磐椅神社は、猪苗代町役場の北約1,5kmのところ
土津神社の駐車場に車を置いて、案内図で500mなので
歩いて行きましたが、車でも磐椅神社まで入ることもできます
土津神社の白鳥居前の道路を東へ300m程、この案内板を入ります
用水沿いに砂利道を進みます
200mより距離があるように感じますが~
大鹿桜です
説明版です
町指定天然記念物
大鹿桜
(昭和44年8月1日指定)
別名「翁桜」とも称され会津の五桜の一つに数えられる名木で、花の色が白色から
しだいに鹿の毛の色に変化することから、この名前がつけられた。
社伝によると、今より約一千年前天暦年中(947~957)村上天皇の勅使が参
拝のときに京都から持ってきて植えたとなっている。
現在はその子孫である。樹の種類はサトザクラの一品種である。花の中心からおし
べが緑化したものがでているので、ちょうど花の中から葉が出ているように見える珍
しいものである。
福島県緑の文化財登録第一号である。
猪苗代町教育委員会(平成4年11月1日設置)
大鹿桜の直ぐ北側に磐椅神社があります
説明版です
延喜式内勅祀社(旧県社)
磐椅神社
祭神 大山衹命 埴山姫命
相殿 誉田和気命 息長足姫命
祭日 例大祭 10月10日 春祭 5月14・15日
由緒
当社は延喜式内祀社として應神天皇の御代、神功皇后摂政の時、式内大臣の巡視
のみぎり勅命を奉じ、国土開発の神なる大山衹命・埴山姫命を磐梯山の嶺に奉斎す、
また元明天皇の御代、和銅年間の草創ともいわれる。聖武天皇の御代、天正元年8
月25日、見弥山南麓に遷座し、相殿として誉田和気命(應神天皇)・息長足姫命
(神功皇后)を配祀す。
平城天皇の御代、大同元年夏、磐梯山破裂により社殿損障によって、嵯峨天皇の
御代、弘仁4年、御造営される、文徳天皇の御代、齋衡3年正月陸奥国、石椅神に
従四位下と文徳実録に見ゆる、この神、磐椅、岩椅、石椅につくりしを、明治2年
民政局より磐椅(いわはし)との旨通達あって改む
村上天皇の御代、天暦元年、勅使御差遣あり、由来を尋ねありし時、宸輪物及び
桜樹を奉献せられ社殿修覆、奉幣の儀あり、この際の桜を大鹿桜と称す
土御門天皇の御代、元久2年、猪苗代城主、三浦経連、社領八千余町の寄進あり
次で正元元年夏現在の所に御遷座され杉を植え、此れを鳥居杉と称す、承久年間に
は三浦盛常二千三百町を寄進あり、伏見天皇の御代、正應年中、藤原氏の女、御皇
威の衰え給えるを痛く歎き、私に神㓛皇后應神天皇の御影を鋳せられ神鏡金銀の幣
額等を添えて永仁3年密使を以て奉献せられる。
寛文年中保科正之公社殿の造営あり、寬保3年閏4月12日正一位の神階を受奉
せらる。
会津磐梯山は父なる山で母なる会津の里の豊作をまたらす神として、人々の信仰
のよりどころであり磐椅神社は会津の土着の信仰に基づく神体山崇拝の神社で、磐
椅明神、峰明神として信仰されている。
昭和61年5月15日 宮司 伊東正則
鳥居前右側に鳥居杉があります
手水です
南側から
南東側から
設営版です
天然記念物
鳥居杉
元久二年甲子年、猪苗代城主三浦経連磐椅神社に社領を寄進し、2年後の承元元年夏、
大鹿桜の傍、現土田堰の南に在った神社を現在の地に遷座して、其の時鳥居の杉として
社前に稙されたものが此の杉で樹齢約770年である。
左 西側の杉は、幾度かの落雷で半月空洞状態と成り、昭和33年8月の猛烈な台風で
地上約15mを残して倒漬し 現在の姿となったとは言い、磐椅神社の神木、鳥居の杉と
して古い歴史を語り、信仰の中心の御社の尊厳を保っている。
猪苗代町教育委員会
鳥居と拝殿です
本殿です
拝殿前から
北西側から目通り幹周り6,7mの巨木です
注連縄には、多くのコインが結び付けられたりしています
境内西端に切り倒された木があります
切り倒された根元の直径が1,7mもある松の様です
南側参道には西峯遺跡があります
南側の参道です
では、次へ行きましょう
土津神社の駐車場に車を置いて、案内図で500mなので
歩いて行きましたが、車でも磐椅神社まで入ることもできます
土津神社の白鳥居前の道路を東へ300m程、この案内板を入ります
用水沿いに砂利道を進みます
200mより距離があるように感じますが~
大鹿桜です
説明版です
町指定天然記念物
大鹿桜
(昭和44年8月1日指定)
別名「翁桜」とも称され会津の五桜の一つに数えられる名木で、花の色が白色から
しだいに鹿の毛の色に変化することから、この名前がつけられた。
社伝によると、今より約一千年前天暦年中(947~957)村上天皇の勅使が参
拝のときに京都から持ってきて植えたとなっている。
現在はその子孫である。樹の種類はサトザクラの一品種である。花の中心からおし
べが緑化したものがでているので、ちょうど花の中から葉が出ているように見える珍
しいものである。
福島県緑の文化財登録第一号である。
猪苗代町教育委員会(平成4年11月1日設置)
大鹿桜の直ぐ北側に磐椅神社があります
説明版です
延喜式内勅祀社(旧県社)
磐椅神社
祭神 大山衹命 埴山姫命
相殿 誉田和気命 息長足姫命
祭日 例大祭 10月10日 春祭 5月14・15日
由緒
当社は延喜式内祀社として應神天皇の御代、神功皇后摂政の時、式内大臣の巡視
のみぎり勅命を奉じ、国土開発の神なる大山衹命・埴山姫命を磐梯山の嶺に奉斎す、
また元明天皇の御代、和銅年間の草創ともいわれる。聖武天皇の御代、天正元年8
月25日、見弥山南麓に遷座し、相殿として誉田和気命(應神天皇)・息長足姫命
(神功皇后)を配祀す。
平城天皇の御代、大同元年夏、磐梯山破裂により社殿損障によって、嵯峨天皇の
御代、弘仁4年、御造営される、文徳天皇の御代、齋衡3年正月陸奥国、石椅神に
従四位下と文徳実録に見ゆる、この神、磐椅、岩椅、石椅につくりしを、明治2年
民政局より磐椅(いわはし)との旨通達あって改む
村上天皇の御代、天暦元年、勅使御差遣あり、由来を尋ねありし時、宸輪物及び
桜樹を奉献せられ社殿修覆、奉幣の儀あり、この際の桜を大鹿桜と称す
土御門天皇の御代、元久2年、猪苗代城主、三浦経連、社領八千余町の寄進あり
次で正元元年夏現在の所に御遷座され杉を植え、此れを鳥居杉と称す、承久年間に
は三浦盛常二千三百町を寄進あり、伏見天皇の御代、正應年中、藤原氏の女、御皇
威の衰え給えるを痛く歎き、私に神㓛皇后應神天皇の御影を鋳せられ神鏡金銀の幣
額等を添えて永仁3年密使を以て奉献せられる。
寛文年中保科正之公社殿の造営あり、寬保3年閏4月12日正一位の神階を受奉
せらる。
会津磐梯山は父なる山で母なる会津の里の豊作をまたらす神として、人々の信仰
のよりどころであり磐椅神社は会津の土着の信仰に基づく神体山崇拝の神社で、磐
椅明神、峰明神として信仰されている。
昭和61年5月15日 宮司 伊東正則
鳥居前右側に鳥居杉があります
手水です
南側から
南東側から
設営版です
天然記念物
鳥居杉
元久二年甲子年、猪苗代城主三浦経連磐椅神社に社領を寄進し、2年後の承元元年夏、
大鹿桜の傍、現土田堰の南に在った神社を現在の地に遷座して、其の時鳥居の杉として
社前に稙されたものが此の杉で樹齢約770年である。
左 西側の杉は、幾度かの落雷で半月空洞状態と成り、昭和33年8月の猛烈な台風で
地上約15mを残して倒漬し 現在の姿となったとは言い、磐椅神社の神木、鳥居の杉と
して古い歴史を語り、信仰の中心の御社の尊厳を保っている。
猪苗代町教育委員会
鳥居と拝殿です
本殿です
拝殿前から
北西側から目通り幹周り6,7mの巨木です
注連縄には、多くのコインが結び付けられたりしています
境内西端に切り倒された木があります
切り倒された根元の直径が1,7mもある松の様です
南側参道には西峯遺跡があります
南側の参道です
では、次へ行きましょう