お富士山古墳は、伊勢崎市役所の北西約4kmのところです
伊勢崎オートレース場の北東約1km、広瀬川左岸にあたります
古墳の脇をJR両毛線の線路が通っています
東側から見たお富士山古墳です
北側の入口には「村社 富士神社」石碑が有ります
北側裾野です
古墳上には大きな松の木があるようです
東側に鳥居が有りますが、ここかえらは登れません
南側に階段があります
説明版です
伊勢崎市指定史跡
お富士山古墳 昭和四十一年四月十二日指定
お富士山古墳は市内最大の前方後円墳で、墳丘の全長が約125メートルあります。明治二十一年に前方部
の一部が削り取られてしまったが、前方後円墳の形状を現在まで良くとどめています。
墳丘は三段築造で、周囲を巡る堀跡は、昭和六十三年の発掘調査で盾形を呈することがわかりました。
築造年代は出土遺物などから五世紀中頃と推定されています。
後円部の墳丘には富士神社があり、その傍らには畿内地方の大王墓と同様の形態をもつ砂岩製の長持形石棺
が埋置されています。
・全長 125㍍ ・主軸 北七十四度東 ・前方部幅 83.2㍍ ・前方部高さ 5.5㍍
・後円部径 77.2㍍ 後円部高さ 9.5㍍
平成十一年二月五日 伊勢崎市教育委員会
階段を上がります
富士神社です
社殿右手に石棺(群馬県指定重要文化財)が展示されています
パンフレットが張られています
お富士山古墳長持形石棺
この長持形石棺は、お富士山古墳の後円部にあり、江戸時代に伊勢崎藩の関重嶽が書いた「発墳暦」や
「伊勢崎風土記」に記録されるなど、地元では古くから知られています。
長持形石棺は、底石・側石・小口石で箱型を造り、かまぼこ型の蓋石を合わせ6枚で構成され、その形あ、
は衣類を入れた長持に似ています。
お富士山の長持形石棺は、一部の蓋石が無くなっていますが、側石や小口、底石に組み合わせるための溝や
段が彫られ、側石や底石の縁辺に棒状の縄かけ突起が造り出され、小口石の外面には小さな方形の突出も見ら
れます、その大きさは全長285cm、幅121cm、高さ115sm、重さは約6.8トンもあります、こ
のような特徴から、この石棺の製作年代は5世紀代と考えられます。
長持形石棺は、全国で45例ほど知られていますが、その多くは畿内のヤマト王権を代表する大王の古墳な
どに用いられました、関東地方ではお富士山古墳と太田市天神山古墳のほか、千葉県で2例知られているだけ
です。
こうしたことから、お富士山古墳は、ヤマト王権と強い政治的なつながりをもったこの地域を治めた首長の
前方後円墳であると考えられています。 伊勢崎市教育委員会 文化財保護課
前方部へ行って見ましょう
接続部から見た後円部です
前方部北隅です、JR両毛線の線路が脇を通ります
前方部の削り取られた部分でしょうか、松枯れ対策の様です
南西側線路沿いも削られているようです
前方部南側へ出てきました
では、次へ行きましょう
伊勢崎オートレース場の北東約1km、広瀬川左岸にあたります
古墳の脇をJR両毛線の線路が通っています
東側から見たお富士山古墳です
北側の入口には「村社 富士神社」石碑が有ります
北側裾野です
古墳上には大きな松の木があるようです
東側に鳥居が有りますが、ここかえらは登れません
南側に階段があります
説明版です
伊勢崎市指定史跡
お富士山古墳 昭和四十一年四月十二日指定
お富士山古墳は市内最大の前方後円墳で、墳丘の全長が約125メートルあります。明治二十一年に前方部
の一部が削り取られてしまったが、前方後円墳の形状を現在まで良くとどめています。
墳丘は三段築造で、周囲を巡る堀跡は、昭和六十三年の発掘調査で盾形を呈することがわかりました。
築造年代は出土遺物などから五世紀中頃と推定されています。
後円部の墳丘には富士神社があり、その傍らには畿内地方の大王墓と同様の形態をもつ砂岩製の長持形石棺
が埋置されています。
・全長 125㍍ ・主軸 北七十四度東 ・前方部幅 83.2㍍ ・前方部高さ 5.5㍍
・後円部径 77.2㍍ 後円部高さ 9.5㍍
平成十一年二月五日 伊勢崎市教育委員会
階段を上がります
富士神社です
社殿右手に石棺(群馬県指定重要文化財)が展示されています
パンフレットが張られています
お富士山古墳長持形石棺
この長持形石棺は、お富士山古墳の後円部にあり、江戸時代に伊勢崎藩の関重嶽が書いた「発墳暦」や
「伊勢崎風土記」に記録されるなど、地元では古くから知られています。
長持形石棺は、底石・側石・小口石で箱型を造り、かまぼこ型の蓋石を合わせ6枚で構成され、その形あ、
は衣類を入れた長持に似ています。
お富士山の長持形石棺は、一部の蓋石が無くなっていますが、側石や小口、底石に組み合わせるための溝や
段が彫られ、側石や底石の縁辺に棒状の縄かけ突起が造り出され、小口石の外面には小さな方形の突出も見ら
れます、その大きさは全長285cm、幅121cm、高さ115sm、重さは約6.8トンもあります、こ
のような特徴から、この石棺の製作年代は5世紀代と考えられます。
長持形石棺は、全国で45例ほど知られていますが、その多くは畿内のヤマト王権を代表する大王の古墳な
どに用いられました、関東地方ではお富士山古墳と太田市天神山古墳のほか、千葉県で2例知られているだけ
です。
こうしたことから、お富士山古墳は、ヤマト王権と強い政治的なつながりをもったこの地域を治めた首長の
前方後円墳であると考えられています。 伊勢崎市教育委員会 文化財保護課
前方部へ行って見ましょう
接続部から見た後円部です
前方部北隅です、JR両毛線の線路が脇を通ります
前方部の削り取られた部分でしょうか、松枯れ対策の様です
南西側線路沿いも削られているようです
前方部南側へ出てきました
では、次へ行きましょう