倉橋地区は、旭市役所の東北東約6kmのところ
JR総武本線くらはし駅の北側台地の上に天神社が在ります
参道鳥居前に車を置かせて頂きました
参道入り口の鳥居です、大きな樹冠が鳥居を覆っています
倉橋北野 天神社です
市指定天然記念物 天神様の森の標柱です
説明版です
倉橋天神社縁起
当天神社の御祭神は北野天満大自在天神(菅原道真公)と大納言平時忠卿が合祀され、
しかも倉橋北野に建てられておる、回顧すれば時に嘉永4年(1185年)3月源平の
戦に山口県壇ノ浦に源氏に敗れた平家一門の大納言平時忠卿は、娘が源義経に嫁いでい
る縁により、義経の跡を慕い銚子の戸川迄来たが、既に兄頼朝に追われる義経は奥州(
平泉高舘)へ落ちた後なのでこの倉橋の地に引き返したと云う。
倉橋は、鞍橋村として明治初期迄、天神社の昇日旗にその名を留めている。それは平
時忠が戸川よりここ迄来たところ海上川の源流の小川の水溢れ、馬が進むことができず
鞍をおろし橋として渡ったという故事が起因している。そして時忠は家来2人を伴い、
此の地に住みつき、村人達に都の話や学問を教え、村人に慕われ一生を終えたと云う。
村人達は生前の恩顧に報い、学問の神、北野天満大自在天神と合祀し天神社として現在
も崇敬を集めており、尚、家来2人も、1人は上倉橋権現、他の1人は1299番地に
下倉橋権現として、一間四方の宮があり、共に祀り現存し氏神として崇められている。
因みに天神社の例祭は、1月25日初天神の日に行われ、近郷の子供達の書遺展など
で大層賑いを呈したと言う、地区では毎月25日に小祭を行っている。
水盤です
参道が鍵の手に左に曲がって
社殿です
スダジイの巨木は、鳥居を潜って直ぐ右手に立っています、目通り幹回り5,1mの巨木です
では、次へ行きましょう
JR総武本線くらはし駅の北側台地の上に天神社が在ります
参道鳥居前に車を置かせて頂きました
参道入り口の鳥居です、大きな樹冠が鳥居を覆っています
倉橋北野 天神社です
市指定天然記念物 天神様の森の標柱です
説明版です
倉橋天神社縁起
当天神社の御祭神は北野天満大自在天神(菅原道真公)と大納言平時忠卿が合祀され、
しかも倉橋北野に建てられておる、回顧すれば時に嘉永4年(1185年)3月源平の
戦に山口県壇ノ浦に源氏に敗れた平家一門の大納言平時忠卿は、娘が源義経に嫁いでい
る縁により、義経の跡を慕い銚子の戸川迄来たが、既に兄頼朝に追われる義経は奥州(
平泉高舘)へ落ちた後なのでこの倉橋の地に引き返したと云う。
倉橋は、鞍橋村として明治初期迄、天神社の昇日旗にその名を留めている。それは平
時忠が戸川よりここ迄来たところ海上川の源流の小川の水溢れ、馬が進むことができず
鞍をおろし橋として渡ったという故事が起因している。そして時忠は家来2人を伴い、
此の地に住みつき、村人達に都の話や学問を教え、村人に慕われ一生を終えたと云う。
村人達は生前の恩顧に報い、学問の神、北野天満大自在天神と合祀し天神社として現在
も崇敬を集めており、尚、家来2人も、1人は上倉橋権現、他の1人は1299番地に
下倉橋権現として、一間四方の宮があり、共に祀り現存し氏神として崇められている。
因みに天神社の例祭は、1月25日初天神の日に行われ、近郷の子供達の書遺展など
で大層賑いを呈したと言う、地区では毎月25日に小祭を行っている。
水盤です
参道が鍵の手に左に曲がって
社殿です
スダジイの巨木は、鳥居を潜って直ぐ右手に立っています、目通り幹回り5,1mの巨木です
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