ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

芝増上寺、三解脱門(国指定重要文化財)です!!

2015-03-08 06:42:25 | 文化財・寺社
芝増上寺へ行きます、浜松町駅北口から西へ

大門を越えると


三解脱門が見えてきます



浄土宗大本山増上寺です

重要文化財案内です

  三縁山 広度院 増上寺
   浄土宗七大本山の一つ
  三縁山広度院増上寺(さんえんざんこうどいんぞうじょうじ)が正式な呼称です。
  開山は明徳四年(1393)、浄土宗第八祖、酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)聖人によって、江戸貝塚(現在の
 千代田区紀尾井町)の地に浄土宗正統根本念仏道場として創建され、文明二年(1470)には勅願所に任ぜられ
 るなど、関東における浄土宗教学の殿堂として宗門の発展に大きく寄与してきました。
  江戸時代初期、増上寺法主第十二世源誉存応(げんよぞんのう)聖人、後の「観智国師」が、徳川家康公から深
 く帰依を受け、手厚い保護を受けました。
  慶長三年(1589)に現在の地に移転し、徳川将軍家の菩提寺として、また関東十八壇林の筆頭として隆興し
 浄土宗の統制機関となりました。
  その規模は、寺領一万石余、二十数万坪の境内地、山内寺院四十八宇、学寮百数十軒、常時三千名の僧侶が修学
 する大寺院でした。
  現在でも浄土宗大本山として格式を保ち、宗教活動のほか文化活動も幅広く行われ、建造物、古文書、経典など
 多数の重要文化財を所蔵しています。

  三解脱門
  慶長十六年(1611)に、徳川家康公の助成により、江戸幕府大工頭・中井大和守正清によって建立され、元
 和八年(1622)に再建されました。
  この門は、増上寺で唯一の江戸時代初期の面影をお残す建造物で、重要文化財に指定されています。
  三解脱門は、別名「三門」と呼ばれ、三つの煩悩「貪欲(とんよく・むさぼり)、瞋恚(しんに・いかり)、愚
 知(ぐち・おろかさ)」の三悪を解脱する悟りの境地を表しています。
  建築様式は三戸楼門、入母屋造、朱漆塗。唐様を中心とした建物に、和様の勾欄などが加味され、見事な美しさ
 を見せています。
  




正面の柱



飾りでしょうか

境内側から見ます

大きな末の木が有ります

境内案内板です




鐘楼です


   鐘楼堂
   慶長十年(1633)に建立されましたが焼失、戦後に再建されました。
   納められている梵鐘は、延宝元年(1673)に品川御殿山で椎名伊予守吉寛により鋳造されました。
   徳川四代将軍家綱公の意向で奥方の「かんざし」まで寄与され
  七回の鋳造を経て完成したもので、江戸三大名鐘の一つに数えられ、東日本で最大級として知られています。
   その大きさ、高さ一丈(約3m)重さ四千貫(約15t)の大鐘です。
   その鐘の音は、時を告げるだけでなく、煩悩を浄化し、人々の心を深い安らぎへと誘います。
   江戸時代の川柳には「今鳴るは芝(増上寺)か、上野(寛永寺)か、浅草(浅草寺)か」・「江戸七分ほどは
  聞こえる芝の鐘」・「西国の果てまで響く芝の鐘」等と詠われ、江戸庶民に親しまれてきました。


港区の文化財に指定されています


   水盤舎
   この水盤舎は清揚院殿(徳川家三代将軍家光公三男甲府宰相綱重公)の霊廟にありましたが、明治時代の解体・
  昭和の空襲を逃れ、現在地に移築されました。
   徳川家霊廟建築を伝える数少ない遺構のひとつです。

では、本堂を回って、霊廟へ行きましょう
コメント (5)
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