ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

埼玉県桶川市、多気比売神社の大シイです!!

2015-05-03 05:53:50 | 巨樹・大木
多気比売神社は、桶川市役所の北北東約3km

県道12号線の加納橋を赤堀川沿いに西へ入ると


右手に、こんもりとした木々が見えてきます


延喜式内 多氣比賣神社です

鳥居です

説明版です
     多気比売神社御由緒
                桶川市篠津58
      御縁起(歴史)
       「延喜式」神名帳に載る足立郡四座のうちの一座「多気比売神社」に比定される当社は、篠津の集落の南に、
      赤堀川を挟んで対岸は一面の水田となっているが、かつては「篠津沼」という大きな沼があった。篠津とは篠の
      生い茂った中の船着き場に由来するといい、祭神である豊葦建(竹)姫命を考え合わせるに、恐らくは篠や葦・
      竹の茂った付近一帯を領く女神を祀ったものであろう。
       「風土記稿」篠津村の項に「姫宮社 当社は[延喜式]内多気比売神社にて、祭神は豊葦建姫命なり、神体は女
      体にして十二単衣冠の坐像(中略)金剛寺の持」と載ていたことがわかる。しかし、吉田東伍氏は「大日本地名
      辞書」の中でこれを否定し、さいたま市緑区三室の氷川女体神社を本来の多気比売神社であるとしている。
       別当の金剛寺は、真言宗の寺院で、社蔵の文化五年(1808)の「姫宮大明神」再建棟札にも「別当金剛寺
      専教」の名が見える。
       明治初年、当社は社名を姫宮社から多気比売神社に改め、明治六年に村社となった、同四十年大字五丁台字上
      耕地の稲荷社を合祀した。
       祀職は、明治初年の神仏分離により金剛地の僧が姓を金田と名乗って復飾し神職となり、当社の東隣に居住し
      て昭和二十年ごろまで務めたが、その後、加納の桜井家が継いで、現在に至っている。
           御祭神と御神徳
            豊葦建姫命・・・安産、子宝
           末社
            天神社・稲荷社・三峯社
           祭日
            祈年祭(二月十一日)・例大祭(三月十五日)・ふせぎ(四月一日)・新嘗祭(十一月二十三日)

手水舎です

拝殿です

本殿です


本殿西側や

拝殿前には注連縄が掛けられた木もあります


根本から二つに分かれた大シイです

東側から


大シイの直ぐ北側の古木です  

大シイの説明版です
     多気比売神社と大シイ
             桶川市指定文化財[多気比売神社の大シイ] 種別:記念物(天然記念物) 昭和36年4月1日指定
       篠津の多気比売神社は、平安時代に編さんされた、「延喜式」(延長5年[1927]完成)の{神名帳)に名が
      載る足立四座の一つで、桶川市内で最古の神社です、祭神は「豊葦建姫命」です、地元であは、「ひめみやさま」
      と親しまれ、古くから安産の神様として多くの信仰を集めて来ました。
       鳥居の脇のそびえる大シイは、高さ13メートル、根回り6,7メートル、枝張り南北17メートル、東西14
      メートル、樹齢は約600年と推定されている古木に風格が漂うご神木です。5月末頃には黄色い房状の花が咲き、
      9月にはドングリに似た小さなシイの実が熟します。
       鎮守の森の象徴ともいえるこの大シイは、境内の他の樹木とともに、篠津地区の人々の信仰と親愛の情によって、
      大切に守られてきました。歳末には氏子たちによって境内地の古木に張る太い注連縄が作られ、前年の縄とは張り
      替える習わしが続け」られています。
                               平成27年3月       桶川市教育委員会

根元には、二つの丸い「力石」があります

直ぐ東側では、圏央道が新幹線を越える橋梁の工事が大詰めを迎えていました

では、次へ行きましょう
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