一の宮1丁目は、糸魚川市役所の直ぐ東側です
糸魚川市役所の北側の駐車場の北西角に「郷社 天津神社」の社號標が建っています
東へ進むと
右手奥に清崎神社です
すぐ先右手に神橋です
左手の神池の中には弁財天でしょうか
亀(ミシシッピアカミミガメ)が6匹甲干しをしています
手水舎です
ケヤキの大木です
説明版です
説明
神社名 天津神社・奴奈川神社 一ノ宮と俗称す
祭神 瓊々杵尊 天児屋根命 天太玉命
境内別に奴奈川神社あり奴奈川媛命
八千予命を祀る
鎮座地 新潟県糸魚川市一ノ宮
人皇第12代景行天皇の御宇の創建に係り、人皇第36代孝徳天皇の勅願所たりと云い傳へ、延喜式内社の一ならむと推稱せらる。
社殿は元山崎の地に在りしを、山崩れのため此の地に移し造営したりと傳ふ。
此の地方は、往昔沼川郷と稱し奴奈川媛命の棲みましし處、八千矛命が遠く海を渡りて此の地に上陸せられ、媛と契らせ給ヘリと云ふ史実と、御二方の間に生まれましし建御名方命が姫川の渓谷を辿りて信濃路へ進ませられ、遠近を開拓統治し給へりと云う伝説とに微すれば、此の地は神代に於て国津神の威武を内外に発揚し給へる、重要なる基地たりしを想察するに足る。
ただ神社名が天津神社と呼ばれ境内別に奴奈川神社の存するは、後世天神地祇其の處を換えたるに依るならむか。
女神像4體・懸佛・古面・舞楽装束等を秘蔵す。
春季大祭は4月10日(昔は3月10日)・秋季例祭は10月24日(昔は10月10日)執行せらる。
大祭に神輿渡御の盛儀あり、壮観多く匹傳を見ず。
舞楽12曲あり、俗に「ちごの舞」と稱し大祭当日演舞される百花繚乱の候婉麗優美千古雅趣を帯ぶる舞楽を、豪壮極りない神事の後に拝するは、對照の妙正に一大奇観にして古来名物祭の名を壇にしたる所以も亦茲に存するか。
稜王・大納蘇利・抜頭・能抜頭・の舞面は、明治11年9月明治天皇の北陸御巡行にに際し、行在所に於いて天覧に供したり。
神社は藩政当時朱印1百石を寄進せらる。
大正7年郷社に列せられ、昭和18年3月縣社に列せらる。
昭和20年7月 天津神社社務所
*文は昭和20年の物です、版自体は出来たばかりの様ですね
文化財一覧です
参道を南に進みます
右手にケヤキの大木です
すぐ先の左手にはクスノキの大木です
左に曲がると境内です
右側境内南端にケヤキの巨木です
北側から、目通り幹囲5.1mの巨木です
西側から
境内南端の朱塗りの建物は「衣紋所」です
拝殿正面の石壇南端に赤松の大木です
南端の建物は
境内全景です、
珍しい大きな茅葺屋根の拝殿です
北側直ぐ後ろに天津神社本殿です
天津神社本殿の直ぐ西には奴奈川神社の本殿です
奴奈川神社本殿の左(西)にクスノキです
南西側から見ました、目通り幹囲5m(目測)の巨木です
目通り幹囲6.0mの巨木は忠魂碑のわきです
スギの大木です
南側の市役所職員駐車場から見ました
南側から
では、次へ行きましょう
2023年4月20日午後1時訪問です
糸魚川市役所の北側の駐車場の北西角に「郷社 天津神社」の社號標が建っています
東へ進むと
右手奥に清崎神社です
すぐ先右手に神橋です
左手の神池の中には弁財天でしょうか
亀(ミシシッピアカミミガメ)が6匹甲干しをしています
手水舎です
ケヤキの大木です
説明版です
説明
神社名 天津神社・奴奈川神社 一ノ宮と俗称す
祭神 瓊々杵尊 天児屋根命 天太玉命
境内別に奴奈川神社あり奴奈川媛命
八千予命を祀る
鎮座地 新潟県糸魚川市一ノ宮
人皇第12代景行天皇の御宇の創建に係り、人皇第36代孝徳天皇の勅願所たりと云い傳へ、延喜式内社の一ならむと推稱せらる。
社殿は元山崎の地に在りしを、山崩れのため此の地に移し造営したりと傳ふ。
此の地方は、往昔沼川郷と稱し奴奈川媛命の棲みましし處、八千矛命が遠く海を渡りて此の地に上陸せられ、媛と契らせ給ヘリと云ふ史実と、御二方の間に生まれましし建御名方命が姫川の渓谷を辿りて信濃路へ進ませられ、遠近を開拓統治し給へりと云う伝説とに微すれば、此の地は神代に於て国津神の威武を内外に発揚し給へる、重要なる基地たりしを想察するに足る。
ただ神社名が天津神社と呼ばれ境内別に奴奈川神社の存するは、後世天神地祇其の處を換えたるに依るならむか。
女神像4體・懸佛・古面・舞楽装束等を秘蔵す。
春季大祭は4月10日(昔は3月10日)・秋季例祭は10月24日(昔は10月10日)執行せらる。
大祭に神輿渡御の盛儀あり、壮観多く匹傳を見ず。
舞楽12曲あり、俗に「ちごの舞」と稱し大祭当日演舞される百花繚乱の候婉麗優美千古雅趣を帯ぶる舞楽を、豪壮極りない神事の後に拝するは、對照の妙正に一大奇観にして古来名物祭の名を壇にしたる所以も亦茲に存するか。
稜王・大納蘇利・抜頭・能抜頭・の舞面は、明治11年9月明治天皇の北陸御巡行にに際し、行在所に於いて天覧に供したり。
神社は藩政当時朱印1百石を寄進せらる。
大正7年郷社に列せられ、昭和18年3月縣社に列せらる。
昭和20年7月 天津神社社務所
*文は昭和20年の物です、版自体は出来たばかりの様ですね
文化財一覧です
参道を南に進みます
右手にケヤキの大木です
すぐ先の左手にはクスノキの大木です
左に曲がると境内です
右側境内南端にケヤキの巨木です
北側から、目通り幹囲5.1mの巨木です
西側から
境内南端の朱塗りの建物は「衣紋所」です
拝殿正面の石壇南端に赤松の大木です
南端の建物は
境内全景です、
珍しい大きな茅葺屋根の拝殿です
北側直ぐ後ろに天津神社本殿です
天津神社本殿の直ぐ西には奴奈川神社の本殿です
奴奈川神社本殿の左(西)にクスノキです
南西側から見ました、目通り幹囲5m(目測)の巨木です
目通り幹囲6.0mの巨木は忠魂碑のわきです
スギの大木です
南側の市役所職員駐車場から見ました
南側から
では、次へ行きましょう
2023年4月20日午後1時訪問です
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