ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

神奈川県小田原市、石橋山古戦場です!!

2016-11-26 06:55:48 | 遺跡・史跡
石橋山古戦場は、小田原市役所の南南西約6kmのところ

国道135号線を南へ、西湘バイパス石橋インター南1kmほどを右斜めに入ると

案内板があります、線路脇の農道を進むと


石橋山古戦場の石碑です

JR東海道本線のトンネルの上のそばにあります

佐奈田霊社の駐車場を利用させていただきました

線路上の道を南へ入ると「ねじり畑」です

佐奈田与一義忠討死の地の標柱です

先に三文堂に行きましょう

入り口です

石段を上ると

三文堂です

中には石碑が祀られています

前の道を進んで行くと、ミカン山の上に出ました

太平洋を見下ろせます、戻りましょう

佐奈田霊社へ行きましょう

石段入口です

長い石段を登り切ると

小田原ふるさと原風景百選案内板です
   「石橋山の合戦」(米神・石橋)は、治承4年(1180)、以仁王の命令を受け挙兵した
  源頼朝が平家方の大場景親、伊東祐親らと戦ったところ。
   佐奈田霊社は、頼朝方の先陣・佐奈田与一義忠の遺骸を葬ってある与一塚の傍らに建ってい
  て、与一の戦死の故事に、せき、ぜんそくなどに霊験あると言われている。
                             小田原市   

境内南側に石塔や石仏が並びます

与一塚です

標柱です

石塔です


神奈川県指定史跡説明版です
  (詳しい説明が書かれています、本堂前の説明版が要約されたものです)


手付き石です、手形が残ります

観音堂です

本堂です

説明版です
   石橋山古戦場と佐奈田霊社
     この付近は、源頼朝が治承4年(1180)以仁王の遺命を受けて平家追悼の挙兵をした
    処である。このとき、相模の名族三浦党の岡崎四朗義実や、その子真田(佐奈田)与一義忠
    も参陣した。しかし、急の挙兵のため、頼朝軍は僅か300であり、攻撃の平家軍は大庭景
    親以下3000であったため頼朝軍は忽ち苦戦とった。このとき真田与一は、15騎で豪雄
    俣野五郎の75騎と戦い、両将組討となったが与一が勝ったか俣野は組み敷かれ、与一はこ
    れを討とうとしたが刃に付いた血が固まり短刀がさやからぬけず手間取ったうちに駆けつけ
    た敵のため25歳の命を花と散らした。
     与一の郎党文三家安は、主の討死を聞き群がる敵中に飛び入り主人の跡を追い討死した。
    この後、討死の地には与一塚が建てられ与一お祭神とする佐奈田霊社が祀られた。
     また、その先100mの処には、文三を祭る文三堂があるが共に今日県指定史跡となって
    いる。霊社下の畑は組討した処と伝えれねじり畑と呼ぶが、このためこの畑の作物はすべて
    ねじれてしまうとも伝えられる。
     頼朝は、建久元年(1190)伊豆山権現参詣の帰途両基を訪れ、無き両人の忠節をしの
    び涙を流したと伝えられる。



相模湾に定置網を見る事が出来ました

では、次へ行きましょう
コメント
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