ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

群馬県伊勢崎市、連取のマツです!!

2015-05-18 05:27:17 | 巨樹・大木
連取のマツは、伊勢崎市役所の西約3kmお菅原神社にあります

県道24号線の北側に入った住宅地のなかに有ります

北側の公民館に広い駐車スペースが有りますので、利用させていただきました

東側入口鳥居からの神社入口を覆い隠すように松があります

菅原神社です

説明版があります
       群馬県指定天然記念物
         連取のマツ           昭和二十八年八月二十五日  指定
        このマツは享保二年(1717)に植えられたクロマツで「笠松」または「天神松」とよばれています。
        江戸時代、この地方は旗本駒井氏の領地で、代官の飯島一覚が現在地の南方にあたる韮塚町の諏訪の原
       から移植したものと伝えられています。その姿は雄大で、毎年十月には地元の人達によって手入れが行わ
       れています。
           樹  高       5メートル
           目通り周       4メートル
           根元 周       4.5メートル
           枝 張り       東西南北とも約33メートル
           樹  齢       約300年
                         昭和六十三年十二月十日     伊勢崎市教育委員会

東側枝ぶり

根元

西側根本

南西側から

北側から


菅原神社拝殿です

本殿です

由緒書です
      菅原神社由緒書
        一、天神縁起
          菅原道真公は平安初期に文章博士の家系に生まれ、幼少より才能を発揮して活躍しました。寛文六
         (894年)年の遣唐使の廃止を建言したことで有名です。醍醐天王の時代には右大臣に任命されま
         したが、左大臣の藤原時平の讒言により九州の大宰府に左遷され、失意のうちに病没しました。とこ
         ろが間もなく、まず時平が、次いで若い皇太子とその子が相次いで病死し、さらに御所に落雷があっ
         て貴族に死傷者が出る事件が起こると、天皇も三か月後には病死してしまいました。都では道真公が
         怨霊となって祟ったという風説が広まると、朝廷は道真公の名誉を回復し、「天満自在天神」の神号
         を追諡しました。「北野天神縁起」によると、道真公のお告げによって天暦元(947)年に北野天
         満宮が創建され、道真公の墓所がある大宰府天満宮とともに全国的に信仰されるようになりました。
        二、創建
          当神社の伝承によると、元応元(1319)年に、日照りのために困窮した能門が、北野天満宮に
         祈願したところ、たちまち雷雨が発生して五穀が蘇ったので里正の飯島氏が北野天満宮の分霊を勧進
         して、「天神社」の名称で創建したと伝えられていますが、その時代に連取村はまだ存在しておらず
         村が誕生した十六世紀後の頃に勧進されてと推定されます。
          当神社は連取村上組の総鎮守となり、光福寺が別当となりました。旗本の駒井氏が連取村の領主と
         なると当神社を厚く崇敬したり、伊勢崎藩主の酒井忠強公がお国入りに際には参詣したことなどが記
         録に残されています。
          享保十三年(1728)年に正一位天満宮となり、嘉永四(1851)年には現在の社殿(本殿・
         拝殿・幣殿)が当地の氏子たちによって建立されました。
          明治の改革で、七(1874)年に村社となり、四十(1907)年には中屋敷の飯玉神社と林根
         の白山神社を合祀して菅原神社となりました。
        三、奉神
          菅原道真命(学問・慈雨の神で天神様)
          御神体は木彫彩色の渡唐天神立像です。
        四、配祀神
          保食命・誉田別命・天児屋命・大山祗命・伊 再命・素 鳴命・菊理姫命
        五、神宝・句碑・石碑
          神宝として少納言侍従五条為定の和歌、太政大臣三条実美の書、御歌所長高崎正風の和歌があり、境
         内には地元の岨雲や滝素などが奉納した「松杉を誉めてや風乃かほる音」の芭蕉句碑や、森村嘉定・森
         村松鶴・飯島琴正の句碑があり、嘉納治五郎題額の「気楽流柔術碑」や、松方正義篆額の「伊勢神宮太
         々神楽奉奉記念碑」などがあります。
        六、笠松
          拝殿と鳥居の間には、享保二(1717)年に代官であった飯島弥兵衛一覚が移植し、後に雪のため
         に枝が三方に折れ、そのまま成長して見事な「笠松」となった黒松があり、その枝ぶりと雄大さは当時
         から有名となり、諏訪藩の儒者竜造寺王瑾が詠んだ漢詩碑が奉納されたり、絵師采園が版画に描いたり
         しましたが、昭和二十八(1953)年に「群馬県天然記念物」に指定され、現在も見事な姿をみせて
         います。
        七、祭典
        祈年祭(二月第三日曜日)春季例祭・児童入学祈願祭(四月第一日曜日)・子供神輿安全祈願祭(七月
         下旬土曜日)・勤労感謝祭(十一月二十三日)・初詣(十二月三十一日)


拝殿南側には石碑が並びます、木曽御岳山碑です

裏側です

拝殿北側に観光案内のASITAかるたです

北側にももう一本の笠松が有ります

こちらも十分大きな松です 

植樹記念碑です、二代目の連取のマツとして植えられています

では、次へ行きましょう
       
コメント
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