山田中小野平地区は、長野市役所の西約8kmのところ
国道19号線小市西信号から県道406号入山小市線です、道なりに進んでだいぶ登って来ました、長野市小田切支所前に観光案内図がありますので確認します、目的の小野平は支所から更に上に登った山の上のようです
小田切観光図です、左上に目的の「駒つなぎ一位」の文字が見えます
小田切支所です
分かれ道の案内板です、ここは左ですね
ここは右へ進みます
山の上に上がって来ました
戸隠への道路を進むと建物の屋根の上にイチイの梢が見えました
集落の中からの道を進むと道路右手に目的のイチイです
鳥居と祠が有ります(西側から)
天然記念物標柱です
説明版です
天然記念物
余五将軍駒つなぎのイチイ
長野市指定文化財
昭和49年7月20日指定
指定木のイチイは、むかし信濃守余五将軍平維茂(万寿元年=1024年、80歳で没と伝えられる)が鬼女紅葉討伐の時この地に宿り、駒をつないだと伝えられる老樹である。
昭和8年長野県史跡名勝天然記念物調査報告書で「人口に、膾炙せる伝説を有する上に、稀に見る大木なれば保護の要あり」とされ、旧県指定を受けた雌木nお名木である。
その当時の計測によると、目通り周囲4.55m、高さ13mぐらいとあるが、約40年後の昭和49年の計測では目通り周囲4.30mとなっている。
幹の内部はうろになっているが周囲は生きており、枯死した大きな枝は特に見られないが、老樹のためか、ほかのものに比べて葉や実が小型である。
イチイは別名アララギともいい、日本・朝鮮・中国北部・東シベリアなどに分布する雌雄異株の東亜の植物である。日本ではこの材で笏を作ったので、位階の正一位・従一位などの一位からこの名がつけられたという。
この指定木は樹齢が1000年を経ているかは疑問であるが、市内の古い伝説に関係ある老樹として得難いものである。
平成7年2月10日
長野市教育委員会
余五将軍駒つなぎのイチイ保存会
保存会の石碑です「駒つなぎかりの宿りの小野平 富士を南に北は戸隠」と維茂が詠んだそうです
北東側から
東側から
北側から見ました
では、次へ行きましょう
国道19号線小市西信号から県道406号入山小市線です、道なりに進んでだいぶ登って来ました、長野市小田切支所前に観光案内図がありますので確認します、目的の小野平は支所から更に上に登った山の上のようです
小田切観光図です、左上に目的の「駒つなぎ一位」の文字が見えます
小田切支所です
分かれ道の案内板です、ここは左ですね
ここは右へ進みます
山の上に上がって来ました
戸隠への道路を進むと建物の屋根の上にイチイの梢が見えました
集落の中からの道を進むと道路右手に目的のイチイです
鳥居と祠が有ります(西側から)
天然記念物標柱です
説明版です
天然記念物
余五将軍駒つなぎのイチイ
長野市指定文化財
昭和49年7月20日指定
指定木のイチイは、むかし信濃守余五将軍平維茂(万寿元年=1024年、80歳で没と伝えられる)が鬼女紅葉討伐の時この地に宿り、駒をつないだと伝えられる老樹である。
昭和8年長野県史跡名勝天然記念物調査報告書で「人口に、膾炙せる伝説を有する上に、稀に見る大木なれば保護の要あり」とされ、旧県指定を受けた雌木nお名木である。
その当時の計測によると、目通り周囲4.55m、高さ13mぐらいとあるが、約40年後の昭和49年の計測では目通り周囲4.30mとなっている。
幹の内部はうろになっているが周囲は生きており、枯死した大きな枝は特に見られないが、老樹のためか、ほかのものに比べて葉や実が小型である。
イチイは別名アララギともいい、日本・朝鮮・中国北部・東シベリアなどに分布する雌雄異株の東亜の植物である。日本ではこの材で笏を作ったので、位階の正一位・従一位などの一位からこの名がつけられたという。
この指定木は樹齢が1000年を経ているかは疑問であるが、市内の古い伝説に関係ある老樹として得難いものである。
平成7年2月10日
長野市教育委員会
余五将軍駒つなぎのイチイ保存会
保存会の石碑です「駒つなぎかりの宿りの小野平 富士を南に北は戸隠」と維茂が詠んだそうです
北東側から
東側から
北側から見ました
では、次へ行きましょう