ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

新潟県糸魚川市、砂場「善正寺跡のイチョウとシダレザクラ(市指定)」です!!

2023-05-29 06:37:56 | 巨樹・大木
 砂場地区は、糸魚川市役所の東南東約11kmのところ

 糸魚川市役所の北側の県道222号線を東へ、約3.5kmで国道8号線バイパスに合流し右(東)へ

 約1.8km立壁信号で右(南西)へ、県道270号線です、道成りに約9.8km進みます

 車窓には火打山と焼岳が迫って来ます

 県道の右側に「砂場⇒入口」の案内板が有りますので、右(南西)へ入ります、間も無く早川を東西橋で渡って

 約800m坂道を登って行くと右手の広場に目的のイチョウが見えました

 広い善正寺跡です、境内入口に車を止めさせて頂きました

 道路沿いには納骨堂のようです

 東側からイチョウを見ました

 広場の中ほどに大きな石碑です

 説明版です
   善正寺跡地
 善正寺の歴史
 「砂場の善正寺さん」と近郷の御門徒に親しまれてきた上宮山善正寺は、その縁起によれば、文暦元年(1234年)に僧教俊が錫杖をこの地に止め、上宮山宝寿院という真言密教のの精舎を開いたことに始まる。
 その後、天文・弘治の頃(1550年頃)春日山城主上杉謙信とその子景勝の家臣薗田治郎成家の孫、成忠が出家して善正坊と号し、一向専修の行者となる。
 元亀から天正年代の石山戦(1570~80年)に参戦し、織田軍勢と戦った善正坊は、本願寺第11世顕如上人の法弟となり、直ちに浄土真宗に改宗し、帰国後、旧西山小学校跡地脇に堂宇を建立、これを善正寺とし、中興改宗の第1世となった。
 善正寺第8世釈祐清の代、元禄3年(1690年)から10年の歳月を費やし、堂宇をこの場所に移し再建した。
 第12世釈亮清の代、京都二條家の仲院利子姫のお輿入れに伴い、寛政10年(1798年)に二條殿の祈願所となり、寺紋は下がり藤二條家紋となった。
 元禄の再建後約300年間、善正寺の本堂と庫裡は、一度も天災にあわずにこの地にあったが、長年の風雪による老朽化が激しく、第19世釈修清の代、平成元年(1989年)から5年の歳月をかけて大和川の地に移築再建した。

 *一向専修とは、ひたすら一つの修行、とりわけ念仏に励むこと。
 *大和川の善正寺は、糸魚川市役所の東約3kmの海川右岸に有ります

 イチョウを東側から見上げました

 南側から、目通り幹囲4.9mの大木です

 南西側から

 西側から見ました
 

 善正寺の基礎石です


 市指定天然記念物善正寺のシダレザクラの標柱です


 境内の南端にシダレザクラが見えました


 手前左右に池があります


 北側からシダレザクラを見ました

 天然記念物のシダレザクラです

 境内南側池の間からイチョウを見ました




 境内にはアズマイチゲの群落です

 では、次へ行きましょう

 2023年4月20日午前11時50分訪問です 

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