五所神社は、湯河原町役場の西南西約2kmのところ
県道7語号線を西へ進むと、JR東海道新幹線のガードを過ぎて直ぐ右に有ります
神社の手前に駐車場入り口があります
五所神社です
手水舎です
説明版です
五所神社
鎮座地 神奈川県足柄下郡湯河原町宮下359-2
祭 神 天照大神 彦火火出見尊 素戔嗚尊
(あまてらすおおみかみ)(ひこほおでみのみこと)(すさのおのみこと)
天忍穂耳尊 鵜茅草葺不合尊 伊弉諾尊
(あめのほしほみみのみこと)(うがやふきあえずのみこと)(いざなぎのみこと)
瓊瓊杵尊 誉田別尊 伊弉冊尊
(ににぎのみこと)(ほんだわけのみこと)(いざなみのみこと)
由 緒 当社は、今からおよそ千三百有余年前第38代天智天皇の御代加賀の佳人二見加賀
助重行等の手によってこの地方が開拓されたとき土肥郷の総鎮守として祀られ、治承
4年(1180年)8月、源頼朝伊豆より挙兵の時、この地の豪族土肥次郎実平は一
族と共にこれを助けて頼朝の軍を土肥の舘に導き、石橋山合戦進発の前夜は、社前に
おいて盛大な戦勝祈願の護摩をたいたといわれています。以来、土肥一族を始め藩主
領主、庶民の崇敬厚く、現在に至っております。明治6年7月20日旧足柄県指令に
より村社となり、大正4年11月神奈川県告示により神饌幣帛料共進神社に指定、昭
和19年7月22日神奈川県指令により郷社に昇格、昭和43年1月24日神奈川県
神社庁より献幣使の参向する神社に指定される。
例祭日 8月1日・2日
楠があります
御神木「楠」の案内板です
西側から
東側から
東側駐車場から
拝殿です
本殿は一段高く成っています、防犯ライトが点いてしまって上手く撮れませんでした
神奈川県指定重要文化財です
拝殿前から、一段下の境内にあるため根元が見えません
拝殿東側に境内社の山神社です
つづきます
県道7語号線を西へ進むと、JR東海道新幹線のガードを過ぎて直ぐ右に有ります
神社の手前に駐車場入り口があります
五所神社です
手水舎です
説明版です
五所神社
鎮座地 神奈川県足柄下郡湯河原町宮下359-2
祭 神 天照大神 彦火火出見尊 素戔嗚尊
(あまてらすおおみかみ)(ひこほおでみのみこと)(すさのおのみこと)
天忍穂耳尊 鵜茅草葺不合尊 伊弉諾尊
(あめのほしほみみのみこと)(うがやふきあえずのみこと)(いざなぎのみこと)
瓊瓊杵尊 誉田別尊 伊弉冊尊
(ににぎのみこと)(ほんだわけのみこと)(いざなみのみこと)
由 緒 当社は、今からおよそ千三百有余年前第38代天智天皇の御代加賀の佳人二見加賀
助重行等の手によってこの地方が開拓されたとき土肥郷の総鎮守として祀られ、治承
4年(1180年)8月、源頼朝伊豆より挙兵の時、この地の豪族土肥次郎実平は一
族と共にこれを助けて頼朝の軍を土肥の舘に導き、石橋山合戦進発の前夜は、社前に
おいて盛大な戦勝祈願の護摩をたいたといわれています。以来、土肥一族を始め藩主
領主、庶民の崇敬厚く、現在に至っております。明治6年7月20日旧足柄県指令に
より村社となり、大正4年11月神奈川県告示により神饌幣帛料共進神社に指定、昭
和19年7月22日神奈川県指令により郷社に昇格、昭和43年1月24日神奈川県
神社庁より献幣使の参向する神社に指定される。
例祭日 8月1日・2日
楠があります
御神木「楠」の案内板です
西側から
東側から
東側駐車場から
拝殿です
本殿は一段高く成っています、防犯ライトが点いてしまって上手く撮れませんでした
神奈川県指定重要文化財です
拝殿前から、一段下の境内にあるため根元が見えません
拝殿東側に境内社の山神社です
つづきます