ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

福島県猪苗代町、土津神社(保科正之公墳墓)です!!

2016-11-13 04:05:07 | 文化財・寺社
土津(はにつ)神社は、猪苗代町役場の北約2kmのところ

磐梯山南麓、猪苗代スキー場の入り口にあります

公営無料駐車場が手前東側に用意されています

白鳥居の目立つ参道入り口です

説明版です
  土津神社
    土津神社は磐梯山南東ふもとににあり、今から20万~30万年前の磐梯火山の噴出
   物が堆積した斜面上に立地しています。
    徳川三代将軍家光の異母弟で、徳川四代家綱を補佐した会津藩松平家の初代保科正之
   を祀った神社です。正之公は磐梯山の神、磐椅神社の末社として自分を祀るよう遺言さ
   れ、その社は没後1675(延宝3)年に土津神社として創建されました。
    造営された社は、日光東照宮と比べられるほど絢爛豪華なものだったといいます。
    残念ながら創建当初の建物は、戊辰戦争で焼失してしまいました。現在、神社、奥の
   院(保科正之公の墳墓)ともに会津藩主松平家墓所として国指定史跡となっています。
    土津神社の墓石、石碑、石燈籠など江戸時代に作られた石造物のほとんどに、磐梯火
   山や猫魔火山を形成している安山岩が使われています。

案内板です
   土津神社は二代将軍秀忠の第四子会津松平家の初代藩主保科正之公(1611~167
  2)をお祀りした神社です。
   正之公は吉川惟足、山崎闇斎、横田俊益等当時の最高学者を師とされ殊に当時殆んど絶
  えなんとした日本古来の卜部神道の大家吉川惟足を師とせられ四重の奥秘を受け継がれ体
  得されると共に領内の政治、産業、文化、教育、武道の基盤を定められ是が実践を図られ
  た。
   幕府は神道方を置き、神道精神の復興に大きな貢献をされた為、土津霊神の霊号を受け
  られたのである。
   記
  祭神土津大明神正之公の霊号
  相殿客神高良玉垂の大明神
      式内宿袮の神号
  相殿合祀三代~九代歴代藩主

参道を進むと拝殿ですが

右に土津霊神之碑があります

案内板です 
  土津霊神之碑
   この碑は御祭神保科正之公の事績を大義名分を最も重視された大学者山崎闇斎先生が心血
  を注いで綴られた大文章である、字数1943文字、日本最大のものである。
   碑石高  5,45m(一丈八尺)
     幅  1,83m(  六尺)
     厚  1,51m(  五尺)
   重 量 30,0t余(八千余貫)


四面に文字が並びます

町指定重要文化財(美術工芸品)に指定されています

神楽殿です

さらに高い位置に本殿です

本殿です、本殿を取り囲む形で、霊神社が並びます

右側手前から岩彦神社(正之公の嫡子の社)

信彦霊社(城代)

之彦霊社(家老)

津彦霊社(家老)

忠彦霊社(重臣)

石彦霊社(正之公の七子)

左側に少し離れて進功霊社があります

土津神社初代宮司を祀っています

奥の院へ行きましょう

玉石の敷かれた参道を進みます

井戸の様です

石畳遺構の説明版です

道路を越えてさらに進むと

奥の院の門です

説明版です
   町指定史跡
     保科正之公墳墓
       昭和60年3月28日指定
     会津藩初代藩主保科正之公は寛文12年(1632)12月18日江戸において、
    62歳で亡くなられた。正之公は「我死せば磐椅神社の末社となりて永く奉仕せん」
    と自ら埋葬地を猪苗代湖が一望できる磐梯山麓に決めていたので、二代藩主正経は、
    遺言どおり墳墓の造営にあたった。
     最初南北六十間、東西五十間を整地し、その中央に小屋を建て棺を安置し、その周
    囲南北三十間、東西三十二間に柵を作り四方に鳥居を立て、3月26・27の両日に
    わたって葬儀をとり行った。その後棺の所に円墳を築き頂上に「土津神墳鎮石」と刻
    んだ八角形の鎮石を建てた。
                     猪苗代町教育委員会(平成8年2月設置)

会津中将源君之墓の墓碑です

円墳の上に鎮石があります

墳鎮石です

東日本大震災の地震で墳鎮石がずれてしまいました、災害復旧の説明版がありました

では、磐椅子神社へ行きましょう
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