ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

福岡県福岡市、東区香椎「香椎宮」です!!

2020-11-29 07:08:29 | 巨樹・大木
香椎宮を見て行きます

東区香椎地区は、福岡市役所の北東約9kmのところ

JR香椎線香椎神宮前駅で降りて北側に進むとすぐに香椎宮参道が西南西向きに開いています

香椎神宮前駅です

境内入口に大きな「愛つなぐ、香椎宮」の説明版が有ります



参道は西鉄香椎宮前駅まで続いています、境内入口鳥居です

祭神案内板です

参道を進みます

参道勅使道の説明版です

左手の池には弁財天です

境内案内板で確認しましょう

楼門前の鳥居です

楼門です

香椎宮説明版です
 祭神は、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、住吉大神。3世紀ごろ、仲哀天皇は国内外を平定されるため、神功皇后とともにこの地に橿日宮を営まれました。当宮は、この地で没した仲哀天皇の霊を、神功皇后が祭られたのが起源とされており、古くは「香椎廟」と称され、朝廷や人々の崇敬を受けてきました。また、享和元年(1802年)に再建された本殿は「香椎造」と呼ばれ、その優れた建築様式は国の重要文化財に指定されています。


手水舎です

更に石段を上がります


香椎宮由緒略記です
御祭神 主神 仲哀天皇 神功皇后 配神 応神天皇 住吉大神
御由緒 香椎宮は世紀200年神功皇后躬て仲哀天皇の御神霊を祀り給う他のが起源です。
 次いで神功皇后の宮は元正天皇の養老7年(723)に皇后の御神託により朝廷が九州に詔して社殿の造営を始め聖武天皇の神亀元年(724)に竣工したものでこの両宮を併せて香椎廟と称した。
 明治以後官幣大社香椎宮戦後は香椎宮と称している。香椎宮は伊勢大廟(伊勢神宮)と共に廟号を以って他の神社と異なる特別な御崇敬を捧げられ、国家の大事に際しては必ず奉幣の勅使を差遣せられ国家の安泰を祈願された。現在10年毎に勅使の参向があり、全国17社の勅祭社の内、九州であは當営と宇佐神宮の二社のみが勅祭社と定められている。
 仲哀天皇は非常に御英邁(ごえいまい)にあらせられ早くから海外発展を策され、この香椎の都を遷され、その準備中に崩御になられたので、神功皇后は天皇の御意志を体し御女性の身を以て御自から三韓御渡航の雄図を果たされ、初めて国際国家としての日本の地位を確立されたといえましょう。これによって大陸文化が晴々と導入され、日本文化は急速に向上発展を見るに至ったのであります。
 この御壮挙は当時としては並々ならぬ御苦労があられたものと察せられます。
 応神天皇は御子様であり、御孫様当られる仁徳天皇の御代には国民生活安定し彼の「民のかまどは賑いけり」の御歌となって現れ、その御徳は日本一の壮大堅固な仁徳陵として現存している。その見事な土木技術を始め、建築、繊維、工芸、美術等のあらゆる文化の基礎を開かれたのも當宮御祭神の勝れた御神徳を受けられ、やがて絢爛たる奈良平安の文化の花が開かれていったのであります。
本殿 重要文化財香椎造と称し我国唯一の建築様式で現在の御本殿は、享和元年(1801)筑前藩主黒田長順公の遵式縮小の再建であります。
綾杉 神功皇后三韓より御帰還の節、三種の神宝を埋めてその標(しるし)に杉の小枝を挿し神霊をこの杉に留め給ひ仲哀天皇の御側近く永仕祈られ大和にお帰りになられた。昔からこの杉の葉に守り札と不老水を添えて朝廷に奉っている。この杉は普通の杉と異なり葉は海松の如く大小の葉恰も(あたかも)綾の如く交互に出ているので綾杉と称し、樹齢千八百年根の直径5m若芽根より生じ、古来植継ぐことなしと伝わる。
参拝標石 この標石は恐らく奈良朝以前のものと推定される五箇の石で、勅使館前「御休憩所」中門階段下左右に「御手水所」「御祓所」中門内左右に「御脱剣所」「衛士居所」と高さ60cmの標石が立っている。これは勅使又は太宰師(大宰府長)が参拝の時昇殿までの順序を指示した石で、香椎宮にのみ有る貴重な文化財です。


東側の境内社です

鶏の狛犬ならぬ狛鶏でしょうか

鶏石神社です

香椎宮社殿へ行きましょう、社殿は南向きに建っています

神門を入るとすぐに拝殿です

額です

神楽殿です

本殿です、三方に入口が有ります

東側から

重要文化財(建造物)香椎宮本殿説明版です
 元亀元(724)年に創建された香椎宮は、仲哀天皇とその后・神功皇后を祀り、古くから香椎廟とも称されました。その後、記録によると、永暦元年をはじめとした幾度もの火災により焼失し、現在の本殿は享和元(1801)年福岡藩10代藩主・黒田斉清が再建したものです。この時の棟札が残されており、建立にたずさわった関係者の名前や作業の内容が記されています。
 桁行三間、梁間三間の正面両側に獅子間と呼ばれる一間が附属し、さらに車寄がつきます。入母屋造の屋根には獅子間の切妻が連結されます。正面中央は千鳥破風で飾られ、向拝が設けられています。このような複雑な外観で、国内にほかに類を見ない特異なことから「香椎造」といわれます。
 また、檜皮葺の屋根の頂部は黒漆で塗られた胴板製の箱棟で覆われ、両端には菊の御紋をあしらった鬼板がつきます。外観は朱漆を主体としますが、蔀戸には緑青塗り、車寄の木階には黒漆が塗られるなど、華やかな色彩も特徴の一つです。
 以上のように、貴重な神社建築であることから、大正11(1922)年に国の重要文化財に指定されています。



武内神社です

本殿部分です


説明版です


東側境内出口です

すぐに巻尾神社です

説明版です

では、古宮跡へ行きましょう


コメント
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