大東社は、東庄町役場の南東約4kmのところ
県道267号線の南側に在ります
参道の東側に駐車スペースが有ります
駐車スペース脇に、御神木の大杉が立っています
参道入り口鳥居です
東海鎮護 東大社です
手水舎です
鳥居の後ろに大杉が在ります、目通り幹回り5,2mの巨木ですが、御神木の杉ではありません
略記です
大東社略記(御神名と皇子の御名は古事記と日本書記の表示を混用しました)
御鎮座地
大東社の御鎮座なさっている此の所は、千葉県香取郡東庄町宮本字八尾406番地である。
御祭神
主神に玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)、相殿に鵜茅葺草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)
を祀る。
玉依姫は海神の御娘と生まれ、鵜葺草葺不合尊の后になられ、人皇第一代神武天皇外三柱の皇子を
挙げられた。
社名
創建当時は東宮、八尾社と称したが、康和4年に朝廷から総社王子大明神の号を賜り・・・
神輿舎です
祭りの説明版です
文化財の説明版です
駐車スペースの脇に御神木の杉が在ります
南側から
北西側から
拝殿前の参道から見上げました、目通り幹回り5,7mの巨木です
神楽殿です
拝殿です
本殿です
本殿西側には弓道場です
本殿北東側には、北参道が伸びています
境内社の子安宮です
神明社です
境内南西側には、相撲の神様「野見宿禰」の像と力石が有ります
西側道路脇には、ケヤキの古木があります
幹周り5mの巨木です
駐車スペースの脇に本殿跡の石碑です
大正6年この地方を大暴風雨が襲った、その為現在社殿の建っているあたりの
樹齢数百年の杉の大木が全て倒れ広い空き地になった
当時本殿は此処に拝殿はその南にあり、社頭が余りに狭く、氏子の総意により
現在の地に遷し建てた
大正7年3月22日遷座祭を執行し、本殿の跡に銀杏の木を植えて石で囲い、
参道には石畳を敷き、有志の寄付による春日燈籠を配置した
雨来80年銀杏は大木となり石囲いを押し上げ、又ここ本殿の跡であることを
知る人も少なくなった
金谷隆氏より多額の奉斎があり、それを用い石囲いを整備し
本殿跡を示す石碑を建立する事と定め、工を起こし、平成10年月3月完成した
ここに概要を刻し後世に伝える
平成10年3月吉日
宮司 飯田眞也代
題字 菅谷香城書
では、次へ行きましょう
県道267号線の南側に在ります
参道の東側に駐車スペースが有ります
駐車スペース脇に、御神木の大杉が立っています
参道入り口鳥居です
東海鎮護 東大社です
手水舎です
鳥居の後ろに大杉が在ります、目通り幹回り5,2mの巨木ですが、御神木の杉ではありません
略記です
大東社略記(御神名と皇子の御名は古事記と日本書記の表示を混用しました)
御鎮座地
大東社の御鎮座なさっている此の所は、千葉県香取郡東庄町宮本字八尾406番地である。
御祭神
主神に玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)、相殿に鵜茅葺草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)
を祀る。
玉依姫は海神の御娘と生まれ、鵜葺草葺不合尊の后になられ、人皇第一代神武天皇外三柱の皇子を
挙げられた。
社名
創建当時は東宮、八尾社と称したが、康和4年に朝廷から総社王子大明神の号を賜り・・・
神輿舎です
祭りの説明版です
文化財の説明版です
駐車スペースの脇に御神木の杉が在ります
南側から
北西側から
拝殿前の参道から見上げました、目通り幹回り5,7mの巨木です
神楽殿です
拝殿です
本殿です
本殿西側には弓道場です
本殿北東側には、北参道が伸びています
境内社の子安宮です
神明社です
境内南西側には、相撲の神様「野見宿禰」の像と力石が有ります
西側道路脇には、ケヤキの古木があります
幹周り5mの巨木です
駐車スペースの脇に本殿跡の石碑です
大正6年この地方を大暴風雨が襲った、その為現在社殿の建っているあたりの
樹齢数百年の杉の大木が全て倒れ広い空き地になった
当時本殿は此処に拝殿はその南にあり、社頭が余りに狭く、氏子の総意により
現在の地に遷し建てた
大正7年3月22日遷座祭を執行し、本殿の跡に銀杏の木を植えて石で囲い、
参道には石畳を敷き、有志の寄付による春日燈籠を配置した
雨来80年銀杏は大木となり石囲いを押し上げ、又ここ本殿の跡であることを
知る人も少なくなった
金谷隆氏より多額の奉斎があり、それを用い石囲いを整備し
本殿跡を示す石碑を建立する事と定め、工を起こし、平成10年月3月完成した
ここに概要を刻し後世に伝える
平成10年3月吉日
宮司 飯田眞也代
題字 菅谷香城書
では、次へ行きましょう