ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

福島県玉川村、大寺城跡です!!

2018-01-27 08:49:54 | 城跡・館跡・陣屋跡
大寺城跡は、玉川村役場のkmのところ

コンビニのある交差点を南へ入ると

道路左手に、西口の案内版があります

駐車スペースがないので

そばに立っている東口への案内板に従って

東口へ向かいます

東口は、城跡公園となっていて

駐車場にトイレもあります


道路沿いに大寺城跡西口の標柱が在ります、駐車場はありません

西側からの城址入口です、東口へまわりましょう

途中に案内板が無いので不安でしたが、大寺城跡公園の案内板を見つけました

東側駐車場へ上がってきました、右のトイレの前が駐車スペースに成っています

駐車スペースから本丸北側を見上げました

井戸跡の様です、水で満たされています

説明版です
   玉川村重要文化財(城跡)指定
  大寺城跡(標高405m)  
    大寺城跡は 、中世石川氏の拠点的城郭として、石川有光が承保元年
   (1074)に築城した比較的大規模な山城である、当時は土地の名と
   有光の前居城の名をとって藤田鴫城と呼ばれていた。二代光祐と次の家
   光に至る50年間には、本丸・二ノ丸・三ノ丸・冨士ノ丸などが整えら
   れた。そして文安3年(1446)代13代光義のとき石川町中野から
   薬師如来・日・月天・十二神将を東福寺境内に移したのにちなんで石亀
   ノ里大寺と改め、大寺氏を名乗るようになった。
    天正17年(1589)伊達正宗来攻の際には所領争いの確執などか
   ら須賀川の二階堂氏と共に敗れ石川昭光の軍門に降ったために大寺城も
   没収され破壊されたと伝えられている。現在水田として利用されている
   部分は中世では湿地または河川であった可能性が高く自然の防御線が推
   定される。
    また、安養寺跡・天光寺跡・普門寺跡・東福寺などの寺を城域に含み
   頂上には火防神愛宕神社を、また鬼門にあたる東北側には都々古別神社
   がまつられている。字名では久保宿・古宿・南宿・根搦など規模は小さ
   いが惣構え的な構造が推定される。
    草枯の時分に見ると、郭・土塁・平場・掘切などが確認され、一部の
   平場では花崗岩の巨石も露呈しており、周辺に比較的石が集まった地点
   もあり、庭園の可能性も考えられたが、詳細は不明である。また、本丸
   下には井戸跡のように清水が湧き出る地点も確認され、標高の高い地区
   にしては多くの水量が確認される。
    この城跡は、周辺居住者の憩いの場として、また公園として年間を通
   して清掃、草木の手入れ、花木の植栽などが愛好会員によって行われて
   おります。
    さらに散策に、行楽に、また歴史教養にと活用されるなど貴重な城跡
   であります。
                          郷社都々古別神社
   

本丸へ上がってみましょう

階段に成っています

西側の帯郭の様な部分です

東側です




本丸に上がって来ました、石塔が並んでいます

本丸の北西側に東屋が有ります

城跡の周りの文化財などの案内板が有ります

北の端に城主之碑が有ります

隣には、歴代城主名の案内板があります

西端の祠です

北西側を見下ろします、角出丸の様な平場が見えます


南西側

南側

東側

本丸上には、桜・ヒノキ・ケヤキなどの大木が林立しています

では、次へ行きましょう
コメント
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