南町のケヤキは、大玉村役場の南約1kmのところ
町の南側を流れる、安達太良川の河岸段丘上
田圃の耕地の上、住宅が並ぶ南側にあります
ケヤキの根元に湧く清水は、織井の清水とよばれています
前の道路が狭いので、少し東側の道路の広い所に車を置かせていただきました
道路右手にコンモリとケヤキが見えて来ます
北側の木の根元からは水が湧いています
南側のケヤキです
説明版があります
織井の清水
所在地 大玉村玉井字馬場
この清水の由来についてはいくつかの説がある。
一つ目は、江戸の天保年間にまとめられた「相生集」によるもので「折井」ときされている
もの、二つ目は、明治44年に安達郡役所が編纂した「安達郡案内」によるもので「降井」と
記されているもの、三つ目は、昭和7年にまとめられた玉井小学校の「郷土誌」によるもので
「織井」と記されるものである。
いずれも内容が異なるが、現在伝えられている由来は「郷土誌」によるもので、「源義家が奥
州平定の際、義家の側女が産気づいたが、付近に水がないのを心配し矢の根で試掘したところ、
清水がこんこんと湧き出た。その後、いかなる晴天続きでも涸れることがなかった。」といわ
れている。
なお、相応寺境内に、義家の側女を祀った社「織井御前」が奉納されている。
清水の側に「南町の大ケヤキ」(県緑の文化財登録第111号)があるが、これは、樹齢4
00年、樹高23m、胸高周囲5,9mの巨木である。
大玉村・大玉村教育委員会
北側のケヤキ、こちらが「南町のケヤキ」です
西側から
南側のケヤキは、少し若いようです
では、馬場桜へ行きましょう
町の南側を流れる、安達太良川の河岸段丘上
田圃の耕地の上、住宅が並ぶ南側にあります
ケヤキの根元に湧く清水は、織井の清水とよばれています
前の道路が狭いので、少し東側の道路の広い所に車を置かせていただきました
道路右手にコンモリとケヤキが見えて来ます
北側の木の根元からは水が湧いています
南側のケヤキです
説明版があります
織井の清水
所在地 大玉村玉井字馬場
この清水の由来についてはいくつかの説がある。
一つ目は、江戸の天保年間にまとめられた「相生集」によるもので「折井」ときされている
もの、二つ目は、明治44年に安達郡役所が編纂した「安達郡案内」によるもので「降井」と
記されているもの、三つ目は、昭和7年にまとめられた玉井小学校の「郷土誌」によるもので
「織井」と記されるものである。
いずれも内容が異なるが、現在伝えられている由来は「郷土誌」によるもので、「源義家が奥
州平定の際、義家の側女が産気づいたが、付近に水がないのを心配し矢の根で試掘したところ、
清水がこんこんと湧き出た。その後、いかなる晴天続きでも涸れることがなかった。」といわ
れている。
なお、相応寺境内に、義家の側女を祀った社「織井御前」が奉納されている。
清水の側に「南町の大ケヤキ」(県緑の文化財登録第111号)があるが、これは、樹齢4
00年、樹高23m、胸高周囲5,9mの巨木である。
大玉村・大玉村教育委員会
北側のケヤキ、こちらが「南町のケヤキ」です
西側から
南側のケヤキは、少し若いようです
では、馬場桜へ行きましょう