七二会丙(岩草)地区は、長野市役所の西約12kmのところ
国道19号線を西へ(犬戻トンネルの西詰めが土砂崩れの為片側交互通行した),明治橋を渡って間もなく瀬脇信号を右(北)へ入ります、道なりに坂道を上って行きます、長野市役所七二会支所の前を右(北)へ県道86号線戸隠篠ノ井線です、間もく県道401号線小川長野線を左へ更に道なりに緩く上ります
「曹洞宗性乗寺」の案内板が所々に有りますので迷う事はありません、遠見下で性乗寺と「性乗寺稲荷社のイチイ」の案内板が有ります、案内板に従って進むと岩草集落を抜けた所に性乗寺が有ります
墓地側の駐車場に車
を止めさせて頂きました

案内板があります

磐草地区の案内図です、一番上に性乗寺のイチイの文字が見えます

岩草集落入口です、もう少し先です

また案内が有ります

参道入り口です

参道左手のお地蔵様です

本堂です

本堂の額です「冨景山」山号ですね

鐘楼です

墓地側から本堂を見ました

風穴の案内板です、後で行ってみます

本堂裏側に当たる左カーブのところに案内板が有ります、ここから山道へ入ります

山道は刈り払いがされていてイチイまでは歩きやすくなっています

この先で左にカーブすると間もなくです

杉林の出口にイチイの梢が見えて気ました

イチイです

天然記念物標柱です

説明版です
天然記念物
性乗寺稲荷社のイチイ
長野市指定文化財
昭和53年3月25日指定
イチイは、別名アララギ、オンコ、トガともいい、アジア東北部、北海道、四国、九州の低山帯から亜高山帯にかけて分布する。
イチイの材は古来、神職の笏の材料として有名で、正一位・縦一位などの一位から、この名が付けられたという。
イチイは、雌雄異株の植物で、指定木は雄株である。樹高18m、幹の目通り周囲3.14m、四方の枝張りは、6~7mある。
性乗寺が現在地に移転(1582頃)し、稲荷社をまつった頃からあったものと思われる。
この境内や裏山一帯の樹木中で、一番の老木である。寺の歴史とともにある名木でもある。
性乗寺
長野市教育委員会



東側から


南側から



西側から幹を見上げました、根元に祠が有ります

この祠が稲荷社でしょうか



北西側から
では、900mほど移動して風穴を見に行きます


風穴入口です、道路脇に車を止める事が出来ます

石の間から冷たい風が出ています

説明版です
大平風穴
萩野山~大平地籍には岩石が堆積し、その地下には空洞域が存在しています。空洞域に浸透した地下水が蒸発する際、周りの熱を奪い、岩石の隙間から冷涼な空気が吹き出す場所を石積で囲い「大平風穴」と呼んで利用されていました。
気温2~3℃の環境を活かし、明治~大正にかけて、岩草集落の人たちを中心に養蚕・食品の貯蔵庫として活用されていました。
規模は、概ね間口3.6m・高さ3.6mで、岩草区の記録によると、当時内部は2層の構造となっており、明治43年には蚕種貯蔵枚数26000枚とされています。
養蚕は往時七二会地域に大きな現金収入をもたらした産業であり「大平風穴」は七二会のみならず、県下の養蚕業に大きく貢献しました。
本施設は、権利者様の理解を得て、七二会地区住民自治協議会が中心となり、修復、管理しているものです。
明治時代に構築されたものであり、立入には安全上、十分配慮をお願します。
七二会地区住民自治協議会
では、次へ行きましょう

(8月後半に入って、アブが多数飛んでいます、咬まれて傷痒い思いをしました、ご注意ください)
国道19号線を西へ(犬戻トンネルの西詰めが土砂崩れの為片側交互通行した),明治橋を渡って間もなく瀬脇信号を右(北)へ入ります、道なりに坂道を上って行きます、長野市役所七二会支所の前を右(北)へ県道86号線戸隠篠ノ井線です、間もく県道401号線小川長野線を左へ更に道なりに緩く上ります
「曹洞宗性乗寺」の案内板が所々に有りますので迷う事はありません、遠見下で性乗寺と「性乗寺稲荷社のイチイ」の案内板が有ります、案内板に従って進むと岩草集落を抜けた所に性乗寺が有ります
墓地側の駐車場に車


案内板があります


磐草地区の案内図です、一番上に性乗寺のイチイの文字が見えます


岩草集落入口です、もう少し先です


また案内が有ります


参道入り口です


参道左手のお地蔵様です


本堂です


本堂の額です「冨景山」山号ですね


鐘楼です


墓地側から本堂を見ました


風穴の案内板です、後で行ってみます


本堂裏側に当たる左カーブのところに案内板が有ります、ここから山道へ入ります


山道は刈り払いがされていてイチイまでは歩きやすくなっています


この先で左にカーブすると間もなくです


杉林の出口にイチイの梢が見えて気ました


イチイです


天然記念物標柱です


説明版です
天然記念物
性乗寺稲荷社のイチイ
長野市指定文化財
昭和53年3月25日指定
イチイは、別名アララギ、オンコ、トガともいい、アジア東北部、北海道、四国、九州の低山帯から亜高山帯にかけて分布する。
イチイの材は古来、神職の笏の材料として有名で、正一位・縦一位などの一位から、この名が付けられたという。
イチイは、雌雄異株の植物で、指定木は雄株である。樹高18m、幹の目通り周囲3.14m、四方の枝張りは、6~7mある。
性乗寺が現在地に移転(1582頃)し、稲荷社をまつった頃からあったものと思われる。
この境内や裏山一帯の樹木中で、一番の老木である。寺の歴史とともにある名木でもある。
性乗寺
長野市教育委員会



東側から



南側から




西側から幹を見上げました、根元に祠が有ります


この祠が稲荷社でしょうか




北西側から

では、900mほど移動して風穴を見に行きます



風穴入口です、道路脇に車を止める事が出来ます

石の間から冷たい風が出ています

説明版です
大平風穴
萩野山~大平地籍には岩石が堆積し、その地下には空洞域が存在しています。空洞域に浸透した地下水が蒸発する際、周りの熱を奪い、岩石の隙間から冷涼な空気が吹き出す場所を石積で囲い「大平風穴」と呼んで利用されていました。
気温2~3℃の環境を活かし、明治~大正にかけて、岩草集落の人たちを中心に養蚕・食品の貯蔵庫として活用されていました。
規模は、概ね間口3.6m・高さ3.6mで、岩草区の記録によると、当時内部は2層の構造となっており、明治43年には蚕種貯蔵枚数26000枚とされています。
養蚕は往時七二会地域に大きな現金収入をもたらした産業であり「大平風穴」は七二会のみならず、県下の養蚕業に大きく貢献しました。
本施設は、権利者様の理解を得て、七二会地区住民自治協議会が中心となり、修復、管理しているものです。
明治時代に構築されたものであり、立入には安全上、十分配慮をお願します。
七二会地区住民自治協議会
では、次へ行きましょう


(8月後半に入って、アブが多数飛んでいます、咬まれて傷痒い思いをしました、ご注意ください)