても普通の思考や暮らしは出来なくなる。私は悪性脳腫瘍を二人も看取ったばかりだから良く解る。なので「余命」とは違うけれど、脳へ転移して意識混濁したら、それ以後は患者にとっても身内にとっても、「生きて暮らしている」ことにはならない。

ということで、覚悟の入所だったのに・・免疫療法の「テセントリク」という新薬のおかげと言うか何と言うか、ともかく命だけは保っている。がん以外の病気の数も増える一方で、どこまで頑張れるかは、神のみぞ知る。

ともかく体調は辛いことが多いけれど、まだ生きねばならない、というか生きていられるようだ。しがみつく最後の一葉になった気分。でも、散るまで生きよう。

世間は「仕事納め」のようなので、私も「今年のブログ納め」とします。
愚痴ばかりのブログにお付き合いいただき、ありがとうございました。

憶えなき△印古暦(ふるごよみ) KUMI
コメント (4)
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