宝珠院観音堂は、印西市役所の西南西約3km
手賀沼の東側台地上の住宅地の中にあります
県道59号線の松山下公園から南に登った所です
坂道の途中に光堂の石碑が有ります、石碑の所に車を置いていくのが良いでしょう
この案内板のところの路地を入って行きます
国宝 光堂の石柱が建っています
西へ進みます
右に曲がって垣根の間を進むと
御堂が見えてきます
観音堂(光堂)です
説明版が有ります
国指定重要文化財
宝珠院観音堂(光堂)
指 定 昭和九年一月三十日
所在地 印西市小倉三門口1138番地
所有者 泉倉寺 院代寺 宝珠院
構造
方三間、単層、寄棟、茅葺におさまるこの観音堂の様式を禅宗様式という。
臨済禅が中国唐代の様式を伝承して建てられたお堂である。
建立年代
本尊の観世音菩薩がおさまる厨子の内壁には、「永禄六季 発亥 林鐘下旬」と墨書きされ、室町後期の
建立とされる。
文化
室町時代は尊氏以来二百三十五年。その後半を世に戦国時代という。荘園制が崩れ、戦国大名が現れ、農
民の反抗による土一揆等、幕府執権の中、独り無我、無一物、禅本来の文化を、禅宗様式、水墨画、能、茶
道、花道、等に伝えている。
禅宗様式
丸柱、粽、出三寸詰組、唐戸、等。
平成元年五月
印西市教育委員会
重要文化財の標柱です
境内の御堂です
印西八景 光堂の雪景の標柱です
大きな杉の木が御神木です
では、次へ行きましょう
手賀沼の東側台地上の住宅地の中にあります
県道59号線の松山下公園から南に登った所です
坂道の途中に光堂の石碑が有ります、石碑の所に車を置いていくのが良いでしょう
この案内板のところの路地を入って行きます
国宝 光堂の石柱が建っています
西へ進みます
右に曲がって垣根の間を進むと
御堂が見えてきます
観音堂(光堂)です
説明版が有ります
国指定重要文化財
宝珠院観音堂(光堂)
指 定 昭和九年一月三十日
所在地 印西市小倉三門口1138番地
所有者 泉倉寺 院代寺 宝珠院
構造
方三間、単層、寄棟、茅葺におさまるこの観音堂の様式を禅宗様式という。
臨済禅が中国唐代の様式を伝承して建てられたお堂である。
建立年代
本尊の観世音菩薩がおさまる厨子の内壁には、「永禄六季 発亥 林鐘下旬」と墨書きされ、室町後期の
建立とされる。
文化
室町時代は尊氏以来二百三十五年。その後半を世に戦国時代という。荘園制が崩れ、戦国大名が現れ、農
民の反抗による土一揆等、幕府執権の中、独り無我、無一物、禅本来の文化を、禅宗様式、水墨画、能、茶
道、花道、等に伝えている。
禅宗様式
丸柱、粽、出三寸詰組、唐戸、等。
平成元年五月
印西市教育委員会
重要文化財の標柱です
境内の御堂です
印西八景 光堂の雪景の標柱です
大きな杉の木が御神木です
では、次へ行きましょう